序論――『マトリックス』に関する省察
・キングス・カレッジ
・赤と青のピル、どちらをとるか
・『マトリックス』はロールシャッハ・テスト
・ウォシャウスキー兄弟、大学中退のコミック作家
★大衆文化は時代の共通語
シーン1 どうしてわかる?
1.コンピュータ、洞窟、お告げ―ネオとソクラテス ウィリアム・アーウィン
・聖書とソクラテスの物語
・デルポイの神託 アポロンの神殿 アテネの人々の「目をさます」こと。
・馬と虻
・「汝自身を知れ」「吟味されない人生は、生きるに値しない」
・洞窟の比喩
・教育エデュケーション=引き出す
2.懐疑論、道徳、『マトリックス』 ジェラルド・J・エリオン
・懐疑論 懐疑派
・デカルト『省察』 絶対に確実に信じられることは何か
・モーフィアス「現実としか思えないような夢を見たことはあるか。その夢から覚めることができなかったとしたらどうなる?夢の世界と現実の世界との違いが、どうしてわかる?」
・デカルト「高い能力と狡知にたけた悪魔がその力を尽くして、私を騙している」
・ピーター・アンガー『無知』(1975)悪い科学者、電気信号、脳神経
・ヒラリー・パトナム『理性・真理・歴史』(1981)水槽の脳
・サイファー=快楽主義(ヘドニズム)
・ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(1974)水槽に浮かぶ身体 体験機のような機械
・サイファー/ネオ 不道徳/道徳
・ジョン・スチュアート・ミル「満足した豚でいるよりも、不満を抱えた人間でいる方がいい。満足した馬鹿でいるよりも、不満を抱えたソクラテスでいる方がいい」
シーン2 砂漠の現実世界
5.『マトリックス』の形而上学 ホルヘ・J・E・グラシア
・形而上学(メタフィジックス)=概念、カテゴリーの学問
・VR。グラフィックも音も元々はプログラム(デジタル信号)だとしても、それを出力するデバイスと受取るデバイス(脳)が必要
・心は脳にあるのか?それとも心臓にあるのか?
6.機械製の幽霊 ジェイソン・ホルト
・心=脳
・人工「痛み感知器」
・想像力、創造力
7.新唯物主義と主体の死 ダニエル・バーウィック
・唯物論=思考や感情も物質/二元論=世界には、何らかの「非物質的」成分がある
・デイヴィッド・ヒューム 自己とは何か?知覚する存在とは何か?
・ジャン・ポール・サルトル 意識とは志向性
8.運命、自由、予知 セオドア・シック
・ボエティウス 全知と自由意志の対立
・カルヴァン 予定説=全て運命
・ピエール=シモン・ラプラス ラプラスの悪魔=決定論
シーン3 倫理と宗教の兎穴
9.スプーンはないんだ マイケル・ブラニガン
・仏教 無我 無心 全ては煮込みまくったスープのように溶け込んでいる 全ては全体の一部
・仏教の四諦 苦諦、集諦(煩悩)、滅諦(無我)、道諦(八正道、悟り)
11.幸福とサイファーの選択 チャールズ・L・グリスウォルド
・「幸福」の問題 幸福は幸福か?不幸は不幸か?男塾 男は幸せを求めるな。死ね。
・「幸福」を得れるドラッグ
12.みんなでひとつ ジェームズ・ローラー
・人間=家畜 資本主義のメタファー
・マトリックス 初めは理想社会=人の見る夢の社会 2回目は近代の競争社会
・カントの啓蒙の哲学 世界市民
・奴隷からの解放=自己解放=内なる神
・ザイオン=シオン
・カントの幸福=苦痛、苦労を経て勝ち取る自由
・カントはこの第二の要請を、神の要請と呼ぶ。古い文明につながる伝統的な宗教の信仰では、神は正義を広める外部的な存在と見られている。神は善き人には幸福を、悪しき人には罰を下される。この世、この地上でなければ、死後の世界でそうする。この考え方には、ふつうの人間には正義という目標が達成できないという含みがある。
