目次
- はじめに
- 第1部 対話
- 第2部 論考
- おわりに――「旅」の総括 編集部・杉山尚次との対談
- あとがき
- 要約・感想
はじめに
・現代という時代の当事者達は、若干甘ったれているのではないか。現代という時代の位置づけをしっかりとすることもなく、ただなんとなく「嫌な時代だ」と鬱な気分になっているのではないか。末世的な危機がやってくると、のべつふれ回る狼少年になっているのではないか。
・「カウンターカルチャー」→「サブカルチャー」面白ければなんでもよい。今風に言えばともかく「イケてない」ものは駄目で、その”駄目”の筆頭が「政治」だった。
第1部 対話
諸兄へ
・時代体験を語ることの難しさ。体験を発酵させる時間が必要。
青砥幹夫氏(元弘大全共闘/連合赤軍)
[第2回]▶ 「総括」を総括する
・スターリン主義に呑み込まれた。スターリン主義を忍び込ませるものがあった。
・スターリン主義というのは、人間の弱さを利用する ブハーリンにしてもトハチェフスキーにしても、徹底的に弱さを衝かれると敗北してしまう。
[第3回]▶われわれは何を目指していたのか?
・世の中は革命の方向には向いてないけれども、ひじょうに真面目で、社会の末端からどのように社会を改良していくかという考えを持った人がいっぱいいるんだっていうことですよ。それはたぶん全共闘世代が、たとえば部落の問題とか、あるいは女性解放の問題とか、いろんなところに散らばっていて、そこで活動しているということと通じるところがある。
・社会の末端で良心を発揮していこうという方向
・サブカル=脱政治 サブカルの萌芽は新左翼運動の中にそもそもあった
・大塚英志「オウム事件というのは、オタクの連赤だ」
・レーニン主義=外部注入論=正しい認識を持った前衛党が労働者大衆を先導する
・メンシェビキ/ボルシェビキ=ドイツ社会民主党/ロシア社会民主労働党=ブルジョア革命/プロレタリア革命
・ロシア革命のスローガン=「パン・土地・平和」
・プルードン主義=理想主義的→マルクス主義=科学的
・サブカル世代=50代と40代(2015年当時)。2015安保闘争の時に全く動かなかった世代。
植垣康博氏(元弘大全共闘/連合赤軍)
[第2回]▶連合赤軍の「語り部」の現在
・永田の獄中での保護者の役割『十六の墓標』『続・十六の墓標』の編集。
・総括がエスカレートしていく
・一気に進行しちゃって、さっき言ったみたいに、いろいろ考えてる暇はなくて。自分たちがやってることは一体なんなのかという問題をずっと抱え込んだままいた
・1933年日本共産党スパイ査問事件 宮本顕治ら 小畑達夫「ショック死」これが連赤に繋がる
・永田洋子 チェーホフの『かわいい女』 頼る男が変わることによって、考え方から何から全部変わっちゃう
・ネップ=ソ連戦時下における商品経済の活用
・「農村への回帰」が行き過ぎた
・「我々」から「わたし」へ
・1970年12月コザ暴動の影響が大きかった
・当時、なんで植垣は武装闘争の世界に入っていったんだと言われるけども、いろんな革命論や軍事論が出てたけど、そんなもの所詮机上の空論でしかない。それが正しいかどうかも含めて、やってみなけりゃわからんだろうと、それが僕のゲリラ戦に、武装闘争にかかわっていく動機ではあった。加藤登紀子さんの夫である藤本敏夫さんが亡くなったとき、葬儀後、左翼のブント系だけの三次会かな、があって、僕も参加したんです。そのとき、「当時、わたしにとって重要なのは、実際に行動することだった」と。「とにかくやってみなくちゃわからん時代だった。それがああいう展開になってしまった」と挨拶をした。そうしたら、塩見孝也がいきなり僕に向かって「人を殺すこともそういうことか!」と言ったわけ。「おめえに言われたくねえな」って思ったね。
