目次
- 監修のことば
- 第1章 日本を背後から操るジャパン・ハンドラーズ
- 第2章 アメリカの日本管理戦略と対日研究家たちの変遷
- 第3章 アメリカの大学・シンクタンクに巣食うジャパン・ハンドラーズ
- 第4章 暗躍するカウンターパーツと骨抜きにされる日本
- 第5章 世界を動かすインナー・サークルと国際金融資本の正体
- あとがき
- 巻末資料
監修のことば
・副島 SNSI(副島国家戦略研究所)
・「現在の世界覇権国(ヘゲモニック・ステイト)であるアメリカ合衆国は、古代のローマ帝国がやったのと全く同じことをしている。すなわち、世界中の属国・属州郡から、将来の指導者になるべき優れた人材を選び抜いて帝国の都に呼び寄せ、教育することで帝国と属国の橋渡しをする人材として育て上げる。」
・「イラク戦争におけるネオコン派の動向についてそれなりに詳細にリポートする日本の大新聞、テレビ各社でも、「日本という国が、敗戦後のこの60年間で、どのようにアメリカに育てられ、そして巧妙に管理されてきたのか」という、より重要な事実のほうは報道しようとしない。大きな真実を描くことには「及び腰」になる。」
・言ってきたのは、副島、春名幹男など極一部。
第1章 日本を背後から操るジャパン・ハンドラーズ
ジャパン・ハンドラーズとは何か?
フルブライト奨学金制度とは?
・交換留学制度
・「塩野七生は、古代ローマ帝国が属州から連れてきた人質を歓待し、ローマのシンパにして送り返したことを紹介し、これを現代でいえば「フルブライト留学生」であろう、と指摘しているのだ。これは、たいへん"言い得て妙"である。」
・「フルブライト留学生制度」1946年創設 J・W・フルブライト上院議員 イギリスの「ローズ奨学金」をモデル 原爆がきっかけ 世界平和のため
・近藤健『もう一つの日米関係ーフルブライト教育交流の40年』(ジャパンタイムズ 1992年)
「カウンターパーツ」という存在
・操る側=ジャパン・ハンドラーズ 操られる側=「カウンターパーツ」ジャパン・ハンドラーズであるアメリカ人の司令を受け取り、忠実に任務を遂行する日本人たち
・高杉良 ”歩(ボーン)”、手先、エージェント
帝国と属国――四つのネットワーク
●属国管理の4つのネットワーク
Ⅰ政府の公式交渉のレベル
・国家安全保障会議(NSC)東アジアリージョン『ジャパンデスク』、アメリカ大使館、職員、大使側近、CIA東京支局 対日政策において、”得点を挙げる”、”営業成績”
Ⅱ財界人レベル
・USTR(米通商代表部)日本部長グレン・S・フクシマ
>>慶應義塾大学の役割、対米従属カウンターパートの養成、ネオコン、グローバリストの拠点<<
・「在日米国商工会議所(ACCJ)」と日本経団連との関係 俗に言う「ロビイスト団体」
・「日米財界人会議」
・「ロビイスト団体がアメリカ政府の圧力を背景に、日本に対して「〇〇に関する勧告」などの体裁を通して、規制撤廃(デレギュレーション)などの要求を突きつけてくる場合があるが、これらはたいていの場合「〇〇イニシアチブ」などの名称で呼ばれている。一応「単なる提言書」の形を取ってはいるが、実際は「対日司令文書」に等しい。これらの司令を、アメリカ側から日本政府内に送り込まれた閣僚・官僚・文化人・大学教授らが、自身らで構成される審議会や政策諮問機関を通じて、「政府への答申」という形で日本側に突きつけ、真綿で首を締めるように圧力をかけて実現させていくのである。」
Ⅲシンクタンク人脈とジャパノロジスト(日本研究家)人脈
・先駆ハーバード・パッシン、ドナルド・キーン
・学者が「食う為」に国家戦略に手を貸す、加担する構図
Ⅳ国際会議・秘密クラブ・NGOを介した最高レベル
・「トライラテラル・コミッション(TC)」(旧称・日米欧三極委員会)
・「東アジア共同体評議会(CEAC)」
・「日本国際交流センター(JCIE)」
・皇族や旧華族も
第2章 アメリカの日本管理戦略と対日研究家たちの変遷
アメリカの対日政策とジャパン・ハンドラーズの変遷
大きく2つに分けられる戦後の対日政策
・「第二次世界大戦後のアメリカの「対日政策」は、大きくは2つの期間に分けられる。1991年、つまりソ連崩壊以前と以後である。ソ連の崩壊で、アメリカは世界単独覇権国家になった。これはちょうどクリントン政権の誕生(1992年)とほぼ同時期であり、この時期を区切りにアメリカの対日政策も大きく変貌を遂げた。」
・ジョージ・ブッシュ(パパブッシュ)1990「新世界秩序(ザ・ニュー・ワールド・オーダー)」「国際政治学の用語としては、ポスト冷戦体制の国際秩序を指す。また陰謀論として、将来的に現在の主権独立国家体制を取り替えるとされている、世界政府のパワーエリートをトップとする、地球レベルでの政治・経済・金融・社会政策の統一、究極的には末端の個人レベルでの思想や行動の統制・統御を目的とする管理社会の実現を指すものとしても使われる。」
「反共の防波堤」から「敵国」へ
