マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【イベントメモ】「れいわ新選組南関東ボランティア支局 りあるかふぇ#2 in神奈川」

@かながわ労働プラザ(エルプラザ) 3階 多目的ホール
たがや亮衆議院議員、三好りょう神奈川県第2区総支部
 
・たがや亮 野球 國學院久我山高校 飲食店経営 赤坂見附 鶴千、歌舞伎町 鶴千 小沢一郎
・映画『モブスターズ/青春の群像』ラッキー・ルチアーノ
極真空手分裂
・オーガニック給食 食の安全保障
茂原市 千葉外房
・田舎は警戒心が強い 保守的
・三好りょう UCLA政治学部 外務省7年 ロシア日本大使館 内閣情報調査室2ヶ月
山本太郎事務所 私設秘書 国会質疑の原稿やスライド作成
・利権政治を打破すること
・ポス活ワークショップ
 
◆感想:三好りょうさんの人となりを知るために参加してみた。
たがや亮さんのこともほとんど知らなかったが、小沢一郎の弟子らしい。
ソウルバーを経営していたり面白い人。オヤジギャグ系の人だった。
食の安全保障、農家保護、インボイス制度廃止などが専門のよう。
残念ながら、三好りょうさんの詳しいお話は聞けなかったが、雰囲気は知れた。
もっとマッチョな人かと想像していたが、けっこう小柄で、大人しい人だった。
 
このイベントのあとに、立候補記者会見の動画を見た。
www.youtube.com
志は立派。応援できる候補者だと思う。
スタッフが非常に若いのも好感がもてた。
 
www.newsweekjapan.jp
この斎藤まさしさんもいたと思う。眼光鋭い感じ。
いろいろレッテルを貼られているが、本人が言うように、あくまでブレーン、協力者の一人だと思う。
 
菅義偉ももう今年で76歳。自民党利権政治の象徴であり、もう時代的に終わった政治家であることは間違いないと思う。
是非、三好さんのもとで野党共闘して、菅義偉を破ってほしいと思った。
 

【読書メモ】本間龍『原発プロパガンダ』(岩波新書 2016年)

目次

はじめに

・世界有数の地震大国日本になぜ54基もの原発が建設され、多くの国民が原子力推進を肯定してきたのか。そこには電気料金から生じる巨大なマネーを原資に、日本独特の広告代理店システムを駆使して実現した「安全神話」と「豊かな生活」の刷り込みがあった。40年余にわたる国民的洗脳の実態を追う、もう一つの日本メディア史。

「広告」は何を担ったか

・一見、強制には見えず、さまざまな専門家やタレント、文化人、知識人たちが笑顔で原発の安全性や合理性を語った。原発は豊かな社会を作り、個人の幸せに貢献するモノだという幻想にまみれた広告が繰り返し繰り返し、手を替え品を替え展開された。その広告展開のために電力9社(原発がない沖縄電力を除く)が1970年代から3・11までの約40年間に使った普及開発関係費(広告費)は、実に2兆4000億円に上っていた(朝日新聞社調べ)。これは、国内で年間500億円以上の広告費を使うトヨタソニーのような巨大グローバル企業でさえ、使用するのに50年近くかかる金額であった。
・電力会社以外に、電気事業連合会電事連)、経産省資源エネルギー庁環境省などの政府広報予算、NUMO(原子力発電環境整備機構)
・これら大量の広告は、表向きは国民に原発を知らしめるという目的の他に、その巨額の広告費を受け取るメディアへの、賄賂とも言える性格を持っていた。あまりに巨額ゆえに、一度でもそれを受け取ってしまうと、経営計画に組み込まれ、断れなくなってしまう。そうしたメディアの弱点を熟知し、原子力ムラの代理人としてメディア各社との交渉窓口となったのが、電通博報堂に代表される大手広告代理店であった。