・安倍政権=戦前日本を復活させんとする勢力 当時の日本にはびこっていた排外的で犯罪的で残虐な勢力が亡霊の如く徘徊しています。
西田洋文氏(元弘大全共闘)▶土佐の人間はね、人を見て決めるんだよ
・前作参照
日角健一氏(元弘大全共闘)▶「時代の申し子」だったかな
・電報が届く「決戦迫ル.安田講堂ニ結集セヨ」
・安田講堂では正面に向かって左側の三階か四階にいて、石とか火炎瓶を投げていたんだけど、二日目には放水が激しくなるんだよ。その放水をベニヤ板で防ぐわけよ。それですごく印象に残っているんだけど、滝浦がベニヤ板で放水を防いで、頭からズブ濡れになりながら、「俺たち、これで本当にベトナム人民と連帯できたな」って言ったんだよ。あの光景は忘れられないね。
・中野刑務所に1年2ヶ月拘留 その間にトロツキーの『わが生涯』と『1905年革命結果と展望』を読んだ
・三里塚 71年2月 第一次代執行阻止闘争 学生インターのキャップが相米慎二
・日本板硝子 組合活動
・78年3.26 三里塚 管制塔占拠
・労働組合の分断 御用組合化
・徹底的な非暴力、自衛のための戦争にも反対する
鎌田義昭、鎌田かな子、須藤幹夫氏(元演劇集団「未成」)▶「とんがった」存在の意味
・前衛的演劇集団「未成」教室占拠 弘大演劇部 最初は社会主義リアリズム
・そのころ東京 小劇場運動 寺山修司や唐十郎 ベ平連
・高文連 高校生演劇全国大会
・ベケット、イヨネスコ、ブレヒト
・麿赤兒、土方巽
・「その前、そいつが芝居をやるから観に来いっていうから行ったんだけど、「小難しいことをやってやがるな」という感じで、なんにもわからなかった。それで「十個あったら」っていうのを聞いて、アングラに対する劣等感が一発で消し飛んだね。かなりコンプレックスがあったわけ。
そのときおれは”良い子のためのアニメ”をやってたから(笑)。つまり「アングラ=難解」ってことに、それだけで陶酔してたやつがたくさんいたんだよ。とがったふりというかね、気分というか。そういうのが時代とともに剥げ落ちていくのは、ひとつの趨勢だと思う。でも、みんな消えちゃだめだろうっていう気がするんだよね。」
・旧劇/新派/新劇 アングラ演劇→小劇場
・結局、食えなくてみんなやめていく
・中澤:時代も完全に一致してるんですよ。84年で国鉄解体の方向が決定するじゃないですか(87年にJR各社に分割民営化)、80年くらいでガラッと変わってくる。それ以前の高度成長がいっさい終わって、総評の解体も含めて、日本の社会体制が全部変わるのが80年から85年の間、中曽根政権のとき。あのへんが時代の分かれ目みたいな気がする。その過程は、ひとりひとりがバラバラにされていく過程と一致している。歴史的には、60年代後半からの動きがなくなっちゃった。
・80年代ポストモダン=脱思想
・思想といっしょに「痩せ我慢」もどっかへ行っちゃったんだよ。ウケちゃいけないというような。
ウケてなんぼというところに焦点を置くと、それだと世間と矛盾しないじゃないですか。私がやってるときは、世間的にウケちゃうと体制側に迎合してることになるというくらいの感じだったから。いま考えたら、なんてしんどい方向にいったんだろうって思うところがありますけど。でもそうやって、いきがって、とんがってたということなんですよね。
・社会主義リアリズムは感性として受け入れられなくなった。「違うな」と。それに対して、たとえばサルトルを読み始めたりして、実存主義に対して「こっちだな」という感じはありましたね。
・清水邦夫作、蜷川幸雄演出『鴉(カラス)よ、おれたちは弾丸をこめる』(71年)演者が千秋楽の3日後に銃撃事件を起こしてしまう。→なにかがひとつ終わった
