マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

パースペクティブ 二回目

デュルケーム
「自殺論」(1897)
「宗教生活の基本形態」(1912)
第三共和政デュルケームのあゆみ
第三共和制(1870-1940)
共和派↔王政派 カトリズム
ライシテ(世俗化)
公教育 無償・義務・世俗性
社会学によるフランス社会の道徳的再建 モラル 心の秩序 
宗教に依拠しない新たな社会秩序の探求
 
自殺率 イタリアの4倍 1998年に急激に上がる
男7割 女3割
自殺 心の問題、個人の問題→社会の問題
「自殺の社会的原因」があると考えた
実証主義的方法(統計)
 
自殺の4類型
1.エゴイズム的 自己本位的自殺
社会の統合や連帯が弱まり、個人が集合生活から切り離され、孤立した結果生じる自殺
カトリック<プロテスタント個人主義的)
中間集団
ユダヤ教 迫害を受けるがゆえに団結
社会集団の統合の度合いに反比例
常軌を逸した個人化→無縁社会
意味が失われる
 
2.集団本位的自殺(愛他的)
あまりに強く社会のなかに統合されていると
軍隊 一部の宗教
 
3.アノミー的自殺
社会の規範が弛緩 崩壊し
「無限の欲望」
秩序や法の欠如感
欲望のコントロールが働かない
もっともっとの欲望が今の幸せを犠牲にしてしまう
 
4.宿命的自殺
虐待 過度の締め付け
 
「今日、この種の精神をもっともよく具現している一つの典型は、おそらくシャトーブリアンのルネであろう。ラファエルが内面に深く沈潜していく瞑想家であるのに反して、ルネはつねに満たされることのない渇望をいだいている人物である(略)いずれのタイプの自殺者も、いわゆる無限という病によって苛まれている。ただその病は、両者をつうじて同じような形態ではあらわれていない。前者では、この病に冒されているのは、思索的な知性であって、これが過度の肥大をしめしている。後者では、感性が過度に刺激されていて、それが無規制になっている。一方では、内にこもる反省のため、思惟はもはやその対象をもたなくなっている。他方では、情念が無際限のものとなって、もはやその目的をもたなくなっている。前者は果てしない夢想のなかに迷いこみ、後者は果てしもない欲望のなかに迷いこむ」
A 社会統合の弱体化→個人の孤立→生きる意味がわからなくなる→エゴイズム的自殺
B 社会の規律の弱体化→欲望が無限化する→不満、怒り→アノミー的自殺/他殺
 
A 社会の統合力(集団への愛着)
エゴイズム的自殺↔集団本位的自殺
B 社会の規制力(規律の精神)
アノミー的自殺↔宿命的自殺
 
社会を建て直さなければならない
職業集団ないし同業組合→中間集団(家族と国家のあいだ)
欲望の抑制にも
 
人間の二元性
プラトン 肉体と魂
デュルケーム 
個人意識 感覚・生理的欲求 個人に由来する意識
集合意識(共同意識) 概念的思考と道徳的活動 社会に由来する意識 集合力
 
デュルケームの人間観
人間は個人性と社会性の絶えざる葛藤の中で生きる存在
人間は無意識のうちに社会の影響を受けている → 構造主義につながる発想