日本の広告業界の特殊性

・欧米の広告業界=1業種1社制、広告制作部門とメディア購入部門の分離が大原則 日本=メディアは、電博に「広告を売ってもらう」という弱い立場にある
・反原発報道を望まない東電や関電、電事連などの「意向」は両社によってメディア各社に伝えられ、隠然たる威力を発揮していった。東電や関電は表向きカネ払いの良いパトロン風の「超優良スポンサー」として振る舞うが、反原発報道などをしていったんご機嫌を損なうと、提供が決まっていた広告費を一方的に引き上げる(削減する)など強権を発動する「裏の顔」をもっていた。そうした「広告費を形にした」恫喝を行うのが、広告代理店の仕事であった。
・そして、原発広告を掲載しなかったメディアも、批判的報道は意図的に避けていた。電事連がメディアの報道記事を常に監視しており、彼らの意図に反する記事を掲載すると専門家を動員して執拗に反駁し、記事の修正・訂正を求められたので、時間の経過と共にメディア側の自粛を招いたのだった。
・こうして3・11直前まで、巨大な広告費による呪縛と原子力ムラによる情報監視によって、原発推進勢力は完全にメディアを制圧していた。つまり、日本の広告業界の特殊性が、原発プロパガンダの成功の大きな要因だったのだ。筆者は本書で日本の原発プロパガンダ史を検証するのと同時に、日本の戦後広告史の暗黒面(ダークサイド)をも描くつもりだ。

序 章「欺瞞」と「恫喝」

プロパガンダ」とは何か

第二次世界大戦中のナチスドイツ 宣伝省(正確には国民啓蒙・宣伝省:Reichsministerium für Volksaufklärung und Propaganda 略称・RMVP)ゲッペルス宣伝大臣  戦勝国によって、ナチズムという狂信的イデオロギーを広めるために稼働した「悪の機関」とされ、同時に「プロパガンダ」という言葉自体が機関(宣伝省)と一体化し、決定的な負のイメージがついた
・しかし、プロパガンダという言葉それ自体は、なにもナチスが発明した訳ではない。その語源はラテン語のpropagare(繁殖させる、種をまく)であり、1623年に設置されたカトリック教会の布教聖省(Congregatio de Propaganda Fide)、現在の福音宣教省の名称として歴史に登場している。つまりはキリスト教世界で最も重要な、宣教活動を指す言葉でもあったのだ。
・その後、プロパガンダは国家間の戦争において必要不可欠のものとなっていった。それは印刷技術の進歩により紙媒体を中心に発展したが、その手法は、ラジオや映画という新しいメディアが登場した第一次大戦時に長足の進歩を遂げた。太平洋戦争で日本の対外宣伝放送を担当した池田徳眞氏は、その著書『プロパガンダ戦史』(中公新書、1981年)の中で、第一次大戦中最も熱心にプロパガンダを研究し、効果的に戦場で展開したのはイギリスであったと指摘している(イギリスはすでにその頃、「ウエリントン・ハウス」「クルーハウス」という宣伝機関を持っていた)。
・また、大戦に参加した主要国のプロパガンダを紹介した書としてハンス・ティンメ『武器に依らざる世界大戦』を詳細に分析、外務省や参謀本部に報告したとしている。アメリカも1916年に「アメリカ合衆国広報委員会」を設けており、すでに20世紀初頭において、先進国はプロパガンダの重要性を十分に理解、研究していた

