マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】『柄谷行人/浅田彰 全対話』 (講談社文芸文庫 2019年)

目次

オリエンタリズムとアジア 85年10月GS

・ド・マンとサイード
脱構築=ポスト・モダン=シニシズム冷笑主義
ゲーデル不完全性定理問題(説明できないものが必ずある 枠組みの外がある)
・西洋だけではなく東洋にもオリエンタリズム問題はあるし、どの分野にもある
・結局は政治、権力闘争の問題

昭和の終焉に 89年2月文學界

・浅田の「土人」発言はこの対談。北一輝国体論及び純正社会主義』の引用
坂口安吾 ロマン派
菊池寛『恩讐の彼岸に』敵の相手と一緒にトンネルを掘る
天皇制が良くない理由は、いろいろあるとしても、根本のところで「文化」としての自立性・主体性を持てないところ。三島由紀夫のいう「文化防衛」なんて文化じゃない。集団としてはすぐれていても、どうもみんな個々人として弱いんです、天皇制の中に生きている者は。
・昭和・平成天皇 生物学者
西田幾多郎「場所」
・主語の論理/述語の論理 主語的責任と述語的無責任
遠藤周作『沈黙』がやったのは吉本隆明がやったのとよく似てまして、転向するみじめさ・卑小さのほうに真の信仰への契機があるとか、より神に近くなるとかいう論理です。転向そもものを救済に変えてしまう。
・芥川『神神の微笑』日本は底なしの沼=西田のいう「場所」
・責任というものをいかに解消するかということだけを考えてきた
絶対神のようなマルクス主義 だから「転向」
花田清輝林達夫はあえてドグマティックに振る舞う
・弱者は強者を見るとすり寄っていって、「たしかにおれは弱い。だけど、強がっているおまえも実は弱いんだろう」と言って、弱みを見せあうことで、恥の共有による連帯にひきずりこもうとする。そういう弱みにおける連帯こそが、日本大衆のお座敷芸文化の核心。
・「大衆」とか「実務家」を讃えることで、文学や哲学の連中に対する批判をやるのは、もうあきあき。
・フランス大革命(1789年〜1799年)=世俗化の革命 1848年革命(二月革命、六月蜂起)=キリスト教とのアナロジーで、失われた共同性を回復しようとした革命 → ナポレオン3世に潰される
・日本では、敗戦後の近代主義に対し、反近代主義が出てきて、それが60年代末の全共闘につながる
・近代的な主体の確立という物語 → 反近代主義者といえるような、疎外論的な共同性の回復の物語 これが60年代の思想。
坂口安吾天皇はただときの支配者が残すことを選んできただけ。民衆には関係のないこと」
・構造論的な時代に生きてるということは、退屈なこと。キルケゴールがそれを水平化の時代と言っています。彼もロマンティックなんですね。情熱の不在を嘆いている。そういう時代に生きていることは耐えがたいということを、19世紀の中ごろに言っているわけです。
天皇家の朝鮮起源説 高野新笠
・日本人の内面。緊張感を失って”だらしない内面”になった。大正期も。繰り返す。
富岡多恵子高橋源一郎吉本ばななの作品が内輪のお座敷芸や共感ごっこになり果てている」

冷戦の終焉に 90年3月週刊ポスト

ベルリンの壁崩壊 2ヶ月後 ブランデンブルク門前の巨大な看板 = 広告会社
・民主主義の明るいイメージの後ろにある資本主義の過酷な現実
・一般に自由民主主義というが、自由主義と民主主義というのは、本来全く対立する概念で、これを混同して自由民主主義というのはおかしい。自由主義というのは、ある意味で資本主義の本質であって、これは国境も何もない。個人主義だし。一方、民主主義というのは、共同体を確保するためのもので、同質性を保持するということだと思うんです。これは全体主義と矛盾しない。
自由民主党はいままであいまいに統合してきた 中曽根で一気に自由主義に舵を切る
・資本主義はイズムじゃない 資本家はいても 資本主義者はいない 実態がない 関係そのもの
・現在の戦後体制 30年代の世界恐慌からの脱却方法が3通り ケインズ主義 共産主義 ファシズム
第三世界の農業を荒廃させた先進国の国際農業資本

