マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

作品#05「コスモス 社会学用語図鑑トレカ」62枚(5) #41-#50

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目次

#41 Howard Saul Becker ハワード・S・ベッカー

ラベリング理論

犯罪などの逸脱行為について考えるとき、行為者に注目するのではなく、その人に対して周りが「この人は逸脱者である」というラベルを貼りつける過程(ラベリング)に注目する考え方をラベリング理論といいます。まず注目すべきは、「何が逸脱(異常)であるか」 はあらかじめ決まっているのではなく、時代や社会が決定するという点です。
つまり逸脱(犯罪や不良)は、行為そのものに付随しているのではなく、周り(社会)の意識の中にあります。そして、逸脱行動を起こした人に対して、周りが「逸脱」のラベルを貼ると、貼られた人は逸脱者としてのアイデンティティを作り上げてしまいます。すると周りはますますその人を遠ざけ、その人の逸脱行動はさらに増えていくことになります。人々(社会)は、それを行えば逸脱となるようなルールを作り、誰かにラベルを貼ることでそれを適用し、逸脱を生み出し続けているのです。

#42 Peter Ludwig Berger ピーター・L・バーガー

社会構築主義

「現実」或いは「常識」は、社会によって構築されるという主張。
社会構築主義の焦点は、個人や集団がみずからの認知する現実の構築にどのように関与しているかを明らかにすることである。このため、さまざまな社会現象が人々によってどのように創造され、制度化され、慣習化していくかが問われることになる。社会的に構築された現実は、絶え間なく変化していく動的な過程として捉えられる。現実を人々が解釈し、認識するにつれて、現実そのものが再生産されるのである。バーガーとルックマンによれば、全ての認識は、日常生活の常識扱いされ軽視されているものまで含めて、社会的相互作用を基にして構築され、維持される。人々は相互作用を通じて、互いの現実認知が関連していることを理解する。そして、この理解に立って行動する時、人々が共通して持っている現実認知が強化される。この常識化した認識が人々によって取り決められると、意味や社会制度が客観的現実の一部として現れるようになる。この意味で、現実とは社会的に構築されたものである。
社会的構築主義に立つ理論家にとって、社会的構築物とは、それを受け容れている人々にとっては自然で明白なものに思えるが、実際には特定の文化や社会で人工的に造られたにすぎない観念を指す。
伝統的な知識社会学理論に従うなら、ある社会階級(社会階層)が現実だと思っているものは、その階級の状態に由来する。例えば資本家であるか労働階級に属するかに応じて、特にその階級に作用する経済的基礎との関連で、現実認知が変わる。古典的知識社会学理論を定式化したカール・マンハイムが提起した立場によれば、知識人は他の階級とは違って、社会的立場によって課される拘束から一定程度自由な、特殊な地位を占めている。
アントニオ・グラムシヘゲモニー理論は、今日の社会構築主義理論にとって先駆であり、またそれを拡充してくれるものでもある。グラムシマルクス主義者であり、階級間の不平等がどのようにして維持されるか、そしてその過程において認識が果たす役割は何か、といったことに興味を持っていた。マルクス自身も、階級構造の維持にとって認識が重要な役割を果たすということを認めていた。マルクスによれば、社会に広まっているイデオロギーは往々にして支配的階級のイデオロギーであり、社会構造からもたらされる虚偽意識によってプロレタリアートが抑圧されている。以前のマルクス主義の論者がヘゲモニーを政治的イデオロギー的な主導権という意味で用いていたのに対して、グラムシはそれをイデオロギー的優位という意味に理解し、日常の常識的な認知をめぐるものにまで拡張させた。グラムシによれば、支配的階級の関心は政治やイデオロギーに反映されるだけではなく、常識扱いされる取るに足らない認知にも反映される。ブルジョワジーの関心を自然的で不可避なものとして擁護するある種の常識を受容することを通じて、プロレタリアートが支配されることに「同意」するのである。
ディスクールおよび(ディスクール形成)についてのミシェル・フーコーのよく知られた主張も、社会構築主義の理論に貢献すると思われる。
構築主義の立場は要するに「本質的で客観的な真理」は人間にとっては直接観察不能であり、何らかの枠組みによって観察されざるをえないのであるから、問題はどのような社会的枠組みに依拠しているのかといった足場に向かう議論である。

#43 Pierre Bourdieu ピエール・ブルデュー

文化資本

資本というと、通常はお金がイメージされます。けれども人間が社会生活をする上で有益となるのは、お金だけではありません。知識、習慣、人間関係、趣味なども、その人の立場に利益・不利益をもたらす資本です。ブルデューはこうしたお金以外の資本を文化資本と呼びます。
たとえばクラシック音楽は、正統な文化として社会的に高い評価を受けていて、なおかつ鑑賞に一定の教養が必要です。このような趣味の場合、親がそうした趣味を持っているかどうか(自然とそれらの趣味に触れられるか)が、本人がそれを趣味とするかどうかに大きく影響します。文化資本の有無は本人の努力というよりは、育った環境に大きく左右されてしまいます
そうして得た文化資本は、①客体化された文化資本(絵画、骨董品など)、②身体化された文化資本(言葉使い、所作など)、③制度化された文化資本(学歴、資格など)の3つの具体的なかたちとなり、その人の社会生活に有効に働いていきます。
文化資本が親から子へと受け継がれることで、世代がかわっても社会的な地位が再生産されていくことを文化的再生産と呼びます。表向きは平等な能力主義が謳われる現代社会でも、実際には、本人の能力だけでは得ることが難しい 「正統な文化」という隠れた資本が脈々と引き継がれています。

