リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀,大塚英志
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/08/19
- メディア: 新書
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東「権力とマーケティングの境界はますます曖昧になりつつある。マーケティング理論が匿名的で集団的な行動を記述する言語だったのに対して、法は個人に対して命令するものだった。しかし、同じ結果を達成するのであれば、マーケティング的に社会を動かしたほうがはるかに効率がよいし反発も買わない。」
「ポストモダンの消費者は動物的に動く。」
土台に敗戦を隠す虚構の国家があって(永続敗戦論)その上をマーケティング理論によって作られた虚構の幸福感と欲望が覆っている。それを本物に見せてきた、経済成長というドラッグが切れた今の状態。
「宗教は阿片」
「他方で90年代は自分探しの時代でもあった。大量消費社会の記号と戯れるなかで、その反動として実存的な不安が戻ってくるという現象はあったわけです。」
東京ウォーカー はじめから情報は選ばれている。
加藤典洋「敗戦後論」
「そういう伝統が欠けているところに、アメリカニズムとポストモダニズムが怒涛のごとく押し寄せ、教育機関や言説の権威が落ちれば、それは日本人が動物的になるのも当然です。」
新井素子 ライトノベル
セキュリティという感情の肥大9.11
「確かにセキュリティは大事だけれど、それを得るために失っているものも多い、それでいいんですか?」
「癒しの時代と言ったって、お手軽なものだったわけで、ぜんぜん人間の本質と無関係だった。あと「ひきこもり」にしても、斉藤さん風に言えば、彼らは自分の「欲望」を探している。つまり、自分の単独性を求めるあまり消費社会の匿名性に積極的に身を投じられない。そういう人々なわけです。」
だから彼らはみな、柄谷行人風に言えば、「単独者の病」を生きている。しかし、ふたを開ければ、いまやそういう単独者こそがありふれているのであって、ひきこもりは100万人を超えているといわれているわけです。
本当はみんなますます無個性で匿名的になっているのに、それを隠すように、個別的なトラウマの物語が語られる。そういう言説が1990年代には流行りすぎたと思っている。
差異を求める80年代型消費
癒しとしての消費 90年代
「オタクたちがSF「と美少女の想像力の中に閉じこもっていく。」
「産業革命以降、数世紀のあいだ人類はかなり無理している」
「かつて人間は文化人類学的な記号を介して世界と繋がっていたけれど、近代はそれを脱魔術化してしまったので世界と人間が直にぶつかることになった。さすがにそれは問題なので、クッションとして持ち出してきたのが「大きな物語」や「象徴界」、つまり共産主義やナショナリズムのようなイデオロギーですね。しかし、この戦略も社会の複雑性がある閾値を超えると無理になり、ポストモダン化が始まる。そこで新たに登場するのが、前近代の神話的世界観に似てはいるが、歴史というより「商品」に支えられた別の世界認識の方法だと。」
「80年代に自分たちがあくまで批評的、お遊びで使っていたボードリヤールの消費社会論が、90年代に現実のものとなってしまった。」
最新の女性、トレンディ小説、キャリアウーマン、ロハス的な。
それがどんな洗脳の影響を受けているか、偏執狂的に一つ一つ指摘する。
リクルート的いやらしさ。
つまり現実はさして更新されていない。