・現実=恐怖が支配する社会
シーン4 バーチャルなテーマ
13.地下生活者の手記 トマス・S・ヒッブス
・ドストエフスキー『地下生活者の手記』
・N・G・チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』=レーニンに影響=空想社会主義 ユートピア思想
・ヤマギシ会
・正しさに従わない自由
・グリードの集合、ニヒリズムの集合
・「安易な超越」批判
・人間=ウイルス
14.苦い薬を飲む ジェニファー・L・マクマホン
・実存主義哲学 誠実か無知か 真実か幻想か 本物の自分(オーセンティック)/まやかしの自分(イノーセンティック)
・アルベール・カミュ マルティン・ハイデガー ジャン・ポール・サルトル
・実存主義文学の主人公は常に苦悩にさいなまれている
・『嘔吐』ロカンタン 浜辺で小石を拾う
・サルトル『存在と無』 意識が構造を与えなければ、世界は区分されていない漠然とした恐るべき総体でしかない。栗の木のもとで、「この世界、むきだしの世界が突如として実態を露わにする」のをロカンタンは感じ取る。それまでの経験に後押しされて、ロカンタンはついに、実存の本質を正しく認識するにいたる。現実そのものだと思っていた秩序や目的は、実際には、意識が現実のうえに重ねる構築物だったのだ、と悟る。
・見たくないもの、見えづらいものを見るかどうか
★こうした心理的な抵抗と同じく、社会による教化も、本物の自分を抑えつける大きな力となっている。ほとんどの人は、世の中は、こう見るべきだと教えられたとおりであると信じるように徹底してしむけられているために、ほかのどのような見方も受け付けない。実存主義ではこう説明されている。人はこのように教化され、変化を拒むように吹き込まれる。そのために、本物の自分が敬遠され、狂気への兆候ではないかと言われて、本物の自分にいたることがいっそう困難になっているのだ。
・世界にはそもそも秩序や目的が内在していない
・→どうせ死ぬのだから
・モーフィアス「心に何か破片がひっかかっている」
・『リアリティ・バイツ』イーサン・ホーク『存在と時間』
・まやかしの人生、逃亡生活
・まやかしの生き方をすれば、責任から逃れて、安楽にすごすことができる。しかし、その陰では、その人の主体性が犠牲にされているのだ。
・ロカンタンは、実存の本質を受け入れると、ようやく逃走をやめ、生きることを始める。小説の大半を占めてきた悪夢のような体験は終わりを告げ、ロカンタンは、「正当化することも言い訳をすることもなく」日々実存するという、困難でもありふれた務めに励む。
★本物の自分は、従来の幸福の定義にそぐわないかもしれないが、まやかしの自分につきものの、みずからの存在から狂ったように逃走することをやめさせ、独特な静けさを与えてくれる。その静謐のなかでは、そこにあるものすべてが見え、受け入れることができる。実存の本当のすがたを目のあたりにすると愕然とするかもしれないが、わたしたちが手にしているのはそれだけだし、わたしたちはそういうものであるほかない。実存が魅力的かどうかは別として、もしもハイデガーが正しくて、私たちの存在は時間で、その時間が有限ならば、まやかしの生き方をして、自分の時間――ひいては自分の存在――をむだにするのはばかげている。いずれにしても、ネオが言うように、未来はわたしたち自身にかかっているのだ。さあ、赤いピルを飲もう。
15.ネオ-フィクションへのリアルな反応というパラドックス セイラ・E・ワース
・『マトリックス』『ファイト・クラブ』『イグジステンス』『13F』すべて1999年公開のハリウッド映画。