・「日本のアメリカに対する積極的な協調姿勢を象徴する出来事が、1985年の「プラザ合意」である。この合意によって、円とドルの交換レートは、大きく円高ドル安に向けて加速した。アメリカが高金利を演出し、その結果、日本の機関投資家や企業、政府の資金はアメリカ国内に流入した。それがアメリカの国債を買い支え、冷戦を予算面で助けるという資金の循環構造が生まれた。つまりアメリカは、日本に米国債を買わせ続けることで、無尽蔵に増えていく赤字のツケを払わせるという仕組みを作り上げたのである。しかし、為替レートの「円高への大幅な変動にもかかわらず、日本の工業製品輸入の勢いは止まらなかった。アメリカは「日本市場でアメリカ製品が売れないのは、日本が非関税障壁を設けているからだ」との主張を強めることになり、半導体製品やスーパーコンピュータから牛肉、オレンジ、果ては法律事務所に至るまで、市場開放をしきりに求めるようになったのである。」
・「こうした中で、アメリカの対日政策は、従来の「日本をいかにして反共連合につなぎ止めておくか」という消極的な目的から、「どのようにしてアメリカの単独覇権の邪魔をさせないようにするか」という目的に変わっていった。これが90年代、アメリカが日本に要求してきた「構造協議」や「規制緩和」要求の正体である。」
・「反共の防波堤」→「日米関係の再定義」対日経済戦略の見直し
・クリントン政権 ローラ・タイソン、エドワード・リンカーンなど
・ブッシュ政権になると、国際金融資本を中心とする、いわゆる「ハゲタカファンド」の日本市場乗っ取り作戦が始まり、従来の日本の経済基盤が壊される中で、経済実態とはかけ離れたマネーゲーム的な市場形成やM&A(企業の合併・買収)が起きるようになった。その中で宮内義彦や竹中平蔵など「外資の手先」ともいえる人々が、アメリカ財界や政府の指示を受け、それを忠実に実行することにより、外資による日本市場乗っ取りは容易になった。そして日本的なビジネスモデルは大した根拠もなく時代遅れとされ、アメリカ型の自由主義が持てはやされるようになるのである。
・外交・安全保障面では、湾岸戦争以降、日本国内の安全保障専門家や政治家を中心に「国際貢献の必要性」が盛んに論じられた。95年の安全ホ保障に関する提言書「ナイ・イニシアチブ」および2000年の「アーミテージ・リポート」の登場で、その流れは「日米安保の再定義」という形に半ば意図的に動かされていく。2001年の「9.11テロ」発生で「テロとの戦い(ウォー・オン・テラー)」が開始されるや、従来の心理的抵抗線であった「極東」の範囲を一気に超えた形で、インド洋沖への自衛隊派遣がなし崩し的に行なわれ、さらに、イラク戦争への「復興支援」という「戦闘地域」への部隊派遣も同様に実現化してしまう。従来とは「対米協力」の質が明らかに変化しており、日本の自衛隊はアメリカ軍に事実上組み込まれつつある。今後自衛隊は、独立国の軍隊という立場も、どんどん奪われていくのだろう。だが、こうした流れに抵抗する動きは、わが国ではほとんど見られない。そういう動きをする政治家は失脚させられることになっているからだ。アメリカの「ソフト・パワー」で洗脳された日本の政治家たちが、危険なまでに対米追従を深めているのが現実だ。
・日本は、経済面では、外資の都合でいいようにルールを変えられ、国防・外交面では、自国の安全保障に対するビジョンを持つことなく、ただひたすらアメリカに迎合していくという「属国」になり果ててしまった。
ジャパン・ハンドラーズの世代的分析
世代で変わる対日研究者の群像
・新知日派
第1世代 ライシャワーに始まる戦後"知日派"
・第1世代 エドウィン・ライシャワー 日本研究のゴッド・ファーザー 明治43年東京生まれ 父は宣教師 17歳まで日本で過ごす ハーバード大学講師 第二次世界大戦日本の暗号解読 ジョン・F・ケネディ政権米国駐日大使 「ライシャワー事件」
・「ハーバード大学 ライシャワー日本研究所」「ジョンズ・ホプキンス大学高級国際問題学科(SAIS=サイス) ライシャワー・センター」多くの日本研究者を輩出
第2世代 米軍日本語学校から輩出された日本語専門家たち
・第2世代 第二次世界大戦中軍や諜報部の下で日本研究に従事し、戦後は占領政策の遂行に当たった世代。
・代表的人物ハーバート・パッシン 「米陸軍日本語学校」出身 ドナルド・キーン、エドワード・サイデンステッカー等も
第3世代 地域研究を駆使したジャパノロジストたち
・第3世代 エズラ・ヴォーゲル、ジェラルド・カーティス、チャルマーズ・ジョンソン
・アメリカ 1958「国防教育法(NDEA)」(冷戦戦略の一環)「国家安全保障と学問研究を密接に結びつけたこの法のもとで、日本研究や極東研究など、地域研究に奨学金が出され、地域研究の専門家が大量に採用された」
・このNDEA制定の前後に、アメリカの各地に、日本研究センターや東アジア研究センターが次々と設立される。ハーバード大学東アジア研究所、ミシガン大学日本研究センター、コロンビア大学東アジア研究所、カリフォルニア大学バークレー校日本研究センター、シカゴ大学極東研究センター、イエール大学東アジア研究評議会など。
第4世代 リビジョニストと経済学者たち
・第4世代 リビジョニスト派=日本は世界でも異質な国と考える ディシプリン派=どの国も違いはない
・前者=チャルマーズ・ジョンソン、クライド・プレストウィッツ、ジェームズ・ファローズ、カレル・ヴァン・ウォルフレン
・後者=J・マーク・ラムザイヤー、フランシス・ローゼンブルース、ケント・カルダー、エドワード・リンカーン、リチャード・サミュエルズ、スティーブ・ヴォーゲル、デヴィッド・アッシャー