ハビトゥス

心的な文化資本ハビトゥスという。
人間は日常的な営みの中で、本人も意識しないうちに言葉遣いや考え方、センスや振る舞い方などを身につけていきます。ブルデューは人間の中に形成されたそれらの心的傾向をハビトゥスと呼びます。
ハビトゥスは人間が長い期間をかけて無意識的に身につけていくものです。ある社会階級や特定の場になじむためには、その場において共有されているハビトゥスを身につけていなければなりません。お金は努力次第で手に入れることもできますが、たとえば「貴族のハビトゥス」は、 残念ながら貴族でなければ手に入れることはできません。

#44 Immanuel Wallerstein イマニュエル・ウォーラーステイン

世界システム

先進国と発展途上国との経済格差は南北問題と呼ばれます。このような問題を捉えるには、国家という単位ではなく全世界を1つの大きなシステムとして見る視点が必要です。ウォーラーステインは地球規模の世界システムを中核・半周辺・周辺の3つの地域に分けて考察しました。
中核にあたる地域は、周辺地域が生産する原材料を搾取することで潤っています。つまり中核・半周辺・周辺はちょうど、資本家階級・中間階級・労働者階級に相当します。ウォーラーステインは世界を国際的な分業体制として捉え、これを世界システムと呼びました(世界システム論)。 国家を単位とするのではなく世界規模で資本主義が動いていると考えると、発展途上国の貧困と、先進国の経済発展との関係が見えてきます。

#45 Mancur Lloyd Olson Jr. マンサー・オルソン

フリーライダー

コストを払っていない人が、公的サービスの恩恵を受けている状態をフリーライダーといいます。いわば他人のコストの上にタダ乗りしている状態です。たとえそのサービスの大切さは十分理解していたとしても、人間は目先の合理性を追求してしまうため、自分だけが得をする選択をしてしまうのです。
個人が自分の利益だけを追求したら、社会全体の利益になりません。こうした社会的ジレンマを避けるためには、人々がコストを負担したくなるシステムをいかに作れるかが鍵になります。

#46 Stuart Hall スチュアート・ホール

エンコーディング/デコーディング

ニュースや新聞などの情報には、情報の送り手の価値観や、イデオロギーが多分に含まれています。送り手が情報を放送や記事にする過程(エンコーディング)で、自分の価値観を無意識に取り入れてしまうからです。また、受け手が情報を受け取る過程(デコーディング)においても、受け手の価値観が作用します。送り手の情報と受け手の情報は同じではなく、それぞれが独立して存在しているのです。
①支配的位置=送り手の解釈を受け手がそのまま受け取る立場
②折衝的位置=送り手の解釈を認めながらも、受け手自身の解釈も取り入れる立場
③対抗的位置=送り手の解釈とは対立する立場
ニュースや新聞などのメディアに触れる行為とは、メディアの送り手に従うだけの受動的な行為ではなく、もっと能動的かつ自由な行為であるはずだとホールは言います。

カルチュラル・スタディーズ

カルチュラル・スタディーズ (Cultural studies) は、20世紀後半に主にイギリスの研究者グループの間で始まり、後に各地域へと広まって行った、文化一般に関する学問研究の潮流を指している。政治経済学・社会学・社会理論・文学理論・比較文学・メディア論・映画理論・文化人類学・哲学・芸術史・芸術理論などの知見を領域横断的に応用しながら、文化に関わる状況を分析しようとするもの。日本語に直訳すれば「文化研究」あるいは「文化学」だが、日本国内ではもっぱら「カルチュラル・スタディーズ」と表記される。

#47 Benedict Richard O'Gorman Anderson ベネディクト・アンダーソン

想像の共同体

アンダーソンによれば、国家や国民という概念は、古くから存在していたわけではありません。
中世以前の人々は、自分たちの領主のことは知っていても、領主らが中央で束ねられて国家という形を成しているという認識はありませんでした。
ところが18世紀以降、印刷技術が革新されて、書物や新聞などのメディアが広がり始めました。すると、「自分と同じものを大勢の人たちも読んでいるのだ」という発想が人々の中に生まれました。それにより一定の土地をともにする同士としての感覚が生まれ、国家や国民という認識が形成されたのだとアンダーソンは考えます。
アンダーソンによると、見ず知らずの人たちを国民同士と認識するのは、その人たちと共同体をともにしていると想像しているからです。彼は国民や国家のことを想像の共同体と呼びました。

