マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

作品#03「哲学用語図鑑トレカ」紹介(1)#01-10

古代

01.ミレトスのタレス

ミュトス

その昔、自然(世界)はすべて神話(ミュトス)によって理解されていました。たとえば、自然災害は神の怒りであると考えられていたのです。

ロゴス

ギリシアの哲学者は自然をミュトスではなく合理的な考え方(ロゴス)によって理解しようとしました。

自然哲学

その昔、自然(世界)は神々によって創られたと信じられていました。人々は神話から世界の成り立ちを学んでいたのです。
やがて様々な技術が進歩すると人々は豊かな暮らしができるようになりました。人口が増え、異なった地域の人々が交流するようになりました。
すると人々は、地域によって自然の成り立ちの神話が違うことに気づいたのです。
そこで誰もが納得するような万物の根源を考える必要がありました。タレスは万物の根源を水だと考え、アナクシメネスは空気であると考えました。根源が水なのか空気なのかはあまり重要ではありません。万物の根源を神話で説明するのではなく、自分の頭で考えて、自然の中に根源を見いだしたことが新しい考え方でした。これが自然哲学の始まりです。

アルケー(万物の起源)

自然哲学の哲学者たちは、神話や伝説によってではなく、合理的な思考で万物の起源(アルケー)を探求しました。

03.ヘラクレイトス

万物は流転する(パンタ・レイ)

ヘラクレイトスは「人は同じ川に2度入ることはできない」と言います。この言葉は何を意味するのでしょうか?
流れる川だけでなく、人も物も世界はたえず変化しています。ヘラクレイトスアルケーを考えるだけでなく、万物は流転する(パンタ・レイ)というメカニズムがあることを発見したのです。

04.パルメニデス

あるものはある。ないものはない

パルメニデスヘラクレイトス(万物は流転する)とは反対に、世界は変化しないと言います。パルメニデスは、変化とは物質が有から無になることや、無から有になることだと定義したうえで、そんなことは論理的にありえないと主張したのです。パルメニデスは存在の有無を見た目よりも理性で捉えたので、合理主義の祖とされています。
彼は、存在のあり方を「あるものはある。ないものはない」と表現します。この考えは後に、存在するとは人間にとってどういうことかを考える存在論を生み出しました。

05.プロタゴラス

人間は万物の尺度

日本は日本より寒い国の人にとっては暑く、暑い国の人にとっては寒い国です。
価値観は人によって違います。ソフィストであったプロタゴラスは、世の中にはみんなに共通する絶対的な真理などないと考えました。そして人間は万物の尺度という言葉を残します。このような考え方を相対主義といいます。相対主義は、現代では一般的な考え方です。近代では、西欧中心主義の下で、植民地支配が正当化されました。その反省から、現代では、文化の間に優劣はないという文化相対主義の考え方が生まれました。
万人に共通の真理(価値)は存在しません。独断に陥らない相対主義の考え方は、寛容な精神をもたらします。けれども同時に、何が善で何が悪かは人それぞれなのだから「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」という考え方も広めてしまいました。=悪しき相対主義

07.ソクラテス

無知の知

ある日、デルフォイアポロン神殿の巫女が「この世でソクラテスが一番賢い」と言いました。
それを聞いたソクラテスは、自分は何も知らないのになぜ巫女に賢いと言われるのか不思議に思いました。
ソクラテスは「知らないのに知っていると思っている人」より自分のように「知らないことを知っている人」の方が賢いのだという考えにたどり着きました。これを無知の知といいます。

知徳合一

人は徳(アレテー)を持って生きれば心の平安を保つことができるとソクラテスは説きます。
人は本来、道徳的な生き物。道徳的な行いをしているときが最も幸福(福徳一致)
道徳的でない行いをしているとき、じつは内心傷ついている。これは本人にとって不幸
もし心の平安が訪れないのなら、その理由は徳が何かを知らないからだとソクラテスは考えました。
何が善で何が悪かを学び、正しい徳の知識を身につけ、それを実行すれば幸福になれるとソクラテスは信じていました。ソクラテスにとって知識(知恵)と徳は同じものなのです。これを知徳合一といいます。