・「彼ら(ディシプリン派)の考え方は「公共選択」という学問を改悪した「合理的選択論」と重なる部分が多い。現実の政治・経済の動きは彼らの演繹的な法則にしたがって動くだろう、という強い信念を持っている」
・彼らは「アメリカのグローバル・スタンダードこそ合理的である」と頭から信じ込ませようとしているような人たち。彼らは90年代後半から現在に至るまで「構造改革」の名の下、日本社会の制度や構造を、アメリカに都合のいいように改造しようと日本政府に対して働きかけてきた。
第3章 アメリカの大学・シンクタンクに巣食うジャパン・ハンドラーズ
アメリカの大学とジャパン・ハンドラーズ
東海岸の「老舗型」と西海岸の「新興型」
プリンストン大学
"輸入品"だった!?司馬史観
・教え子エドワード・ズウィック映画『ラスト・サムライ』
ジョンズ・ホプキンス大学国際問題研究大学院
・ズビグネフ・ブレジンスキー(ソビエト研究、民主党系)、フランシス・フクヤマ(ネオコン)、ポール・ウォルフォウィッツ(シオニスト・ネオコン)
"裏人間"ケント・カルダー
★ケント・カルダー 郵政民営化「隠れCIA」「カルダーは、浜田宏一イエール大学教授、ヒュー・パトリック(コロンビア大学教授)と一緒に竹中平蔵郵政大臣の「民営化カンファレンス」に出席し、民営化積極賛成の発言をしている。彼はいわばアメリカ政府の「フィクサー」として、日本の政治家に圧力をかける仕事をしてきたのだ。」
・カルダー『戦略的資本主義』巻末に竹中平蔵の解説
カリフォルニア大学バークレー校
リベラルな校風
大きな衝撃を与えた通産省研究
傾斜生産方式
通産官僚たちの群像
・チャルマーズ・ジョンソン 中田が尊敬する研究者 『通産省と日本の奇跡』 傾斜生産方式 城山三郎『官僚たちの夏』 佐橋滋「特振法」 天谷直弘、両角良彦「国際派」
スタンフォード大学
テクノロジーと軍需産業
・「ミスター外圧」マイケル・アマコスト駐日大使
・野口悠紀雄「1940体制」(日本経済の特徴とされる様々な要素が、1940年頃に戦時体制の一環として導入された)
アメリカにおけるシンクタンクの役割
・現在、アメリカでシンクタンクと言えば、アメリカ政府の政策の青写真を作り上げる「アイデア工房」のような役割を果たしており、アメリカが世界覇権を維持していくうえでなくてはならない存在になっている。
・2003年に起こされたイラク戦争に、ブッシュ政権を背後から駆り立てたのは、AEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)のワシントン事務所に間借りしている「アメリカの新世紀のためのプロジェクト」(PNAC)というグループであった。ブッシュ政権は、このAEIから多くの専門家(ポリシー・メイカー)政策立案者を迎えており、保守派言論人の資金源となっている。
★一般にアメリカの政府高官というのは、政権入りする前には、民間企業の重役を務めていたり、シンクタンクの研究員を務めていたりする場合が多い。そして政府での役目を終えると、また再びシンクタンクや民間企業に戻っていく。
・これは俗に「回転ドア」と呼ばれる仕組みであり、一種のアメリカ型「天下り」システムである。例えば、国防総省の兵器調達を担当した人がロッキード社の重役として天下ったりするのである。アメリカが世界覇権をこの70年近く握っていられるのも、シンクタンクと政府間で、人材が、止まることなく循環しているからなのだ。
・アメリカでシンクタンクの数がこれだけ拡大したのは、冷戦という背景があったからである。第二次大戦前のアメリカには、ロックフェラーやモルガンが資金を出した外交問題評議会(CFR)という老舗シンクタンクが存在していた。
・冷戦時代になると、ランド研究所やジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS)、フーバー研究所、ヘリテイジ財団といった、主に軍事戦略を立案するシンクタンクが次々と設立されていく。ランド研究所は、核抑止戦略を打ち出したといわれているし、CSISは湾岸戦争の参謀本部とまでいわれた。
・シンクタンクには、東部エスタブリッシュメントの財団が資金を出した基本的には民主党系のものと、1970年代頃から出現した「ニューライト」と呼ばれる対ソ強硬派によって作られたネオコン系のシンクタンクが存在する。
ジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS)
日本部門がウリ
・日本部門を持っていることを大々的に謳っている、恐らく唯一のシンクタンク
・1962年、デイヴィッド・アブシャイア元国務次官と、アーレイ・バーク元海軍次官によって設立。
・現在13人の日本専門家 日本部長ウィリアム・T・ブリア
・渡部恒雄、酒井吉廣(日銀出身)など日本人の研究員も
・CSIS太平洋フォーラム 1975年設立 ラルフ・コッサ、ブラッド・グロッサーマン、ブレント・スコウクロフト 樋口廣太郎(アサヒビール) 大河原良雄(元駐米大使)
・人材交流に非常に力を入れる
稲盛和夫とアブジャイア博士
・アブシャイアは日本の稲盛和夫との関係が非常に深い。バークは、元国防総省国家安全保障局(ISA)の日本部長のジェイムズ・アワーを間にはさんで、元駐米公使の国際ロイヤー阿川尚之との「海の友情」でつながっている。