・『未来世紀ブラジル』『トータル・リコール』『バーチャル・ウォーズ』『バーチャル・ウォーズ2』『トゥルーマン・ショー』(1998)
・『スター・トレック』のホロデッキ
・映画や小説など、フィクションに入り込むこと=感情で反応する
・『不思議の国のアリス』
・イエローブリックロード『オズの魔法使い』
16.リアルなジャンルとバーチャルな哲学 デボラ・ナイト
・傑作のほとんどがジャンル映画
・ノースロップ・フライ『批評の解剖』 悲劇/ロマン/喜劇/風刺
シーン5 『マトリックス』の解体
18.マトリックスとマルクス、そして乾電池の人生 マーティン・A・ダナヘイ
・自分の位置や配達ごとの時間を知らせる携帯端末をもつ宅配業者の運転手、1分に何回キーを叩いたかが数えられるデータ入力の事務員、電話一回あたりの成績が監視される顧客サービス窓口担当者など、アメリカの労働者はどんどんテクノロジーの監視下に置かれるようになっている。これは百年前からの流れで、マルクスは、その流れへ反対する文章をあれこれと書いていた。19世紀には、資本主義の抑圧のしるしといえば仕事場の入り口にある旧式の時計だったが、今日、オフィス内外で従業員のあらゆる動きを追跡する管理ソフトも、程度の違いでしかない。マルクス主義者は長年、機械による労働者の管理が強まることを懸念しており、『マトリックス』は、うち続くこの流れの恐怖社会(ディストピア)的な含みを表現している。
・「マトリックスとは何か。支配だ。マトリックスは、われわれを支配下に置き続けるために作られた、コンピュータが生み出す夢の世界だ。人間をこいつに変えるために。」モーフィアスが示すのは、デュラセル製の乾電池である。銅色頭(カバートップ)。
・疎外、鬱=システム(資本主義)の産物=個人的な心の問題ではない。
・労働力は商品であって、砂糖と何ら変わりない。労働力は時計で計られるが、砂糖は秤で量られるだけのことである。
・ネオの弁証法的成長
・商品の呪物崇拝
・「呪物化」=本体から切り離された部分そのものに価値がそなわると思い込むこと
・マトリックス=サッカリン(人工甘味料)
・現実の世界でも労働者の目は曇らされている
19.『マトリックス』のシミュレーションとポストモダン時代 デーヴィッド・ウェバーマン
・ポストモダン 恒常的にテレビを見て「育て」られた子どもの最初の世代
・メディア化されつくした世界
・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』
・ギー・ドゥボール『スペクタルの社会』
・「近代的な生産条件が優勢な社会では、生活すべてがスペクタルの巨大な集積に見えてくる。かつては直接に生きていたことがすべて、それに代わる再現に移行してしまった。生活のあらゆる面から乖離したイメージが、この生活の統一性がもはや立て直せないような日常の流れの中に融合している。部分的に考えられた現実が、別の疑似世界としての一般的統一性をもって、ただの思考の対象として、展開される。……スペクタルはイメージの集合ではなく、イメージに媒介された人々どうしの社会的関係である。」
・メタバース(VR)=快楽の楽園
・快楽/真実と自由
・現実が砂漠世界、環境破壊後の世界はどうなるか?
20.マトリックス、あるいは倒錯の二面 スラヴォイ・ジジェク
・VR、メディア=イメージの世界、想像界
・スローターダイク「スフィア」(球)=言語をはじめとする、人間が直接外界と触れないようにしている保護膜のような仕組
・『トゥルーマン・ショー』の「ハッピー」なエンディングこそがイデオロギーとしたらどうか?