ヒトラーの「反省」

・これに対し、第一次大戦当時のドイツはプロパガンダについて、全くといっていいほど無頓着であり、連合国が仕掛けた謀略宣伝に対しほとんど無力だった。実際に戦争に参加し負傷したアドルフ・ヒトラー(後のドイツ第三帝国総統)はこの事実を肌身で感じ、後に著作『わが闘争』の中で、「宣伝を正しく利用するとどれほど巨大な効果を収めうるかということを、人々は戦争の間にはじめて理解した。(中略)われわれのこの点でぬかっていたものを相手は未曾有の巧妙さと真に天才的な計算で出迎えたからである。この敵の戦時宣伝から、わたしもまた限りなく多くのものを学んだ」(『わが闘争Ⅰ』、角川文庫、232頁)と述べている。そして彼は後年、宣伝省を作ることで、その反省を十分に活かしたのだった。
・このように、プロパガンダ戦略は第一次大戦時にすでに連合国によって実施されており、ナチスはその敗戦の反省を活かすために宣伝省を設けたに過ぎない。プロパガンダナチスの専売特許ではなかったのであり、過度にこの言葉とナチスを一体化させるのはまちがっている。
・それでも、戦後の徹底的なナチス断罪(結果的にそれもプロパガンダだったのだが)によって、「プロパガンダ」とは人を欺く邪な宣伝活動、という負のイメージが定着した。しかし第二次大戦後に、米ソによる冷戦構造の中、互いの社会体制の優位を喧伝する熾烈なプロパガンダ合戦が行われたことは歴史的事実である。さらにその後の冷戦終結後、アメリカによる対中東戦略、とりわけ全世界に対しイラク戦争を正当化するために強力なプロパガンダ戦略が展開されたことは、ノーム・チョムスキーやE・W・サイードの著作によって明らかにされている。

日本における結実

・つまり、プロパガンダ=広告宣伝は、時代の要請により、世界各地で手を替え品を替え、最先端で強力なテクニックを駆使して展開されてきた。その技術を磨いてきたのが、世界各国の広告会社、PR会社、日本においては電通博報堂の二大広告代理店である。そしてその結実の一つが、日本における原発推進広告、つまり「原発プロパガンダ」であったのだ。
・これは、1950年代に原発推進を国策と定めた時点で当然の帰結であった。国策と決めたからには、万難を排して原発を推進しなければならない。しかし戦後の日本は民主主義国家であり、いくら国策といえども成田空港闘争のように反対派を強行排除してばかりでは、全国で原発建設を円滑に進めることはできない。そこで、かりそめでも良いから、国民の多数における合意の形成(チョムスキーはそれを「合意の捏造=マニュファクチャリング・コンセント」と名付けた)が必要とされた。つまり、多数の国民が原発を容認している、という世論の形成を目指したのである。
・そしてそれを可能たらしめるためには、全国を覆う巨大メディアと地方に根ざしたローカルメディアの両方をフル活用して国策を宣伝し、国民に「原発は安全で必要不可欠なシステムである」という意識を浸透させる必要があった。だから国と電力会社は、原発建設が始まった1960年代後半から3・11まで、その基本スタンスに忠実に、巨費を投じてプロパガンダを推進してきたのである。
・しかし、この目的には2つの大きな問題があった。それは原発というシステムがきわめて不完全であり、この40年間で度々事故が発生したことと、日本は世界有数の地震大国で、原発を設置するには全く不向きな地域であったことだ。この原発推進には致命的な欠陥を、徹底的に隠さなければならなかった。そこで、単純な「原発は安全ですよ」という生やさしい「宣伝広告」レベルではなく、何が起きても絶対安全、事故など起きるはずがないという、神懸かりともいうべき「安全神話を流布する、徹底的な「プロパガンダ」の必要性が生じたのである。
・投入された金額は、電力九社の普及開発関係費(広告費)だけでも、約40年間で2兆4000億円(朝日新聞社調べ)という途方もない巨額に上った。にもかかわらず、国民の多くがプロパガンダの存在に気づいていない、という状況こそ、その成功を如実に物語っている。だまされている人々にそれを認識させないことこそ、プロパガンダの目的であるからだ。
・そして、そのプロパガンダの手法、様々な広告表現の技術は、年代とともに洗練され、説得力を増していった。最初は学者の解説ばかりで硬い印象だった広告が、次第にイラストや漫画、原発で働く人々の写真を取り入れ、さらにはタレントや著名人の対談なども登場させていった。そして最終的には、女性向けや子供向けなど、ターゲット別の表現にまで行き着いた。つまり、原発プロパガンダの歴史とは、そのまま日本のメディア史、広告業界の歴史と重なっているのである。