・阿川弘之、尚之親子二代にわたるカウンターパーツ。親米ポチ。
・1996「日米21世紀委員会」2002「稲盛・アブシャイア・リーダーシップ・アカデミー」
・アブシャイア以外のメンバーには、IBMやイーストマン・コダック、ゴールドマン・サックスなどの金融・経済界の関係者の名前がずらりと並び、さながら「日本市場こじ開けタスクフォース」といった布陣
・稲盛は「善意と利他の心」で日米関係を再定義する心づもりだったようだが、アブシャイアのほうは、その善意云々については一言も触れていない。ただ国家安全保障問題を解決する力量を持ったリーダーシップが必要であるという認識であり、どうも二人の間には大きなズレがあったようにも見える。要するにアメリカ側は非常に実務的(ビジネスライク)なのに対し、日本側は稲盛氏の美辞麗句だけが白々しく浮いている印象だ。
・この「日米21世紀宣言」の内容であるが、これはもうほとんどが日本に対する「規制緩和要求」のオンパレードである。「日米同盟堅持」「日本経済の構造改革と規制緩和」だけが強調され、アメリカに対しては「貯蓄率を増やすべきである」と言ってお茶を濁している程度だ。
・稲盛「京都財団」日本の若きリーダー候補生をワシントンDCのCSIS本部に呼んで、一週間の研修を年に二回行う「稲盛国際フェロー」北神圭朗、古川元久、二之湯武史、白石洋一など
・稲盛会長は現在、松下政経塾とか日本政策フロンティアといった団体を利用して、日本の二大政党制と政界再編をねらっているようである
地経学とエドワード・ルートワック
・上級研究員エドワード・ルトワック。ユダヤ系ネオコン派の軍事戦略家「冷戦後のアメリカの敵は経済大国化した日本である」軍事力のかわりに経済政策で世界制覇を推し進める「地経学(ジオ・エコノミクス)」という新しい学問分野を提唱
・ルトワックがこの2冊(『アメリカンドリームの終焉(現代は「危機にひんしたアメリカンドリーム」)』『ターボ資本主義』)で示した対日戦略が、どうも90年代から2000年代にかけてのアメリカの経済戦略を規定したらしい。過去に大蔵省所管の財政金融研究所で働いていた経験あり
・80年代の日本の躍進は、アメリカにしてみれば喧嘩を売られたようなものだった。アメリカとしては、売られた喧嘩は買わない道理はない。そこで、クリントン政権誕生後は、日本に貿易自由化、規制緩和を要求し続ける一方で、アメリカ国内では、知的所有権戦略、情報通信産業の育成、ゲノム戦略などさまざまな経済戦略を打ち立て、経済での「グローバル・スタンダード」の確保を目指すようになったのである。
国際戦略研究所(IIE)
通貨戦略の仕掛け人、フレッド・バーグステン
・1982年発足。1985年のプラザ合意、1990年代の日米自動車交渉時に突如発生した急激な円高などはIIEが仕掛けたとも言われる。
・フレッド・バーグステン 「政治・安保はアーミテージ、経済はバーグステン」。日米関係を仕切る米側の“ドン”。ヘンリー・キッシンジャーに見いだされる。カーター政権で国際経済担当官。
・IIE理事会 ピーター・ピータソン(ゴールドマン・サックス・インターナショナル元会長)、デイヴィッド・ロックフェラー(チェース・マンハッタン銀行元頭取)、ジョージ・シュルツ元国務長官(ベクテル会長)、カーラ・ヒルズ元USTR通商代表、出井伸之ソニー元会長、アラン・グリーンスパンFRB議長、ポール・ボルカー元FRB議長、モーリス・グリーンバーグ(アメリカン・インターナショナル元会長)など
・外交問題評議会(CFR) 外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行。「国際金融資本の伏魔殿」。IIEとCFRはメンバーが重複しておりほぼ一体。
・「自動車交渉は、95年に合意をしたが、バーグステンの圧力は日本側にとって相当なものだったろう。さらなる円高をおそれたであろう当時の橋本通産大臣は、おそらくはその引き替えに、金融ビッグバンと言われる規制緩和(金融業への外資参入障壁の撤廃)を呑まされている。」
ブルッキングス研究所
民主党系シンクタンクの老舗
・1927年米中西部の実業家ロバート・ブルッキングらの財界人・知識人が創設 小さな政府派
・1952年に所長が代わってからは、民主党的なケインズ主義にその軸足を移していく
・1968年にニクソン共和党政権が誕生すると、ケネディ民主党政権を支えていたリベラル派はここに籠城し始める。さながら「民主党亡命政権」
・歴代研究所所長 マイケルアマコスト元駐米大使 ストローブ・タルボット 理事会メンバー ローラ・タイソン(クリントン政権大統領経済諮問委員会(CEA)委員長)、ダニエル・ヤーギン(資源学者)、ローレンス・サマーズ(元財務長官)、ジェイムズ・ジョンソン(投資会社ペルセウス)、ヴァーノン・ジョーダン(投資銀行ラザード・フレール)
・日本研究担当エドワード・リンカーン 日本人の交換留学生と恋に落ちる 同志社大学に留学 ウォルター・モンデール駐日大使の経済担当特別補佐官(後任がケント・カルダー)「郵貯廃止論」
アメリカ学会派閥抗争と「アメリカ帝国の悲劇」
アメリカの学問研究と分野構成について
