マラカスがもし喋ったら

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【映画メモ】『太平洋奇跡の作戦 キスカ』『日本のいちばん長い日』

@国立映画アーカイブ

丸山誠治監督『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年 東宝

・1943年7月29日キスカ島撤退作戦 木村昌福少将 河瀬四郎第五艦隊司令長官 5000人救出
・幌筵(パラムシル)千島列島最北端

岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』(1967年 東宝

東宝8.15シリーズ1作目
ポツダム宣言=1945年(昭和20年)7月26日にイギリス、 アメリカ、中華民国の名において日本に対して発された全13か条から成る宣言。日本への降伏要求の最終宣言。日本は1945年8月14日にこの宣言を受諾。
・黙殺→8月6日には広島市への原子爆弾投下、8月9日ソ連対日参戦、長崎市への原子爆弾投下
・8月10日午前会議 御聖断 “「天皇統治の大権を変更する」要求が含まれていないという了解の下に受諾する”
・「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官に従属(subject to)する」としながらも、「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」
・"subject to"の訳について「制限の下に置かれる」だと解釈する外務省と「隷属する」だと解釈する軍部の間の対立
・8月14日に改めて御前会議を開き、宣言受諾が決定され、同日付で終戦詔勅が発せられた。
・8月15日正午、日本政府は宣言の受諾と降伏決定を国民に発表(玉音放送)。なお、陸海軍に停戦命令が出されたのは8月16日、更に正式に終戦協定及び降伏が調印されたのは9月2日である。宣言受諾とその発表を巡っては国内で混乱が見られ、宣言受諾が決定したという報が入ると、クーデターによって玉音放送を中止させて「本土決戦内閣」を樹立しようという陸軍青年将校の動きがあり、15日未明に一部部隊が皇居の一部や社団法人日本放送協会などを占拠したものの、陸軍首脳部の同意は得られず失敗に終わった(宮城事件)。
・宣言受諾後も、ソ連や中国との間で戦闘が続いた。9月2日、日本政府は米戦艦ミズーリの艦上で降伏文書に調印した。
 
◆感想:両作とも大変面白かった。
太平洋奇跡の作戦 キスカ』。
なぜ太平洋戦争で日本軍に玉砕が連発したのか。1941年に示達された戦陣訓の影響が大きいとされる。「生きて虜囚の辱を受けず」。
1929ジュネーヴ条約の4条約のうちのひとつ「俘虜の待遇に関する条約」に日本は軍部の反対により批准しなかった。
太平洋戦争の日本人捕虜第一号は真珠湾攻撃甲標的に乗って突撃した酒巻和男海軍少尉とのこと。彼は死なずに捕虜となったことで非国民扱いされた。
彼は戦後長く生きて、トヨタのブラジル法人の社長までになったとのこと。敵国の捕虜をちゃんと扱う軍隊は強いし、捕虜をぞんざいに扱う軍紀の乱れている軍隊は弱い。
アッツは玉砕させて、キスカはアリバイなのか、なんなのか救出した。うまくいってよかったが、他の島からしたら不公平だろう。
團伊玖磨の音楽が重厚。
『日本のいちばん長い日』。
橋本忍の脚本と岡本喜八のテンポ感が見事。
笠智衆は日本の大人、あるいは日本の知恵の象徴のように感じる。
山村聡三船敏郎に日本が失った父性を感じる。
玉音放送阿南惟幾の割腹の前の言葉に、敗戦後の日本を憂いながら、この反省を忘れず、懸命に働けば、
きっと日本の復興は成るという言葉がある。
あれから80年。日本の復興は結局成ったのか、成らなかったのか、成ったけどまた没落したのか?
自分も戦争に対する無知を反省し、もっと調べなくてはいけないと思った。
しかしこのような映画が60年代に撮られて、60年経ったいま、
映画会社の力量という面でも、文化・学術レベルの後退という面でも、暗愚な政治状況の面でも
このスケールの映画はもう出来ないような残念さがある。
草の根で、一人ひとりがもっと頑張らないとなと思った。