・ブレヒト「異化効果」。同化・共感させるのではなく、むしろ違和感を感じさせるのが目的。
・だからカルチャーの力ってなんなのさっていうことですよ。経済的に力があってこそのカルチャーというのは、それは相当違うと思うわけですよ。じゃあカウンターカルチャーってなんなのよ、カルチャーじゃないのかってこと。経済的にはゼロでもかまわないというのが、カウンターカルチャーでしょ。それが、いまの論法でいうと、当然消えるべくして消えちゃうわけ。それはやばいんじゃないのと思うけどね。
・「セカイ系」→「ナロウ系」 努力なし。才能が天から降ってくる。
・儲かる芝居をやっているわけではないから、やっぱり疲弊していく。でも反面教師だとしても今の演劇界に何事かは残せた。
蟻塚亮二氏(精神科医)▶弘大出身精神科医のラジカルな行動と意見
・みんなが社会的な情熱みたいなものを託す場所を模索していた
・民医連 共産党 津川武一
・沖縄 島成郎
・マッカーサーに対して「東西冷戦が始まるので、沖縄を向こう50年くらい軍事基地に使ってください」と、天皇が戦犯訴追から逃れるためにメッセージを送った。つまり昭和天皇の思惑は米国の戦後軍事プランと一致していた。そこでマッカーサーが「日本の平和憲法は、沖縄の軍事基地があって初めて成立する」と言うわけだよ。憲法9条、平和憲法というのは、沖縄を犠牲にしたから成立するわけですよ。
・私は、護憲というのは護憲神話だと思っているから、「9条にノーベル賞を」なんてバカじゃないかと思いますね。護憲リベラル派には、そういう「日本ファースト」みたいなところがあるじゃない。「日本は平和国家で世界の理想」だとか、「9条の精神を世界中に普及させなきゃいけない」と。バカやろうって思うね。てめえら戦犯の国、戦争加害者は、アジアの国に対してもっと謝罪しなきゃいけない。友好を結ばなきゃいけない。そこの精神が抜けてしまっている。
第2部 論考
Ⅰ 『1968』の「革命」
2.全共闘運動はいつ「終わった」のか
・1969年9月5日日比谷公園 「全国全共闘」結成大会 代表東大全共闘山本義隆 副代表日大全共闘秋田明大 登壇直後に山本逮捕 秋田はそもそも獄中
・全共闘=勝手連
・1969年8月「大学の運営に関する臨時措置法」
・68年をピークに終わっていった
3.社会主義はいつ「終わった」のか
・大杉栄「一足飛びに天国へ行けるかどうかは僕も疑う。しかし無政府主義へ行くにはまず社会主義を通過しなければならぬとか、ボルシェヴィズムを通過しなければならぬとかいうことは、僕は無政府主義の敵が考え出した詭弁だと思っている」
・大正時代、アナキストとボルシェヴィキ支持派の間の論争、いわゆる「アナ・ボル論争」はとても活発だった。それは前世紀のマルクスとバクーニンの論争のやき直しで、大御所二人の論争もその国内版も、マルクス・レーニン主義の側の公式評価では圧倒的に結着がついたということになっている。
・運動後半の内部論争→「党建設」と「武装問題」
・「前段階武装蜂起」=革命の機が熟したから、ではなく、機を熟させるために、敢えて機が熟していない「前段階」でも起つ。それはまさしく二昔前の無政府主義的な冒険主義「一揆主義」(ブランキズム )。
★社会主義はいつ終わったのか=「1968年」に、それは既に終わっていた。社会主義の再生にかけた最後の望みを体現するかのようなチェコスロバキア人民の試みを戦車で圧殺した時点で、つまり、ブレジネフドクトリンという鉄の鎖で縛りあげなければ社会主義陣営とその体制はもたないのだと公に認めてしまった時点で、社会主義は自らの終わりを告白してしまっていたのだ。そこから1989年までの20年余は、現実に、物理的な崩壊現象としてその「終わり」が顕れるまでに要した単純な時間経過に他ならない。
