マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【イベントメモ】「労働概念の再検討:『労働の廃絶』論をめぐって」

淡路町ATTACK 小倉利丸先生
人→物
人→人
資本家の意思を内面化する
脱工業化時代 サービス業 感情労働
☓労働運動 ○社会運動
自己啓発本→自分で自分を洗脳
「ビジネスマナー」スーツにネクタイ 面接 就職・転職活動 
メンタルヘルスの問題=端的に「労働」の問題
運動=世界観の共有、共通感覚が必要
 
資料 労働概念の再検討:「労働の廃絶」論をめぐって
1.自然を対象とする労働、物を対象とする労働、人を対象とする労働
自然→物(機械化、工業化)
スピード、予測可能性
唯一の不確定要因=<労働力>
熟練の解体=単純労働化
「代わりになる労働者がいくらでも調達できる」
労働者の競争→資本への従属
しかし、単純化された<労働力>は労働者の思考を目の前にある具体的な労働から開放し、知的な思考のための可能性を拡大することになった。これが19世紀から20世紀の大規模な工場労働者の大衆が資本の世界観とは異なる労働者の世界観を創造する集団的な営みを支えた。資本は肉体としての労働者の支配には成功しても、その意識を支配することには失敗した。
この失敗が階級闘争や労働運動の基盤を形成してきた。20世紀を通じて、この労働者の意識を資本が支配するための様々な仕掛けが開発されてくる。資本にとって機械に縛りつけることで労働時間を資本の下に従属させることはできても、非労働時間を支配することはできないし、労働時間中に労働者たちが何を考えているのかを知ることもできない。この限界は二つの側面から侵攻されてきた。ひとつは、労働者に非労働時間、つまり私生活に必要な消費生活手段を通じて、労働者の私生活のライフスタイルをコントロールすること。ここでは、商品の使用価値が資本のイデオロギーを体現するものとして労働者の生活そのものを構成することになる。使用価値はマルクスが想定したような単純な有用性ではなく、むしろ資本のイデオロギーを(そしてまた国家のイデオロギーを)担うものとして、<労働力>の再生産過程に埋め込まれた。もうひとつは、機械化によって物の生産から排除された労働者たちをコミュニケーションの労働として再組織し、労働者の意識を資本の意識に置き換えるような過程である。この人を対象とする労働を通じて、労働者は資本の意識を内面化するだけでなく、他者の意識をもまた資本を内面化するように作り替える労働の主体になる。
 
2.コミュニケーション労働と階級意識
消費の多様化≠自由
資本家の意識をもつ労働者 国民の意識をもつ労働者
 
3.労働の意味の問題とは
私生活と賃労働 意味に統一性のない分裂した世界を横断
 
4.意味の剥奪に対抗する可能性とは
 
資料
欲望と行為の分離 賃労働して貨幣を稼いで生活に必要なものを買う
プランと実行の分離 プランは資本家がたてて、実行するのは労働者
テーラー主義(科学的管理法)→人間の機械化
20世紀型資本主義→人間の洗脳 感情、心理、価値観
消費者のニーズをコントロール マーケティング
「あなたの仕事は社会的に意味がある」=資本の労働への動機づけのためのイデオロギー
人とのコミュニケーションにかかわる労働
商業労働や単純なサービス労働の場合に出てくる問題は、物の生産とは異なって労働者の意識を資本家的な意識に改造することを労働の性格としてするということだ。たとえば自動車のセールスをする営業マンと、自動車を生産している工場労働者とでは必要な労働の資質が全然違う。工場で働く労働者はどんなに資本家の悪口を言ったり、人当たりが悪くとも物さえちゃんとつくっていればいい。ところが、セールス労働者などは、名刺を出して車を売るという営業の行為が、利用者からすれば、それが一介の労働者であれ何であれ、会社を代表してやってきた人間とみなして接する。働いている労働者が愛想が悪かったり、コミュニケーションがうまくいかないと、購買意欲を削がれるように、労働者の態度や意識が資本の売り上げに直接影響を与える。こうして、商業労働やサービス労働では、会社と資本を擬制して代表する者として、労働しなければならない側面がある。この側面は労働者の意識からすれば、自分自身を資本の意識に同調させないと労働ができない労働ということになる。これが労働の質として物的生産労働と大きく違うところだ。
従来型の搾取論でも疎外論でも十分に取り組めない課題
「自分がこの労働を行う必然性はどこにあるのか」という問いに対して、合理的な解答がない、というのが資本主義的労働の本質である。
イリイチが指摘したように、教育の実学的効果は限定的であって、むしろ労働市場の選別と序列の象徴的な意味形成を支える制度として機能しているのが教育だろう。
消費=労働力の回復(再生産)=労働の一貫
金で買えるもの、ライフスタイルは全て資本の支配下
資本が生み出してきた「豊かさ」以外の豊かさを想像できない。
意識の搾取、意識の操作。
文化産業や意識産業の機能は、政治的な同意形成の前提となる日常意識の形成だ。同意の形成というのは、グラムシの得意な議論だが、支配とは抑圧や強制と同義ではないということだ。むしろ支配は、同意形成能力であるといえる。
メディアテクノロジー
労働=人間の精神の破壊、メンタルヘルス問題、魂の植民地化
変革の主体→消滅
労働運動だけに特化した運動はもう有効性を持たない
 

