マラカスがもし喋ったら

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作品#05「コスモス 社会学用語図鑑トレカ」62枚(1) #01-#10

作品#05「コスモス 社会学用語図鑑トレカ」62枚を作成しました。



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目次

近代の幕開け

#01 Isidore Auguste Marie François Xavier Comte オーギュスト・コント

社会学

科学の方法を用いて、社会の行方を予見しようとする学問。

実証主義

神学的・形而上学的なものに依拠せず、経験的事実にのみ認識の根拠を認める学問上の立場。

三段階の法則

コントが考えた、精神の三状態が文明の三状態を決めるという法則。
精神の三状態 神学的段階→形而上学的段階→実証的段階 
文明の三状態 軍事的段階→法学的段階→産業的段階
 

#02 Herbert Spencer ハーバート・スペンサー

社会進化論

社会も経済競争に勝った者だけが生き残る、適者生存の原理で進化するという考え。
 

#03 William Graham Sumner ウィリアム・グラハム・サムナー

エスノセントリズム

自民族中心主義のこと。自分の育ってきた集団や民族の文化をすぐれたものとし、それを基準にして他の文化や集団の人々を低く評価する態度。サムナーはこれに陥っている帝国主義軍国主義を批判した。
 

#04 Ferdinand Tönnies フェルディナント・テンニース

ゲマインシャフトゲゼルシャフト

ゲマインシャフト→血縁関係、地縁関係、友情などによって他者と全人格的に結びついている集団。
ゲゼルシャフト→利害関係で理性的に結びついている集団。
テンニースは、近代化によって、社会のあり方が、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ変化することは避けられないとした。
 

#05 Thorstein Bunde Veblen ソースティン・ヴェブレン

誇示的消費

必要性や実用的な価値だけでなく、それによって得られる周囲からの羨望のまなざしを意識して行う消費行動。ボードリヤールの議論のさきがけ。

「産業(Industry)/営利企業(Business)」

ヴェブレンは『営利企業の理論』(1904年)において、現代の産業を二分して分析している。すなわち、物を作る目的の産業(Industry)と、金儲けの手段としての営利企業(Business)との二分である。ビジネスは産業を推進せずに、むしろ産業を侵食していくというのが、ヴェブレンの資本主義論である。
 

#06 Émile Durkheim エミール・デュルケーム

社会的事実

個人に対して外から社会的に拘束を加えるもの。法・道徳・宗教など。デュルケームはこれを社会学固有の対象とした。

社会化

子供やその社会の新規参入者が、その社会の文化、特に価値と規範を身に付けること。

アノミー

個人または集団相互の関係を規制していた社会的規範が弛緩または崩壊したときに生ずる混沌状態。

機械的連帯/有機的連帯

機械的連帯→人々が同質的でそれぞれが没個性的な活動しかしないことによって存立する社会諸関係の様式。村落など原始的な社会。
有機的連帯→人々が個性的な異質の諸個人として、分業による相互依存によって有機的な全体を生み出す社会諸関係の様式。
デュルケームは、近代社会の分業による有機的連帯を好ましいと考える。テンニースがゲゼルシャフトを真の共同体ではないと考えたのと正反対の発想。

自殺の4類型

①自己本位的自殺②集団本位的自殺③アノミー的自殺④宿命的自殺
デュルケームは自殺論で、自殺の原因が個人にあるのではなく、個人の意思を超えた社会の力が働いていることを証明しようとした。

社会実在論/社会唯名論

「社会」というのは単なる便宜上の名前であり、実在するのは個人または個人間の相互作用だけだと考える立場を社会唯名論という。ウェーバージンメルなどがこの立場。反対に社会は実在すると考える立場が社会実在論デュルケームなどがこの立場。社会唯名論は意味学派などのミクロ社会学に、社会実在論は社会システム論や機能主義などのマクロ社会学に発展する。
 

#07 Georg Simmel ゲオルグジンメル

形式社会学

ジンメルは、デュルケームのように社会が物のように実在するとは考えない。ジンメルにとって社会とは、信頼関係、闘争関係など、個人間に生じる人間関係の形式(心的相互作用)の集まり。この形式を研究対象とするのがジンメルの形式社会学

心的相互作用(相互行為)

信頼関係、闘争関係など、個人間に生じる人間関係の形式。この人間関係の形式の集まりが社会を形成しているとジンメルは考え、この形式を研究対象とするものが「形式社会学」といわれる。