Ⅱ 革命とサブカル
1.新左翼運動のサブカル性
・マンガ、ヤクザ映画、エロ=要するに日共主導の、お行儀のいい文化論へのアンチ
★しつけの厳しい親に対してわざと悪ぶって見せていたような当時の新左翼のお行儀の悪さが、後に隆盛をみるサブカルチャーの直接的な源ではないか
・アニメファンと称して増えていくオタク 達に対して、「大丈夫なんだろうか」という懸念が、その数と比例するようにふくらんできていた。
それは、今にして思えば、全共闘運動終末期の不安にも似ていた。
実態のない観念が、当時は独り歩きしていた。「革命」「武装」「党建設」……。かつては実直な「個」の表白のように口にしていた「自己否定」や「実存」や「疎外」というよ うな用語もスカスカになっていた。
コミュニケーション力が失なわれ、あるいは自らそれを放棄し、特有な言語と興味、関心のタコツボの中に各々が入り込み、いたずらにイラだって他者に攻撃的になるような行き止まり感。
2.「オタク」とは何か
・対人恐怖症的なコミュニケーション不適応現象
4.連赤とオウム
・大塚英志「オウム事件はオタクの連赤」 片方が「政治(革命)の時代」に起き、片方が「サブカルの時代」に起きた
・連合赤軍が非合法活動を息をひそめて継続し、酷寒の山岳アジトに籠り、ひどい倒錯の結果とはいえ、ぎりぎりまで仲間の思想性を問い詰める格闘に明け暮れたのに対し、オウムはマスコミにもさらけ出されたサティアンで暮らし、ファミレスで食事をし、組織外の市民を殺害し、最後には、ラッシュ時の地下鉄を利用しての大量殺人という悪魔的行為を実行したのだ。
後者の行動の軽さ、激しい短絡ぶりの所以は、彼らの思考が(思想であれ信仰であれ)著しくオ タク(おたく)化していたからだ。
5.「歴史の必然」か、「個」か
・梅本克己『唯物史観と現代』 新左翼の指定文献=「初期マルクス」『ドイツ・イデオロギー』『経済学・哲学草稿』
・人間の顔をした革命、人間の顔をした社会主義を望む 「個」、「主体性」、「疎外された自己」の回復運動
Ⅲ 「今」を考える
1.「アメリカの日本」は「戦後の国体」か
2.ソ連の夢、民主主義の夢
・白井聡の「アメリカ従属」を憎む気持ちは当然わかるが盲点もある。それは「ソ連の悪夢」を直視しないこと。「社会全体主義」の悪夢を。ソ連よりはアメリカ従属の方がましという考え方は保守の当然の立場だった。
3.「アメリカ追従」の終焉
・アメリカの機嫌をそこねて内閣が立ちゆかなくなるというようなことは以前にもあった。よく識られている田中内閣の例がそうだ。対中政策と石油政策で自立性を強く出した田中角栄はニクソンに嫌われ、ロッキード事件で命脈を断たれる。
アメリカの政権コントロールは、しかし謀略もどきの力技だけではない。むしろたぶん、アーミテージとかジョセフ・ナイといった「日本に好意的」といわれる「知日派」の意向を、彼らとの仲が良い(かどうかは知らないが) 岡本行夫とか故岡崎久彦といった高慢な元外交官が伝達し、レクチャーするということで政策当事者を動かしているのだろう。
印象的なのは「普天間問題」がデッドロックに乗りあげてしまった時だ。「最低でも県外に」と公約した鳩山首相が「勉強すればするほど、移設先は辺野古しかないとわかった」と変節し、沖縄県民は激怒して、以後「聞く耳」を持たなくなってしまった。この時、鳩山首相を「勉強」させたのが岡本行夫氏だ。
・東電清水正孝社長=「コストカッター」。勝俣恒久の娘婿。
Ⅳ 天皇制の「オリジン」
1.「内なる」天皇制
・「内なる天皇制に負けた」『近代文学』の同人達 平野謙、埴谷雄高、荒正人 中野重治『村の家』物書きと転向