「反資本主義の再定義ー台頭するグローバル極右を見据えて」

サパティスタ
世界社会フォーラム アルテルモンディアリスム(もう一つの世界主義) 
サミール・アミン
黄色いベスト運動 「BREITBART」が応援
ティーブ・バノンとアラン・ド・ブノワ
バノンは、伝統主義的なカトリックの家に生まれ、海軍で勤務後にハーバード・ビジネス・スクールを卒業して1985年から5年間、ゴールドマン・サックスM&A部門に勤務。1990年退社し、投資顧問会社ビバリーヒルズにバノン&カンパニーを設立する。また、日本の商社経由で1億ドルの融資を受けて映画制作会社を設立する。ハリウッドでは多くの企業合併や買収などにたずさわりつつ、映画制作に投資家として関わる。また、香港を拠点にコンピュータゲーム業界にも進出する。その後自身も映画制作そのものに携わるようになる。最初の作品が、the Face of Evil Reagan's war in Word and Deed。スターリンの粛清からはじまる映画この映画でレーガンが賞賛される。保守派のLiberty Film Festivalで評価される。この映画祭で、バノンはブライトバートと知り合い、後にバノンは極右のニュースサイト『ブライトバートニュース』で仕事をするようになり、2012年に執行役員になる。オバマ政権下では、ティーパーティ運動のサラ・ペイリンを主題としたドキュメンタリーを制作する。『国境戦争』(2006)ではメキシコ国境の移民を扱い、『祖国のための戦い』(2010)、そして『ジェネレーション・ゼロ』(2010)では金融システム批判を題材とした。この映画で彼は、古巣である金融資本を批判するようになる。「1990年代後半、政府、メディア、アカデミズムなど多くの機関の権力は左派によって奪い取られた。こうした立場や権力の座を通じ、彼等は制度を分断し、ついには資本主義体制を崩壊させる戦略を実行することができた」(『ジェネレーション・ゼロ』)という。
このように、バノンは、米国のエンターテインメント産業とネットニュース業界の両方に足掛かりをもち、しかも金融業界の内幕や米軍とのコネクションを持ちつつ、保守本流をも嫌う一匹狼としてトランプを大統領へと押し上げるための土台を築いた。
2013年 オバマ 移民法改正法案 いわゆる「不法滞在」の移民1100万人に市民権を与える
こうした極端な主張を公言するトランプを泡沫ではなく主流に押し上げる上で、バノンが果した役割がいくつかある。ひとつは、ネットの右翼をブライトバートニュースにとりこんだこと。これができたのは、ネットゲーム世界でのバノンの経験が生かされた。ネットの世界では、オルタナティブ右翼オルタナ右翼alt-right)が4chanや8chanなどの掲示板で急速に広がりをみせていた時期で、ゲーマーのなかのレイシストやセクシスト好みの記事を積極的に掲載し、ブライトバートニュースサイトに若いネトウヨを引き寄せた。(その実務を担ったのがゲイのテクノロジーブロガー、マイロ・ヤノブルスだと言われている)。
もうひとつは、最大の大統領候補のライバル、ヒラリー・クリントンを徹底的に攻撃する戦術を展開したことだ。単なる誹謗中傷だけでなく、クリントン財団の金の疑惑を調査報道で暴露する手法を使った。これは、ブライトバートの編集者でもあるピーター・シュヴァイツァーが『クリントン・キャッシュ』として出版し、バノンの映画制作会社によってドキュメンタリー映画にもなる。本書は際物というよりも主流の民主党寄りのメディアでも同意せざるをえない内容をもっていたと言われており、この本がヒラリーの人気凋落に果した影響は大きいと言われている。
最も大きな影響を受けたのが、20世紀初頭のフランスの伝統主義哲学者でカトリックからイスラム神秘主義者になった、ルネ・ゲノンだという。
ルネ・ゲノン→ユリウス・エボラ
「近代の超克」としての伝統再発見
 