#48 Anthony Giddens アンソニー・ギデンズ

脱埋め込み

近代以前、人は限られた範囲の空間で生活していました。そこではその地域のみに通じるローカルな時間の計り方がありました。人々の居場所は、自分たちだけの時間感覚によって成り立つ、ごく地域的な共同体だったのです。ところが技術の進歩によって、世界全体に共通の時間が生まれると、それまで結びついていた時間と空間の分離が起きました。
また、通信技術や輸送技術が進歩したことで、遠く離れた者同士の相互行為は増大しました。すなわちグローバル化です。
このように、限られた時間と空間の中にいた人間たちがローカルな脈絡から引き離され、無限の広がりの中に放たれることをギデンズは脱埋め込みと呼びました。
人々が無限の広がりの中に放たれると、それまで自分の行動の拠り所にしていたローカルな習慣や規範、そして価値観が絶対ではなくなります。必然的に、自分で自分を絶えず更新し続けなくてはならなくなります。こうして近代は再帰性の時代となります。

再帰性

私たちは、過去の自分の行為を振り返り、それで得られた知識に基づいて次の行為を決めています。このように、過去の行為を反省的に問い直して、自身の行為に反映させる性質を再帰性といいます。ギデンズは、再帰性こそ近代社会((資本主義社会)の特性であると考えました。近代以前の人々は、自分の外部にある習慣に従って行動しさえすればよかったのです。
現代の行為の特徴は再帰性→今は、過去の自分の行為を絶えず点検し、それを次の自分の行為に反映させながら自分の行為をつねに変化させていかなくてはならない(再帰性とは、過去の行為が後の自分に影響すること)。

構造化理論

社会には守るべきルール(規範)があります。倫理的に守るべき振る舞いや慣習あるいは言語の文法などです。ギデンズはそれらを構造という単語で表現します。構造(守るべきルール)は、人が行為するときの前提条件です。ただし近代において、その構造は変化していくとギデンズは言います。
かつてパーソンズは、社会には、変化しない普遍的な構造があると考えました(AGIL図式)。けれどもギデンズは、社会の構造(守るべきルール)をパーソンズのように固定的なものとして捉えません。そうではなく、人々が行為することで、その行為を決定している構造自体が新たに再生産されていくと考えます。
この新たな構造(ルール)が生まれていくプロセスを掴むことこそ、社会学のなすべき課題であるとギデンズは考え、こうした立場を構造化理論と呼びました。

再帰的近代

リオタールは、現代をポストモダンと捉え、近代は終焉したと考えました。けれどもギデンズとベックにとって近代は終わってはいません。彼らにとって現代は、近代の特性である再帰性(過去の行為が後の自分に影響すること)をより徹底させている時代(近代が近代化する時代)です。彼らは、再帰性を特性とする近代を再帰的近代と呼びます。

#49 George Ritzer ジョージ・リッツァ

マクドナルド化

マクドナルドに代表されるファストフード店は、効率性の高い合理的なシステムを追求しています。リッツァはこうした規格化、マニュアル化の傾向をマクドナルド化と呼び、今や社会のあらゆる領域でマクドナルド化が進行していると指摘します。
マクドナルドの4つの特徴
①計算可能性 ひとめでわかる量と値段と提供までの時間
②予測可能性 マニュアル化された運用と接客でいつでもどこでも誰にでも同じメニューとサービスを提供
③効率性 マニュアル化された運用と接客で効率よく商品を提供
④コントロール性 マニュアル化された接客で従業員をコントロール。またセルフサービスと最低限の設備で客の動向をコントロール
マクドナルド化は新しい変化というよりは、産業革命以降ずっと続いてきた合理化の一環だとリッツァは言います。かつてウェーバーは、社会の合理化は避けることができないと主張しました。だとすると、社会全体のマクドナルド化は避けることはできません。

#50 Arlie Russell Hochschild アーリー・ラッセル・ホックシールド

セカンド・シフト

近代の家族は、男性が賃労働をするために、女性が家事労働を担うことによって成り立ってきました。ところがこうした性別役割分業の習慣は、たとえ夫婦共働きであったとしても、女性がいざ家庭に戻ると、家事労働に従事せざるを得なくなります。女性は、賃金が支払われる労働であるファースト・シフトのすぐ後に、家事労働であるセカンド・シフトをする羽目になってしまうのです。こうした現状では、雇用者にとって女性は使いづらい存在となってしまい、 男女雇用の不平等を引き起こしているとホックシールドは言います。

感情労働

商店での接客、教育機関、医療など、現代社会は対人サービスが必須な職業であふれています。対人サービスは、肉体の労働以上に感情のコントロールが必要です。ホックシールドはこうした労働を感情労働と呼びます。
感情労働には、表面だけの丁寧さですむ場合もあれば、心から感情を込めなければならない場合もあります。特に、相手に深い共感を持たざるを得ない医療や介護の専門職の場合、労働者は過度なストレスを呼び込み、燃え尽きてしまうことがあります(バーンアウト)。感情労働には、真の充実感と過度なストレスの2つの側面があると自覚することが重要です。