「ホンネ」の共同体を超えて 93年6月SAPIO

・86年ボストン大学シンポジウム『現代思想12月号臨時増刊 1987 Vol.15-15 日本のポストモダン
怒りの葡萄 
アルジェリアで民族解放戦線に対する拷問のプロだったジャン=マリー・ル・ペンのような人物が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽っている。
コジェーヴヘーゲル講義 歴史の時代は西ヨーロッパでクライマックスを迎え、ポスト・ヒストリカルの時代はまず世界がアメリカ的物質主義で覆われ → 空虚な記号の遊戯としての日本的スノビズムに覆われる
・世界資本主義は、市場の「見えざる手」によってすべての矛盾を解消していくかというと、おそらく逆で、ありとあらゆるところに不均衡と新しい階級分化みたいなものを生んでいくだろう。それに対抗するのは、非常に古いものをリサイクルした原理主義的な理念のようなものしかなくなっているという、たいへん困難な状況だと思います。ヨーロッパの理念とかアジアの理念とか言っても、もう無理でしょう。
共産主義 Communism 社会主義 socialism 社会主義共産主義を含む概念。社民主義も含む。
マルクスはあんまり理想、未来を語っていない。『共産党宣言』『ゴータ綱領批判』『ドイツ・イデオロギー
マルクス共産主義スターリン ハイエク自由主義レーガン 共産主義自由主義もけっして実現されない理念
ハイエクーアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)
石橋湛山 真の自由主義者
・民主主義は民衆が右(ナショナリスティック)にいったら右に行くのか
・日本の場合、非常に問題だと思うのは、理念はタテマエにすぎず、恥ずかしくて人には言えないはずのホンネを正直に共有することで、民主主義的な、いや、それ以前の共同体をつくってきたということ
善をめざすことをやめた情けない姿をみんなで共有しあって安心する。日本にはそういう露悪趣味的な共同体のつくり方が伝統的にあり、たぶんそれはマス・メディアによって煽られて強力に再構築されている
・日本は、核を使った戦争、その意味で最終戦争の先取りであるような戦争を体験し、その後で憲法上戦争を放棄した。これはほとんど近代国家としての自己を否定したに等しいポストヒストリカルあるいはポストモダン憲法 西洋がヘーゲル主義できたら、日本はそれを逆手に取って普遍的理念で戦える
・日本にはリアル・ポリティクスという言い方をする人たちがいるけれども、あの人たちも露悪趣味に近い。世界史においては、どこも理念なしにはやっていませんよ。
・偽善には、少なくとも向上心がある。しかし、人間はどうせこんなものだからと認めてしまったら、そこから否定的契機は出てこない。自由主義共産主義という理念があれば、これではいかんという否定的契機がいつか出てくる。しかし、こんなものは理念にすぎない、すべての理念は虚偽であると言っていたのでは、否定的契機が出てこないから、いまあることの全面的な肯定しかないわけです。

歴史の終焉の終焉 94年6月SAPIO

・ポスト・モダン=外部が無くなった
ファシズムを特別視するのは間違い
・ユンガー「総動員」軍事と非軍事の区別がない、産業そのものが戦争なんだという概念
・浅田x西部邁対談 とくに日本では、近衛新体制のブレーン・トラストたるべく組織された昭和研究会のような場に集ったイデオローグや「革新官僚」によって、個人主義全体主義の対立を超える協同主義といったものが唱えられ、具体的には、資本主義の危機を内側から超えると称して、資本家から独立した経営者資本主義と国家による指導というシステムが作り上げられた。それは戦後も続いているわけでしょう。
・「55年体制」というのは非軍事的総動員をずっと続けてきたと言える。
・実際、戦後の財閥解体によって経営者資本主義がいっそう純粋な形になって、社会主義ならぬ会社主義が完成されるわけだし、労働組合春闘のような妥協形成のシステムに組み込まれる。
・連合=完全なコーポラティズム
吉本隆明と反ポリコレ。居直り。
★柄谷 日本は犯罪が少ない。それでアメリカに犯罪が多いと言って攻撃している。しかし、犯罪が少ない主たる理由は、明らかに、個人の罪が親類にまで及ぶからです。
浅田 封建的な恥の文化とそれに基づく相互監視システムの効果ですね。

円地文子『食卓のない家』父親が会社の役員で、子供が連合赤軍に加わったのに、息子は別の個人であるということで、平気で会社に来ている、そういう男を主人公にした。
サルトル存在と無』いわゆる主体とは、この「無」=「自由」=「不安」を埋めるところにおいて成立する。たとえば、現在でいえば、私は日本人であるとか、男であるとか、そういうアイデンティティにすがりついてしまうわけです。その意味で、ナショナリズムとかレイシズムとかセクシズムとかいうのは自由=不安からの逃亡だと思うんですよ。人間は「自由の刑に処せられている」というわけです。

