マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】篠原雅武『空間のために 遍在化するスラム的世界のなかで』(以文社 2011年)

はじめに
「1989年に、フェリックス・ガタリは、人間の生活世界が文字通り悪化の一途をたどっていると述べた。ガタリがいうのは、家庭内の生活がマスメディア消費によって蝕まれ、夫婦生活や家族生活が画一化し、隣近所とのつきあいが乏しくなるといったことである。」
ガタリ「三つのエコロジー」自然環境、社会環境、精神環境。
マサオ・ミヨシ 惑星の再経験 総合的な環境学の必要
シャッター通り 地方都市
慣れ親しんだ生活世界に適合している諸概念では理解できない事態
成長、新品化、均質化、虚構化 → 新しい概念へ
 
序章 生活世界の荒廃
地方都市の駅前商店街
「そこは、依然として、資本主義経済の論理のもとへと包摂されている。テナント料を払ったり、建物を購入したりしないかぎり、使用できない。料金を払わず使用するのは法的に禁止されている。だがそこでは、料金を払って使用しようとする者はいない。それゆえに、資本主義の論理の内側にありながらその外に放擲されてしまう。外へと放擲されながら内へと捉えられていると言い換えることもできる。」
「空きテナントと更地と人通りのない街路しかない街」
都市空間の投機化
磯崎新「「商売」「商品」「消費」「ディズニー化プロセス」がこの世界を覆う基本的な動向となった」
金融資本主義の圧倒的な力 REIT 金融資本の空間支配
ポスト工業化の都市 農業も大資本に敵わない → 都市周辺に流入する
マイク・デイヴィス「スラムの惑星」
たえず生産され、変容していくものとしての空間 ルフェーブル
藤田省三「安楽への欲求」
柄谷行人トランスクリティーク」支配的思想=支配階級の思想
 
第一章 空間と領土性
「私たちは、空間がもつ質感とでもいうべきものへの感覚を研ぎすます必要があるのではないか。それをもっと信頼したほうがよいのではないか。」
これまで 高度成長 進歩 開発
桐野夏生「メタボラ」 地方都市の駅前 2007年 
藤田省三「荒地」
荒地とは、人々がそこに住んでいるにもかかわらず、そこと交渉し、現実的な経験をする余地を奪われてしまった生活空間の、既製性、所与性、非現実的で遊離した性質
「ここでは人間の理性が組織規約という形の実体となって社会活動の全領域を官僚制化するだけではなくて、生活必需品の全てにわたって製品という形の合理的物体となり全生活領域までをコンクリート化し終えたのである」『精神史的考察』
>>内田樹の東京一極論<<
開放性こそが居住可能性の条件
 
第二章 空間の質感
ジャ・ジャンクー「イン・パブリック」空間の声を聴く
桐野夏生残虐記
「看板やネオンサインの色彩、暗闇のなかで集まりうごめく人が発する肉声や匂い、さまざまに交わされるやりとり、こういった多数多様な動きが繁華街で局所的に凝集していくところに身をおき、佇むとき、女の子は「嬉しい」と感じている。」
「空間において新たに生じる偶発的なものに対応している感覚能力の減退」
「解釈図式の偏重は、感覚能力の鈍磨と表裏一体の関係にある。となるとこの能力をいかにして取り戻すか、いかにして空間への感覚を鋭敏にするかが、なによりも重要であるということになりそうである。
 だがそれだけでは、解釈図式への囚われから自由になるのはむずかしい。というのも、空間についての解釈図式は、たんなる個人的な主観的過誤だといってすむようなものではないからだ。
 ルフェーブルは、それを、空間の表彰という概念をもちいて説明している。空間の表象とは、「専門家、プランナー、都市計画者、<切り離し><アレンジする>テクノクラートや、科学に親近感をもつ特定の芸術家などのように、生きられるものと感覚されるものを、あらかじめ考えられたものと同一視する人たちの空間である」。空間の表象は、生活空間の生産と構築を主導する集団が共有している空間にかんする表象であるが、ここで空間は、日常的に生きられ、感覚されるものとしてではなく、むしろ、なんらかの考案された図式のとおりに操作され、分離されたり結合されたりするものとして、把握されている。
 生活空間を、一定の首尾一貫したあり方において維持しようとするテクノクラート的な空間的実践が要請するもの、これが空間の表象である。そこでは、生きられること、感覚されることなどの偶然的で予期しえないものは、空間の表象の首尾一貫性を維持するという観点からいえば、撹乱要因でしかない。
 それゆえに、空間にかんする首尾一貫した抽象的な表象が支配しているところでは、新たに生じ出現する予期不可能なものは逼塞させられる。つまり、抽象的な表象のとおりに操作され、つくりだされた空間は、その維持と存続のために、現実において生じうる予期不可能な事態の発生を抑止することを要請する。現代においてこうした要請は、ゲート付きの住宅地やショッピングモールなどの静止した空間において実現化されることになろう。すなわち、セキュリティである。
 そうであるなら、空間において新たに生じる偶然的なものに対応している感覚能力の減退はたんにそれ自体で減退しているというだけでなく、表象の首尾一貫のとおりにつくりだされ維持されている空間が支配的になっていくことの代償として、つまりはこうした空間に慣らされていくことの帰結として、考えることができるかもしれない。」
吉見俊哉 ロラン・バルト 記号論的都市論
都市の読み替え
活気 雰囲気
 
