マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】『科学』2022年4月号【特集】原発事故と小児甲状腺がん(岩波書店)

目次

[巻頭エッセイ]患者の発生こそ社会が向き合うべき現実である 津田敏秀

・医学における因果関係の証明は、19世紀以降議論されてきた(『医学的根拠とは何か』 岩波新書)。1828年、パリの内科医ピエール=シャルル・ルイは患者数を系統的に数え上げて根拠とし、2500年の伝統をもつ瀉血療法をやめさせ、議論の口火を切った。この議論は200年前に開始され今から80年前にほぼ終焉していた。発がん原因に関しては約50年前にはヨーロッパで分類作業が始まっていた。しかし日本では、これらの議論が21世紀になっても時々勃発し、混乱を招いている。「無知の知」以前の「知らないことを知らない」状態が続く日本では、「知らないこと」も自覚できない「専門家」により判断が先延ばしされる状態が続いている。公衆衛生政策は人権をもつ住民のために行われる。患者の発生こそ、私たちが共に生きる社会における現実の問題なのである。

【特集】原発事故と小児甲状腺がん

福島原発事故と小児甲状腺がんとの因果関係について 津田敏秀

・福島 超音波エコーを使った甲状腺検査 事故当時18歳以下対象 約36万7649人中30万0473人が参加(2017年3月末現在)。
・一巡目115例、二巡目71例の甲状腺がんが検出。

医学における因果関係の推論

がん原因判明の十分条件としての疫学的エビデンス

・タバコ喫煙と肺がんや喉頭がん、アスベスト曝露と肺がんおよび中皮腫の因果関係に決着がつい た1960年代半ばに、世界保健機関(WHO)に国際がん研究機関(IARC)が創設され、人における発がん物質の分類が開始され、1970年頃からその結果が発表され始めた。
・現在、IARCにより、取り上げられた物質の人への発がん性は以下の4グループへと分類されている。人への発がん性がある(グループ1)、恐らく人への発がん性がある(グループ2A)、人への発がん性の可能性がある(グループ2B)、人への発がん性に関しては分類不可能(グループ3)である。2022年の初頭までに121の発がん物質ならびに発がん行為や発がん工程などが同定されている。この発がん物質の決定(分類)のためのルールが前文(Preamble)として決められている。
・この表から読み取れるのは、発がん性の分類において、疫学研究結果で十分な根拠が示されれば、動物実験や試験管実験(メカニズム研究)など、他の方法論による結果は「不必要(Not necessary)」とされている点である。つまり、疫学研究で十分なエビデンスがあることはグループ1に分類されることの十分条件である。
・電離放射線に関しては、2000年の第75巻で「X線およびガンマ(y)線、および中性子」が、2001年の第78巻2で「内部被ばくした放射性核種」が分類の対象になっている。数多くの放射性核種が放出される原子力発電所の過酷事故だが、「原子炉事故や核兵器の爆発によるヨウ素131などの短寿命放射性ヨウ素(小児期の被ばく)」がグループ1としてこの時にすでに分類されていた。さらに2012年の第100巻D³において、X線、y線、a線、β線核分裂生成物の混合物や内部被ばくも含んで評価され、電離放射線のすべてのタイプがグループ1に分類された。したがって、放射性ヨウ素トリチウムをはじめ、原子力発電所の過酷事故で放出されたり汚染水に含まれたりする放射性核種は発がん物質だということがわかる。

知覚できない因果関係による影響を知る


・因果関係を証明する唯一の方法が疫学調査

福島県での甲状腺がんの多発

福島県での小児甲状腺がんの症例数と倍率
倍率の誤差

・誤差はつきもの。偶然、たまたま

福島県での被ばくと小児青年の甲状腺がんの倍率への誤差

・以上をまとめると、因果影響の「数十倍」という極めて大きな上昇は、測定誤差ではまったく説明しえない。したがって、事故によって甲状腺がんが「数十倍」増加したという因果影響の倍率は妥当である。

考察:最小潜伏期間とバイアス、競合仮説の検討

最小潜伏期間

・小児甲状腺がんの潜伏期間は5年論=チェルノブイリ事故後のベラルーシの統計を根拠→ベラルーシで超音波エコー検診が始まったのが90年末から

地域間の倍率の格差が1巡目は小さい件(交絡バイアス)

・1巡目検査、足掛け3年。検診の順番は事故による汚染濃度が高い地域からおおよそ行われた。……検診が実施された順番は、大まかに言うと、2011年度は福島第一原子力発電所の周辺市町村、2012年度は中通りの福島周辺、二本松市本宮市周辺、郡山市白河市周辺、2013年度はいわき市と相馬地方、いわき市の西側の市町村、会津地方という順番である。こう並べてみると、事故後半年後程度の原発周辺市町村の検診時には、被ばく線量が高いものの事故後に発生した甲状腺がんは、詳細検査に進む基準となる大きさ(超音波エコーを用いた1次検診で5.1mm以上。基準を超えると細胞診を行う可能性のある2次検診へと進む)まで成長していないだろう。したがって、2011年度の検出数(検出割合)は相対的に低くなる。一方、2013年度に検診が行われた市町村では被ばく線量は比較的低いものの、検診までの時間が事故後2~3年が経過しているために、事故後に発生した小児甲状腺がんが基準の大きさを超えるのに十分な時間がある。このことは検診順番が発表された時点で、予測できたことである。
・このように1巡目で山型の検出割合を示すだろうという予測通りの結果自体が、事故による甲状腺がんの多発を示唆する証拠ともなる。一方、2巡目の検診においては、原発に近い市町村ほど甲状腺がんの検出割合が高くなる量反応関係が見られた。この理由は,2巡目では事故からの経過年数が市町村間で一様に十分に大きくなっているため、相対的に検診順番の影響が小さくなり、被ばく量の違いの影響の方が相対的に大きくなるからである。

被ばく量の問題

・小児甲状腺がんが発生するには、福島県では被ばく量が少なかったともいわれる。しかしこれは、不確実な前提にもとづいている。飲食物や呼吸を介した被ばく量に留意すべきである。
また、チェルノブイリ原発周辺の小児甲状腺がん症例のうち約51.3% (345例中177例)は100mSv以下の推定被ばく量であったことが示されている。福島原発事故による被ばく量が少なかったと考えることは合理的とはいえず、むしろ小児甲状腺がんを著しく多発させるのに十分な線量であったと考えるべきである。
・小児甲状腺がんは、欧米に限らず日本でも年間100万人に1人か2人程度である非常にまれな病気であることはよく知られている(ハリソン内科学書第18版2012年)。なぜ事故後に小児甲状腺がんが目立ってくるのかというと、通常は存在しない放射性ヨウ素による内部被ばくが存在していたからだ。この情報を利用して、数週間で消えていった放射性ヨウ素の内部被ばくも含む最も正確な「被ばく測定値」として、小児甲状腺がんの発生動向を用いることができる。産
業医学ではよく知られた、生物学的モニタリングの考え方が可能で役立つ事例である。そして今回の場合は、既存の放射性ヨウ素に関する知識が、この考え方の正当性を保証している。珍しい病気が多発する時は、病因物質曝露量がわからないとうろたえるのではなく、その珍しい病気の多発動向が、正確に病因物質曝露量を示していることを忘れてはならない。
「病気の存在」の方が「病因物質の存在」よりも確実
甲状腺がん、18歳以下と中年期との甲状腺がんの発生率には100倍以上の差がある。

いわゆる「過剰診断」

・過剰診断Overdiagnosisという用語 2010年に出されたWelchの論文のタイトルに由来する その冒頭
「がんの過剰診断には、次の2つの説明ができる。1)がんが進行しないか、むしろ後退する、2)がんの進行が遅いため、がんの症状が現れる前に他の原因で患者が死亡する。この2つ目の説明には、発見時のがんの大きさ、がんの成長速度、患者の死亡リスクという3つの変数の相互作用が含まれていることに注意する必要がある。」
福島県甲状腺がんの多発の「過剰診断」による説明に対する反証は、すでに数多く示されてきている。進行しないか後退するがんであるというのは、提訴した若者たちの現実の病状がその反証である(転移、複数回の手術や放射線治療)。そもそも過剰診断説は、数十倍の多発の一部を説明できるかもしれないという程度の、根拠も示されていない話である。超音波エコーを用いた甲状腺検診では小児甲状腺がんの過剰診断がほとんど起こらないという、否定できる根拠はすでに事故から10年以上前から存在する。
・過剰診断説は、最も参考にしなければならないチェルノブイリ原発事故後の周辺3カ国(ベラルーシウクライナ・ロシア)からのメジャーな医学雑誌を含む数多くの論文や解説記事を見逃している(見ようとしない)結果として生じている。したがって、このような主張をしている人たちは「専門家」とはいえないだろう。1995年11月のWHO主催のジュネーブ(スイス)での会議、1996年3月のEC主催のミンスク (ベラルーシ)での会議、1996年4月IAEA主催のウィーン(オーストリア)での会議を経て、つまり多くの検証を経て、超音波エコーを用いた甲状腺検診で、小児甲状腺がんの過剰診断が「ほとんどない」、ということは、福島原発事故の10年以上前からよく知られていたのである。

公衆衛生政策は人権をもつ住民のためにある

・2015年10月津田論文→それに対する批判と回答→「UNSCEAR2016年白書」ではそれを全て見たうえで、すでに回答済みのおなじ批判を繰り返す
・一見すると、世間や読者からは、「UNSCEAR2016年白書」の批判に対して私どもが回答不可能に陥ったように見えてしまうことになる。「UNSCEAR2016年白書」を読んだ後にわざわざ私どもの論文と回答とをチェックするような人はほとんどいない。このようなダマしのテクニックを私は生まれて初めて見せつけられた。しかし逆に、これは私どもの論文とその回答の内容に関して、UNSCEARが批判可能な点がまったくなかったことを示している。この出来事は、多くの日本人が専門的で中立の国際機関であると信じているUNSCEARが、実はこのようなダマしのテクニックを用いても、自らの主張を押し通す組織であることを示している。

福島県における甲状腺検査の諸問題III 濱岡豊

福島県甲状腺検査の結果の分析の問題点

(1)これまでの分析の問題点

・UNSCEAR2013福島報告書での分析の不適切さ 年齢で2分割、甲状腺線量で4分割してわざわざサンプルサイズを小さくして、被ばく影響を否定
福島県甲状腺検査評価部会および(その上位機関の)県民健康調査検討委員会ともに、この結果を受け入れ、2巡目については「現時点において」「甲状腺がんと放射性被ばくの間の関連は認められない」(県民健康調査検討委員会、2019)とした

(2)繰り返されつつある不適切な分析

・なお、UNSCEAR2013、2020年報告書ともに、報告書本編で推定値の概要が示され、それと同時に公開されるAppendixで推定方法の説明がなされる。ただし、推定に用いたデータや推定結果はAttachmentとして別途公開される。2013年報告書のときもそうであったが、2020年報告書のAttachmentは、報告書公開から1年程度経過した2月はじめに土壌測定データ3つが公開されただけである。この分析ではUNSCEAR2020年報告書での甲状腺吸収線量の推定値を用いていると注記されているが、引用されているAttachmentは未公開のファイルである。UNSCEARに問い合わせたところ、secretariatからは提供していないとのことであった。未公開ファイルを利用することは、UNSCEARの中立性とあわせて数値そのものの妥当性も疑われる。用いた線量の数値データも公開すべきである。

(3)分析計画の必要性

・都合がわるい結果が得られると分析方法を変更してしまう

福島での甲状腺がんを巡る2つの動き

・ひとつは2022年1月27日6人が提訴
・もうひとつは2022年1月27日付け書簡「EUタクソノミー(経済活動や投融資が環境的に持続可能であるかどうかを明確にする分類)に対する元首相5名による共同声明」
・山口壯環境大臣(元外務官僚)の的はずれな抗議「欧州委員会委員長宛て書簡において、「多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ」という記載がありますが、この記載は、福島県の子どもに放射線による健康被害が生じているという誤った情報を広め、いわれのない差別や偏見を助長することが懸念されます。
福島県が実施している甲状腺検査により見つかった甲状腺がんについては、福島県の県民健康調査検討委員会やUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)などの専門家会議により、現時点では放射線の影響とは考えにくいという趣旨の評価がなされています。」

県民健康調査検討委員会・甲状腺検査評価部会およびUNSCEARの評価の問題点

(1)2020報告書での甲状腺がんリスクの推定

・「5歳以下で被ばくした女児集団を生涯追跡すれば、放射線被ばくによって16-50件の甲状腺がんが生じる可能性がある。ただし、被ばく無しでもこの集団には生涯で甲状腺がんが600-700件程度生じ、上述の増加分は誤差に紛れて識別できない。」(2020年報告書、パラグラフ222の引用者による抄訳)
・“unlikely to be discernible” 「discernible(識別される)」という語彙についての2013報告書での説明。
「十分大きな集団において疾患の推定リスクが当該集団における疾患のベースライン発生率の通常の統計的ばらつきに比べて十分に高い場合は、放射線被ばくによる発生率の上昇を疾病統計および疫学的研究において『識別できる』可能性がある。反対に、既存の知識に基づいてリスクを推定できても、推定されるリスクのレベルが低い場合や、被ばく人数が少ない場合、本委員会は『識別可能な上昇なし』という表現を使用し、現在利用できる方法では放射線被ばくによる将来の疾病統計での発生率上昇を実証できるとは予想されないことを示唆した。これは、リスクがないあるいは、放射線被ばくによる疾患の症例が今後付加的に生じる可能性を排除するものではないと同時に、特定の集団においてある種のがんの生物学的な指標が見つかる可能性を否定するものではない。さらに、かかる症例の発生に伴う苦痛を無視するものでもない。