・日本に対して「産業政策反対、規制緩和、郵政民営化」と枕詞のように唱えるアメリカの経済自由化要求は、実は世界的な規模で行われているものである。このグローバル・スタンダードの押しつけはアメリカの首都・ワシントンから名前をとって「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる。
・ワシントン・コンセンサスの背後にあるのは「民営化、規制緩和すれば何でもうまくいく」というほとんど信仰に近い考え方だ。これは、今日、アメリカの学会で台頭している「合理的選択論(ラショナル・チョイス)」の存在とも大きく関係している。
・副島隆彦の整理 アメリカ政治学会の3つの派閥
1.「合理的選択論派」実務官僚の養成。グローバリスト的。昔のリアリズム政治学の流れ。伝統主義を捨てて、すべてを合理性(レイシオ)で考える人たち
2.「構造的方法学派」ウェーバー、マルクスなどの伝統的政治思想を温存。左翼学者も隠れている。官僚制度、政党、大物政治家の研究も。
3.「文化的方法学派」地域研究。人類学の手法。
「合理的選択論(ラショナル・チョイス)」とは何か
★私たちは日常生活で絶えずカネ勘定を考えて生きている、というのがこの理論の前提。この何でもお金に換算する思想のことを功利主義(ユーティリタリアニズム)と呼ぶ。
・要するに。人間の行動というのは、すべて経済的行動に還元できるモノであり、したがって経済学のモデルもそのまま適用できる、と考えた。そこには、すべての人間はいつも合理的(この場合には、カネ勘定というニュアンスが非常に強い)に行動するという前提がある。
チャルマ―ズ・ジョンソンの反撃
・ジョンソン「合理的選択学派は、自分たちが文化を超えるというよりも、実際には自身の文化、すなわち英米的「西洋」文化を過度に普遍化しようとしている点を決して認めようとしない。」
・グローバリズム=「アメリカにとっての合理性(アメリカ企業の経済的利益)」
・自分たちの「理論の正しさ」を証明することにしか興味がないのが学者というものである。彼らには「学問は政治に従属する」という事実はまったく目に入らない。しかし、学問は政治に従属するのである。学者たちは「学問自体は価値中立的である」と言うだろうが、そんなものはハッタリであって、幻想にすぎない。
・保守派エスタブリッシュメントの御用雑誌『ナショナル・インタレスト』
・米ソ冷戦を勝ち抜いて、いよいよ単独覇権国となったアメリカの傲慢さ ネオコン派イデオローグ フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
・ジョセフ・スティグリッツのグローバリズム批判
そして9月11日のブローバックが起こった
・ジョンソン2000年『ナショナル・インタレスト』『アメリカ帝国への復習』「軍・産・学複合体」
・帝国の手先であったジョンソン教授は1989年にCIAがロチェスター大学に委託した「日本つぶし」のための「戦略タスクフォース」に、ケント・カルダーや、モトローラ社情報部長のティム・ストーン、投資会社ブラックストーングループのジェフリー・ガーテン(クリントン政権商務長官)と一緒に加わっていたことのある
『ビューティフル・マインド』に見る使い捨て学者の悲劇
・ラッセル・クロウ主演『ビューティフル・マインド』天才数学者ジョン・ナッシュの半生 冷戦軍事戦略の総本山ランド研究所
第4章 暗躍するカウンターパーツと骨抜きにされる日本
二〇〇四年に起きたカウンターパーツの世代交代劇
ナベツネ・中曽根・キッシンジャー路線
・2004年カウンターパーツの「世代交代」が行われた記憶すべき年
・渡辺恒雄、中曽根康弘 → 宮内義彦、孫正義、三木谷浩史、竹中平蔵 金融IT勢力。「新政商」。
・渡辺恒雄 大野伴睦の番記者。読売ワシントン支局に飛ばされていた時代に、ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官の活動に焦点を絞った『大統領と補佐官』という著書を書き、アメリカ政界の影の実力者であったヘンリー・キッシンジャーに急接近する。
・一方、彼の盟友である中曽根康弘は、すでに1953年に、ハーバード大学のセミナーに参加して、若きキッシンジャーに属国日本の指導者として「青田買い」されていた。ここで生まれたキッシンジャー・ナベツネ・中曽根のネットワークが究極的には、戦後の1970年代頃から小泉政権誕生までの日本保守政界を動かしている。
・従来は、大谷昭宏記者などの「黒田軍団」(黒田清記者を中心とした大阪読売の社会部のこと)に代表されるように、左翼・リベラル派であった「読売新聞」の論調は、ナベツネ路線によって一気に右傾化する。これはキッシンジャーを中心に練られていた当時のアメリカ反共政策と大きく連動したものだった。
・読売、産経、PHP研究所など親米言論/朝日新聞、親中国・北朝鮮
・小渕・森政権あたりから、経済系のネットワークによる日米人脈が非常に強い影響力を持ち始めてきた。投資ファンド(ハゲタカ・ファンド)が、日本をマネー・ゲームの実験場と位置づけ、従来のキッシンジャー・コネクションとは別方向から、管理するようになってきた。それに伴い、カウンターパーツもガラガラポンと入れ替わり始めた。
・2004年プロ野球界のゴタゴタとナベツネの失脚
新勢力・宮内義彦とはいかなる人物?
