マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

作品#04「続・哲学用語図鑑トレーディングカード」32枚

作品#04「続・哲学用語図鑑トレーディングカード」32枚を作成しました。
中国哲学
01.孔子
02.老子
03.孫子孫武
04.墨子
05.荘子
06.孟子
07.鄒衍
08.蘇秦
09.張儀
10.許行
11.公孫竜
12.荀子
13.韓非子
14.董仲舒
15.朱子朱熹
16.王陽明
日本哲学
17.西周
18.西田幾多郎
19.鈴木大拙
20.田辺元
21.九鬼周造
22.和辻哲郎
23.三木清
24.戸坂潤
大陸哲学(前著で抜けていた重要な思想家)
25.アンリ=ルイ・ベルクソン
26.ヴァルター・ベンヤミン
27.ジョルジュ・バタイユ
28.ハンス・ゲオルク・ガダマー
29.ジャック・ラカン
30.テオドール・アドルノ
31.ロラン・バルト
32.ルイ・アルチュセール
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孟子
性善説 井戸に落ちそうな子供を見れば、誰もが助けようとする
四端四徳
1.惻隠の情 人の不幸を見過ごせない心 → 仁
2.羞悪の心 悪を恥じる心 → 義
3.辞譲の心 お互いに譲り合う心 → 礼
4.是非の心 善悪を見分ける心 → 智
特に仁と義が大事
孟子によれば、人は誰でも生まれながらにして、4つの善なる心である四端を持っています。四端をつねに心がけながら生きると、四端は仁、義、礼、智という四徳になっていきます。そして最終的に、四徳の完成を自覚すると、悪に屈しない毅然とした勇気である「浩然(こうぜん)の気」が根底から湧き起こると説きます。孟子は浩然の気を身につけた人物を「大丈夫」と呼んで理想としました。
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寓意家・ベンヤミンの眼差しは「歴史の天使」のそれである。それは、歴史の見方のコペルニクス的転回であり、うわべの進歩や発展が実際のところ破局の連鎖にほかならず廃墟の山を築き上げていると見るものだ。馬上のナポレオンに魅入ったヘーゲルの「絶対精神の弁証法」が勝者の弁証法であるならば、革命の殉教者ブランキやモードに押し流されてゆく数々の商品群で溢れかえったパリのアーケードに魅入られたベンヤミンの「静止状態の弁証法」は、敗者の弁証法と言うべきものだ。進歩という追い風に乗った絶対精神の歩みは、様々な瓦礫の山を背後に積み上げ、敗残者たちの骸を打ち捨てながら前へ前へと突き進み、勝者の秩序として組み立てられた概念のシステムを出現させる。進歩の批判者ベンヤミンは、進歩の守護者ヘーゲルの真逆を行く。その「救済する批評」は、最後の骸やガラクタの一片を救済するまで、歩みを止めることはない。(清家竜介『現代思想入門 グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』PHP研究所

バタイユ「われわれは生存するためにさまざまな欲求を充足させねばならない。もしそれに失敗すれば、われわれは病み、苦しむことになるだろう。が、しかしそういう必要で不可欠なものが問題となる場合には、われわれはただ自らのうちでいわば動物的なものが下す命令に従っているだけなのである。人間的な意味での欲望の対象はそういう欲求よりももっと遠くにあり、それは私の言う奇跡なのである。つまりそれは至高な生――それを欠くと病み、苦しむといった不可避な必然性に定められている必要なものを超えた彼方としての至高な生なのだ。そういう奇跡的な要素、われわれの心をうっとりさせる要素は、たとえばごく単純にある春の朝、貧相な街の通りの光景を不思議に一変させる太陽の燦然たる輝きにほかならないということもありえよう(それは最も貧しい者、たとえ不可避な必要性に押しつぶされて荒んだ心にされてしまっているような者でも、時として深く感じとることだ。)」「もっと一般的に言えば、そういう奇跡的なもの、人類(人間性)全体がそれを渇望するようなものは、美というかたちで、豊かさというかたちでわれわれのあいだに姿を現わす。また同時に激しい暴力性というかたちで、喪の悲しみというかたちで現われる。さらには栄光というかたちでも現われるのだ。芸術とは、つまり建築とか、音楽、絵画、詩とはいったいなにを意味するだろう、ある驚嘆した瞬間、宙吊りとなった瞬間への期待、ある奇跡的な瞬間への期待でないとするならば」(『至高性』)
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ラカンにとってリアルとは、あらゆる「現実」が抑圧しなければならないものであり、まさにこの抑圧によってこそ、現実は構成されるのだ。リアルとは、目に見える現実の裂け目や、そのつじつまの合わないところのみに垣間見ることのできる、表象不可能なXであり、トラウマ的な空洞だ。だから資本主義リアリズムに対抗する上で可能な戦略のひとつは、資本主義が私たちに提示する現実の下部にある、このようなリアル(たち)を暴き出すことであろう。(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム「この道しかない」のか?』)
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