(2)UNSCEAR2020報告書における甲状腺検査の評価における問題

●スクリーニングによる増加
・韓国での例、大人15倍 福島50-100倍 福島約50倍 
チェルノブイリと比べた被ばく量の低さ
チェルノブイリ事故後数ヶ月以内に甲状腺線量の直接測定35万人、福島子どものみ1080人 
・あくまで推計 
・食物摂取について、UNSCEARの論文と異なる証言もある
チェルノブイリと比べたがん発見年齢層の差異
チェルノブイリでの笹川財団の調査、事故後4年以降 調査対象0~5歳児がほとんど
福島原発からの被ばくのない3県での調査(検査)結果と類似している
・サンプルサイズが小さすぎ 調査対象の年齢内訳も福島より高い(0-4歳児がほとんどいない)そもそも意味をなさない調査
甲状腺がん発見率の地域差もしくは線量応答関係
・地域差、線量影響→ある

過剰診断論批判(総合編)

(1)一般論

●定義とのかい離
●データとのかい離
●死亡のみに注目し生活の質を無視
・死亡率のみに注目するのは不適切。生きていても声を失った例もある。

(2)日本全体

●過剰診断対策の先進国
・日本は過剰診断対策の先進国 2010年の日本の「甲状腺腫瘍診療ガイドライン」では、1cm以下の甲状腺がんについて手術をしない条件を導入している。これは、世界で初めてがんに対して手術をしない選択肢を示したものであり、2015年のアメリ甲状腺学会ATAガイドラインに、そのまま導入された 「微小がんに対する非手術・経過観察」の提唱
甲状腺がんでは死亡しないのか
・5年生存率97.5%、しかしステージ4で発見されると91.1に低下する(国立がん研究センター2021)
●原爆被曝者への成人健康調査
・健康診断による早期発見、早期治療により一般より寿命が長い

(3)福島での状況

●考慮されていた過剰診断対策
・過剰診断の可能性は織り込み済み。福島原発事故を受けてやっているもの。
●考慮されている過剰治療対策
・鈴木眞一教授「我々は何でも手術をしている訳ではなくて、一定の基準を持って、そういう弊害を防ぐために経過を見ているものや、または5mm以下は明らかに癌であると思われる場合以外は二次検査をせず経過観察しております。(中略)日本の専門家で同じ基準で、合併症の極めて少ない方法で外科手術を行っていまして、行う必要のないものは施行しておりません。(腫瘍径が)小さいものでもリンパ節転移があるとか、先ほどいった生存率に影響しないものは統計上は表に出てこないのですが、(腫瘍径が)大きくなると声が出なくなるなどの手術合併症が非常に高くなるという、いわゆるQOLを落とすバイアスが相当ありますので、そういうことも今は検討に入れなければならないということがあります。」
・隅病院宮内氏「当院では、甲状腺の小さながんに対しては手術をしないで、経過観察をするということを21年前からやっておりますが、それについてご説明させていただきます。(中略)
実は、私、福島県甲状腺検査専門委員会の診断基準等検討部会の委員も仰せつかっておりまして、一昨日、その検討会に出たんですが、福島県医大で手術された症例について説明を受けましたが、少なくとも7割以上の症例は、大きさが1cm以上とか、リンパ 節転移があるとか、中には遠隔転移のある症例も含まれておりまして、現在、我々が、普通、常識的に手術の適用としている患者さんです。3割程度が1cm以下ですけど、鈴木先生のご説明では、反回神経に近い、我々が高リスク、ハイリスクとしているような症例ですね。あるいは気管に接していると、そういうふうな患者さんに手術をしているという説明をいただきました。」
●自覚症状による発見
・「集計外」の患者で18名は自覚症状もしくは他の病気がきっかけで診断された
●福島での甲状腺がんの様態
甲状腺検査で見いだされた甲状腺がんの様態は県民健康調査検討委員会や甲状腺検査評価部会では公開されていない。平沼(2021)は、学会報告など含めた180件の手術例を整理している。それによると、8割にリンパ節転移、46%に甲状腺外への浸潤がみられたという。上に引用した宮内氏の意見を裏づける数値であり進行の遅いがんとはいえない。
●剖検での甲状腺がんとの違い
・剖検=病理解剖 年齢もサイズも違う 多くは3mm以下
●成長の速さ
・平均より成長が早い
甲状腺検査がストレスを与えるのか?
・超音波エコーはストレスがほぼない 64%が検査は有用と答えている

結びに

・県民健康調査検討委員会、同・甲状腺検査評価部会、UNSCEARの「専門家」への疑問。しっかりやってもらうか、それができないならば交代させるしかない。

3.11以後の科学リテラシー no.112 牧野淳一郎

・1月27日に、小泉純一郎細川護熙菅直人鳩山由紀夫村山富市の5人の元首相が「脱原発・脱炭素は可能です―EUタクソノミーから原発の除外を―」と題された書簡を欧州委員会あてにだした
福島県甲状腺検査評価部会 どうしても被ばくの影響なしを導きたいために、無理な「検討」をしている。UNSCEAR頼み。

症例把握なき過剰診断論――現実から乖離した甲状腺検査の評価 白石草

・政府関係者やメディアは、福島県で開催されている「甲状腺検査評価部会」(「県民健康調査」検討委員会の下部組織)の結論を、金科玉条のごとく扱うが、同部会は、2013年11月の設置以来、被曝との因果関係に結びつくデータの検証を徹底的に避けてきた。特に鈴木元国際医療福祉大学クリニック院長が就任した第2期以降は、その傾向がより顕著となっている。「過剰診断」を疑いながら「手術症例」を検討せず、因果関係を示唆する結果は排除して当初の研究デザインも塗り替えた部会を科学的と呼んでよいのか。

「多くの子供たちが甲状腺がんに苦し」んでいないのか

・首相経験者5人の書簡への批判 細野豪志、山口壯環境大臣高市早苗など。

「過剰発生」か「過剰診断」かの二択へ

国立がん研究センター津金昌一郎氏「今後、検査受診者から新たな甲状腺がんは検出されないと仮定すると、今回の甲状腺検査は、35歳までに臨床診断される甲状腺がんを全て検出したことになる。」つまり、1巡目で100人超のがんが出尽くしたため、今後、しばらくは検出されないと指摘したのである。
しかし2巡目以降も、がんは増え続けた。しかも、2巡目でがんが見つかった患者の8割は、1巡目の検査では嚢胞や結節のなかった患者ばかり。腫瘍径は平均1.1センチ、最大3センチ以上の腫瘍が見つかっていることから、2年の間に急速に腫瘍が成長した可能性が指摘され、「過剰診断論」とは逆に、「アグレッシブながん」が見つかっているのではないかという懸念
・こうしたなか、2015年2月を最後に福島医大の鈴木眞一教授が検査の担当から外される。そして手術症例も発表なしに。

現実と乖離した「過剰診断論」

・こうした不十分な状況とはいえ、昨年11月、東京都の都市センターホールで開かれた「第64回日本甲状腺学会」では、鈴木教授が注目すべきデータを公表した。2018年12月末までに執刀した180人のうち、16人がのべ19回のアイソトープ治療を受けていることを明らかにしたのである。アイソトープ治療待機患者も3人いるという。
アイソトープ治療とは、甲状腺細胞がヨウ素を取り込む性質を利用した治療法で、あえて多量の放射性ヨウ素を服用し、残存する甲状腺細胞ないし甲状腺がん細胞を破壊するものだ。甲状腺全摘患者のうち、再発リスクが高い患者や遠隔転移した患者に施行する。
鈴木教授の発表によると、この16人のうち、肺転移疑いが9例、骨転移疑いも1例あるという。
・このほか、リンパ節に転移し浸潤している症例(N1-EX)が5例、外側部のリンパ節転移が1例、サイログロブリン値が異常値の症例が1例となっている。また気になるのが男女比だ。通常、甲状腺がんは女性比率が多いが、女性6人に対し男性10人と、男性の方が多いのである。
これらの症例を見ると、懸念されるのは「過剰診断」ではなく、むしろ「重症化」であるように見える。
・しかも、このデータには含まれていない重症例がほかにも存在する。冒頭に触れた通り、今年1月、6人の甲状腺がん患者が東電を訴えたが、このうち4人は福島医大以外で手術を受けており、鈴木教授のデータには含まれていない。アイソトープ治療を受けたのは、そのうち2人だ。
ひとりは男性で、独自に検査でがんが見つかった。これまでに計4回もの手術を受けたが、とりわけ2回目の手術は10時間も要する大手術となり、退院まで2週間以上かかったという。この男性はその後、再発・転移を繰り返し、4回目の手術では反回神経を切除する寸前だった。反回神経は声帯や嚥下機能を司る神経で、切断されれば声が出なくなる可能性もある。術式の変更で切除は回避したが、非常にシビアな状況だった。
・もうひとりは女性で、2015年に1回目の手術を受けたが、2018年に再発。福島医大への不信感もあり、主治医に告げることなく別の専門病院に転院。同年2月に2回目の手術を受けて甲状腺を全摘し、7月にアイソトープ治療を受けた。2回目の手術時間は2時間程度だったものの、がんは外側部のリンパ節に広がっており、首には大きな傷が残った。

研究デザイン変更と「宮崎・早野論文」第3論文

・このように「過剰診断」論が大手を振りながらも、「甲状腺検査評価部会」では、チェルノブイリのように、臨床データについて合理的な検証を行ってこなかった。しかも、2巡目で判明した71例の甲状腺がんは、「避難区域」「中通り」「浜通り」「会津」の順に多く、発見率に有意差が出ていたにもかかわらず、解析を中断したことは、本誌で度々取り上げられてきたとおりだ。
この結果を素直に報告書にまとめれば、「被曝影響の可能性がある」という結論が導き出されたはずだ。しかし、鈴木元・部会長は、年齢や検査時期などの交絡因子を調整する必要があるとして解析を中断。しかも、2年後の19年に入って突如、UNSCEARの推計甲状腺吸収線量をもとに福島県内を3地域に区分し、甲状腺がんの検出率を比較するという、新たな研究デザインをもち出し、「線量の増加に応じて発見率が上昇するといった一貫した関係は認められない」と分析。「現時点において、甲状腺検査本格検査(検査2回目)に発見された甲状腺がん放射線被ばくの間の関連は認められない。」と結論づけた。
・これに対し、部会報告書を受け取った検討委員会の委員の一部は、説明なく研究デザインを変更したことを厳しく批判。とくに成井香苗氏(福島県臨床心理士会推薦)は強く反発し、「なぜ当初の4地区で解析できないのか」と再解析を迫った。また富田哲福島大学教授も「13市町村、中通り浜通り会津の順で発見率に高いにもかかわらず、なぜ被曝との関係がないと断定できるのか」と疑問を呈した。
・鈴木部会長は、4地域での解析をやめた理由について、「福島の被曝線量はチェルノブイリと比べてはるかに低く、地域差がでるはずがない」にもかかわらず、「どんなに調整を行っても地域差が出てしまう」ため異なる方法に変えたと説明する。
・「宮崎・早野」第3論文(研究責任者大津留晶)=伊達市内部被曝調査がなぜ公表されないのか?おそらく被ばくとの有意な関係が出たから。
・黒川眞一教授「2015年になっても数千Bqの内部被曝者が存在する」ことも公表を辞めた原因ではないかとして、「都合が悪い結果がでたときは論文を発表しないことは研究倫理に反していると言わざるを得ない。」と断ずる。=甲状腺検査調査部会と連動している。

病態にもとづいた議論を

甲状腺検査2巡目の評価に関する査読論文は、現在5本あり、福島医大の大平哲也教授が執筆した2本以外はいずれも「被曝影響あり」と結論づけているが、これらが評価部会で紹介されたこともない。一方、福島医大以外の研究者にも、甲状腺検査データの提供を可能とするためのルールをめぐっては、すでに2年前には、検討会の報告書が出されているにもかかわらず、今もなお、運用のための要綱ができないまま、棚ざらしになっている。
・今年3月に行われた鈴木眞一教授の最終講義では、福島原発事故後に取り組んだ甲状腺検査や小児の手術の話が一切登場しなかった。この事実こそがタブーとなっているためだ。
「多くの子供たち」が「甲状腺がんに苦しんでいる」紛れもない事実を示すものとして、詳細な「手術症例」と術後の経過を含めた詳細な病態こそ、いま最も明らかにされていなければならないだろう。

安定ヨウ素剤投与指標策定の欺瞞 井戸謙一

甲状腺等価線量100mSv以下は安心か?