第三章 再領土化の諸問題
J・G・バラード「コカイン・ナイト」壁付き住宅
「彼らが必要とする外部世界は、衛星放送のディスクアンテナによって、天空から抽出される断片だけなのだ。」
郊外型セキュリティ村
藤田省三 安楽への欲求
公園で将棋(軍人将棋
大地性が死んでいる
「現代において考えるべき根本課題は、こういう意味での領土化の衰微である。荒涼とした質感が漂い大地性を欠いた生活世界が、一方では、そのままの状態で放擲され、あるいは他方では、幻想的で人工的なあり方において再領土化された空間として整えられるが、それが押し付けてくる壁の硬直性、不自然性ゆえに、衰微した領土化の回復はみせかけだけで結局は静寂と空虚と弛緩がそこを支配する。」
ゲーテッドの内部も幸せではあり得ない。
 
第四章 流動と停止
「現代の都市で、人々に満たされている空間は、消費と観光の空間だけ」
マッセイ 肯定的な多様性、否定的な差異性
オルグジンメル「大都会と精神生活」
ベルリンが大都会へと変貌していく時期
ひとりでに拡張する 同心円理論
神経を最高度に刺激↔投げやり、引きこもる
エンゲルス「イギリスにおける労働者の状態」
人間性の抑圧
移民を脱コード化→(警察の力で)再コード化
「将来の夢に賭けている何百人もの移民を抱える都市では、公共施設は徹底的に縮小され、公園は遺棄され、ビーチは隔離され、図書館や運動場は閉鎖され、ごく普通の若者の集会は禁止され、街並みはますます人気がなく危険なものになってきている。」
「安全な思想」のみ思考することが許される。
「移民をはじめとする流入人口は、商品化と自足化の度合いをますます高める都市空間の存立にとって不可欠である。」
分断/隔離の政策 アーレント
フレドリック・ジェイムソン 「未来の都市」
「われわれが閉じ込められた世界とは、事実上、ショッピングモールである。無風の閉域は、イメージの展示のためにくりぬかれた、地下トンネルのネットワークである。」
マルクスルカーチ 商品化、中毒化
「われわれは、事物そのものにたいするすべての関心を喪失する」
「消費とは、虚構としてのイメージのために事物を購入すること」
空間の商品化、ハイパーリアル化
ジェイムソン「ポストモダニズム、あるいは後期資本主義の分化の論理」
ポストモダニズム=エリート主義にたいする批判。フラット化。
「下品な、商業的な表徴のシステム」
ドンキホーテすき家サイゼリア
エルネスト・マンデル
「これまでに商品化されていなかった領域までもが商品化されたことの帰結として、生活空間も、この趨勢に呑み込まれ、それに適合するものへと作り替えられた。」
セキュリティ=軍事化
「自足した空間には、都市空間を「徹底的に敵対的な諸空間へと分極化していく」反都市的な衝動がある。そして反都市的な衝動の根底には、群衆への恐怖、民衆の蜂起にたいする潜在的な恐怖がある」
フランツ・ファノン「地に呪われたる者」
植民地を支配するテクノロジー
>>資本主義の植民地<<
ベンヤミンファンタスマゴリア(幻影)
オースマン男爵 1850 反革命的なパリ改造
ジグムンド・バウマン「リキッド・モダニティ」
「こうした場所では、行動はおこっても、相互関与はおこらない。」
ステマティック座敷牢 安冨歩 
 