原発プロパガンダを流布したメディア

・本来は警鐘を鳴らすべき報道メディア(新聞やテレビ、雑誌等)が完全に抱き込まれ、原発推進側(原子力ムラ)の協同体となってしまっていた メディアは長期間にわたり巨額の「広告費」をもらうことによって原子力ムラを批判できなくなり、逆にそのプロパガンダの一翼を担うようになってしまった。
・特に2003年以降、新聞でもテレビでも、原発に関するネガティブな情報発信は自粛され、ほとんど国民の目に触れなかったのだから、大半の国民は問題の存在にも気がつかなかった。たまに事故報道はあっても、保安院(当時)や御用学者らによって「すべては軽微な事象(彼らは絶対に「事故」とは言わなかった)」とされ、批判するものを総攻撃していた。
・長年原発プロパガンダの片棒を担いだ事実について、ほとんどのメディアは検証をしようともしていない。主要メディアできちんと過去を検証して自己批判したのは、朝日新聞原発とメディア」(2012年に書籍化)くらいだろう。そして、事故から5年たった今、多くのメディアは原子力ムラの巻き返しによって再びその軍門に下ろうとしている。大多数のメディアにとって、プロパガンダに従ったなどという体裁の悪い事実は存在せず、そもそも原発プロパガンダがあったことも認めたくはないのだ。

原発プロパガンダのキャッチフレーズ

プロパガンダはその実施を悟られずに人々をマインドコントロールすること、つまり気づかせないことこそが真骨頂である。
原発は日本のエネルギーの三分の一を担っている、原発は絶対安全なシステム、原発はクリーンエネルギー、原発は再生可能なエネルギー
・2009年の内閣府調査、国民の8割が原発推進に肯定的

2兆4000億円の宣伝広告費

・電力会社=地域独占 本来はこれほどまでの広告費は要らないはず
・総括原価方式で予算青天井

「刷り込み」を担った広告代理店

・90年代以降の広告マーケティング理論と手法は非常に成熟し、いくつかの偶発的案件を除けば、商品が売れるか売れないかは、投下される広告量であらかじめ決まることが明らかになっていた。つまり投下する広告量が多ければ多いほど、そこで使用されるキャッチコピー(見出し)は人々の記憶に残るわけで、これを業界用語で「刷り込み効果」と呼んでいる。
原子力ムラは総括原価方式で集めた金を湯水のように注ぎ込み、新聞・雑誌などの活字とテレビ・ラジオによる映像や音を駆使し、ひたすら原発安全神話を国民に「刷り込んで」きた。
ここで大事なのは、電力会社が直接広告を作ったのではなく、実際に制作したのは、電力会社から依頼を受けた広告代理店だったことだ。広告を制作し、メディアの枠を購入するのは大手広告代理店にしかできないから、彼らの協力は絶対不可欠であった。そしてその多くは、東電のメイン代理店だった電通が仕切っていた。
・メディアが権力側に与して国民を扇動し、日本が滅亡の危機に瀕した例が、太平洋戦争だった。これはすでに歴史的事実として誰もが知ることで、戦後のメディアはその反省に立ち、再出発したはずであった。
・戦後の日本は、国民が主権者である民主主義国家となった。そのため、それ以前の超国家主義や自己犠牲を賛美・強要して国家に尽くす全体主義的な扇動はできなくなった。それに成り代わって登場したのが、「個人の生活向上、経済的恩恵」を強調する図式であった。
特に原発立地県のローカル紙(地元新聞)においては、原発を誘致すれば電源三法交付金制度による税金が大量投入され、生活が劇的に向上し地域が豊かになる、という記事や広告が氾濫していた。原発の誘致が個人の幸福に直結するという図式は、義務感ばかりを強調した戦時プロパガンダよりはるかに巧妙かつ魅力的であり、多くの人々の共感を生んだのだった。

原発立地県と消費地で異なるメッセージ

東京電力広告費、膨張の歴史

原発広告の特異な二面性

広告こそ原発プロパガンダの力の源泉

原発プロパガンディストたち

原発プロパガンダの構成要素

第1章 原発プロパガンダの黎明期(1968~79)