②「考え方について」作成の経緯

③検討会の議論の内容

④「考え方について」の内容

⑤「考え方について」に対する評価

⑥結語

これは「復興」ですか?no.61 小児甲状腺がん多発の責任 豊田直巳

福島県における甲状腺がん多発に関するいくつかの指摘――「三県調査」は福島県甲状腺がんについていかなる主張もできない 黒川眞一

【読書メモ】榊原崇仁『福島が沈黙した日 原発事故と甲状腺被ばく』(集英社新書 2021年)

目次

はじめに

第一章 100ミリシーベルトの少女

埋もれてきた計算

・放医研内部文書開示請求 11年5月2日「朝の対策本部会議メモ」「②子供の被ばくについて(EOCメール 4/30 11:32)」「徳島大学チームが3/17か18に郡山市でスクリーニング。11歳女児、頸部5-7万cpm(GMで測定)」「→山田部長:取り込みが3日前として、甲状腺等価線量で100mSv程度」
・EOC=文部科学省非常災害対策センター 徳島大学チーム、誉田(ほんだ)栄一教授

特別な数字

・政府の甲状腺測定=3月24-30日、1080人測定。99%が20ミリシーベルト以下、最も高い子どもでも50ミリシーベルト相当。

徳島大学

徳島大学チーム 誉田栄一教授、佐瀬卓也氏、4/7-12、4/27-30、計10日間 会津保健福祉事務所 スクリーニング検査の手伝い 
・徳島大の2人の発言を記録したEOCメール
「30日朝の会議で、徳島大学チーム(病院放射線部副部長:誉田栄一教授・アイソトープ総合センター:佐瀬卓也講師)より、子どもの被ばくについて、以下のようなご意見があった。
【詳細】3月17か18日に郡山市総合体育館のスクリーニング会場において「水素爆発の際に双葉町の屋外で遊んでいた」と言う■■■■■に対して、頸部(甲状腺部分)をGMで測定した。その結果、5~7万cpmであり、被ばく量を推定したところ十数キロベクレル相当の高値であった。この事例から、爆発時に屋外にいた多数の子どもが同じような影響を受けており、相当量を吸入しているのではないかと懸念される。現在、子どもの甲状腺被ばく調査は有意な結果ではなかったという論調になっているが、それは危険なことだと思っている。今後、子どものフォロー(定期検診)について、自治体や国に考えて頂きたい。なお、事例(■■■■)の詳細については、会津若松(保健福祉事務所)からサポートに来ていた■■■■が知っている。」

始まりは「大丈夫な値か」

甲状腺被ばく測定では、ガンマ線をよく捕捉する「NaIサーベイメータ」を使うのが普通だが、当時なかったため「GMサーベイメータ」で代用。アルファ、ベータ線の取り込みを防ぐため、ウェットティッシュでよく拭き取ってから測定した。
・3/14か15 郡山市総合体育館 双葉町から来た11歳の少女 友達数人と外で遊んでいた

「内部被ばくの公算大」

GMサーベイメータの計測値を甲状腺被ばく等価線量に換算する計算式

放医研の反応は鈍く

・放医研 被ばく線量評価部長、山田裕二氏 放医研、米倉義晴理事長「それなら影響は少ないでしょう」

「数字間違い」

福島県会津保健福祉事務所→いわき市相双保健福祉事務所 放射線技師 井上弘氏 入院中で話聞けず
東京新聞連載開始計8回 19年1月21日~3月
・「個人での回答は控えます。県庁を通してください」 

「懸念が現実に」のはずが

・11年3月13日文書「放医研の派遣の考え方」「ハイリスク群とローリスク群へのサーベイの等の対応を分けて考える」「ハイリスク群(双葉地区住民、作業者、自衛隊、警察、消防等)」

「握りつぶされた」

・4/30のミーティングで発表→握りつぶされた

測定対象は偏っていた

・1080人測定=対象地域30km圏外 遠すぎる、少なすぎる

第二章 1080人の甲状腺被ばく測定

SPEEDIと4つの疑問

・1080人測定 初日の24日は川俣町山木屋出張所と町保健センターの2カ所で行った。第一原発の北西方向にあり、出張所は原発から35キロ、センターは45キロの距離になる。26日と27日の会場は、いわき市保健所だった。原発から南に45キロ。28~30日は再び北西方向の川俣町、そして東隣の飯舘村で測った。具体的な会場は原発から45キロほど離れた川俣町中央公民館、40キロの距離にある飯舘村役場だった。
対象年齢は15歳以下で、測ったのは1149人。ただ初日分の66人は集計から外された。周辺の放射能汚染がひどく、あちこちから放射線が多く飛んできたため、体内からの放射線をうまく測れなかったとされる。他に年齢不詳の3人がいたため、集計から除外された。
・これらを踏まえ、1149人から69人を引くと1080人になる。NaIサーベイメータで測定した結果、全員が甲状腺等価線量で100ミリシーベルト相当の基準値を下回った。避難区域内の20キロ圏に住所があると公表されたのは15人だけだった。
・測定場所の5ヵ所のうち、4ヵ所は原発の北西方向で、残りの1ヵ所が南方向だった。いずれも原発から30キロ以上離れた場所で、その地域の子どもを測ったようだった。

情報開示請求で解明する

・最も知りたいのは「政府の甲状腺被ばく測定はどのような思惑で測定対象が決められたか」
・ポイントは「会議を特定する」「そこから議事録などを得る」
・開示請求原則1~2ヶ月 裁量でそれを延ばせる とにかく時間がかかる

一級資料

・放医研「放射線医学総合研究所」、「第五福竜丸事件」を受けて57年に設立。
・官邸に呼ばれて官房長官のアドバイザーとなったのが、放射線防護研究センター長の酒井一夫氏。原安委には、被ばく線量評価部長の山田裕司氏らが向かった。震災翌日の3月12日午前には所内の医師ら3人が福島県原子力災害対策センター(大熊町)内のオフサイトセンター(OFC)に着き、政府の原子力災害現地対策本部(現地本部)に入った。翌13日以降は県災害対策本部が入る県自治会館(福島市)に別の職員らが赴き、県側の事故対応を手伝った。彼らをはじめとした応援部隊が集う県自治会館4階の一室は「緊急被ばく医療調整本部」(調整本部)と名付けられた。前章で登場した徳島大の2人も4月以降、ここを拠点に活動した。
・「緊急被ばく線量評価情報共有・伝達システム」放医研内の電子掲示板システム

ニコニコの日に裏腹な見解

・事故前「原子力施設等の防災対策について」最大でも10キロ圏 
長崎大学教授山下俊一 19日福島県放射線リスク管理アドバイザーに就任 同僚の高村昇とともに県内各地で講演
・21日午後2時福島市中心部「福島テルサ」での講演。「現状は危険じゃない。だから避難させる必要がない」「私は大胆にも、心配いらんというふうなことを断定する」と再三強調した上、「放射線の影響は、実はニコニコ笑っている人には来ません」「笑いが皆さま方の放射線恐怖症を取り除きます」
・山下氏は「原子力ムラの御用学者」とも目された。ところが放医研の電子掲示板を見ると、その印象を覆す内容が書き込まれていた。投稿日時は3月21日午後9時47分。政府の甲状腺被ばく測定が始まる3日前、「ニコニコ」講演の日の夜だ。
「長崎大の山下俊一教授がOFCに来られ、総括班長(経産省)&立崎(英夫)班長とともに放射性ヨウ素の問題について話をうかがいました。山下先生も小児の甲状腺被ばくは深刻なレベルに達する可能性があり、それを防ぐための早急な対策が必要との見解です」
あの山下氏が深刻視をしていた、という書き込みだった。
・投稿者 放医研職員保田浩志(OFC医療班(県庁5階))

数万人測定の構想

・保田浩志 現在は広島大教授 2011年末からUNSCEAR職員。13年報告書の取りまとめに携わる。
・保田氏がいた現地本部医療班が甲状腺被ばく測定を担うのは、当然と言えば当然だった。原子力災害対策特別措置法や政府の原子力災害対策マニュアルによれば、事故対応の中核を担うのが政府の原子力災害対策本部で、経済産業省内の緊急時対応センター(ERC)に事務局を置くと定められていた。保田氏がいた現地本部は前線基地のOFCを拠点に具体的な対応策を練ることになっていた。原災本部や現地本部には「総括班」「広報班」「プラント班」といった機能班を置くことになっており、各省庁の官僚らが役割分担して対応に当たるとされた。現地本部医療班は住民の被ばく対応を担うと記されていた。
・「チェルノブイリの教訓がありましたから。一番問題になったのは放射性ヨウ素による甲状腺内部被ばくでした。ヨウ素みたいにガス状のものはすぐに出てくる。それによる被ばくがチェルノブイリ並みになるのは可能性として高かった。チェルノブイリは原子炉1個の爆発でしたけど、福島は3つ駄目になりました。単純に原子炉の数だけで考えると、被ばく線量は3倍になり得ると考えていました。チェルノブイリ甲状腺等価線量の平均が500ミリシーベルトなので、3倍だと1.5シーベルトとか」
・「数万人規模の測定が頭にはありましたチェルノブイリ並みということです」「甲状腺の線量は測らないと分からないんですよ。推計でいくらやっても(実際の値からは)外れる。これもチェルノブイリの教訓ですけど」「その人の行動を考慮しきれない」「屋内にいた場合の計算も難しい。同じ家でも窓が開いた部屋にいるか、締め切った部屋にいるかで計算の仕方が全然違う」「食べ物によっても線量は変わりますから」「個人個人を測らないとはっきりしない」
・「山下先生は一時間ぐらいのゲストでした。医療班で対策を考えてほしいという趣旨で来られました。やっぱり山下先生とは意見が一致しましたね。チェルノブイリのこと、日本で一番よく知っている先生ですから。先生は子どもの甲状腺被ばくが一番問題になるので、きちっと測らないといけないというのと、あとは食品制限のことを言われました。福島県立医科大の甲状腺の先生に協力してもらうのがいいのではないかともおっしゃって。具体的には鈴木真一先生です。問題意識が高い印象を受けました」
・放医研 立崎英夫医師「ヨウ素の大気中濃度が今どうなっているか、データを採ってくれとOFCで言い続けていた。もしそれが高いなら避難を考えないといけないから。被ばくをさせない対策を取ることが重要だと思っていた」「原子炉が安定しているとは全然思っていなかった。またいつ大量放出になるかというような」「次なる避難を考えていた」

水面下の避難拡大論

・3月22日夕方から文科省HPでダストサンプリング濃度公表始まる。
・21日午後1時~1時40分 南に25キロ(広野町広野駅付近) 放射性ヨウ素の大気中濃度1立方メートル当たり5600ベクレル。=1日で68ミリシーベルト
経産省原子力安全・保安院 原発の南25キロで大気中濃度が1立方メートル当たり5600ベクレルという公表データに触れた上、「放射性ヨウ素によるリスクが高い20km以上、30kmにおいて屋内退避している40歳未満の者は30km以上への避難を速やかに行う必要があると考える」「特に、放射性ヨウ素の影響は年齢が低いほど大きいため、妊婦、授乳婦、新生児、生後1ヵ月以上3歳未満の幼児、3歳以上13歳未満の小児について、30km以上への避難を速やかに行う必要があると考える」

20キロ圏外の状況把握

SPEEDIのシミュレーション結果、23日午前9時に出る。甲状腺等価線量100ミリシーベルト以上の地域、北西方向50キロまで及ぶ。南方向いわき市も。
・午後2時頃、原安委班目春樹委員長、久住静代委員、菅直人首相へ報告。京大小佐古敏荘教授も同席。避難地区見直しを訴える。→「直ちに避難範囲を拡大せず、まず、小児甲状腺被ばく調査を行い実測値で確認することとされた」

遠方も近傍も足らず

・まだ3つ疑問は残る。①なぜ20~30キロ屋内退避区域で測らなかったのか②なぜ人数が少ないのか③なぜ20キロ圏内から避難した人達を測らないのか

班長が深刻視しても

・放医研浜野毅氏「保田様 この件、所内でコンセンサスがとれているものではないので保留するように、との明石センター長からの指示がございました」放医研 緊急被ばく医療研究センター長 明石真言氏 福島原発事故の対策本部では「本部長補佐」 本部長の米倉義晴理事長に次ぐ役職 積極的に子どもたちを守ろうとした保田氏に対し、「軽々しく動かないように」と釘を刺したかたち
・24日0時掲示板投稿 保田浩志「大町様 ヨウ素剤の配布もペンディングです。市町村へは配布済み。内堀ミッションについてはこちらには情報が入ってきていません。宮後さんらはよく知っているようなので、調整本部マターと認識しています。明日実施予定の小児甲状腺線量計測については、富永(隆子 放医研)さんが仕切ってくれています。原安委から文科省を通して放医研が受けたと聞きましたが、メンバーを確認したところ、東大や京大の先生から成る「核物理チーム」が中心になるようです。子供が怖がらなければよいのですが。」

第三章 早々と終えた理屈

交錯した思惑

・保田氏は「原災本部-現地本部」という本来の指揮系統の下で自身が動いていたと述べた一方、「文科省が放医研を通して現地本部に働きかけてきた」「放医研にいた明石センター長が現地本部の富永先生に指示を出していた」と証言した。「明石センター長」は、放医研の事故対応でナンバー2だった明石真言氏。保田氏に対して慎重に動くように働きかけていた人物だ。富永氏は測定の仕切り役を担った。つまり測定を始めるころには、「原災本部-現地本部」という本来の対応ラインがあった一方で、甲状腺被ばく測定に関しては「文科省-放医研-現地本部」という指示系統もあり、そのラインにいた富永氏が測定の仕切り役を務めたようだった。
文科省の福一事故での失態続き。モニタリングカーの遅れ。航空機モニタリングの遅れ(なんと始まったのは25日になってから)。SPEEDIの責任放棄。文科大臣高木義明民社党系、長崎に地盤。文部科学大臣が創設されてから初の非大卒大臣。
・保田氏も26日で交代。
・誰が主導権をとっているのか不明の状態。
文科省の役人、牧慎一郎 科学技術政策研究所企画課長 現地の調整役 天王寺動物園に転職
・「悪事を暴くんでしょ。隠し球、メールで送ってください。全然違う分野に転職しているし、もう縁遠いとこにいます。足抜けしたのに、ヤクザ時代の話ですか。ヤクザは言い過ぎか。動物園にも迷惑かかるし、取材を受けません」

「時間なく」と「絞り込み」

・「避難した人たちはみんな、ちりぢりになっていた。それを探すことができる状況になかった。時間との闘いだから。半減期があるから。彼らを探し出すのは無理だった。その時に人を集めないと意味がない。リスクが高い人を集めて測る。僕らのやり方が現実的な選択だった」
・「後からはなんぼでも言えますよ。あの時間でやるにはあれしかなかった。僕らのタイムスケジュールでは。事故から2週間でしょ、始めたのが。あれ、遅いんです。スタートが遅かった。中央も混乱していて。少し落ち着いて、やろうとなったのがあのタイミングだった」
・測定結果をどう解釈したか。データは十分と判断したか。現地本部で全ての判断が完結したか。31日以降に話がどう進んだか水を向けたが、牧氏は「知りません」と答えるのみだった。