第五章 壁
「見ようとしない」「見せない」
「この壁の外側は、内側の離脱した領域に身をおく人間にとって、何も起こっていないにひとしい。たとえ何かが起こっていても気づかないでいることのできる状態にある。何も感覚せず、知らずにすますことができる。」
アガンベン「外に捉えられている」
是枝裕和「誰も知らない」の壁
「つまり、兄弟姉妹の生活は、危険であり嫌悪すべき異物として積極的に忌避されているというのではない。」存在しないものとして、度外視されている。これが壁。
ジュディス・バトラーは、このようなフレーム――「我々に理解できる生とそうでない生を区別する」――について、現実空間をかき乱したり事物についての確立された理解の仕方に適合しないものを、その枠外に放置しておくものだと述べる。」
分断や区別というよりも、度外視、ないしは離脱であり、首尾一貫性の保持。
壁 「それは周囲とのかかわりを絶ち、見放し、放擲するというものである」
内に対する放擲だけでなく、外に対する効果。見放され、放擲された状態にする。
「包摂とは逆の、見放すという効果によって、放置された状態にされている。」
ヴィリリオ「パニック都市」
「多極的で解放された国際性から、ヴァーチャルで単極的な世界の治外法権のなかに疎外化されている」
「壁の効果の非対称性」
奴隷としての包摂。
包摂されつつ、排除される
富裕層/貧困層
ニューヨークの公園の民営化
精神病者やホームレスの締め出し
壁 具体的な強制力 暴力
ファノン「現地人は閉じ込められた存在だ。アパルトヘイトは、一例に過ぎない。現地人が何より先に学ぶのは、自分の場所にとどまること、境界をこえてはならぬということだ」
(差別)人間を萎縮、凝固させる。
国内植民地
イード植民地主義は、主体と客体とを、ヨーロッパ人と非ヨーロッパ人とを、たがいに対立させるだけではない。植民地主義は、そうした関係なり存在なりを忘却させ抑圧し、その代用として、ふたつの「大衆(マス)」という生気を欠く脱人間的な抽象物を立ち上げるのだ」
「安穏さ」は外部に向けて行使される。
「空間の浄化にともない強制される不動性が、ただ壁の外の世界だけでなくまさにその空間で暮らす人々をも蝕んでいる。」
 
第六章 虚構と想像
空間の劇場化、演劇化 ロマン主義
「空間が価値を生むか、空間において金が使われるかという観点」
「じつは空疎」
「投資が引き上げられる」負の投資
人間の尊厳→疎外論的な論理
「商品化がおよぶ以前に保たれていた無垢な空間」という幻想。
映画「レスラー」ミッキー・ローク「苦痛なのは外の現実だよ」
新興住宅の人工性、現実性の希薄化
→虚構空間
虚構への疎外↔現実があまりに生生しいこと。その苦痛。自分の生以外の欲求を持てない。
見田宗介「虚構の時代」への反論
「個人化」個としての身体しかない。
プロレス会場。人間的なもの。ニューマニズムという虚構。
「となると、空間をただ事実として取り戻すことを要求するだけでなく、放逐されたところでの荒廃状態になにが欠けているか、何が死んでいるのかを考えつつ、空間のありかたを、空間の未来を構想していく必要がある」
寺山修司「あゝ荒野」
レントゲン写真の事実より…
劇場的、演劇的に生きる。
中平卓馬「街路」
「消費空間の成立は、街路が秘めていた、何が起こるかわからないという潜在力を馴致し封じ込めた」
「つまり街路の変貌は知のあり方と一体となって進行する。」
「想像力は、街路における擬似的自由の席巻と、知的世界における客観的な実証主義の台頭によって封じ込められてしまった。」
想像力が封じ込められた。マホトーン状態。
 
第七章 来るべきスラム化に備えて
イスラム社会の複合的な教育・慈善ネットワーク
デイビス→スラムへの介入
第三世界を失敗した国家で救済すべき対象とする言説
スラム的なところに身を置いている人々の視線
柄谷行人トランスクリティーク
鏡と写真の違い 「視差」
>>革命は一番差別されている場所から起こる<<
見たくない写真も見よ。
ソローとエマソンの会話 牢獄の外も牢獄 同じ
「あんなところ嫌だよ」
ジジェク「本当の問題は排除されている人々の脆弱性というよりはむしろ、もっとも基本的なレベルにおいてわれわれが全員「排除されている」という事実である」
現代社会における真に「出来事的な場」として、スラムを捉えるべきである」
能動的な実践 スラムの可能性
ピーター・ホルワード
いわゆるポストモダン的な意味ではない、「意思の発現」としかいいえないもの
→よりプリミティブな意思
南アフリカ ダーバン(掘っ立て小屋住民運動)スピーチ
「私たちは、私たちの人間性がいつの日かついに承認されることを静かに待ちはしない。」
救済されるのを待たない
場所の領有という「実践」
 