M&Aで業務拡大
・1935年兵庫生まれ、父は貿易、木材輸入業 関西学院大学→ワシントン大学に留学 MBA取得 ニチメンに就職
・1980年以降(特にバブル期)に力を入れたのが、不動産融資と米国仕込の企業買収(M&A)
・バブル崩壊による影響もあまり受けることがなかったオリックスは、パチンコ店やラブホテルを買収する。そして消費者金融向けの融資を手がけ、当時関西地方で有力であった在日韓国人系の融資を担当する朝鮮系銀行などの顧客を吸収する形で、業務を拡大していったという。
あおぞら銀行買収劇の裏側
・1998 日本債権信用銀行経営破綻 → ソフトバンクグループ・オリックス・東京海上火災保険が組成した投資ファンドへ売却 → 2000 あおぞら銀行 本間忠世社長変死
・2003 ソフトバンクがサーベラスへ株式売却 サーベラス・ジャパン 宮内が顧問のトップ
・サーベラス 1997設立 共同創業者 スティーブン・A・ファインバーグ アブレコ(投資ファンド)のCEOも兼任 会長 ダン・クエール ブッシュ政権の副大統領 馬鹿で有名 イグノーベル賞 社外取締役 ローレンス・リンゼ― ブッシュ政権大統領経済担当補佐官
★「このサーベラスによるあおぞら銀行の買収は、米投資ファンドのリップルウッド・ホールディングスが主導した旧日本長期信用銀行(現新生銀行)の買収と同様に、ハゲタカファンドの「日本金融占領」として記憶されるべきだろう。」
・新生銀行 八城政基 も外資の手先 「この新生銀行の買収には、米欧の金融資本のオールスターというべき人々がかかわっており、デヴィッド・ロックフェラーやポール・ボルカーが重役会に名前を連ねるほか、イギリス・ロンドンの銀行家である、ジェイコブ・ロスチャイルド男爵も資金を出して参加している」
もう一人のキーマン・孫正義
貧しかった少年時代
・在日韓国人3世。高校一年夏休みUCバークレーに短期留学圧倒される。→高校編入。UCバークレー入学。現地で「ユニゾン・ワールド」というマイコン機器の開発会社を立ち上げ。1981「日本ソフトバンク」設立。日本独自OS「トロン」潰し。
豊富な海外人脈とメディア買収劇
・1996オーストラリア出身メディア王ルパート・マードックと組み「JスカイB」設立。テレビ朝日買収失敗。
・2000ローレンス・サマーズと組んで「ナスダック・ジャパン構想」
アメリカのエージェント・竹中平蔵
グレン・ハバードとの関係
・2002年金融担当大臣 ブッシュ大統領の経済ブレーンを務めてきたグレン・ハバード元大統領経済諮問委員会委員長の強い後押し。
・前任の金融大臣の柳沢伯夫は、日本の不良銀行に公的資金を投入、国有化して、ハゲタカ・ファンドに二束三文で売り払おうとする政策に露骨に抵抗したので、アメリカに「邪魔者」として忌避された。
・このハバードは、ブッシュ政権第一期に、日本の不良債権処理を名目としたハゲタカファンド進出の総指揮を執った人物だ。
・日本のマスコミではまったく報道されなかったが、柳沢議員が金融担当大臣を務めていた2001年の12月には、静岡県御殿場市に、外資系金融機関の東京支店や有名外資系企業再建ファンドの経営者が一堂に会し、来たるべき外資の日本買いに向けて「総決起集会」を開いている。マスコミがシャットアウトされたこの集会には合計100人の日米金融関係者が出席したという。
・『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事(2001年12月10日付)によれば、ウィリアム・シードマン(モルガン・スタンレー社)、ウィルバー・ロス(WLロス&カンパニー)、ゴールドマン・サックスやメリルリンチ東京支店の関係者も。
・出席したのは金融関係者だけではなく、当時、米大統領経済諮問会議(CEA)委員長のグレン・ハバードも含まれていた。そしてこのハバードが、『日本経済新聞』紙上で繰り返し「エール」を送っていた相手が竹中金融担当大臣だったのである
竹中平蔵のIIEネットワーク
・和歌山の履物屋、東大に入るはずが大学紛争で一橋へ。エコノミスト下村治にあこがれて政府系銀行の日本開発銀行に入行。当時の大物大蔵官僚であった長富祐一郎のメガネにかなってアメリカ留学。
・帰国後、長富の紹介で大阪大学経済学部教授。このときの同僚が本間正明。師匠筋が加藤寛(慶應義塾大学教授。土光敏夫の下で中曽根行革に関与。慶應が湘南藤沢キャンパス(SFC) 設立に当たって中心的な役割。その後千葉商科大学の学長)。
・竹中は米大学での教授経験もあるが、なによりも彼の「財産」となっているのが、「国際経済研究所」(IIE)で築いた人脈ネットワークだ。このシンクタンクは「外交問題評議会」(CFR)とのつながりが強い。竹中はこのネットワークを通じて、クリントン政権の対日戦略の要となったローラ・タイソンや、リベラル派の仮面を被った新古典主義経済学派のフレッド・バーグステンといった著名人とつながっているのだ。
マスコミ界に根を張った親米派たち
外交・安全保障を牛耳るカウンターパーツ