問答法

ソフィストたちから相対主義の弁論術を学んだ政治家たちは、自己の利益を正当化するような詭弁ばかりを繰り返しました。そこでソクラテスは彼らと問答することで改革を試みました。
ソクラテスとの問答によって、政治家たちは自分が正義や勇気などの意味を知っているつもりでじつは何も知らなかったことに気づかされます。そして「正しい知識を学ぼう」という気持ちになったのです。
このように問答しながら相手の無知を自覚させ、真の知識を探ろうとさせることを問答法といいます。また、相手の知を生む手伝いをするので産婆術ともいいます。

魂(プシュケー)への配慮

富、健康、名誉だけでは心の平安は訪れません。
すぐれた魂によってこれらが正しく使われた場合のみ、幸せを生み出すとソクラテスは考えました。
けれども当時アテナイの人は、最も大切なはずの魂には関心を持たず、富や名誉や健康ばかりに関心がありました。ソクラテスはこのことを「魂(プシュケー)への配慮がたりない」と表現しました。
何が善で何が悪か、何が美で何かを正しく知れば自分の魂は磨かれるとソクラテスは言います。知を最も優れたものとするこうした考え方を主知主義といいます。

アレテー(徳)(物の本質)

物にはそれぞれの固有の性質があります。たとえば「靴」にはいろいろな性質がありますが、履物としての性質が一番重要です。この一番重要な性質がアレテー(徳)です。つまり靴のアレテーは履くということです。
ソクラテスは人間のアレテーを、善と悪とを理性的に判断する知だと考えました。

ただ生きるのではなく善く生きる

ソクラテスは「国家の神々を認めず、人々を惑わせた」という理由で裁判にかけられましたが、そこで命乞いをせず、自分の主張を通したため陪審員に嫌われ、死刑になってしまいます。
弟子たちはソクラテスに国外逃亡を勧めましたが、彼は「大切なことはただ生きることではなく善く生きることだ」と言って死刑を受け入れます。裁判が不正であっても、自分は脱獄という不正を行ってはならないと考えたからです。つまりソクラテスにとって善とは普遍的なことでした。彼は「悪法もまた法なり」と言って毒ニンジンを飲みます。

08.デモクリトス

原子論

物は細かく切り刻んでいくともうそれ以上分割することができない粒になります。デモクリトスはこの分割できないものを原子(アトム)と呼び、万物は原子によってできていると考えました。これを原子論といいます。
デモクリトスの原子論からは、唯物論のような思考を見て取ることができます。同時に、原子が存在するためには、それが浮遊する何もない空間、つまり空虚の存在が前提となります。デモクリトスはパルメニデ スの考え(ないものはない)とは違い、「ないものも、ある」と考えます。

09.プラトン

ドクサ(理性を介さない独断的な思い込み)

感覚器官(五官)から入ってきた情報を、そのまま何も考えずに捉えてしまった独断的な思い込みのことをプラトンはドクサと呼びます。
これに対して、情報を理性で判断した後の客観的な知識(誰もが納得する知性)をエピステーメーと呼びました。

エピステーメー(理性によって得られた知識)

ドクサに対して、理性によって得られた知識をエピステーメーといいます。
善く生きるためにはドクサ(思い込み)を退け、理性によってエピステーメー(正しい知識)を得なくてはならないとプラトンは考えました。

イデア

私たちは完全な三角形というものを作り出すことも、描くことも、見たこともありません。
それなのに私たちは完全な三角形というものを理解することができます。私たちの頭の中にだけあるこの完全な三角形のことを、三角形のイデアといいます。プラトンは花には花のイデア、木には木のイデアがあると考えました。
たとえば、4つの絵はすべて木の絵です。4つとも形はかなり違いますが、どうして私たちはこれらをすべて木と判断することができるのでしょうか?
それは、すべての木には共通した形(木のイデア)があるからです。この形(木のイデア)は目で見ることはできませんが、理性の目で見ることができるとプラトンは考えました。
ほかにも、様々な例をあげることができます。
さらにプラトンは正義や美などにもイデアがあると考え、その中でも善のイデアが最高のイデアだと考えました。