再びマルクスの可能性の中心を問う 98年8月文學界

・柄谷『隠喩としての建築』
ウィトゲンシュタイン「教えるー学ぶ」関係
リカード左派 → チャーチスト運動、イギリスの労働運動 
・ジェボンズメンガーワルラス近代経済学 価値=生産において投下された労働力 → 消費において享受される効用
・「トランスクリティーク」視座を移動しながら批評すること
・「マルクス主義」をつくったのはエンゲルスマルクスヘーゲル化(一貫した哲学体系に)した。それを一種の戦略的な意図からもっと単純化したのがレーニン
・こうして、エンゲルスレーニンスターリンという線で、「弁証法唯物論」と称しつつもはや弁証法的とさえ言えないような教条的唯物論が形成され、それを基礎とする「マルクス主義」の体系がドグマとして打ち立てられてしまったというのは、非常に不幸なことだった。
宇野弘蔵から鈴木鴻一郎や岩田弘にいたる人々がやった『資本論』のヘーゲル的体系化は、それはそれで見事だけれども、マルクス自身はそういうふうにきれいに体系化しようとせず、むしろ、常に横からの介入を挟みながら話を進めている。そこがまさにトランスヴァーサルなところ。
・みんな一国単位で(先進国だけ見て)読むから、マルクスは乗り越えられたとかいうことになるけれども、いまの新自由主義の時代は、各国がそれぞれケインズ主義的に労働者を何とかごまかしてやっていくというようなことがだんだん通用しなくなってきて、もう一回マルクスの生きていた時代に似てきている。
・商業資本主義は自由貿易帝国主義から生まれた ウォーラーステイン 世界システム
ファシズムの大先輩はルイ・ボナパルト
ケインズ主義もある意味でボナパルティズム
・80年代のサッチャーレーガン型の新自由主義というのは、そういう趨勢(グローバル金融資本主義)を国家の側から認めてしまったわけです。もうケインズ主義的妥協は無理だ、この際、グローバルなメガコンペティションに勝ち抜くためにも、弱者は切り捨てていくほかない、と。いわば資本主義の野蛮な先祖返りですね。その結果、文字通りの世界資本主義が成立することになった。そこでは、一方における過剰生産、そして特に過剰資金の蓄積と、他方における窮乏化が同時に進行し、世界規模で矛盾が見えやすくなっている。そういう意味でマルクスの予言した古典的状況に似てきていると思います。
・恐慌の周期=主要な世界商品の交代 クルマ、家電 → 情報
・生産はより少人数で済む、人種も関係なくなる → より階級分化 第三世界が内部化される
・『共産党宣言』→『共産主義者宣言』
・十数年前にガタリネグリが『自由の新たな空間』という本を書いて、統合世界資本主義が強固になっていくなかで、一国単位で共産党プロレタリアートを代表するなどということはほとんど意味を失ったと論じている。むしろ、シンギュラリティ(特異点)としての個や集団を国境を越えて結びつけ、それによってさらに特異化をすすめていく、そのような開かれたプロセスだけが、コミュニズムの唯一の現代的可能性なんだというわけです。
・しかし、さまざまなマイノリティの運動が横につながっていくことは可能でも、それが強固な政治的勢力として組織され得るのか、あるいはされるべきなのかというのは疑問です。一方で、資本はやすやすと国境を越え、マルチナショナル・コーポレーション(多国籍企業)からトランスナショナル・コーポレーション(超国籍企業)へと進化しつつある。他方で、労働も国際化し、移民労働者などにグローバルな問題が集約して現れているけれども、それをグローバルに組織していくことはきわめて難しく、むしろ、それぞれの国の労働者が移民労働者の排斥に走るといった傾向のほうが目立つ。「万国の労働者団結せよ」と言っても、現実にはなかなかうまくいかないんですね。
・カント『啓蒙とは何か』世界市民 コスモポリタン 国家(公)はパブリックではない。パブリックとは国よりも上位な普遍性のこと。
コミュニズムというのもそういうもの(世界市民)だと思います。ソ連や中国のナショナリズムではなく、その「外」でなかったら、コミュニズムには意味がない。
・これを言うと致命的なんだけれど、コミュニズムというのはカントで言えば超越論的仮象だと思うんです。それを実現できるなどと構成的に考えてはいけない。しかし、それが統制的理念としてある限り、批判として必ず働くわけですね。その間の妥協というのは、暫定的なものならやってもいいけれども、それが理念放棄ということになってはならない。
アルチュセールがずっとフランス共産党員だったことは限界と同時にある種の誠実さでもある。まず自分の国、身近な範囲で実践するしかない。

あとがき 浅田彰と私(柄谷行人

・80年代初め 浅田 京大経済学部大学院生 柄谷の集中講義を手配する
・「季刊思潮」→「批評空間」
・彼は私にとって最高のパートナーであった。漫才でいえば、私はボケで、彼はツッコミである。あらゆる面で助けられた。私が思いついた、いい加減な、あやふやでしかない考えが、彼の整理によって、見違えるようになったことも何度もある。また、アメリカでもフランスでも、彼の言語能力と当意即妙の判断力にどれだけ助けられたことだろう。
 
12/5読了
要約:85-98年までの対談。ポスト・モダン 昭和の終焉 冷戦の終焉 バブル その後の不況 その後のコミュニズムの話。
感想:2人(特に浅田彰)の未来の見通し方、分析の正確さが凄い。日本人論(下品なホンネ主義≒吉本隆明)、コスモポリタンとしてのコミュニズムの話が面白かった。