ハイリスク地域と拡大解釈

・日本DMAT事務局次長 救急医 近藤久禎「われわれがやった24日ぐらいがリミットなんです。あれ以上、先に行くと、甲状腺の被ばくは追えなくなる。半減期の問題で。あそこがリミットだったことは確実です。『あと3日間でやらないといけない』って放医研の物理屋さんから聞いていました」
広島大学 田代聡教授 放医研 宮後法博氏、鈴木敏和氏 と協働「飯舘の人たちをどれだけ多く調べられるか、みんなで一番議論していた。そこで基準値を超える人がほとんどいなければ、よそもほとんどいないという話になっていた」

甲状腺は安全と言える」

・放医研 内田祐棋氏が3月29~31日に作成した「派遣先行動報告」「甲状腺測定は、本日の飯舘村(300名以上)、川俣町(156名)、いわき市(30名)をもって終了とする」「これらのハイリスク地域でのデータを分析し、評価のあと、全地域で行うか決定する」「昨日までに対象者ほぼ全員を測定でき、その結果、有意な値はなかったため、小児甲状腺については、安全と言える」
・国会質問 想定問答集 「3月12日に20km圏内に対する避難指示がなされたことにより、放射線量が増加し始めた頃には、既に避難は完了していたと認識しているため、避難者に対する調査は行っていない」
・想定問答所管者「経済産業省原子力安全・保安院企画調整課 課長 片山啓」当時原災本部総括班長 中核中の中核
経済産業省原子力安全・保安院付 野田耕一」→現在日本原子力研究開発機構JAEA)理事 ふたりとも取材拒否

詭弁

・本当はまだ測る時間があり、もっと多くの地域の人たちを測ることができたのではないか。放医研が3月13日に「ハイリスク群」と見立てた人たち、つまり原発近くの双葉町にいた人たちも測定できたのではないか。
多くの人たちを測れば、深刻な被ばくに見舞われた人が出てくるかもしれない。その数も増えるかもしれない。広い範囲で被ばくに見舞われたことが浮き彫りになるかもしれない。そうなれば、厳しい追及を受ける人たちが出てくるだろう。
意図的に丁寧な測定を避けたのではないか。その口実として「時間がない」という詭弁を持ち出したのではないか。そう考えるのには理由があった。

測る時間はあった

弘前大、床次眞司教授のグループ 4月12~16日 浪江町津島で測定 計62人 最大で33ミリシーベルト
鹿児島大学秋葉澄伯氏の勧め 「寝た子を起こすな」「化け物が出たらどうする」という忠告
・モニタリングで得た大気中濃度を使って甲状腺等価線量を見立てることもできる。前章で扱ったように、その場の滞在時間や呼吸率などは仮定を置き、線量を推計できる。ただ床次氏は推計に大きな限界があると考えていた。「仮定の設定の仕方次第で、振れ幅がすごいですよね。仮定に仮定を重ねれば特に。簡単に10倍ぐらいになります。食べ物とか飲み物とかで体内に放射性ヨウ素を取り込む分は別に考えないといけないけど、それには限界があります。個人差がありますから。特に震災時はライフラインが止まった。皆さん、井戸水や沢の水を飲んでいるじゃないですか。それもどこまで加味できるのか」
・「スペクトロメータ」放射性核種の識別ができる
共同通信「床次真司教授のグループが放射性ヨウ素の被ばく状況を調査した際、福島県から『不安をあおる』と中止を要請され、調査を途中で打ち切ったことが分かった」「県地域医療課から『人の調査をしているようだが、住民の不安をあおるのでやめてほしい』と電話で要請されたという」
・11年4月22日20km圏外でも飯舘村浪江町津島地区など「計画的避難区域」設定

調べる気がなかった

・放医研 石原弘REMAT医療班「官邸の原子力災害支援策として専門家チーム(総理大臣官邸原子力災害専門家グループ)設置中 放医研(辻井理事)としては、関係者として、辻井理事、鎌田センター長、佐々木前理事長、酒井センター長を推薦した」
・「甲状腺モニター」の輸送 放医研断る

逃げ遅れなしの工作

・政府の「原子力被災者生活支援チーム」事故対応の中核を担う政府の原災本部の下に設けられた組織 経産省を中心に各省庁の官僚らで構成 発足は3月29日。原発事故の被災者支援を重点的に進めるという特命 
・4月8日「放射線モニタリング・線量評価に関する連絡調整会議」という名称で、文科省厚労省、原安委、放医研の関係者が経産省に集まる。経産省技術総括審議官 西本淳哉氏の部屋「省内では技術系のトップみたいな方」
・「今般の原子力災害における避難住民の線量評価について」と題したA4判の文書 最下部には「避難住民への情報提供」という項目「14日18時までに20km圏外に避難した住民は、避難の過程で浴びた線量は十分少なく健康上問題無いとの評価を提供可能ではないか」
・渕上善弘氏作成 現在原子力損害賠償・廃炉等支援機構の理事

幕引きの進言

・4/26午後5時官邸「官房副長官 福山哲郎」「放医研 緊急被ばく医療研究センター長 所内の対策本部で本部長補佐を務めた、事故対応のナンバー2 明石真言」「原子力災害被災者生活支援チーム(経済産業省大臣官房技術総括審議官)西本淳哉」「文部科学省災害対策センター医療班 班長 伊藤宗太郎」「厚生労働省大臣官房厚生科学課長 塚原太郎」の4人で面会(いわゆるレク
・「(西本)論点として疫学調査の必要性の有無があろうが・・」「(明石)住民の被ばく線量は最も高くても100mSvに至らず、これを疫学調査したからと言って影響があるとも思われない。科学的には必要性が薄いと考えている」
・「内部被ばくはゼロのはずはないんだろうけど、外部被ばくの方が大きいんだろうと判断したと思います」
・面会記録には「100ミリシーベルト」とある。甲状腺などの個別の臓器について考える際に用いる「等価線量」で語ったのか。被ばくが全身に及ぼす影響を議論する際に使う「実効線量」だったのか。明石氏は「実効線量です。空間線量率から100になることはないと判断しました。正門前とか」と語り、「疫学調査は不要」については「100ミリシーベルト未満の集団だと、ものすごく数がいないと差が出てこない。だから疫学調査をやっても意味を持たない。科学的には何も言えないという意味で言ったんだと思います」

解明の矛先

・レク前に文科省から放医研に全11枚の文書 1枚目の表題は「住民の線量評価の実施について」とあった。「本日の官房副長官レク資料です」と手書きされ、出席予定者が記されていた。2枚目の表題は「論点」だった。具体的には「政府の避難指示は、十分余裕を持って出されていたか」「高い累積被爆(註:原文ママ)線量が認められた者に対しては、どのようなケアを行うべきか」「疫学調査の必要性について」の3つが書かれていた。残り9枚には福島第一原発や周辺の空間線量、避難区域の人口などが記されていた。
・そもそも測り始めるのが遅かったという疑問→じつは測定の基準(マニュアル)は事故前からあった

第四章 2011年3月17日

本来の対応

・避難者向け「スクリーニング」 除染基準=1平方センチメートル当たり40ベクレル=GMサーベイメータで1万3000cpm(県) オフサイトセンターでは6000cpm 県の基準値と情報共有出来ず
・県は13日に専門家を交えて話し合った際、除染で使う水が足りないことなどが考慮され、基準値を10万cpmまで引き上げるべきだという意見が大勢を占めた。県は14日以降、全身除染を行う基準値を10万cpmとした。1万3000~10万cpmの場合はふき取りを行うことにしたが徹底されず、10万cpm未満の人には全く除染を行わないケースもあった。
・原安委は19日、放医研の緊急被ばく医療研究センター長からの要請を踏まえ、「スクリーニングの基準値は10万cpmで構わない」とお墨付きを与える見解をまとめた。国際原子力機関(IAEA)が2006年に作成した文書「Manual for First Responders to a Radiological」にある基準値に照らせば、10万cpmに引き上げても問題ないという放医研の判断に基づいていた。政府の現地本部も20日、同様の見解を文書にまとめ、各所に伝えた。

避難者の甲状腺も測るはずだった

原発事故が起きた際の役割分担はあらかじめ決めてあった。
災害対応の基本方針は、災害対策基本法が規定している一方、原発事故の対応方針は特別法に当たる原子力災害対策特別措置法でも定めている。
2つの法律を踏まえ、詳しい役割分担などをまとめたのが「防災基本計画」と「原子力災害対策マニュアル」だ。防災基本計画は、災害対策基本法で作成が求められており、基本計画の内容を分かりやすく整理したのが原子力災害対策マニュアルになる。これらによれば、時の首相が原子力緊急事態宣言を出した際には、政府は原子力災害対策本部(原災本部)と原子力災害現地対策本部(現地本部)を設けることになっていた。前者の事務局は経産省の緊急時対応センター(ERC)に置き、事故対応の中核を務める。後者は原発近くのオフサイトセンター(OFC)を拠点にする。自治体を交え、原子炉や汚染拡散の情報を集めながら避難や屋内退避などの方針を固めた上、原災本部にうかがいを立て、具体的な指示を各所に出すことになっていた。
・ただ、被ばくの恐れがある住民を対象にした対応は、都道府県が担うとされた。具体的な記述は、防災基本計画の原子力災害対策編のうち、「第2章 災害応急対策」の「第6節 救助・救急、医療及び消火活動」にある。この節の「2 医療活動」では、「都道府県は……医療班、救護班を編成し、緊急被ばく医療活動を行う」と記されていた。「緊急被ばく医療活動」とは、被ばくの恐れがある住民への対応を意味する。
福島県は防災基本計画にある役割分担に従い、住民対応の手順を文書にまとめていた。2004年に作成した「緊急被ばく医療活動マニュアル」だ。これは情報開示請求で入手できる。
災害対策基本法は政府に対して防災基本計画の策定を求めた一方、都道府県には地域防災計画の作成を指示していた。地域事情を踏まえ、都道府県の備えを書き記しておくのが地域防災計画になる。福島県のウェブサイトで公表されていた地域防災計画の10年度版を見ると、原子力災害対策編の「緊急被ばく医療活動の実施」という項目で、「具体的な活動手順等については、緊急被ばく医療活動マニュアルに定める」と書かれていた。つまりこのマニュアルは、位置づけが曖昧な文書ではなく、「災害対策基本法に基づき、福島県が住民対応の手順をまとめた公的文書」という重みを持っていた。
福島原発事故の前に福島県が想定していた住民対応の手順はどんな中身だったのか。
県のマニュアルの「Ⅲ 緊急被ばく医療活動の具体的手順」に目を通すと、まず「(1)救護所の開設」「(2)被災住民の登録」という項目があった。原発事故が起きた際には、避難所に救護所を設け、避難してきた住民の住所や氏名を確認することになっていた。
・続いて記載されていたのが「(3)身体汚染検査」という項目だった。避難してきた人の体に付いた汚染の程度を測ると記されていた。いわゆるスクリーニング、GMサーベイメータを使った体表面汚染測定のことだ。「Ⅱ 緊急被ばく医療体制」では、スクリーニングの基準値が記されていた。「40bq/cm²」とあった。この辺りは政府事故調の報告書の通りだった。最終報告によれば、県のマニュアルはスクリーニングの基準値を1平方センチメートル当たり40ベクレルと記載しており、GMサーベイメータの計測値に換算すると、1万3000cpmに相当する値と解説していた。
・最終報告は、スクリーニングの目的として「除染等を行う必要があるかどうかを判断するため」と記していた。スクリーニングで基準値に達した人には、除染を行うことが想定されていたことになる。しかし県のマニュアルを読むと、スクリーニング後に想定されていたのは除染だけではなかった。マニュアルの項目で言えば、「(3)身体汚染検査」の後に、被災者の健康状態などを聞き取る「(4)問診と説明」、そして「(5)一次除染」と続いていたが、さらに「(6)頸部甲状腺検査」という項目が設けられていた
・詳しく中身を読むと、次のような流れになっていることが分かった。
原発近くから避難所に逃れてきた人たちにはまず、体に付いた汚染の程度を調べるスクリーニングを行う。用いる測定器はGMサーベイメータ。「1平方センチメートル当たり40ベクレル」という基準値に達すると、問診を経て除染を行う。体の汚れを取り終えた人たちに対しては、NaIサーベイメータを使った甲状腺被ばく測定を実施する。内部被ばくをつかむためには、放射線の中でも体内から体外へすり抜けるガンマ線を捉える必要があった。ガンマ線をよく捕捉するのがNaIサーベイメータだった。
・県のマニュアルに従えば、原発近くからの避難者には、「スクリーニングの基準値に達した場合」という条件付きながら、甲状腺被ばく測定を行うことが想定されていた。しかし事故後、県が避難者向けに甲状腺被ばく測定を行ったという話は報じられてこなかった。政府事故調の報告書にも掲載されていなかった。政府が2011年3月24~30日にNaIサーベイメータによる甲状腺被ばく測定を行ったが、避難者は対象から外された。
・県のマニュアルが避難者向けの甲状腺被ばく測定を想定しながら、事故後に行われなかったのはなぜか。スクリーニングで基準値に達する人が誰もいなかったのか。