イデア界/現象界

プラトンイデアが頭の中だけにあるものではなく、本当に存在すると考えていました。彼は、イデアが存在する世界をイデア界、私たちが住んでいるこの世界を現象界、そして現象界に存在する物事を現象と呼びます。
現象界(私たちが住んでいる世界)に住む馬は様々な形をしています。けれどもプラトンによれば、この世のすべての馬は馬のイデアを持っています。だから、私たちは馬を他の動物と区別できるのです。
そして、現象界の馬は、生まれてから様々な形に変化してやがて消えていきます。
けれどもイデア界の馬は変化しません。プラトンにとって変化しない絶対的な形が真の姿なのです。つねに変化している現象界の馬は馬のイデアの模造品(ミメーシス)にすぎないと彼は考えました。
同じように、現象界の善や美や正義などは、イデア界にあるそれらの模造品だとプラトンは言います。つまり真の善や美や正義を知るためには、それらのイデアを探究しなくてはならないとプラトンは考えました。

想起説(アナムネーシス

正確な円や完全という概念、または愛や正義を理解できるのは、私たちの魂が私たちが生まれる前に見ていたそれらのイデアを思い出すからだとプラトンは考えました。これを想起説(アナムネーシス)といいます。
想起説は、後に人間は生まれつき理性を持っているというデカルトの生得観念という考えに引き継がれます。

エロス

私たちの魂は、この世界に生まれる前にはイデアを見ていましたが、私たちが生まれた時にほとんど忘れてしまうとプラトンは考えました。美しいものを見たり聞いたりすると感動するのは、魂がかつて見たイデアの姿を思い出すからだとプラトンは言います。
私たちが完全を好んだり、善を目指そうとするのは私たちの魂がいつもイ デアに憧れているからだとプラトンは主張します。魂が純粋にイデアに憧れることをエロスといいます。この意味でエロスは純愛を意味します。

洞窟の比喩

感覚器官(五官)から入ってきた情報をそのまま何も考えずに信じてしまってはいけないとプラトンは言います。彼にとっては、物事のイデアを探究することが何よりも大切なのです。プラトンは、イデアに無関心な人々を、洞窟で手足を縛られて、松明が照らす影の像を見せられている囚人にたとえます。これを洞窟の比喩と呼びます。
洞窟の中で影を本物と信じ込んでいる人々には、洞窟の外の世界を見せてあげなくてはいけません。この外の世界がイデアの世界の比喩になっています。
感覚だけでものを見ている人に、理性を使ってイデアを見るように促すことができる存在。プラトンにとってそれは哲学者にほかなりませんでした。プラトンは統治者には哲学者がなるべきだと考えました(哲人政治)。

魂の三分説

プラトンにとって、人間の魂は理性・意志・欲望の3つからなります。これを魂の三分説といいます。そしてそれぞれ頭部・胸部・腹部に宿ると考えました。
そして理性が御者となり意志の白い馬を励まし、欲望の黒い馬を抑制して、前へ進むべきと説きました。

元徳

魂は理性・意志・欲望の3つからなります(魂の三分説)。それらが正しく働くと、それぞれ知恵・勇気・節制の徳になります。この3つが調和すると正義の徳が生まれるとプラトンは考えました。
知恵・勇気・節制に正義を加えた4つの徳をギリシアの四元徳といいます。

哲人政治

人の魂は理性・意志・欲望の3つからなります(魂の三分説)。その中で理性の割合が一番多い人、すなわち哲学者が統治者に一番向いているとプラトンは考えました。これを哲人政治と呼びます。
プラトンは「哲学者が国家の支配者になるか、支配者が哲学者とならない限り、理想的な国家は決して実現しない」とまで言いました。

理想国家

プラトンは、国家は人の四元徳をそのまま大きくしたようなものだと考えました。国家は統治者階級・防衛者階級・生産者階級から成り、彼らが持つ理性・意志・欲望が知恵・勇気・節制となった時、正義が生まれ、理想国家が誕生します。

10.アリストテレス

形相(エイドス)/質料(ヒュレー)

プラトンは現実の世界にあるものはすべてイデアの模造品(ミメーシス)であると言いましたが、アリストテレスは、現実の馬や花や鳥が模造品とはどうしても思えませんでした。
アリストテレスは物や生き物の本質は目に見えないイデアなどではなく、それぞれの個物の中にあると考えました。
そして、物や生き物の本質はその物が何であるかを表す形であると考えました。これを形相(エイドス)と呼びます。
さらに、その個物の素材を質料(ヒュレー)と呼びました。
アリストテレスによれば、あらゆる物や生物はこの形相と質料の2つから成り立っています。
アリストテレスプラトンイデア論のように独断的で抽象的な発想ではなく、現実主義的な考え方をしたということができます。