社交

文字どおりには、人と人とのつきあい、社会での交際、世間のつきあいを意味するが、社会学的な観点からは、社会を成り立たせる原点としてとらえられる。たとえば、社会学者のG.ジンメルは、諸個人間の相互作用によって集団や社会が生成される過程、すなわち社会形成過程(社会化Vergesellschaftung)に関して、その形式における純粋型を想定し、それに〈社交性Geselligkeit〉という概念を当てた。

貨幣の哲学

貨幣は人間と人間とのあいだの関係、相互依存関係の表現であり、その手段である。

#08 George Herbert Mead ジョージ・ハーバート・ミード

アイとミー

ミー(me:客我)→一般化された他者から期待された役割を果たそうとする社会的な私。
アイ(I:主我)→ミーに抵抗したり、社会を変えようとする主体的な私。
自我には上記二種類ある。ミーはチャールズ・クーリーの「鏡に映った自我」にあたる。
 

#09 Max Weber マックス・ウェーバー

価値自由

社会科学において認識の客観性を保つためには、一定の価値基準に従って善悪、正邪の判断を迫るような態度をとるべきでないというM.ウェーバーの主張。彼によれば、経験科学は人が何をなしうるか、何を欲しうるかを教えることはできても、何をなすべきかまで教えることはできないという。

理念型

マックス=ウェーバーの用語。複雑多様な現象の中から本質的特徴を抽出し、それらを論理的に組み合わせた理論的モデル。それを現実にあてはめて現実を理解し、説明しようとする理論的手段。
現実にはいろいろな例外があり、理念型とは違うが、理念型からの逸脱度合いによってその性格把握ができる。一度理念型を設定すると、それを使って作業仮説や理論構築に必要な要素を抽出することが可能である。

合理化(世俗化)

科学が発展すると、自然を客観的にとらえることができるようになり、人々に合理的な世界観が共有されます。これを合理化といいます。合理化するにつれて人々は、神仏のような超自然的な力に頼ることをやめます。すると人々の生活の中に「事実」としてあった宗教は、個人の意識の中だけの存在となっていきます(脱呪術家)。ウェーバーは近代化とは合理化(脱呪術化)のことにほかならないと考えました。

エートス

諸個人の行為をそれによって説明できるような,倫理的に価値づけられた習慣的な行為性向のこと。ウェーバープロテスタンティズムの禁欲的で富の蓄積を正当化できるエートスが、資本主義を生み出したと結論づけた。

社会的行為

他者との関係が前提となる行動のこと。誰にも見せない行為と、社会的行為とでは大きく違う。ウェーバーは、社会的行為の個人的な動機や意味を理解して、社会事象の成り立ちを分析しようと考えた。このアプローチを理解社会学と呼ぶ。
社会的行為の4類型
①伝統的行為 習慣から生じる行為 朝起きる 挨拶する 教会へ行く
②感動(感情)的行為 感情から生じる行為 笑い合う 怒る 喜ぶ
③価値合理的行為 自分の信念や価値観による行為 人助けする 注意する 教える
④目的合理的行為 目標を設定し、達成するための理性的な行為 目的のために学ぶ 目的のために計画をたてる

暴力の独占

暴力の独占は、マックス・ヴェーバーが自著『職業としての政治』において唱えた主権国家の定義であり、20世紀における法哲学や政治哲学において優勢となった。
一定の領域において単独の主体(国家)が暴力に関する権威・権限を行使する状態を定義したものであり、領域もまたヴェーバーによって国家の特性として定義された。重要なのは、このような独占が正統(legitimation、正統性(legitimacy)を提供すること)のプロセスを介して生じなければならないことである。

官僚制

ウェーバーは、西欧のみに特有の「近代化」を「(目的)合理化」の過程とみ、その組織的表現形態を「官僚制(化)」としてとらえた。その官僚制論は彼の正統的支配の三類型のなかの合法的支配と結び付けられた理念型として展開されている。

支配の3類型

①カリスマ的支配→圧倒的な存在感と権力を持ったカリスマが全ての権限を握り支配する状態
②伝統的支配→伝統=これまで長く続いてきた定型的な営みに裏打ちされた支配
③合法的支配→形式的に正しい手続きで定めらえた制定規則のもとで行われる支配。正しい手続きによって定められているから従う。

#10 Charles Horton Cooley チャールズ・クーリー

鏡に映った自我

自分の社会的な姿は、自分に対する他者からの反応という「鏡」を通じて知る。これをクーリーは「鏡に映った自我」と呼んだ。自我は自分で作っているわけではなく、社会(他者)に作られている。