・権力に負けて転向するような者の書くものはたいしたものでない。それよりも生活が大事だ。先祖から受け継いだ田畑や、家や、苦労して生きてきた者や、今も生きている者の営みのほうが大事だ。敗戦を経ても実はしぶとく生き残っていた「天皇制」とはそういう庶民の感覚の総和で、戦前戦中の命をかけた左翼運動よりはるかに薄っぺらな自分達の思想や運動なぞ、それに対してはまったく屁のようなものにすぎなかったのではないか。そういう反省的な思いだったように記憶する。
だから、運動が後退期を迎えて、流行したのは柳田民俗学だった。フロイトの精神分析学、レヴィ=ストロースの文化人類学、難解なシュールレアリズム、それに続いて構造主義……。
・吉本隆明の『全南島論』についての紀伊國屋ホールでの講演で爆睡。
2.『記・紀』と『南島論』
・『古事記』があまりにもいい加減であったため7年後に『日本書紀』(720年)
・津田左右吉「欠史八代説」
・卑弥呼239年 ワカタケル大王21代天皇471年 埼玉県行田市稲荷山古墳 金錯銘鉄剣(稲荷山鉄剣) 200年余りの空白
・要するに吉本さんは、あとからやってきて「バーッと」共同幻想をからめとってしまった天皇制国家の統治原理を、そのからめとられた側からの視点で見やぶり、統治そのものをひっくり返してしまおうというわけだ。
・邪馬台国=奄美諸島?
3.「国体=象徴天皇制」の歴史化
・『記・紀』の素朴さ。
・古代以降、概ね、天皇は政治的実権を持たなくなった。「象徴」であることが常態化した。しかし例外的に王として実権を持つこともあって「親政」を試みた時期もあったが、それはうまくいかなかった。明治憲法下での、天皇を立憲君主とした時代は、もっとも酷くそれが失敗した時代で、それは時代錯誤の祭政一致に政治が迷い込んだからで、天皇が決してふたたび「現人神」とならぬようしっかり予防を怠らないのであれば、国体として、つまりそのような歴史的存在としての王族を象徴として持つという特有な国のかたちとして、天皇制は存続し続けてかまわない。そう僕は思っている。
要するに、二度と再び、国民が「天皇のための死」を強要されたり、「天皇の赤子」であると思わせられたりしなければそれでいいのだ。
べらぼうに古い家系を持つ、生き神様ではなく、生きた歴史のような特殊な人達、そのような存在として国民が自然に天皇家を見ることが常態になれば、天皇制は「無化」されたことになる。天皇制の「歴史化」とはそのようなことだ。
Ⅴ 「サブカル屋」の現場から
2.サブカル・アナーキズム
・「サブカルチャーと呼ばれるもののなかには、ほとんどゴミでしかないものや、有害なものやグロテスクなものもいっぱい混じっている。もしかするとほとんどがそうなのかもしれない。しかし、それを選別して「良いもの」と「悪いもの』とに色分けしたりしてはいけない。そうするとサブカルの命が失われる。『自由』こそ、サブカルにとってとても大事な命なのだから」。そのようなことを北京大学という特異な場所柄を意識しつつ、僕は話したように思う。
・太宰治”選ばれて在ることの恍惚と不安、共に我にあり”
・「アナーキズム」と「ナショナリズム(パトリオティズム)」は相反するものではない。ウクライナ、マフノ将軍が例。
・アナーキズムは柔軟でなければならない。雑多で、寛容で、懐疑的で、時にヘソ曲がりで、心情と欲望にあふれていて、そして、何よりも自由でなければならない。そういう性質のために、アナーキズムはしばしば行儀が悪く、非常識で、非生産的で、時にはまったく馬鹿のように見え、じっさい馬鹿だったりもする。
これはまったくサブカルそのものではないか。
前衛と称する党が批判したように、アナーキズムが革命を成し遂げたことは未だかつてない。かつてないだけでなく、間違いなくこれからだって、ない。