「アーミテージ・リポート」の影響力
・第二次小泉内閣防衛庁長官に大蔵族の大野功統。フルブライターで2度の留学。
★アメリカが日本に世界の安全保障を肩代わりさせるという動きは、民主党政権だろうが、共和党政権だろうが変わらない。というのもアメリカの対日軍事戦略は、1999年に公表された、民主党のジョゼフ・ナイ国防次官補と共和党のリチャード・アーミテージ元国務長官らが作成した「超党派リポート」(いわゆるアーミテージ・リポート)に基づいているからだ。この作成には、マイケル・グリーン、トーケル・パターソン、ロビン・サコダ、ポール・ウォルフォヴィッツ、ジェイムズ・ケリーなど筋金入りの面々が参加している。
・アメリカの都合のいいように自衛隊を再編することが狙い。
・アーミテージ アナポリス(海軍兵学校)出身の軍人あがりの政治家。ベトナム語に堪能で、ベトナム人孤児を多数養子にしている。
・「東芝スクリュー音事件」で日本の弁護。この一件で、日本の政治家たちはアーミテージにメロメロになってしまった。
マイケル・グリーンと「日米新ガイドライン」
★2004年の夏頃、アーミテージは、訪米した中川秀直自民党国対委員長と、小林温参議院議員(松下政経塾出身)らに対して、「憲法9条は日米同盟の妨げである」という爆弾発言を行った。また日本の「東アジア共同体」構想にも反対している。
・従来は日米安保条約の対象範囲は、極東に限定されていた。「新安保条約」の第6条で「極東条項」といわれている。
・「日米新ガイドライン」(1999年)の草稿を書いたのが、当時は外交問題評議会(CFR)だった研究員のマイケル・グリーンである。
・ブッシュ政権の国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長というポストをトーケル・パターソン(アナポリス人脈)から引き継ぐ。
・グリーンや、ポール・ジアラ(元国防総省アジア太平洋担当次官補)、カート・キャンベル、パトリック・クローニンのような防衛問題のエキスパートが、今のアメリカで対日安保政策に大きな影響を与えている若手たち。
・1983年、日本の文部省の英語教員募集に応じて静岡県にやって来た。85年SAIS入学。ジョージ・パッカード、ナサニエル・セイヤーなどの知己を得る。
・86年に再来日『岩手日報』の記者見習い。87年佐藤誠三郎に師事、国会議員の椎名素夫の秘書を2年間務める。筋金入りの日本専門家。
・研究テーマは、日本の「次期支援戦闘機(FSX)」の開発をめぐる日米摩擦。
・『アーミング・ジャパンー防衛生産、同盟政治、戦後の自立の模索』(1995日本未邦訳)が認められ、外交問題評議会入り。クリントン政権時代に国防次官補のジョゼフ・ナイを助けて「日米新ガイドライン」を書きあげた。
・グリーンの前任、トーケル・パターソン 82年から筑波大学大学院地域研究科で日本政治について学び、ミサイルメーカーであるレイセオン社の日本支社長の経験もある筋金入りの「米軍産複合体」の一員。現在はJR東海取締役。
第5章 世界を動かすインナー・サークルと国際金融資本の正体
欧米エスタブリッシュメントとクラブ社会
・海外の「紳士録」(Who’s who)をひもといてみればいい。欧米のエスタブリッシュメントは、センチュリー(ニューヨーク)やブルックス(ロンドン)やニッカボッカーズ(ニューヨーク)のような名門クラブに、必ず所属していることがわかるだろう。欧米は、クラブ社会なのである。
「インナー・サークル」とは何か?
・高度に発達した資本主義社会において、世界を動かすのは、イデオロギーや宗教などではなく、多国籍企業やそれぞれの国内の大企業の利害である。企業の利害が政治家を動かし、世界を動かしている。そして日本も、その大きな動きの中にある。
・この秘密クラブを介したエスタブリッシュメントたちのネットワークを「インナー・サークル」と呼ぶ。アメリカの経営学者、マイケル・ユシームの造語。
・かつての王族や貴族たちは国際的な結婚を重ねて、閨閥や門閥をつくった。その現代版。
・インナー・サークルのメンバーたちは、ほとんどの場合マスコミをシャット・アウトして定期的に会合を開催して情報交換をし、それぞれのビジネスにとって必要なコンセンサスを形成している。そしてここで議論されたビジネス界の「要求」は、サークルのメンバーたちが持っているコネを通じて、政界に大きな影響力を及ぼしているのだ。
裏の国際会議=ビルダーバーグ
・サミットや国連が「表の国際会議」だとしたら、これらのインナー・サークルは「裏の国際会議」と言える。重要なことは、「裏の国際会議」で決められるのだ。「裏の国際会議」としてもっとも有名なものがビルダーバーグ会議。
・1992年ビル・クリントンを大統領に決める。2002年イラク戦争開戦を決める。
・現在(2005)の議長 ベルギーの元外交官エティエンヌ・ダヴィニオン子爵 トヨタの国際顧問 水道ビジネスを牛耳るスエズの取締役 ベルギー最大手総合商社ソシエテ・ジェネラル会長
学生クラブ=スカル・アンド・ボーンズ
