マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【エッセイ】近況 大学聴講生2年目の雑感(facebook投稿用)

山本理顕
「私たちが住んでいる空間がどれほど官僚制的に統治されているか。
その官僚制的に統治された空間は身体化されている。私たちはそれが統治された空間であることに気がつかない。
無意識化されたその空間をハンナ・アレントは「社会」と呼ぶ。
「社会」という空間は経済的に組織されている。つまり個人的な利益を目的として組織されている。」
 
pha
「毎日家で寝ているだけでも家賃の負担が大きくてお金がガンガン減っていく。ゲームで言うと歩くだけで体力が減っていく毒の沼地にいるような感じだ。」
 
安冨歩
「権力側が日々小さな抑圧の事象を人々に受け入れさせて、それが積分されると人間の魂は全く作動しなくなるというのが微分化された暴力である」
 
中島岳志
「これは社会の問題でもあるはずなんです。「人としゃべりたい」と思ったとき、福井まで行ってダガーナイフを買う、タクシーに乗る、風俗に行く……。お金を媒介とするところでしか人としゃべれない、と思わせるような社会に我々はいるということです。」
http://nikkan-spa.jp/412176
 
 
大学の聴講生を継続し、4月からニ年目に入った。
自分が何に問題意識をもっているかなどを、影響を受けた本を3冊あげて、大雑把に書いてみたい。
 
一昨年、中島岳志秋葉原事件 加藤智大の軌跡』を引きこまれながら読んだ。彼が起こした事件は許されるものではないと前置きしつつ、それでも、彼が抱えた痛みに強く共感した。自分も感じていた、現在の日本社会の「生き辛さ」の正体をもっと深く知りたいと思った。
 
そして去年、北田暁大『増補 広告都市・東京: その誕生と死』を読んで、目から鱗が落ちる思いをした。ボードリヤールの消費社会論を知った。必要な物が行き渡った後の社会では、必要でないものをどう消費させるか?そこでは、広告が人々の欲望や恐怖心を喚起し、操作する。ジム・キャリー主演の映画「トゥルーマン・ショー」を引き合いに出し、80年代東京の街自体が広告と化していたことを浮かび上がらせた。自分の欲望が満たされないから、人間は不幸を感じる。しかし、その欲望は何によって呼び出されたものか?「生き辛さ」の正体の一端がわかった気がした。
 
そして今年、萱野稔人『国家とはなにか』を読んで、またしても蒙を啓かれた思いをした。国家とは成り立ちからして、住民の富を徴収する暴力の運動であると。それは現在も変わっていないと。近代国家では、資本主義と結びつき、国民を規律・訓練する。それは国家と資本にとって都合のいいように、国民を飼いならし、服従させる。この本を読んで、国家と資本主義がそもそも持つ暴力性に気づかされた。ここでも、「生き辛さ」の要因に気づいた気がした。
 
大学では、社会学の概論と資本主義についての授業を一年受けた。これらも知らないことばかりで大変有意義だった。授業や読書体験で自分の抱える「生き辛さ」が解消されたり、緩和されたりするわけではない。しかし、自分が変えたいこと、闘うべき対象が少しわかってきたように思う。