しかし、それよりも間違いなく言えることとして、アナーキズム的な多様性や自由さを圧殺した「革命」は、歴史上どれも、革命ではなかった。最も近い経験である社会主義革命も、物理的圧制をくつがえした後に精神的な圧制の王国を築きあげて終わった。その冷たい現実とその後の荒廃を言葉もなく見せつけられているのが現在という時代なのではないだろうか。
偉そうに言うようだが、人は、所詮在るようにしか在ることができない。弱くて、わがままで、嘘つきで、気まぐれで、欲深くて、貴重な体験をしてもすぐに忘れる。
しかし、人はそんな様々なダメさを足場にして先へ進む。弱い者は体を鍛えてもう少し強くなろうと思い、嘘をついた者はいつか相手にあやまろうと思い、気まぐれは少し反省し、欲深い人はやはり少し反省しつつ、明日はもっと得をしようと頑張る。
そういう人々を描くことが好きだ。
おわりに――「旅」の総括 編集部・杉山尚次との対談
・若松孝二、塩見孝也批判 時間の経過、歴史がない
・吉本隆明 「転向」は悪いことではない。
・安倍は原敬と重なる。米国との関係が第一。
・加藤典洋『敗戦後論』 政治、国防はそんなに単純なことではない。
・SEALDSに結局民青的なものを感じた
・LGBTなどポリコレの行き過ぎに警戒
・リベラル側は、もっともなことを言ってるようで、やっぱりトランプの支持率とか、安倍さんも含めてそうでしょうけど、下がらないのは、反対勢力の議論が核心をついていないから
・アングラにしてもカウンターカルチャーにしても勝つことはありえないという安心感のもとやっている。三里塚の闘争もそう
・良識的、良心的の盾に隠れちゃだめ
・なんでワイマール憲法下の社会がナチスになったのか。それは非常事態法がどうだとかこうだとかだけじゃなくて、やっぱり第次大戦の戦争の後のぐちゃぐちゃの中で、きれいごとに対して「それは嘘じゃねえか」というふうな大衆心理が働いた結果でもあると思うんですよ。
あとがき
10/10読了
要約・感想
◆要約:全共闘世代の思い出話とその後の人生。政治(革命)の季節からどのようにサブカルの時代になったのか?しつけの厳しい親に対してわざと悪ぶって見せていたような当時の新左翼のお行儀の悪さが、後に隆盛をみるサブカルチャーの源流。社会主義・共産主義はすぐ全体主義に転化する。いまだ袋小路。
◆感想:読むのに非常に時間がかかってしまった。
全共闘世代の考えの一例がわかった。
これで安彦良和の本を2冊読んだが、はっきりいって嫌いになってしまった。
これじゃ元全共闘だけどその後転向して、いわゆる「生活保守」の立場をとる文化人と全く同じ。
左翼は批判する、安倍政権も批判する、よくいるどっちもどっち系。
本の中で、若松孝二を批判する、塩見孝也を批判する、雨宮処凛を批判する、SEALDSを批判する。現状は悪くないじゃないという。
若い世代の貧困とメンタルヘルスの問題を知らないだけではないか?
よくある左翼批判だが時代が止まっていて、最新の動向を踏まえていないのではないか?
自分はあらゆることが分断統治の一種で、右翼/左翼の対立もそうだし、冷戦構造すらそうだったと考えている。
西側は東側の存在を利用し、東側は西側の存在を利用し、国民の革命を抑え国家と資本の権力を高めていった。
だから自分もどちらの立場に立つということもないが、その右翼/左翼の対立を脱構築して、純粋な支配/被支配の構造を明らかにし、正しい敵を見定めることが大事だと思っている。
満たされてもう戦う理由がない安彦らの世代は、別にどうでもいい。
自分はロスジェネ・非正規雇用で新自由主義に痛めつけられたという痛みが残っているので、まだしつこく勉強していくつもり。