マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

提出レポート「中島岳志『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』 (朝日文庫) を読んで」

1.精神の安全をもたらす居場所が現実社会にない

 この本では「居場所」という言葉がよく出てくる。加藤智大には居場所がなかった。中学から高校卒業まではあった。それは同級生田中(仮名)の家。5人ほどのグループがこの家にたむろして、交代でテレビゲームをして、漫画を読んでいた。短大入学のため岐阜に出てきて以降は、居場所がなかった。そこで彼は携帯サイトの掲示板と出会い、そこが自分の居場所になることを期待した。

 彼は現実は建前の世界だと感じていた。本音が言えない。田中の家に集まっていたグループにも自分の悩みなど、本音は見せなかった。ネットの掲示板では、「自虐ネタ」「不謹慎ネタ」を書き込んで、ネタの裏にある自分の本心を理解してくれる人の出現を待った。彼は携帯掲示板サイト「適当でいいんじゃねぇ」(通称テキトウ)の常連になり、2007年(事件の一年前)9月に青森から、道中で掲示板の常連に会いながら、管理人の住む北九州市まで行くという、「管理人に会いに行く旅」をしている。彼は休みが取れなかったことから、会社を辞めるという、強い情熱を持ってこの旅を決行した。この掲示板に居場所となるコミュニティを求めていた。

 しかし携帯サイトの掲示板は、あまりに脆いアーキテクチャで成り立っていた。「今日から友達だよ」と書き込み、一瞬加藤に希望を持たせた女性(ネカマかもしれない)はすぐにいなくなった。加藤のマネをする「なりすまし」が現れ、他の常連がそちらを信じ、加藤本人の書き込みを偽物扱いするという出来事もあった。そのため加藤はかえって不満を増幅させた。

 裏を返せば、そんな脆弱なネット掲示板に頼るしかないほど、現実社会に居場所がなかった。その原因は何なのか?事件の5日前、加藤が仕事後に御殿場まで散髪に行った帰り、最寄りの裾野駅から、寮まで歩くシーンで著者はこのように描いている、

「夕方になって、彼は帰宅した。最寄りの裾野駅から自宅まで、立ち寄る店はコンビニと牛丼屋だけ。両方とも、日本のどこにでもあるナショナルチェーン店だ。行きつけの飲み屋や喫茶店、カフェなどなかった。地元の住民との交流は、一切なかった。地域社会と職場のコミュニティは、完全に切れていた。特に派遣労働者と地域社会の間には、接点などまったくなかった。隣近所にどんな人が住んでいるか、まったく知らなかった。仕事場の同僚だけが付き合いのある人間だった。彼には、職場の「タテ」「ヨコ」の関係しかなかった」

このファスト風土化した郊外の状況にも原因がありそうだ。2014年の東京都知事選に立候補した家入一真も「若者の居場所をつくること」を重要なテーマに上げていた。事件から6年が経ったが、この問題は依然として残っているようだ。加藤のような人が、他者と話が出来る「場所」が、現実社会に必要だ。

 

2.「彼女」が全てを救うと考える理由

 加藤を終始苦しめていた悩みは「女性にモテない」ということだ。これが事件の最大の原因であったとも読める。「「彼女」さえ出来れば、自分は幸せになれる」と強く信じていた。その裏返しとして、彼女が出来ない自分の人生に絶望していた。彼をここまで追い込んだ、この「彼女が欲しい」という欲望は何に由来するのであろうか?

 一つはアニメの影響が考えられる。本の中では、加藤が好んだアニメとして、『新世紀エヴァンゲリオン』『魔法先生ネギま!』『ガンスリンガー・ガール』などがでてくる。この頃は、新世紀エヴァンゲリオンを祖とする、「セカイ系」と言われるアニメが流行した時代だ。アニメには必ず美少女が出てきて、主人公の男と、安直に、最初から何らかの関係を結んでいる。しかし、現実は違う。批評家の東浩紀秋葉原事件が起きて、マンガやアニメの影響を問われた際に、「しかし、現実に何十万人ものそれによって包摂されているオタクたちがいる。彼らはそれで充足している。それを取り上げてしまったら、そちらの方が危険なんだ」と発言した。しかし、「なんで、アニメの世界では主人公は美少女に取り囲まれているのに、現実の自分は違うのだ」とアニメと現実を境なく比較してしまい、劣等感を募らせる人々が一部存在するのも事実だ。ゆえに「アニメと現実は違う」とはっきりと解らせることも必要だ。従って、同じく批評家の宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で、徹底してセカイ系批判をしたことは、重要な仕事だったと考える。

 当然若者は年頃になれば異性を欲する。それは本能に基づいた欲求かもしれない。しかし、若者に恋愛至上主義が蔓延している現在のこの状況は、正常なのか?私はこれは、高度消費社会における、過剰な恋愛マーケティングによって歪められている姿だと考える。クリスマスやバレンタインなどを冷静に見てみれば、消費を促すために、テレビを中心としたマスコミが煽っていることが見て取れる。先ほどとり上げたアニメもそうだが、マンガやドラマなど、あらゆるジャンルの作品でこの恋愛の市場化に加担している。社会の、行き過ぎた恋愛中心主義を、修正する必要があると感じる。

 

 この他にも、人間の尊厳を奪う派遣労働の問題など、秋葉原事件から考えさせられる問題は多い。今後、以上のような課題を念頭に置き、社会学を学んでいきたい。