・『トゥルーマン・ショー』=フィリップ・K・ディック『時は乱れて』
★『時は乱れて』と『トゥルーマン・ショー』との根底にある経験は、後期資本主義のカリフォルニア的消費者天国は、まさに現実的すぎるほどの現実(ハイパーリアリティ)という点で、ある意味で非現実的で、実質がなく、物質的抵抗感を奪われているということだ。ハリウッドが物質の重みや抵抗感を奪われた現実生活の外面を上演しただけのことではない。後期資本主義消費者社会では、「本当の社会生活」そのものが演じられた偽物で、隣人たちはどこかしら、舞台の役者やエキストラとして「現実の」生活を装っている――そんな性格を帯びてくるのだ。資本主義の功利主義的で魂を奪われた宇宙の究極の真実は、「現実生活」そのものが非物質化し、影絵芝居に逆転されていることだ。
・マトリックス=ラカンの言う「大文字の<他者>」=仮想の象徴体制であり、われわれにとっての現実に構造を与えているネットワーク
・「大文字の<他者>」という次元は、象徴体制にある主体を構成する異化(エイリアネーション)の次元である。大文字の<他社>が糸を引いていて、主体は語らず、象徴的な構造によって「語られる」。
・異化の次は、「大文字の<他者>」からの分離。大文字の<他者>がそれ自体ではいかにもつじつまが合わず、純然たる仮想で、「取消線が引かれて」おり、<物>を奪われているということに主体が気づくとき、分離が生じる――そして空想とは、大文字の<他者>の不整合を(再)構成すべく、主体ではなく、<他者>の側の欠如を埋めてしまおうとする試みである。
・すべての象徴的マトリックスの機能は、この不整合を隠すこと。=現実の背後に真実の世界があるとする陰謀論もその一つ。
・科学が大企業や国家機関に経済的に依存して堕落していること
・「陰謀論」=フレドリック・ジェイムソンの言う「認知的マッピング」を最小限でも回復しようとする試み。
・陰謀論批判=「大文字の<他者>」経由の「正常の」認識モデルに依拠していて、今日においてはこの現実概念そのものが成り立っていない点が、考慮に入っていない。
★問題は、UFO研究家や陰謀説の人々が、(社会的)現実を受け入れられない偏執的姿勢に退行していることではなく、この現実そのものが偏執的になりつつあることの方だ。
・何が通常の認められている真実かを決め、与えられた社会で意味の地平となるものを決める「大文字の<他者>」が、現実の中での科学的「知識」によって示されるような「事実」に直接には根ざしていない。
・社会(その社会象徴的場、大文字の<他者>)は、それが事実としては誤りだとわかっても、「健全」で「正常」である。後期ラカンが自分のことを「精神病者」と呼んだのも、そういう意味でのことかもしれない。
・レヴィ=ストロース マナ=「ゼロ制度」=意味が存在しないのではなく、ちゃんと存在していることのみを意味しているため、決まった意味がない(したがって、どうとでも解せる)空虚なシニフィアンに、制度的に対応するもの
・=社会的制度の存在と現実性そのものを、その不在、社会以前のカオスに対する対義語として指示するという、純粋に否定的な機能。
・現実界は現実ではない 現実を歪めるトラウマの核
・カジミール・マレーヴィチ「白い地に黒い正方形」
・神=<大文字の他者>
・ニコラ・ド・マルブランシュ 機会原因論的な神
・古代アステカ文明 人身御供
・エレベーターの閉じるボタンとポストモダンな政治過程への個人の関与
・『未来惑星ザルドス』『2300年未来への旅』コンピュータによる支配
★なぜ機械は、人間を電池にするという一見繁雑にみえる方法をとるのか→筋の通る答えは、マトリックスが人間の享楽をエネルギー源にしているということだけだ。
・ミュンヘン ヒトラーと姪ゲリ・ラウバルとの関係
1/4読了
◆要約:映画『マトリックス』を色々な角度から哲学的に考察する。
◆感想:さらっと読むつもりが時間がかかってしまった。
新作を見る前にと、最近メタバースなどが流行っているので、その関連で。
基本はデカルトの『省察』。そしてヒラリー・パトナム「水槽の脳」。ピーター・アンガーとロバート・ノージックにも同じような考察がある。
そしてプラトンの洞窟の比喩。
唯物論=思考や感情も物質/二元論=世界には、何らかの「非物質的」成分がある。
ラプラスの悪魔、マルブランシュの機会原因論は運命論、決定論。
⑭のサルトル『嘔吐』の実存主義哲学が面白かった。一周経て、また地味に生きる。
⑱でやっとマルクス主義が出てきた。自分は『マトリックス』は資本主義批判としかとれない。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが音楽だし。
作中に出てくるのに、ボードリヤールとの関連の章が内容が薄かったのは残念。
最後のジジェクはさすがで、「大文字の<他者>」が現実の起点であるという話は面白かった。イデオロギーの話。
マトリックスから目覚めた、「現実の世界」にも大文字の<他者>はあるし、そこを揺るがすことが大事。
その意味で『マトリックス』はそこを気づかせるから映画として成功している。