最初の原発広告 福井新聞(68年)

福島でも原発広告の掲載開始

1974年、朝日新聞に出稿開始

電通の圧力でテレビ局を退社に追い込まれた田原総一朗氏(76年)

続々と稼働する原発

最初の警告 スリーマイル島事故と新聞出稿(79年)

第2章 原発プロパガンダの発展期(1980~89)

飛躍的に増加する出稿

原発先進県 福井と福島の相違

チェルノブイリ事故を越えて(88年)

それでも出稿が伸びた東奥日報(86年)

広告批評天野祐吉氏の警告(87年)

ローカルテレビ局への圧力①「核まいね」事件(88年)

第3章 原発プロパガンダの完成期(1990~99)

洗練され完成へ向かう広告パターン

原子力PA方策の考え方(91年)

原子力ムラの広報官

原子力の日ポスターコンクールの開始(1994年~2010年)

ローカルテレビ局への圧力②「プルトニウム元年」事件(93年)

原発住民投票(96年) 新潟日報の意地

推進派の宴会をスクープ

第4章 プロパガンダ爛熟期から崩壊へ(2000~11)

三本柱のPR体制

意識的にニュース番組を提供

原発はクリーンエネルギー」という虚妄

東電トラブル隠し(02年)とテレビ番組スポンサード戦略

著名人を起用したテレビ・ラジオCM

NUMOの欺瞞

有名雑誌を総なめに

証拠隠滅に躍起になったプロパガンディストたち

第5章 復活する原発プロパガンダ(2013~)

神話の崩壊と復活への胎動

週刊新潮』に掲載された原発広告

原燃と原研の欺瞞

「安全」神話から「安心」神話へ

環境省の説明

「なすびのギモン」

政府広報一五段「放射線についての正しい知識を。」広告

風評被害撲滅」という合言葉

大規模な放射線リスクコミュニケーションの展開

博報堂とADKの「変節」

復興予算と広告

突出する讀賣新聞

電力会社原発広告の復活

際立つ中部電力のメディア出稿

復活する原発広告の真の狙い

新たな錦の御旗

原発プロパガンダに抗するために

広告代理店システムと大手メディアの限界

資料(日本原子力産業協会 会員名簿)

参考文献

おわりに

【映画メモ】「第15回 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」コンペティション部門5作品

目次

1.藤川佳三監督『風に立つ愛子さん』

石巻市立湊小学校避難所
・皆が家族 10歳の女の子 
・避難所→仮設(長屋)→マンション
・母の介護 文学少女だった母
・仙台国分町 スナック 銀の匙 中勘助
・とうもろこしのエピソード
・自転車

2.武内剛監督『パドレプロジェクト』

・padre=父親 カメルーン ペルージャの演劇学校 ミラノのDJ
・アフリカ系移民の絆の深さ ネットワーク
・先進的な母 認知症
・助け、支援、サポート 助け合うこと
・父と息子

3.上田大輔ディレクター『引き裂かれる家族 検証・揺さぶられっ子症候群』

関西テレビで放送
・ゆさぶられっ子症候群(Shaken Baby Syndrome: SBS)
・「SBS検証プロジェクト」
・「必ずSBSを第一に考えなければならない」厚生労働省『子ども虐待対応の手引き』マニュアルの存在 奥山眞紀子医師
推定無罪の原則と児童虐待一時保護方針との対立

4.山本妙ディレクター『解けよ、“美”の呪い』

NHKで放送
・キム・ジヤン 韓国初のプラスサイズモデル
ルッキズム、性的資本(エロティック・キャピタル)の問題
・無理なダイエットで摂食障害
・「自信」の問題

5.藤野知明監督『どうすればよかったか?』

・両親ともに医学者 アミノ酸の研究?
・淡路島→開拓民
・ドイツ ハイデルベルク大学で研究者 地球一周旅行
札幌大学 農学部林産学科
・大学留年 医師国家試験
・星占い、マヤ暦など チャネリング? 
・Who's Who 紳士録
統合失調症 妄想、幻覚、思考障害
・お祝い 食卓
・NYの大学研究所へ
・料理 花火 買い物(オカルトフェス?) 宝くじ 共同論文