スクリーニングも甲状腺を意識していた

原子力安全研究協会作成のマニュアル「緊急時医療の知識」1993年。放医研、鈴木元氏も作成に関与。
・要約「放射性ヨウ素を含んだ空気の一団にさらされると、呼吸によって空気中の放射性ヨウ素を体内に取り込み、甲状腺内部被ばくを受けることがある。甲状腺等価線量で0.1シーベルト、つまり100ミリシーベルトになることもある。一方で、放射性ヨウ素を含んだ空気の一団にさらされた際には、体の表面に放射能汚染が付く。呼吸による甲状腺内部被ばくで100ミリシーベルトになるほどの空気にさらされた場合、体に付く汚染がどの程度になるか分析した結果、1平方センチメートル当たり40ベクレルという結果が得られた。以上を踏まえ、スクリーニングの基準値として1平方センチメートル当たり40ベクレルを採用した」
・2010年1月26日原安委被ばく医療分科会 原子力安全研究協会 放射線災害医療研究所 副所長 衣笠達也氏「40bq/cm²がどういうところから出てきたのかということで、一定の根拠があるということをお示ししたい」「スクリーニングレベルを決定する際に何に的を絞ったのか」「放射性ヨウ素の吸入というものを考えている」「放射性ヨウ素の吸入、甲状腺に影響を与えるわけなんですけれども、それを幼児を基に計算して100mSvというところに基づいている」と述べた。さらに1平方センチメートル当たり40ベクレルの汚染がある場所をGMサーベイメータで測った場合の計測値が1万3000cpmになると紹介していた。
・仮定を置いた推計のため、誤差が生じ得るものの、衣笠氏は「放射線医学的に一定の根拠がある」「合理性はあるだろう、こう申し上げて良いと思います」と説明していた。

除染を挟む意味

・事故後11年12月7日 被ばく医療分科会 鈴木元氏「(スクリーニングの基準値は)甲状腺内部被ばくが高そうな人をピックアップするスクリーニングをかけるという意味で作られていたものです。その後、甲状腺のNaIシンチレーションサーベイメータで簡易測定をする都合上、体表面の除染をするというのがペアになっておりました」

被害の記録に重きが置かれていた

・県のマニュアルが甲状腺内部被ばくを強く意識していたのは明らかだった。「Ⅱ 緊急被ばく医療体制」の「1 緊急被ばく医療活動の目的」では、「周辺住民がすぐに治療を必要とするような外部被ばくを受けることはほとんどないと考えられる。問題となるのは、放射性ヨウ素等を吸入することによる内部被ばくである」と記していたからだ。
・県のマニュアルには、被ばくの状況を書き残しておく意味も書かれていた。「Ⅲ 緊急被ばく医療活動の具体的手順」の「1 避難所等における医療活動」では、スクリーニングを受ける人たちには、測定結果などを記録する「被災地住民登録票」を渡すと書かれていた。マニュアルの中には登録票のサンプルが載っており、「この登録票は、将来の医療措置や損害補償の際に参考とするものですから、紛失しないように大切に保管してください」と記されていた。測る意味はよく理解されていた。
GMサーベイメータとNaIサーベイメータを使い分ける二段構えの測定になっていたのも、それなりの意味があるように感じていた。
手間を考えれば、最初からNaIサーベイメータで甲状腺被ばく測定を行いたいところだ。しかし体の外側に汚染が付いていると、不正確な測定になる。だから体に付いた汚染は取り除く必要がある。体に付く汚染の程度を調べるには、複数の種類の放射線を捕捉するGMサーベイメータを使うのが適している。だから「最初にGMサーベイメータで体に付いた汚染の程度を調べる」「その上でNaIサーベイメータによる甲状腺被ばく測定」となるのだろう。
・二段構えにしたもう一つの理由は、ふるい分けの必要性からだろう。
県のマニュアルは「Ⅰ 緊急被ばく医療の基本的考え方」「1 緊急被ばく医療の方針」で「全く医療を必要としない場合でも、多くの者が放射線障害に対して漠然とした不安や危惧を持ち、各医療施設に検査等を求めてくることが予想される」と記している。
心配していたのは、被ばくの恐れがない人らが医療機関などに大挙押し寄せ、詳しく調べる必要がある人にしわ寄せが及ぶような事態だった。混乱を避けるには、一定程度、被ばくした可能性がある人をふるい分け、優先的に測定が受けられるようにすることが必要になる。だからこそ、まずは体に付いた汚染の程度を調べ、放射性ヨウ素が多く舞う中を通ってきたと思われる人、つまり呼吸によって一定程度、甲状腺内部被ばくに見舞われたと思われる人をふるい分けた後、詳しく甲状腺内部被ばくを調べる段取りにしたのだろう。
・避難所で行う住民対応は、体の汚染を調べるスクリーニングと除染、そしてNaIサーベイメータを使った甲状腺被ばく測定だったが、より深刻な甲状腺内部被ばくが確認された場合、次の段階に進む想定になっていた。県のマニュアルや「緊急時医療の知識」によれば、甲状腺被ばく測定で1シーベルト、つまり1000ミリシーベルトに達すると判明した場合、県汚染検査室(大熊町)などに搬送し、ホールボディカウンタで測定することになっていた。深刻な甲状腺内部被ばくに見舞われた人ほど、多くの測定で丁寧に調べることを想定していた。
福島県のマニュアルが甲状腺内部被ばくを強く意識していたこと、原発近くから避難した人たちの甲状腺内部被ばくを複数の手法で把握しようとしていたのは明らかだった。測定結果を記録として残す意味もよく理解していた。
にもかかわらず、政府事故調はそう伝えなかった。避難してきた人に対して行うスクリーニングは「除染のため」と説明し、その後に予定されていた甲状腺被ばく測定についても言及しなかった。その影響を受けてか、県のマニュアルの内容が詳しく報道されることもなかった。
・これらは大きな過ちだった。詳細は後述するが、県のマニュアルに照らせば、原発近くから避難した人たちの中には甲状腺被ばく測定を受けるべき人たちが少なからずいた。しかし彼らに対し、甲状腺被ばく測定は実施されなかったようだ。本来なら、県のマニュアルから乖離した住民対応を問題視しなければならなかった。

「10万cpm程度多数」

・2011年3月11日の午後7時3分。東日本大震災の発生から4時間あまりたったころ、政府は原子力緊急事態宣言を出し、原災本部と現地本部を設置した。
原災本部の事務局は経産省の緊急時対応センター(ERC)に、現地本部は福島第一原発から南西に5キロ離れた福島県原子力災害対策センター(大熊町)内のオフサイトセンター(OFC)に置いた。独立行政法人原子力安全基盤機構」の報告書「初動時の現地対策本部の活動状況」によれば、経産副大臣池田元久氏と秘書官、保安院や原安委の職員らがヘリコプターで現地本部に向かい、12日未明の到着後は池田氏が現地本部長として指揮を執った。
・防災基本計画の上で緊急被ばく医療の主体となる県も、発災直後から対応を取り始めた。県の報告書「東日本大震災に関する福島県の初動対応の課題について」によると、11日午後3時半には県自治会館三階に県災害対策本部を設置。先に触れた原子力安全基盤機構の報告書は、11日深夜に副知事だった内堀雅雄氏ら県関係者がOFCに到着したと記していた。
文科省と放医研も被災地に職員を派遣した。情報開示請求で得た文科省の文書「東北・関東地域の大地震における原子力施設関係情報」などによると、文科省から防災環境対策室の田村厚雄氏と宮本啓二氏が12日未明に現地本部へ入った。同様に開示請求で得た「文科省関係派遣者リスト」などによれば、放医研から医師の富永隆子氏と看護師の福島芳子氏、線量評価が専門の鈴木敏和氏の3人が12日午前9時45分に現地本部入りした。
・未曽有の大震災だったため、各所で大きな混乱が生じていた。この辺りは、国会が設置した「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」、通称「国会事故調」が12年7月に公表した調査報告書が詳しい。地震の影響で福島県内の通信回路は大部分が途絶えたほか、空間線量などを計測するモニタリングポストは津波による流出や地震による通信回線の切断により、正常に機能したのは24ヵ所中1ヵ所のみになってしまった。一方で、地震津波への対応を理由に原発事故対応の要員を派遣しない省庁があった上、第一原発で情報収集に当たるはずだった政府の原子力保安検査官が引き揚げてしまった。
・情報収集や態勢作りでつまずいただけではない。
政府は11年3月12日午前5時44分に第一原発の10キロ圏に避難指示を出したが、国会事故調が原発周辺5町の住民を対象に行ったアンケートによると、この避難指示よりも前に原発事故の発生を知っていたのは全体の20%以下だった。住民の多くには行政からの連絡が行き届かず、テレビなどから事故の情報を得るしかなかった。避難を始めても大渋滞に巻き込まれ、普段なら1時間ほどの距離を6時間以上かけて移動する人もいたという。
そんな中で最初の爆発が起きた。12日午後3時36分のことだった。午後6時25分には避難区域が20キロ圏まで広がった。対象地域の住民の数は8万人近くに上った。
・爆発直後に行われた避難者のスクリーニングの状況は、はっきりしなかった。政府事故調が報告書で「福島県が12日から始めた」と伝える程度だった。
そんな中、ある測定結果を見つけることができた。実施したのは福島県相双保健福祉事務所。第一原発から北に25キロの距離にある。この事務所が発行した「東日本大震災における活動の記録誌」によれば、政府の現地本部に促されて12日午後6時から8人を測った。8人の測定結果を知るため、一人一人のスクリーニング測定記録票を情報開示請求で入手すると、3人が基準値に達していることが分かった。県のマニュアルは、スクリーニングの基準値を「1平方センチメートル当たり40ベクレル」と設定していた。GMサーベイメータの計測値では1万3000cpmに相当する。
それぞれの記録票のうち、「頭部」の欄を見ると、一人は1万8000cpmで、別の一人は3万~3万6000cpmとあった。残り一人は4万cpmで、靴の裏が10万cpmとも書かれていた。第一原発の北西3キロにある特別養護老人ホーム「せんだん」(双葉町)から避難した人たちの測定結果を開示請求すると、入手できた文書に同じ値が記されていた。
この測定結果は、政府の現地本部にも伝わっていたとみられる。先に触れた相双保健福祉事務所の報告書を見ると、13日未明、事務所内にある相双保健所の所長だった笹原賢司氏がOFCから応援の要請を受け、現地本部で活動したと記されていた。
★放医研がウェブサイトで公表していた事故対応の報告書「東京電力福島第一原子力発電所事故への対応 放射線医学総合研究所職員の活動記録」によれば、政府の現地本部に派遣されていた放医研の医師が13日午前11時過ぎ、第一原発から北西に45キロほど離れた川俣町に向かい、同町内へ避難してきた双葉町民を対象にスクリーニングを実施した。
放医研から現地本部に派遣された面々を考えると、この医師は富永氏だろう。スクリーニングの対象者は150人程度。「川俣町に避難している双葉町老健施設、デイサービスの利用者ならびに職員」とある。「ほとんどの人が髪、顔、手、衣服に汚染が数万cpm」「12日の爆発時に外にいたという人は、やはり100,000cpmを超えるような汚染があった」という。
・スクリーニングは福島市にある福島県立医科大でも実施されており、情報開示請求で得た文書に測定結果が記されていた。県立医科大が13日午後9時から開いた「全体ミーティング」の議事概要を見ると、この時点までにスクリーニングを実施したのが34人で、双葉町の住民が中心だったこと、8人が1万cpm以上だったことが報告されていた。
・把握できたスクリーニングの結果の数はそれほど多くなかったが、県のマニュアルで示された基準値に到達する人が少なくない割合でいることが分かった。つまり、「甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得る人」「県のマニュアルに従えば、NaIサーベイメータを使った甲状腺被ばく測定を受けるはずの人」が少なからずいたということになる。
・より深刻な状況が伝わる文書も、放医研に対する情報開示請求で入手していた。その文書はA4判一枚で、13日の未明に作成されたようだった。具体的には、「3月13日 (日) 4:49 鈴木敏和氏より」とあった。政府の現地本部に派遣された鈴木敏和氏から派遣元の放医研に連絡があり、その内容を書きとめた文書とみられる。ここでは「県、保健所長+総括保安院課長」などの記述に続き、「100万cpm程度多数(12万人規模の汚染者発生)」「原発北側(双葉地区)が高線量域である。(10万cpm)」と記されていた。
・似た記述は別の文書にもあった。やはり情報開示請求で得た。「現地総括保安院課長、県の保健所長、放医研(鈴木)との話」という表題の文書で、「サーベイ対象 12万人」「そのうち真刻(註:原文ママ)な対象者は1万人」とあり、13日午前5時48分に放医研から文科省へ送られた形跡が残っていた。
・この文書の更新版も入手できた。ここでは「①少数のハイリスクグループと多数のローリスクグループを分けたサーベイが必要」「②ハイリスクグループと思われる双葉地区住民、警察、自衛隊などを対象にモニタリング・除染を行うチームを1つ投入しサーベイ・除染すべき」「③ローリスクグループについては、別途、確認の意味での(簡易的な)サーベイ方法でよい」「①ー③については、現地オフサイトセンターの意見と一致している」と記されており、「3/13 06:35」と手書きされていた。
・第一原発が立地する双葉町からの逃げ遅れを強く危惧していたことがうかがえる。
10万cpmは一般的なGMサーベイメータの測定上限だ。政府、県、放医研の三者はそこまで汚染された人が多数出ると判断し、住民対応の方針を検討していたことになる。