・イエール大学の学生クラブ ジョン・ケリー ジョージ・W・ブッシュ 2004年大統領選両者このクラブのメンバー
・新規入会毎年15人
・学生クラブ=「フラタニティ」(女性の場合はソロリティ)ラテン語の兄弟、姉妹という意味
・映画を見ると、アメリカは、実は日本異常に「コネ社会」であることがわかる。アメリカでの「実力主義」というのは、どのようなクラブに所属しているかということも、実力のうちに含まれるのだ。だからアメリカというのは、本当は実力社会(メリトクラシー)の国ではなく、いまだに貴族社会の国なのであり、いわゆる「アメリカン・ドリーム」など幻想にすぎない。
・これによって、富裕層の所得だけ増え続ける社会
アメリカの"貴族"ロックフェラー家
・アメリカには「貴族社会」というものは存在しないと思われているが、ロックフェラーやモルガンなどの”オールド・マネー”出身のエリート名家が、貴族のような存在となっている。彼らは欧州貴族たちの、アメリカでの「カウンターパーツ」でもあるが、その中でもロックフェラー家は、日本との関係が深い。
・関東大震災 東大の図書館再建に寄付 高木八尺(やさか)東大教授 アメリカ研究の第一人者
・ロックフェラー2世に5人の息子
ジョン・D・ロックフェラー3世と日本
・戦後、日本を含むアジアとのかかわりを再開したのは、ジョン・D・ロックフェラー三世である。彼は、吉田茂首相らが出席して行われたサンフランシスコ講和条約調印(1951)の時にも、民間人なのに調印団の中の一員として立ち会っていた人物だ。彼は、第二次世界大戦が終わった1940年代後半に、ロックフェラー家のお抱えの弁護士でこのときは対日講和団使節団長をしていた、ジョン・フォスター・ダレス(のち国務長官、CFRメンバー)に同行し、日本の指導者たちと親交を深めた。その中には、昭和天皇ご一家も含まれている。
・ジャパン・ソサエティ(スタンダード石油の窓口)、アジア・ソサエティ
・国際文化会館 松本重治 高木八尺 都留重人 新木栄吉ら
・日米会話学院 日米知的交流委員会 「文化交流路線」「ゆるやかなソフト・パワー」
「小沢革命」の黒幕!? ジェイ・ロックフェラー
・ジェイは4世 ライシャワーのアレンジで3年間日本のICU(国際基督教大学)に留学
・トヨタ自動車の工場を自分の選挙区に誘致
・小沢一郎『日本改造計画』の英語版序文 翻訳はルイーザ・ルービンファイン女史 『日本改造計画』は竹中平蔵も執筆に関わる超ネオリベ政策
デヴィッド・ロックフェラーと日米欧三極委員会
・当時チェイス・マンハッタン銀行頭取
・ブレジンスキー『2つの時代のあいだに』 ビルダーバーグに日本人が入れない代わり
★エスタブリッシュメントたちは、6月頃に「三極委員会」に出席し、7月頃に「ビルダーバーグ会議」に出席し、7月下旬頃のサミットをテレビで眺める、というのが毎年の定例行事になっている。
ロックフェラーの日本秘書・山本正
・「三極委員会」設立 日本側 宮沢喜一、大来佐武郎、武者小路公秀
・アメリカ側 ロックフェラー、ブレジンスキー、フレッド・バーグステン(プラザ合意の立役者)、マクジョージ・バンディ(当時フォード財団理事長)
・木下玲子『欧米クラブ社会』、ジョン・ロバーツ、グレン・ディヴィス『軍隊なき占領』
・「つばぎ屋」に徹する
JPモルガン・チェイス国際評議会のきな臭さ
・ジョージ・シュルツ元国務長官が議長 ライリー・ベクテル(ベクテル社CEO)、ウィリアム・スタヴロポーロス(ダウ・ケミカル取締役会議長)など軍産複合体のメンバーも入る
・日本側 小林陽太郎(富士ゼロックス会長)、緒方四十郎(元日銀総裁 貞子の夫)
東アジア共同体評議会と日米人脈
・中曽根康弘会長 東アジア共同体評議会(CEAC) ワールドメイト半田晴久
★「山本は、最近あるインタビュー(『朝日新聞』英語版)の中で、「フォード財団や、ロックフェラー財団、アジア財団といった一握りのアメリカの民間財団が、日本を再建する際に重要な役割を果たし、日米関係を再建し、改善するのに大きな助けになった」と述べ、その功績を強調している。
彼はきっと、アメリカの貴族階級やエリートなどの「インナー・サークル」から外れてしまったら日本の繁栄はない、と考えているのだろう。「お代官(アメリカ)さまに逆らっては百姓(日本)は生きていけません」ということなのか。それとも、「対等でなくてもつながっていないよりは百倍はいい」ということなのか。
いずれにせよ、アメリカのカウンターパーツが、日米交流の名の下に、国益を売り渡し続けるのであれば、日本の属国化はますます深刻になるばかりである。」
あとがき
・カウンターパーツの人々もそれぞれ経緯、運命、立場があるのはわかる。それでもなお、私はこの本を書かなければいけないと思った。
・”ジャパン・ハンドラーズ”と”カウンターパーツ”の実像を体系的に知ることでしか、日本の次なる国家戦略は立てられないと強く思うから。
・インタビューなし、資料のみの「弱み」と「強み」。
・謝辞 古村治彦 園田義明 弓立社宮下和夫