入賞作品・大賞表彰式

審査員
佐藤信(劇作家/演出家)
足立正生(映画監督)
林加奈子(元 映画祭ディレクター)
大島新(ドキュメンタリー監督)
橋本佳子(映像プロデューサー)

要約&感想

◆要約:
1.『風に立つ愛子さん』
石巻市立湊小学校避難所で出会った愛子さん。彼女のその後と人生にせまる。
2.『パドレプロジェクト』
ハーフのお笑い芸人が、コロナ禍を経て、2歳以来あっていない父と会いたいと思い、イタリアミラノへ探しに行く物語。
3.『引き裂かれる家族 検証・揺さぶられっ子症候群』
ゆさぶられっ子症候群、通称SBSの虐待の疑いをかけられ、引き裂かれた家族の物語。
4.『解けよ、“美”の呪い』
韓国初のプラスサイズモデル、キム・ジヤンを通じて、ルッキズムの問題を考える。
5.『どうすればよかったか?』
両親はふたりとも医学者、幸せな4人家族の、姉が突然統合失調症になってしまう。ドキュメンタリーを学んだ弟がカメラを回した、家族の長い長い記録。
 
◆感想:
1.『風に立つ愛子さん』
面白かった。自分の母が宮城県出身なので、あのズーズー弁には馴染があるし、明るくて優しい言葉だよなと思う。
愛子さんは言動が少女のようで、芝居じみてもいて、もしかしたら、演劇なんかに憧れがあったのかもしれない。
偶然の出会いで監督と出会って、記録されて嬉しかったと思う。
東北の裕福でない大家族の娘が、生きていくだけで大変。人生の物悲しさ、儚さが描かれていたと思う。
避難所で一時的に災害ユートピアのような状態になり、擬似的な家族ができて、そこから長屋の仮設住宅に移り、
そして綺麗なマンションに入居が決まる。
気密性とプライバシーが高まるのと反比例して、人との交流が薄れて、孤独感も募ってしまう。
一人暮らしの孤独な人が地域とどう繋がるか、住宅のデザインも含めて課題だと感じた。
 
2.『パドレプロジェクト』
とても面白かった。観終わって、さわやかな一陣の風のような映画。
どうなるのか気になって引き込まれる。
ハーフとして差別を受けた経験、そして少しグレて、でも社会経験を積んで、折り合いをつけて、
落ち着いたとき、改めて、自分のルーツ、両親と向き合いたいという気持ちはよく分かる。
そして、クラウドファンディングを初めとして、通訳の女性や現地の人などの協力が感動的な要素。
人は本来は見返り無しで助け合うもの。損得勘定の原理に支配されすぎている今、
そのことが新鮮にさえ見えて、さわやかさを感じるのかもしれない。
監督も言っていたように、これから日本でもさらにミックスの人が増えていくはずなので、
監督のような先駆的存在は重要になり、ますます活躍すると思われる。
 
3.『引き裂かれる家族 検証・揺さぶられっ子症候群』
かなり衝撃的な内容。こういう事態があるのを知らなかった。
見ている自分としては、不謹慎かもしれないが、実際どうなんだろうと思って見てしまった。
それでも裁判で決着がついて、考えてみれば、そもそも動機がないし、
もし虐待していたとしたら、普通は救急車を呼ばないのではないかとも思うので、
冤罪が晴れてほんとに良かったと思う。
作中に出てきた、問題のマニュアルを監修した医師が、「それで亡くなる子どもたちをたくさん見てきたのです」
というような発言をするシーンがあるが、そちらにももちろん理はあって、本当に難しいバランスの問題なのだなと思った。
疑わしきは罰せず、推定無罪が原則のはずなのだが、まだしっかり話せない、抵抗できない子供の立場になると、
予防的措置の児童保護が認められる現状。
バランスが難しいが、やはり自分は推定無罪の原則に立ち戻る必要があると思う。
新派刑法学的な社会防衛のための予防的刑罰を認めてしまうと、それが拡大解釈されたときに必ず権力の暴走を許してしまうから。
非常に硬派で具体的な社会派ドキュメンタリーだった。
 