対応手順は大幅に簡略化された

・スクリーニングの現場では早くから機能不全が起きていたようだった。
先に触れた通り、県相双保健福祉事務所が12日に行ったスクリーニングでは8人のうち3人が1万3000cpmに達していた。
スクリーニング後の対応は情報開示請求で得た一枚の文書に記されており、「除染ができないために、車に乗せて、男女共生センターに向かう」とあった。
福島県男女共生センターは二本松市内にある。相双保健福祉事務所から西に50キロ、第一原発から北西に60キロに位置する。相双保健福祉事務所では、甲状腺被ばく測定どころか、除染すら実施できなかったため、他に向かったということだろう。
福島県男女共生センターもスクリーニングの会場になっていた。双葉町から避難した沢上幸子さん(震災時35歳)は13日にスクリーニングを受けている。
勤め先の双葉町社会福祉協議会(町社協)は第一原発の北西3キロに位置する福祉施設「へルスケアーふたば」にあり、最初の爆発があった時には利用者のお年寄りを避難用のヘリコプターに乗せるため、近くの双葉高校の運動場で車いすを押していた。
先に触れたように、13日には放医研の医師が川俣町に赴き、双葉町から避難したデイサービスの職員らをスクリーニングしたところ、12日の爆発時に外にいたという人は10万cpmを超えるような汚染があったとされる。
・沢上さんに話を聞くと、町内でデイサービスを運営するのは町社協のみだった。同僚らが10万cpmの汚染に見舞われた可能性が高かった。同じように爆発時に屋外にいた沢上さんも同程度の汚染が付いた公算が大きかった。その沢上さんも川俣町へ避難したが、放医研の医師が到着する前に男女共生センターへ向かい、スクリーニングを受けた。
「とにかく『ビビビ』と鳴って、『単位変えますね』って言われました」
しかし測定結果は聞かされなかった。
「着ていた服を捨てるように言われたんだけど、それがどういうことか説明もなかった」
・現地本部(OFC)の文書 表題「指示」作成日時「2011年3月13日14時20分」「人の放射能除染スクリーニングの実施にあたっては……40bq/cm²または6000cpm以上を基準として除染を実施すること」→なぜか甲状腺検査のことが抜けて、「除染」基準になっている
・放医研 鈴木敏和氏、県相双保健所長 笹原賢司氏 取材拒否
・県の方でも対応手順の簡略化が検討されていた。専門家を交えて話し合ったのが13日。基準値を10万cpmまで引き上げるべきだという意見が大勢を占めた。県は14日以降、全身除染を行う基準値を10万cpmとした。1万3000~10万cpmの場合はふき取りを行うことにしたが、こちらは徹底されず、10万cpm未満の人には除染を行わないケースもあった。
・実際のところ、県は14日以降、避難者向けのスクリーニングをどう進めたのか。
スクリーニングの作業は、各地の大学などから集まった応援部隊が担った。彼らは朝晩、県庁西隣にある県自治会館4階の一室に集まった。「緊急被ばく医療調整本部」と呼ばれた場所だ。同じ建物の3階には県災害対策本部が置かれていた。
・どの会場に誰が行くのかを差配したのが、日本DMAT事務局次長の近藤久禎氏だった。前章の「ハイリスク地域と拡大解釈」などに登場した国立病院機構の救急医で、12日に来県した後、いったん岩手県に向かい、14日に再び福島入りしていた。近藤氏によれば、13日の話し合いに参加した専門家は、福井大教授の寺沢秀一氏や広島大教授の谷川攻一氏らだった。スクリーニングの基準値に達した場合の対応は除染のみとなり、甲状腺被ばく測定は「後回しにした」という。
政府事故調の最終報告は「1万3000~10万cpmの場合はふき取り除染」「10万cpmで全身除染」になったと記すが、近藤氏は「現場はそうなっていなかった」と明かし、「問題になるのは10万cpmということ」と尋ねると「そうだと思います」と答えた。
・前章の「ハイリスク地域と拡大解釈」で触れた通り、近藤氏の名前は『医師たちの証言』という書籍で見かけた。同様にこの書籍に登場したのが、弘前大教授で救急医の浅利靖氏だった。15日に調整本部に加わったと記されていたため、話を聞かせてもらった。
・浅利氏によれば、調整本部の総合調整係だった福井大の寺沢氏が引き揚げることになったため、その後任を担うよう、放医研の明石氏から電話を受けて福島入りした。当時のスクリーニングの進め方について、浅利氏は「10万cpmになったら除染するという話でした。放射性ヨウ素を吸入していたらどうするかという話はなかったんですよね」と振り返った。
・つまり14日以降、スクリーニングの基準値に達する人に予定した甲状腺被ばく測定はひとまず省いた上、基準値自体も実質的には10万cpmに引き上げたということだった。本来なら、スクリーニングで1万3000cpmに達すれば除染後に甲状腺被ばく測定を行うはずだったのに、基準値を10万cpmに引き上げ、この値に達した人でも除染しか行わないようになったという。
・谷川攻一氏のヒアリング記録 13日の話し合い 県自治会館4階 スクリーニング会場で除染に使う水が枯渇していると報告されたほか、現場は非常に寒く、ずっと並んでいると低体温症になりかねないという懸念が示され、「このままの除染基準を継続すると、人が命を失う可能性があった」「除染基準を引き上げるべきだという話になり、10万cpmに引き上げるべきということで合意した」
・細井義夫氏ヒアリング記録 話し合い13日夜 二本松市福島県立医科大で行われたスクリーニングの状況として「体表面汚染の高い人が多く、自衛隊が持ってきた水がなくなってしまった」「県立医大で除染した人の中では10000cpm以上の者は多かった」「雪が降っているのに、着替えとして着せる服(上着)がない」と伝えられた。その上で「住民を守るためには避難を優先させなければならない」「普通のサーベイメータでは10万cpm以上は測定できない」「私から10万cpmという基準を提案」に至ったという。
・すんなりと理解できない文章だったが、整理するとこうなるだろうか。
スクリーニングでは体表面汚染の高い人が多かった。ただ、1万3000cpmに達し、除染を受けるために長く待ったり、汚染が付いた服を脱いだりすると、低体温症になる恐れがあった。基準値を大幅に引き上げ、足止めする人を少しでも減らす必要があった。GMサーベイメータの測定上限が10万cpmなので、細井氏が基準値を10万cpmまで引き上げるよう提案したところ、他の専門家も同意した。
・調整本部で広まっていた認識について、浅利氏はこう説明した。
「基準値を1万3000cpmのままにしたらどうなるか。除染をしようにも、洋服を脱がせると、代わりに着るものがない。除染しようにもお湯がない。せいぜい水が少しあるくらい。水を使って除染する場合、屋外でやることになる。ただ、外はものすごい寒い。雪が舞うぐらいだから。それでもやれば風邪をひく。肺炎になる。震災直後だから受け入れてくれる病院がない。死んでしまう人が出るかもしれない。肺炎で死なせたらいけないということで10万cpmになった。そこのところは私が調整本部に着いてからもよく議論した」
深刻な状況があったという。
・「サーベイメータが振り切れるのが10万cpm。基準値をそれより下げると、たくさん除染が必要な人が出て対応できなくなる。非現実的ということで10万cpmを受け入れていた」
近藤氏も「基準値が1万3000cpmだと、みんな引っかかる。とにかく10万cpmじゃないと、ということになった」と語り、「早く避難できるよう、できるだけ引っかからないような基準にしたんですか」と尋ねると「そう、そうそう」と述べた。

記録はないがしろに

・記録は十分に残されなかった。何が起きていたのか曖昧になってしまった。
・14日以降に県が行ったスクリーニングは、各地の大学などから集まった専門家たちが手伝った。県自治会館4階には彼らが集う緊急被ばく医療調整本部が置かれ、日本DMAT事務局次長の近藤氏が応援部隊の仕切り役を担った。
近藤氏によると、当時はスクリーニングで「問題なし」のお墨付きを得ていないと、避難所などに受け入れてもらえないようになっていた。そうした事情を踏まえ、「『スクリーニング済』という証明書を渡すことがスクリーニングの目的になっていった」。
スクリーニングは、避難した人の中で甲状腺内部被ばくに多く見舞われた人をふるい分けるためだったのに、基準値は引き上げられ、対応手順は省かれ、目的もすり替えられた
・県の認識はどうだったのか。取材を申し込むと、県地域医療課の主幹、橘内俊之氏が応じてくれた。当時のスクリーニングには直接携わっておらず、マニュアルの作成経緯も詳しく知らなかったが、県庁内で引き継がれてきた見解についてこう教えてくれた。
「震災でスクリーニングがどう使われたかというと、避難所に入るために使われた。それを済ませていないと避難所に入れてもらえない。だから数をこなすことが優先された」
★県のマニュアルに従えば、スクリーニングを行った際には、一人一人の結果をA4判表裏の測定記録票に書き込むことになっていた。氏名や生年月日、住所、スクリーニングの日時や会場、測定者名などの記入欄があるほか、頭や顔、肩や手、服などの計測値を一覧表に書き込むことになっていた。そして基準値に達した場合には別の記録票を使い、甲状腺被ばく測定の結果などを記入することになっていた。
・しかし実際に事故が起きると、これらの記録票が使われないケースが出てきた。
スクリーニング会場の一つとなった福島県相双保健福祉事務所は先に触れた「東日本大震災における活動の記録誌」で「発災直後、福島県緊急被ばく医療活動マニュアルに基づき、スクリーニング測定記録表を用いて測定を開始したが、測定対象者の大幅な増加に伴い連名簿に変更せざるを得なくなった」とつづった。
「連名簿」はごくごく簡易的な記録票を指す。情報開示請求で入手すると、A4判一枚に10人分を書き込む様式になっていた。スクリーニングの結果を書き込む欄は「基準値超過・基準値以下」と印刷され、丸を付ける形になっていた。汚染部位や計測値を書き込む欄はなかった。
・記録まで手が回っていないスクリーニング会場もあった。
会津保健福祉事務所は3月13日から15日にかけ、郡山市の総合体育館でスクリーニングを行った。派遣された職員の一人、大竹香織氏は取材に対して「記録も何もないですよね。本当にこなすだけ。来た人を待たせないように」と語る。
・スクリーニングの仕切り役を担った近藤氏によると、各地で行ったスクリーニングの結果は毎日、一覧表にしてまとめていた。
自治会館4階にある緊急被ばく医療調整本部には毎日、各地からの応援部隊が集った。朝の会合では、誰がどの会場に向かうかが伝えられた。夕方の会合では各会場の結果が報告された。この報告に基づき、近藤氏らは一覧表を作成し、県に渡していた。
・3月分は県に残っており、情報開示請求で入手できた。表題は「スクリーニング実績」。項目として会場名や測定人数のほか、「13,000〜10万cpm未満」「10万cpm以上」の人数を書き込む欄があった。
・この一覧表は大きな欠陥があった。各会場の結果のうち、「13,000~10万cpm未満」という項目で「ー」が目立った。13~14日はほぼ全会場、15~17日は半数程度の会場でそうした記述になっていた。

・近藤氏に「ー」の意味を尋ねると「記録が残っていないということ。ゼロではないです」と答えた。スクリーニングの基準値が10万cpmになった影響で、会場によっては「13,000~10万cpm未満」の結果を記録しないケースが出たという。
・「調整本部に来た専門家には、ちゃんと報告するよう徹底できたんです。ただ、県の保健所から各会場に行った人たちは調整本部に来ない。県を通じて話が行ったと思うんですけど、行き渡るのに時間がかかった」
・近藤氏と同時期に県自治会館の調整本部にいた弘前大の浅利氏もこう話す。
「あの時は10万cpmに基準を上げたため、それより低い場合は、いらないデータと考えられたんですよ。10万cpm未満なら問題ないとされた以上、仕方なかったんですけど」
政府事故調は中間報告の「V 福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処」のうち、「住民の被ばくについて」でスクリーニングの結果を伝えている。測定を受けたのは20万人以上で、1万3000cpmから10万cpmの間だったのが901人、10万cpm以上が102人と記されていた。県地域医療課の橘内氏は「近藤先生たちがまとめた一覧表の数字を足し合わせた可能性がある」と語る。
・そうなると、実態を反映していない公算が大きい。先に触れたように「1万3000~10万cpm」の結果が欠落しているからだ。正確に言えば「1万3000~10万cpmは少なくとも901人」「実際はそれより多い可能性が高い」ということになるだろう。
・他に7286人分の記録があるが、記録の偏りが著しいので有用なデータにならない。例えば13日の記録は田村市の測定会場のみで、他の5会場が抜け落ちていたり。

仕方なかったでは済まない

・スクリーニングの現場では機能不全が起きていた。1万3000cpmに達した人は除染後に甲状腺被ばく測定を行うはずだったのに、相双保健福祉事務所では除染すら行えず、県男女共生センターではスクリーニングの結果を避難した人に伝えていないようだった。
・そんな中で13日午前9時半、政府の現地本部は住民対応の手順を簡略化する案をまとめた。スクリーニングで基準値に達した場合の対応を除染のみにしようとした。
県にこの方針は伝わらなかったが、13日夜に県は専門家を交えて話し合い、14日以降は対応手順が簡略化された。基準値は10万cpmに引き上げられ、これに到達した場合は除染のみとなった。避難者向けのスクリーニングではたくさんの人が1万3000cpmに達し、寒い中で待たされる公算が大きかったため、誰も該当しないようなレベルまで基準値は上げられた。
スクリーニングは数をこなすことが優先され、測定結果の記録はないがしろにされた。10万cpm未満は記録しないケースが目立った。スクリーニングに携わった人たちは「1万3000cpmに達する人がたくさん」と証言したが、測定結果の多くは記録されていなかった。
・「1万3000cpmに達する人がたくさん」は重い意味を持つはずだった。「甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得る人がたくさん」「NaIサーベイメータを使った甲状腺被ばく測定を受けるはずの人がたくさん」と同義だったからだ。にもかかわらず、避難した人たちのスクリーニングの結果は十分に書き残されず、甲状腺被ばく測定も省かれた。本来なら、どこかのタイミングで避難者向けの甲状腺被ばく測定を改めて実施すべきだった。対応手順の簡略化は「従来通りなら多くの人が足止めされる」「避難を優先するには仕方なかった」ということのようだが、やらなければならないことを省いたなら、避難が一段落したところで改めて実施すればよかったはずだ。しかし、そうはならなかった。
・避難者向けの甲状腺被ばく測定が実施されなかったのはなぜか。
震災発生から1週間ほどの3月17日、避難者の甲状腺内部被ばくの状況を矮小化する文書が放医研によって作られていた。スクリーニングの現場に周知され、避難者の被ばくの問題は幕引きされたようだった。原安委の指針類「緊急被ばく医療のあり方について」によれば、放医研は「緊急被ばく医療体制の中心的機関」とされ、各所に必要な支援や専門的な助言を行う役目が期待された。実際に事故が起きると、被ばくの状況を矮小化する工作に手を染めた。 