アラン・デ・ベノア
4.3 移民、資本にとっての予備軍
1973年に当時のフランス大統領、ポンピドウは、大企業のボスたちの要求を容れて、移民の水門を開けた。その理由は、「フランス労働者の賃金の下方圧力を強め、抵抗の情熱を軽減し、加えて、労働運動の団結を破壊するために、安価で階級意識やあらゆる社会闘争の伝統を奪われた御しやすい労働力からの利益を望んだからである
「移民は、まず最初から雇用主の現象である。これは今日でもそうである。より多くの移民を求めるのは大企業である。この移民は、資本主義の精神によって、国境を廃止する傾向をもつ。「社会的な投げ売りの論理に従って、「低コスト」の労働市場が惨めでいまわしい違法移民を間に合わせのために形成される。あたかも大企業と極左が手を組んだように、大企業は彼等の目からみて高価すぎる福祉国家を廃止するために、極左国民国家をあまりにも古くさいものとして破壊するために」とバルサは言う。これは、共産党とCGTがーこれはラディカルにそれ以来方針を変えてきたがー1981年まで国境を開くというリベラルの原理に反対して、労働者階級の利益を防衛するという名目で闘ってきた理由がこれだ。」
労働力不足は伝統的に移民労働力を正当化するときに持ち出される論理だが、失業の時代にこれは妥当しない。
労働力不足の部門は賃金が低すぎることがその原因
ベノワは、移民現象は資本主義のグローバル化がもたらした現象であるということから、グローバル化を批判するのであれば、国境を開き移民を受け入れるということも否定しなければならないという立場をとる。言い換えれば、資本主義のグローバル化を批判しつつ移民受け入れを肯定するのは首尾一貫しない、という主張だ。
多くの極右思想がおおむね共有している傾向
・シュペングラー『西洋の没落』への高い評価
・反啓蒙主義ニーチェやドイツロマン派(たとえばワーグナー)のような反近代主義
・ルネ・ゲノンなどの神秘主義
ヒンドゥー主義など東洋の宗教や神秘主義
・オットー・シュトラッサーなどナチス左派(ヒトラーに粛清された国家社会主義者たち)
歴史修正主義ホロコースト否定論、ユダヤ陰謀論
・ユーラシア主義(アレクサンダー・ドゥギン)
 
5.1敵を個人の人格に還元すべきではない
5.2資本主義の構造とその抵抗主体
資本主義という歴史的な時代を形成してきた社会システムは二つのサブシステムを統合して成立してきた。
ひとつは、資本による市場経済的な価値増殖のシステム。もうひとつが、国家による政治的な権力の自己増殖システム。前者は、経済的価値を担い、後者は国家という幻想的な共同体に収斂する非経済的な価値の担い手となる。
マルクスの批判は、資本主義批判の核心の一部をなすが、その全てではない。
5.3マルクスの資本主義批判=資本批判の限界
「国家」の認識が甘い
5.4アナキズムによる国家の否定の限界
資本主義的アナキズムネオリベを招きがち
5.5物質性と身体性と不可分な文化とイデオロギーこそが資本主義の土台をなしている
資本主義が物の生産を通じて<労働力>の再生産と統治機構=権力の再生産を維持するという回り道をとってきた20世紀前半から、それ以降、この過程を維持しつつ、主要なシステムの維持を、社会を構成する人間そのものを資本主義の意識として直接生産する過程へと転換してきた。その結果が、コミュニケーションを資本と国家が包摂する情報資本主義をもたらした。
資本と国家の意識を内面化することが人々の<労働力>としての最低限の条件となる。
反資本主義とは、経済的な搾取からの解放ではまったく不十分になったのだといえる。反資本主義の課題は、資本と国家に従属する労働化されたコミュニケーションからの解放である。
 
黄色いベストの要求=移民排除