4.『解けよ、“美”の呪い』
面白かった。多様性、ダイバーシティということを考える上で、重要なルッキズムの問題。
最近は性的資本という言葉を使った研究もある。
自分はフェミニズムルッキズムの問題について疎いという自覚がある。のであまり語らないようにしている。
重要な問題だと思うが、本なりを読むのを後回しにしている。
その理由は間違いなく自分が男でまだ余裕があるからだと思う。
女性にとっては本当に切実な問題だということは理解しているつもり。
このキム・ジヤンさんが評価されているように、だんだん、見かけ上でも、多様的な社会になってきたのは非常に良いことだと思う。
ただ、反資本主義の対抗運動すらも資本主義の強化に利用されてしまうのと同じ原理で、
このような反ルッキズムの運動すらもルッキズムの強化に利用されてしまう部分もあると思うので、
本当に壁は分厚いなと思ってしまう。
そういうことを考える上でとてもよい番組だったと思う。
 
5.『どうすればよかったか?』
これが群を抜いて衝撃的。ドキュメンタリーとして大傑作だと思った。
作品制作にかける年月の長さと、作品の価値は必ずしも比例しないとしても、
この映像に残る歳月の長さという価値は圧倒的に感じる。
そして家族にしか撮れない家族の映像というものがあり、
セルフ・ドキュメンタリーでしか表せないことがあるということを強く感じた。
多くの人に観られれば、統合失調症について偏見をなくす、大事な映画になると思う。
どうすればよかったか?答えはないんだと思うが、自分の勝手な印象をいうと、
どうにもならなかったし、こうにしかならなかったのだし、これでよかったのではないかとさえ感じた。
ネタバレは避けるが、自分は父上の最後の方の挨拶の言葉に共感した。
統合失調症は「異常」だという。
だがしかし、「正常」であるとされる人たちが営んでいるこの社会はどんなに正常だろうか?
この社会自体が異常とも言えるし、人間は無力で、それでもなんとか自分の信じる道を、不安定ながら生きるしかないように思える。
その点では姉上も同じだったのではないかと思った。
とにかく人と語り合いたくなる映画。
 
全5作品ともそれぞれ興味深く、各監督の挨拶も、各審査員の講評もすべて良いイベントだったと思う。
これを1610円で観れて超お得だった。次回も開催されて都合がつけば参加したいと思った。

【映画メモ】森崎東監督『野良犬』(1973年 松竹)

@シネマ・ジャック&ベティ <ディープヨコハマを映画とあるく vol.3>
佐野亨さんアフタートーク

森崎東 喜劇、怒劇
・虐げられた人々の物語
・1972年5月15日 沖縄本土復帰
・鶴見、リトル沖縄 京浜工業地帯
黒澤明『野良犬』=ドストエフスキー罪と罰』から着想 クリミア戦争敗戦後の混迷したロシア社会
・沖縄民謡 労働歌
・人間として見られていない
・皇居のお掘
・青春を抑圧されたものに対する怒り
・沖縄と本土の分かり合えなさ 決定的な断絶 
時代屋の女房 わからないながらも、孤独な魂が一時期触れ合う
 
◆感想:73年頃の横浜の景色が見れて面白かった。
横浜駅付近はまだ新しく、無機質で人工的な感じ。
海辺(?)のロックコンサートのようなシーンが面白かった。
戦後28年。まだ、沖縄戦の記憶は生々しいはず。
本土に出稼ぎに出ざるをえない沖縄の若者たちの
消せない本土への恨み、怒り
佐野亨さんの解説でよくわかった。