避難者の被ばくは矮小化された

福島県のスクリーニングでは3月14日以降、基準値が1万3000cpmから10万cpmに引き上げられ、これに達した場合の対応は除染のみとなった。
各地から来たスクリーニングの応援部隊は、県自治会館4階の緊急被ばく医療調整本部に集まるようになっていた。本章の「対応手順は大幅に簡略化された」に登場した弘前大教授の浅利氏は15日から調整本部に加わり、総合調整係を担った。
放医研の電子掲示板「緊急被ばく線量評価情報共有・伝達システム」を見ると、16日午後7時ちょうどに浅利氏に関連した投稿がなされていた。
「スクリーニング班長・浅利先生、文科省の牧さん、原さんより放医研・吉田さんに対して下記の依頼がありました。お忙しいところ大変申し訳ありませんが、資料作成をご検討いただけないでしょうか」
「スクリーニング対象者が急増し、特例として10万cpmに上げた。現場の状況を考えると適切な判断だったと考える」
「一方、今後10万cpmの意味を問われることは間違いない」
「住民に対しての理論武装は必須となる。『何故自分は10万という高い値でOKとされたのか』『調子が悪いのは10万という値のせい』という声が必ずでる」
「放医研でヨウ素セシウムについて10万cpmでの被ばく線量を計算し、今回の措置が健康に影響を与えるものではないことを説明するための材料出しをして頂けないか」
・「GMサーベイメータで10万cpmって針が振り切れる値です。これ以上は測ることができません。そのレベルで心配ないって本当に言っていいのかという疑問があったんです。10万の汚染が付いていても大丈夫なら根拠が欲しかったんです。全国から測定班が来ていたんですけど、彼らはスクリーニングの会場で矢面に立たされる。住民の方々から説明を求められます。その時に説明できるように、ということを考えて、放医研の人に尋ねました。『理論的にみんなに説明できるよう、10万cpmがどういうものか教えてくれ』と。放医研の人もうろ覚えで、正式に回答が出てこなかったので、『聞いてみますよ』という感じになりました」
・「応援に来た人たちがマニュアルの中身を把握しているかというと、把握していないんです。元々のフローをみんな知らない。僕らじゃ計算ができない。下地がないわけですよ。緊急被ばく医療は勉強する機会がない。普通の医療は毎日患者さんと向き合ったり、検査したりしながら体に染みこませる。でも緊急被ばく医療はせいぜい訓練だけ。身に付かないんです。ちゃんと分かっているのは放医研の人たちぐらい。放医研以外は10万cpmがどういうものか分からないんですよ」
・3月17日作成「100kcpm根拠」と題したPDFファイル A4判1枚「汚染クリアランスレベルとして100,000cpmを設定した根拠(メモ)」放医研 藤林康久 分子イメージング研究センター長作成

・匿名で取材に協力してくれた放医研関係者「無茶苦茶な計算をやっていますよ。こういうことが放医研の名前で行われていたんですか。ショックです。これはひどい。いや、本当に。夢に見そうです。多分、専門家がチェックしていない文書ですよ。専門家が見ていたら、外に出ていかない書類です。それぐらいひどい」
★繰り返しになるが、「緊急時医療の知識」などで示されたのは、体に付いた汚染の程度から、放射性ヨウ素が多く舞う中を通ってきたか、どれだけ呼吸で体内に取り込んだか、甲状腺内部被ばくがどの程度になるかをつかむ考え方だった。1万3000cpmの汚染が付いていれば、甲状腺等価線量が100ミリシーベルトになり得るとされた。
これに対し、問題の文書は「(サーベイメータの)小さな丸い窓の下にある汚染だけを吸い込んだ」という想定にすり替えたとみられる。こんな想定はありそうにないにもかかわらずだ。そうまでして放医研は「10万cpmでも0.17ミリシーベルト」と線量を小さく見せかけたようだった。
★この値を導くための仕掛けは、他にもあった。
先の放医研関係者は「甲状腺への影響を考えるなら、等価線量で計算しなくちゃいけない。でも実効線量に換算している。結果的に値としては2桁ほど小さくなる」と教えてくれた。
等価線量も実効線量も単位として用いられるのは「シーベルト」だが、考え方はずいぶんと違う。「個別の臓器がどれだけ被ばくしたか」を分析する際には等価線量を計算する。一方、「体全体で考えると被ばくの程度はどれほどか」という視点で計算するのが実効線量だ。
実効線量を導く際には、臓器別の等価線量を足し合わせることになる。ただし単純に足し算をするのではなく、臓器別の等価線量に対し、あらかじめ割り当てられた係数を掛け、それらを合計する。実効線量を導くために甲状腺の等価線量を換算すると、20分の1程度になる。甲状腺等価線量で100ミリシーベルトは5ミリシーベルト程度になる。こうして換算した方が数字は小さく見える。問題の文書では、そんな「トリック」が使われたということだ。
・緊急被ばく医療調整本部にいる放医研内堀氏→放医研へのFAX「本日朝の全体ミーティングのメモです」「100kcpmの根拠について全員に放医研のメモが紹介されました」「吸入に対して100kcpm」「170μSv→26日分の自然放射線」「胃 600μSv 自然(年間) 2・4mSv」「170uSvに相当。(数値は一人歩きしてしまうことがあるので、対外的には言わないようにとのこと。)」
・わかっていない医師はこれを信じたし、よくわかっていた医師は、放医研がこう言っていることに対して何事かを察し、忖度して黙った。
・放医研藤林康久氏 分子イメージングが専門 事故時対策本部、副本部長代理と医療情報提供責任者 各地の病院からの電話相談担当 
・「『(スクリーニングの基準値が)10万cpmで何とかならないか』という連絡が放医研の会議であって、『しっかりした根拠がないか』という話になった。それで『説明する資料の取りまとめをしてくれないか』と僕に振られた。当時、被ばく影響を専門にする先生方は忙しすぎたんですよ。放医研で座っているのが難しくて。僕は電話番ですから、放医研にいるのは間違いない。こういう書き物でも作っておけという趣旨だったと思います」
・「サイエンティフィックに問題がないと認めているものがないか探してもらった。僕自身、探す能力はなかったので。皆さんが資料として出してくれたものを整理してまとめました」「そうですね。特に大きな心配はないという意味で」「誰かからもらったものをそのまま書いたんですけど。そういう意味では、咀嚼しきれていないんですよ」「放医研の会議で見ていただいた。皆さんにお目通ししていただいた覚えがあります」「特に何もなかったと思いますけど。是とか非とか」
・1万3000cpm相当の汚染が体に付いていると、甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得るという考え方を知らなかったのか。そうぶつけると、藤林氏は「それはどこで定められているんですか。事故が起きる前からあったんですか」と逆質問を投げかけてきた。
事故前年の原安委でも確認されています、と返した。
「僕はそうした情報を持っていなかったです」
藤林氏は続けて「知らなかった。申し訳ない。僕は専門家じゃなくて」と述べ、「なんでこんなことが起きたんですかね、そうしたら」と漏らした。こちらが聞きたかった。

「不十分なことがいっぱいあった」

・19日原安委、20日政府の現地本部も「スクリーニング基準値は10万cpmで構わない」とお墨付きを与える見解発表。放医研緊急被ばく医療研究センター長明石真言氏の提案を受けて。
・明石氏に「文書の中で書いてある線量限度って、一般公衆の値じゃないですよね。ICRPの1990年勧告や2007年勧告に書いてある数字と違いますよね」とぶつけた。
「そういう目で見たら、これは」
等価線量限度で500ミリシーベルトというのは職業被ばくのケースではないのか。なぜこんな書きぶりにしたのか。
「だから多分、その時の、今っていうか、ええと……」
どういう意図があったのか。
「意図は多分、計算した時に、われわれの中で、一応……」
同じ質問を繰り返すと、こう返ってきた。
「どう答えたらいいか分からないけど、この文書で書かれているのは、不十分なことがいっぱいあったということになると思います」
なぜそんな文書をまとめたのか。
「ちょっと僕はその、当時のことは分かんないですけど。どういう議論になったかは覚えていない。職業人と一般人が一緒にされているところに問題があると。冷静に見ればそういうことになると思います」
・IAEA2006年に作成した報告書「Manual for First Responders to a Radiological Emergency」「1平方センチメートル当たり1万ベクレル」=「そのまま汚染を放置すると危ないレベル」=急性症状が出るレベル 核テロでの緊急避難を想定
・明石氏に尋ねた。体に付いた汚染は、避難途中にどれだけ放射性ヨウ素にさらされたか、どれだけ体内に放射性ヨウ素を取り込んだか、どれだけ甲状腺内部被ばくに見舞われたかをつかむ重要な手掛かりになるはずだった。1平方センチメートル当たり40ベクレルの汚染が体に付いている場合、つまりGMサーベイメータの計測値で1万3000cpmの場合、甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得るという考え方があったはずだ。「スクリーニングレベル100,000cpmについて」でこの考え方に言及しなかったのはなぜか。
「だから、あの、たぶん、そうやって作ったレベルだったものが、他の、別の……」
10万cpmの汚染が体に付く場合、単純計算なら等価線量で800ミリシーベルト近くになるかもしれない。なぜその点に言及しなかったのか。
「本来のなれそめは、そういうところから出てきた数字なんだけど、もうあの、この。内部被ばくのことを多分、ここで議論したわけではないので。そういう議論はしないで、こういう数字になったんだと思います」
肝心な部分は無視した、ということだ。
・別の角度から質問した。IAEAの基準値を引用したが、この値の意味をどう捉えていたか。
IAEAが載せた、載せたというのは、周りの人への影響を書いた部分が大きいと思います」
IAEAの報告書では、基準値を導くために使われた詳しい計算式が見当たらなかった。基準値に達した場合、誰がどれだけ被ばくを受けると理解していたのか。
IAEAのこういう基準を下回っているとしか言っていないです」
どんな人をふるい分ける基準値なのか分かっていなかったのか。
「ええと、そうですね、もう、これが、ええと……」
要領を得ない言葉の後にこう述べた。
IAEA、もしかしたら、過信していたのかもしれないですね。一個一個の数字を一個一個、100パーセント評価しないでつくったものである。そういうことだと思います」
言葉を失った。「避難者のスクリーニングで10万cpmの汚染が体に付いていても問題ない」「基準値は10万cpmで構わない」と言えそうな数字として持ってきただけ、ということか。
★あまりに罪深いと感じた。「1万3000cpmがたくさん」「甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得る人がたくさん」「甲状腺被ばく測定を受けるはずの人がたくさん」という状況ではなかったのか。そうぶつけると、明石氏は文書の中身について改めて非を認めた。
「(放射性ヨウ素を)吸っているということは確かに考慮していないです。評価しないで、これを決めたのは事実です。きちんとできていなかったのは、言われた通りです」
・明石氏は「悪事に手を染めている」という意識があったはずだ。
「1平方センチメートル当たり40ベクレルの汚染が体に付いている場合、つまりGMサーベイメータの計測値で1万3000cpmの場合、甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得る」という考え方は、10年1月26日に開かれた原安委の被ばく医療分科会で確認されていた。この会議で主査代理を務めたのが明石氏だった。県のマニュアルではスクリーニングの基準値として「1平方センチメートル当たり40ベクレル」が採用された。マニュアルの巻末を見ると、作成に携わった専門家たちの氏名が掲載されていた。「明石真言 放射線医学総合研究所・緊急被ばく医療研究センター被ばく診療部長」という記述を見つけることができた。
県のマニュアルの対応手順、スクリーニングの基準値の意味をよく知るのが明石氏だった。

汚れ役

まとめ 避難者向けのスクリーニングでは、たくさんの人が1万3000cpmに達したという。「甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得る人がたくさん」「NaIサーベイメータを使った甲状腺被ばく測定を受けるはずの人がたくさん」という状況を意味していた。
福島県による住民対応は14日以降、円滑な避難のため、大幅に簡略化された。10万cpmに達した人たちを除染するだけになった。10万cpm未満の記録は十分に残されなかった。
放医研は3月17日から19日にかけ、避難者の被ばくの問題を矮小化する工作に手を染めた。「汚染クリアランスレベルとして100,000cpmを設定した根拠(メモ)」「スクリーニングレベル100,000cpmについて」を作成し、「避難者のスクリーニングで10万cpmの汚染が付いていても0.17ミリシーベルトの被ばくにしかすぎない」などと各所に伝えた。原安委のほか、政府の現地本部も追認した。「避難者の被ばくは問題ない」とされてしまった。
20日すぎ、第一原発の20キロ圏だった避難区域を拡大する案が浮上した。原安委と官邸が協議した結果、20キロ圏外の状況把握のために甲状腺被ばく測定を行うことになった。
政府の甲状腺被ばく測定は24~30日に実施した。SPEEDIを使った推計などを踏まえ、第一原発から北西や南に35~45キロ離れた地域で1080人を調べた。「半減期の問題で、測る時間がない」と詭弁を持ち出し、早々と打ち切った。それだけにとどまらず、「原発から北西や南に35~45キロ離れた地域」は「最も線量が高い地域」と見立て、この地域で全員が甲状腺等価線量で100ミリシーベルト相当の基準値を下回ったことから「他の地域も問題ない」と判断された。関係省庁による会議では「避難者は健康上問題ない」という見解が共有された。この会議に出席した放医研の明石氏は「疫学調査は不要」と官邸に進言した。放医研の会議では「11歳の少女が甲状腺等価線量で100ミリシーベルト程度」「第一原発がある双葉町から避難した」と報告されたものの、特別な対応は取られなかった。
・何度も繰り返すが、甲状腺被ばく測定を受けたのは一握りの人たちだけだった。大多数の人たちは、自分がどれだけ被ばくしたのかよく分からない。今から測ることもできない。「望まない被ばくを受けた」「がんになったのは被ばくのせい」と訴えようにも、測定を受けておらず、「被ばくした」という証拠が残っていないため、聞き流される構図ができている。医療的な支援や補償を求めたくても、泣き寝入りを強いられる状況が生じている。
・政府には、被ばくから住民を守る責務があった。避難指示の遅れなどで被ばくさせてしまった場合には厳しい追及にさらされる可能性が高かった。「被ばくさせた」という証拠が残っていない今、政府は追及から逃れている。
これが事の顛末だったようだ。
・鎌倉幸雄 放医研の上部組織「量子科学技術研究開発機構」安全管理部長 元文科相原子力安全課
・問題の文書の作成指示 文科省 カマクラ、牧慎一郎、原真太郎→明石→藤林 
・放医研の関係者に取材を繰り返していたころ、複数の内部告発が届いた。直接会うなどして内情を聞いた。そのうちの一人は「国の研究機関でしょ、放医研は。だから上層部に官僚が来ている。事故があった時もね。彼らには逆らえない。機嫌を損ねると、予算が取れなくなる。彼らが『余計なことはするな』って空気を広めていたと思っている」と語った。
別の一人は、事故対応のナンバー2だった明石氏についてこう述べた。
「後で困らないかと思って見ていました。『100ミリシーベルトを超える子はいない』という趣旨の話もしたようですけど、言わされていたのかなと思います。だって、情報がないのに言えるわけがないじゃないですか。だから頼まれたんでしょうね。公務員として矛盾がある中で頑張っていた気がします」