第八章 空間的想像力の奪還
人間と空間は、不即不離の関係。
空間が変わらないことには生活は変わらない。
→空間を変える必要がある
生活の変化は、空間が変えられることとして経験された。
変化の決定的な分岐点は、さしあたり95年あたりであった。
55年体制→達成
空間の極度の投機化の始まり
空間が変わるとは、かつて私たちが親しんでいた空間において身につけた、習慣、感性、ものや他者とのかかわりかたにはそぐわない、不慣れな空間が現われるということである。
花田清輝「空間人間」
空間=現実、物質、具体性
戸坂潤
ハイエクとは似ても似つかぬネオリベラリズム。共産的ネオリベラリズム
観念論に陥らないこと
藤田新品化→人間の意思とはかかわりなしに空間が合理化される
空間が窒息し、日常生活もまた制限の内に押し込められる→想像力も萎縮する
物質性と、劇場性、演劇性の融合
寺山「あゝ荒野」
「そうかな、俺には何だか、廃墟のように見えるよ」
→日常と虚構を区別しない。生活と劇場を区別しない。
>>のジョジョ論<<
「ここで寺山が問題とするのは、演劇が建物としての劇場のなかへと囲いこまれ、日常生活との接点を失いつつあるということではない。彼が提起したのは、演劇そのものの問題というよりはむしろ、日常的な現実において虚構の想像力が失われていくことの問題であった。つまり、日常の現実と虚構の想像力が分断されていくこと、想像力が劇場の内部へと囲いこまれ、そのうえで、日常の現実の補完物へと仕立て上げられていくこと、これが問題であると寺山は考えた。想像力に浸潤されているために、つねに定まることがなく、何かが起こりかねない状態にあるはずである日常的な現実が、劇場への想像力の囲い込みをつうじて馴致されていく、というわけだ。
 このようにして想像力は、日常において、日常を浸潤していくものとして行使されなくなり、劇場という、それ専用の空間的な設備の制約内で行使が可能なものへと馴致される。これは寺山がいうように、あらゆる日常的な場所を劇場に変えてくことの抑止であったといえるだろう。」
「それが意味するのは、現実は一義性、両義的ふくらみの喪失が支配するところであり、幻影をつくりだす想像力の行使としての劇とはまったくかかわりのない領域であるという通念の絶対化である。想像力が、日常的な現実から切り離され、一定の領域の内へと囲い込まれ、その補完物へと加工されていく。想像力の萎縮とは、まさにこうした分離と補完物化のことである。」
>>小説、加納朋子ニュータウン、主役はあなた。多くの知り合い。関連。ドラマティック。<<
ディズニーランド問題。なぜあれを日常にしないのか。
→消費という目的に収斂
「虚構の時代」が問題なのではない。むしろ、虚構(想像力)が足りなくなった。
想像力の囲い込み、規制
→世界はとんでもなく豊かで、日常は奇跡的に美しい
知的なものの囲い込みも同様。
何が貧困化したのか?→想像力が貧困化した。
「荒廃が現実のものとなっていく状況にあって必要とされるのは、隔離され、追放された想像力を日常的な現実のもとへと奪還することだ。」
 
終章 黄金時代に秘められた地獄
「いつの時代も、己の終焉を内に秘め、その終焉を――すでにヘーゲルが認識しているように――狡智をもって実現する。商品経済が揺らぎ始めるとともに、ブルジョワジーの打ち立てた記念碑は、それが実際に崩壊する以前にすでに廃墟と化しているのをわれわれは見抜き始めている」ヴァルター・ベンヤミン「パリ――19世紀の首都」
>>並木の団地の現状 隣近所がわからない<<
藤田「住ま居が焼き払われた惨状の中にどこかアッケラカンとした原始的ながらんどうの自由が感じられたように、すべての面で悲惨がある前向きの広がりを含み、欠乏が却て空想のリアリティを促進し、不安定な混沌が逆にコスモス(秩序)の想像力を内に含んでいたのであった」
アドルノは、商品世界をユートピアとするサン・シモン主義の裏側にあるのは地獄だというベンヤミンの当初の発現は正しいという。」
地獄とは、商品世界がその内に秘める、没落に向かう傾向性のモティーフ。
 
あとがき
中平卓馬「知と現実の肉離れ」
日本の寂れた地方
「今回の地震のタイミングに関係があるのではないかと思う。つまり、本書で論じてきたような事態がすでに進行していたところに、この地震が起こった。生活世界の荒廃という潜在的な現実を、地震が顕在化した、ということだ。」
北京 桜井大造 テント芝居
酒井隆史 大阪論 小野十三郎
マサオ・ミヨシ 村澤真保呂
ソウル 「スユ+ノモ」

4/12読了

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8章、寺山修司の演劇論、中平卓馬の街路論のあたり大変面白かった。
街を劇場にする。