【イベントメモ】神保哲生、宮台真司「年末恒例マル激ライブ2023」@きゅりあん品川区立総合区民会館大ホール

・なぜADHDが正しいのか。『普通という異常 健常発達という病』
・酒、タバコ 途上国 いつ死んでもおかしくない 死が身近だから今を楽しく生きる ↔ ポートフォリオ(株、投資信託など)、貯蓄 
・学問を地域に還元すること 子ども大学
・吉田民人 理論社会学 メモを見ない
・マスコミ報道 検察の掌の上で踊らされているだけ
田中角栄ミッテラン死刑廃止ヴァイツゼッカーのスピーチ力 ↔ 安倍、菅、岸田の原稿読み
・デュルケム なぜ犯罪や戦争のような逸脱があるのかではなく、逆になぜ秩序があるのか → ホッブズ
ホッブズ 経済取引をするために暴力を預ける
田中角栄 500万円ずつ 頭を下げて渡す 「不快だろうが、どうかもらってくれ」
・パーティー券問題 贈収賄に近い ゾンビ企業の延命 産業構造改革が出来ない
・我々は政治家は選べるが、官僚は選べない ウェーバー 政治家と官僚の最終戦
・旧内務省支配→検察支配
・雇用の流動性 少しでも賃金の高いところに転職する
swatch ルイ・ヴィトン 中小工房の生き残り策
・ホームベースを作ること バトルフィールドに出撃し、帰還する場所 感情的安全を回復する場所
アングロサクソン 絶対核家族主義
・日本 世界で最も血縁が薄い 個人化が最も進んでいる
・墓仕舞い 終活ビジネス タワマンで孤独死
・自然信仰も宗教も弱い 共同体、コミュニティも崩壊 だからみんな弱い
・80年代 新住民化 安全・安心・便利・快適 公園の禁止事項 焚き火 隣人訴訟 掟より法を重視
・そこで育った「育ちの悪い子」(過保護に育てられた子)がキャラを演じて、自分の内面を隠す
・道路で遊ぶ 蝋石 ケンケンパ
・94年 渋谷・音楽・世紀末 クラブ=ディスコのアンチテーゼ チルする場所 まったり アジール それも96年に終わる
・楽しめる、自分をさらけし、自然に笑える場所があるかどうか
・ナンパ 目が合う 前提があれば(同じ映画の帰りなど)、話しかけないのがおかしい → 今は聖徳太子スタイル みんなスマホとにらめっこ
・96年から 他人を避ける避ける 目を合わさない ディフェンスの壁が分厚すぎ 米国三菱自動車セクハラ事件  
・損得勘定より価値観 ジャスティスとフェアネス
・友達の濃さ、人間関係の濃さ
記者クラブ(マスコミ)が官僚と一体になっている。
・人生経験、フィールドワーク
・日本の風土、大きな平野がないので、それぞれに分かれて住んでいた 多民族の侵入や大虐殺の歴史がない → 価値へのコミットがない、共同体の中の座席争い 国自体が村社会
・芥正彦、近田春夫と喧嘩 雨降って地固まる体験 パレーシアの経験 宮台真司自伝本
・リーダー=音頭を取る人 飲み会の幹事
 
◆感想:毎年恒例。
宮台さんの恒例の話だが、何度でも考える必要がある。
80年代の新住民化。安全・安心・便利・快適を得て、代わりに何を失うのか。
街が浄化されていく。
日本。そもそも血縁が薄い、地縁もどんどん薄くなる。共同体がない。
友人が少ない、内面をさらけ出せない。
価値へのコミットが薄い、宗教的力も薄い。
頼れるのは唯一お金だけ。そのお金もない。
だから日本人はみんな弱い。頼れるものがない。自己肯定感が低い。
感情的安全が保てない。
ホームベース、同志の重要性。
そこを言われると、自分のような友人の少ない、プレカリアート独身中年にはほんとうに厳しい話だが、
泣き言をいっても始まらないので、まだ諦めず、やっていきたいと思う。
冒頭のあの事件を経た影響という話で、
ますます今を楽しく生きること、自分のADHDを肯定することという話が良かった。