可能態(デュナミス)/現実態(エネルゲイア

アリストテレスは、質料と形相の関係を、可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)という言葉で説明しました。
可能態と現実態→「資料」に、将来実現される可能性のある「形相」が内在している状態が「可能態」であり、その「形相」が実現した状態が「現実態」。
アリストテレスは現実の世界をよく観察して、このような原理を考案ました。

四原因説

アリストテレスは世の中のすべての物事は4つの要因(①形相因、②質料因、③目的因、④作用因)によって成り立っていると考えました。これを四原因説といいます。
①形相因 その物の形
②資料因 その物を作っている材料
③目的因 その物が目指すもの
④作用因 その物を変化させる要因
アリストテレスにとって、世界を知るということは、世界の成り立ちを知ることにほかなりません。世界の成り立ちを知るということは、様々な物事を成り立たせている四原因を知るということなのです。

形而上学(メタフィジカ)(概念の世界)

アリストテレスは、形而上学(メタフィジカ) は自然学より先立つ学問であると位置づけました。たとえば、「シカのツノはどんな働きをしているか?」や「ツノは何からできているか?」を調べるのが自然学だとしたら、形而上学は「ツノとは何か」「ツノを含め世界はなぜ存在するのか?」「そもそも存在するとはどういうことか?」 などを考える学問です。
アリストテレスにとって「ツノとは何か」を考えることは、ツノの実体を探求することでした。プラトンにとってはイデアが実体ですが、アリストテレスは具体的な個物こそ実体であると考えました。たとえば、アリストテレスにとっては、目の前にあるツノこそが実体なのです。こうした具体的な個物は、形相と資料が合わさって成立しているというのがアリストテレスの考えです。
人間の五官で実際に見たり聞いたりできる物事を超えた物事を考察する形而上学は、しばしば「哲学」と同義語として扱われています。

テオリア(理性を働かせた状態)

そのものが一番幸福である状態とは、そのものが持つ固有の機能を十分に発揮している時であるとアリストテレスは考えました。
人間固有の機能は理性だと考えた彼は、人間が一番幸福な状態は理性を働かせて物事を探究している時だと言いました。この状態をアリストテレスはテオリアと呼びます。

知性的徳(知恵)/倫理的徳(勇気や節制)

アリストテレスは人間が幸福になるためには徳を持つべきだと考えました。彼は徳を知性的徳と倫理的徳の2つに分けて考察します。知性的徳とは、物事を理解する知恵(ソフィア)、判断する思慮(フロネーシス)、作り出す技術(テクネー)のことです。そして倫理的徳とは、勇気や節制のことをいいます。
そして、倫理的徳を身につけるためには、つねに中庸を選ぶ習慣を心がけるべきだとアリストテレスは考えました。

中庸

人が幸福に暮らすためには、倫理的徳を身につけることが重要だとアリストテレスは言います。そのためには、正しい知識や高い技術を持つだけでは不十分で、つねに中庸をとる習慣(エートス)を心がけるべきだと主張しました。

フィリア(友愛)

アリストテレスは共同体を維持するためには正義以上に友愛(フィリア)が大切だと考えました。また彼は友愛を「もし人々が友愛的ならば正義はまったく必要ないが反対に彼らが正義の人々であっても、友愛はなお必要だ」という言葉で表現しています。
哲学で愛を表す言葉は3つあります。プラトンのエロスは相手を一方的に思う愛なので、自分のための行為といえます。アリストテレスのフィリアは、お互いに相手が幸福になることを願う愛です。

正義

アリストテレスは「人間は共同体(ポリス) 的動物である」と言います。そして共同体のためには、正義(公正)を維持しなければなりません。彼は共同体の正義とは何かを考えました。彼はまず正義を大きく全体的正義と部分的正義に分けます。そしてさらに部分的正義を配分的正義と調整(矯正)的正義に分けて考察していきます。
全体的正義=一般的な正義のこと ex.暴力をふるってはいけない 嘘をついてはいけない 物を盗んではいけない
部分的正義=共同体の中の決まりごとのこと 配分的正義=能力や労働量によって報酬を分けること。調整(矯正)的正義=罪を犯した人には罰を、被害者には補償して公正さを保つこと。
アリストテレスはこの配分的正義と調整的正義を行うことが共同体には必要であると主張しました。