黒幕と被災県

・県の責任
「県民健康調査」の委員の人選≒官邸の助言役「原子力災害専門家グループ」 
放影研主席研究員 児玉和紀「福島原発事故においては早期から汚染ミルクの出荷制限が適切に実施されていますので、甲状腺がんが住民に増加する可能性は低いとは思われます」 
放影研 明石、経産省 西本、文科省 伊藤 オブザーバー
福島県 内堀雅雄知事 2014年11月12日知事就任会見 原発事故の状況について「光と影の両方を正確に知っていただく努力ということを私自身はしたいと思っております」
・重要な文書をシュレッダーにかけることだけはやめてほしい。

おわりに

甲状腺がんを患った女性 事故当時中学校の卒業式 5年後の大学生の時診断 福島県中通り
・買い出しを手伝ったり、学校に課題を届けたり、外に出ざるを得なかった
・「麻酔を入れるのがものすごく痛かったです。そこからすぐ記憶がなくなって、手術をして、運ばれている時に目が覚めたんですけど、体が動かなくて、目も開けられなくて、すごく寒くて、苦しくて」。吐き気や気分の悪さも続き「もう絶対、手術したくないと思うくらい、つらかった」
・それでも早期発見のためか、転移はなかった。大学は無事卒業でき、東京都内の会社に就職することができた。しかし本人は違和感を持ち続けている。体のむくみを感じることが少なくなく、風邪の治りも悪くなった。再発の不安も消えない。
「私、バリバリ仕事して、結婚もしたいと思っていました。でも、がんになって歯車が狂ったと感じています」
・がんと原発事故の関連は「あると思っています」と語った。
甲状腺がんになる原因は、被ばくか遺伝かって言われていますよね。私の家系で甲状腺がんの人は誰もいないんです。父方も母方も」
被ばくした自覚がある。
原発の爆発があったころ、私は何回か外に出ました。その時に放射性物質を吸い込んじゃったかもしれない」
・しかし彼女がどの程度、甲状腺内部被ばくを受けたか分からない。政府や福島県は、彼女の甲状腺にどれだけ放射性ヨウ素が集まっていたか測定しなかったからだ。
丁寧に語ってくれていた女性が語気を強めた。
「バレバレなんですよね。すごく隠したいんだって。私たちが被ばくしたっていうことを」
・「被ばくのせいでがんになった」と感じながら、そう訴える有力な証拠を持たない人たちは泣き寝入りするしかないのか。救済の道を開くことはできないのか。次に事故が起きた時、同じ事態を招いてしまわないか。
福島原発事故からまもなく10年になる。「終わったこと」にすることはできない。
・先輩 田原牧、編集者への謝意

主な参考文献

9/23読了

◆要約:◆感想:

◆要約:
最初の取材は100ミリシーベルトの少女(11歳)問題。誉田栄一教授ら徳島大学チームの指摘。郡山市総合体育館の測定会場でいわき市相双保健福祉事務所の放射線技師、井上弘氏の測定によるものだが、取材拒否。
3月24日から始まった1080人の甲状腺被ばく測定。サンプルが少なすぎ、測定地点が遠すぎ、測定開始が遅すぎ。責任者が誰なのかよくわからない。
放医研内の電子掲示板システム「緊急被ばく線量評価情報共有・伝達システム」の情報開示請求で一級資料があつまる。
山下俊一福島県放射線リスク管理アドバイザーも例の「ニコニコ」発言の日の夜に、「小児の甲状腺被ばくは深刻なレベルに達する可能性があり、それを防ぐための早急な対策が必要との見解」。
甲状腺被ばく測定「時間がない」という「詭弁」。弘前大、床次眞司教授のグループは4月12~16日にやっている。しかし「住民の不安をあおる」との県からの中止依頼で途中で終了。
実は「緊急被ばく医療活動マニュアル」があり、福島県は2004年に更新していた。
「Ⅲ 緊急被ばく医療活動の具体的手順」「(1)救護所の開設」「(2)被災住民の登録」「(3)身体汚染検査」「(4)問診と説明」「(5)一次除染」「(6)頸部甲状腺検査」と定められていた。
原発近くから避難所に逃れてきた人たちにはまず、体に付いた汚染の程度を調べるスクリーニングを行う。用いる測定器はGMサーベイメータ。「1平方センチメートル当たり40ベクレル」という基準値に達すると、問診を経て除染を行う。体の汚れを取り終えた人たちに対しては、NaIサーベイメータを使った甲状腺被ばく測定を実施する。」
「1平方センチメートル当たり40ベクレル」=GMサーベイメータの計測値1万3000cpm=幼児甲状腺被ばく等価線量100ミリシーベルト
「県のマニュアルが甲状腺内部被ばくを強く意識していたのは明らかだった。「Ⅱ 緊急被ばく医療体制」の「1 緊急被ばく医療活動の目的」では、「周辺住民がすぐに治療を必要とするような外部被ばくを受けることはほとんどないと考えられる。問題となるのは、放射性ヨウ素等を吸入することによる内部被ばくである」と記していた」
実際、避難者スクリーニングで1万3000cpm超え多数、10万cpm超えも。
「13日夜に県は専門家を交えて話し合い、14日以降は対応手順が簡略化された。基準値は10万cpmに引き上げられ、これに到達した場合は除染のみとなった。」記録も残さない。
それを正当化するために文科省が放医研に作らせた2つのトンデモ文書「汚染クリアランスレベルとして100,000cpmを設定した根拠(メモ)」「スクリーニングレベル100,000cpmについて」それぞれ、放医研の藤林康久と明石真言が作成。
これをもとに国と原安委も県に追随し、本来は甲状腺被ばくを測定しなければならなかった、1万3000cpm超え=幼児甲状腺被ばく等価線量100ミリシーベルト超えの多数の人達(少なくても901人。正確な人数は記録していない)を見捨ててしまった。
その後の「県民健康調査」の委員の人選も、基本的にはこの決定に関わった放医研、放影研関係の同じ人脈。
◆感想:
スゴ本だった。
study2007『見捨てられた初期被曝』(岩波科学ライブラリー2015年6月)で書かれていたことだが、情報公開請求と関係者への取材をして裏取りをしたかたち。
福島県2004年作成の「緊急被ばく医療活動マニュアル」(公文書の位置づけ)に、ちゃんと「(6)頸部甲状腺検査」をすることと書いてあった。
事故当時の混乱、人手不足、資源(除染のための水、代えの衣服など)不足のため、特別措置として暫定的にスクリーニング基準を10万cpmに上げることは理解できる。
それでも、1万3000cpmを超えた人は必ず記録して、後からでも甲状腺がん被ばく測定を絶対にしなければいけなかった。
そして衝撃的な「汚染クリアランスレベルとして100,000cpmを設定した根拠(メモ)」「スクリーニングレベル100,000cpmについて」という2つの文書。放医研の藤林康久と明石真言が作成したとんでもない虚偽文書。
最後に黒幕の影とか、文科省の命令に逆らえなかったとか出てくるが、それは正直わからない。しかし、この2人については実行犯が確定していて、本人もそれを認めているのだから、処罰しないとおかしい。それがいまだにのうのうと存在を許されている放医研という組織はもはや全く信用できない。
当時の米倉義晴理事長はどれほど関与していたのかわからないが、彼も当然責任は免れない。
そしてそんな明石真言がUNSCEARの日本代表をつとめて、これまたとんでもない欠陥のUNSCEAR2020/2021報告書をまとめている。
放医研でも大多数であろう心ある科学者たちはいまこそ立ち上がって、邪悪な「原子力ムラ」の因習を断ち切るために団結して声を上げて欲しい。
そうしないと、日本の未来自体が終わると思う。
この本は丁寧で粘り強い取材が光る素晴らしい本だと感じた。

【傍聴メモ】「311子ども甲状腺がん裁判 第11回口頭弁論」@東京地方裁判所

記憶を元に書いているので、間違いもあると思います。正確には裁判記録に当たって下さい。
目次

1.原告1本人陳述 原告1が被ばくし、甲状腺がんに罹患した経緯

会津地方 原発から約100km
・盆地であり、プルームが溜まりやすい。
・道路に面し、粉塵が巻き散らされやすい環境
・自転車通学
・スーパやカラオケなど自転車でよくいく
・事故当時、スーパで、地元の牛乳、露地野菜を買って食べていた
・当時16歳くらい
・19歳一次検査
・20歳 細胞診検査 長い針で痛くて涙が出た 2回も失敗 付き添いの母「4回目はさせませんよ」 甲状腺がんと診断
・結節10.6mm→手術時11.6mm
甲状腺左葉切除手術 麻酔が切れるとひどい痛み 吐き気 何ものどを通らない
・最初は気持ちが追いつかなかった 考えると辛いのでなにも考えないようにしていた 友人たちの励ましが支えになった

2.潜在がん論批判 田辺保雄弁護士

甲状腺がん手術、とても繊細で難しい 他の器官も集中しているため 高い技術が求められる
・手術の動画
・手術327人
厳格なガイドラインに基づいて診断されている EBM(Evidence Based Medicine)「(科学的) 根拠に基づいた医療」
・日本内分泌外科学会が、EBM に基づいて編集した「甲状腺腫瘍診療ガイドライン
・日本乳腺甲状腺超音医学会策定「甲状腺超音波診断ガイドブック」、日本内分泌外科学会と日本甲状腺病理学会が編纂した「甲状腺癌取扱い規約」、日本甲状腺学会2013年「甲状腺結節ガイドライン」、2016年「甲状腺専門医ガイドブック」など
・一例、結節1cm以上又は被膜外浸潤、リンパ節転移が認められる場合手術、それ以下は経過観察。前回より結節の大きさが成長している場合手術(低リスクがんはほとんど成長しない)。など
・各原告の具体的な臨床・病理説明。リンパ節転移多数。再発した者も数名。
・各患者の診断記録、画像データなど保管されており、手術の必要がなかったなど全く言えない。

3.UNSCEAR2020/2021報告書(被ばく線量)批判 只野靖弁護士

・UNSCEAR報告書=被ばく量の著しい過小評価
・UNSCEAR寺田論文 10歳児甲状腺被ばく量 年間平均5.1mSv
・対して紅葉山モニタリングポストの数値を使った平山論文 60mSv 10倍の差
・すぎのこ幼稚園 被ばく量調査 3月17日 一人45mSv
・寺田論文 ATDMシミュレーション(大気輸送・拡散・沈着モデル) 福島市のSPM(浮遊粒子状物質)測定局 濾紙データの結果に依拠
・SPM局データ なぜか15日の第一プルームの値が出ていない。
・黒川眞一教授の仮説=霧箱効果仮説 湿度が高い環境において、大気中に浮遊する SPM がサイクロンの中の霧箱効果により霧中の水滴に取り込まれた結果、粒径が大きくなり、分別されてしまい濾紙まで届いていない
・UNSCEAR報告書の寺田論文が紅葉山モニタリングポストやすぎのこ保育園のデータを使用せず、第1プルームを捕らえられていないSPM局のデータのみを使用していることは奇妙

4.補足 井戸謙一弁護士

・J・H・ルビン博士による、東電の主張する100mSv閾値論への反論
・法学者我妻栄による原賠法の趣旨 原賠法立法時、「被害者保護」が最重要と認識されており、事故が起これば「因果関係あり」と考えられていたこと。最高裁(松谷事件判決)は、被ばくと疾病との因果関係を認めるに当たり、被ばく量の証明は求めていないことを立証したもの。

集会@日比谷コンベンションホール

アイリーン・美緒子・スミスさん、福島大学富田哲名誉教授(民法
広津和郎松川事件
・黒川眞一教授 桐箱効果の解説 鶴見俊輔 プラグマティズム アブダクション シャーロック・ホームズ
弁護団の報告 一人一人の臨床、病理が大事
 

◆感想:

大変勉強になった。
地裁前アピールから参加。弁護士団、支援者の熱のこもったアピール。
傍聴券に並んだが約2.5の倍率だったらしい。運良く当たった。
報道特集金平茂紀記者も取材に来ていた。
事前協議が長引いてるらしく開廷予定時間から15分ほど待たされる。
開廷。裁判官はとても若い。
被告の東電側もかなり若い。
まず原告本人の陳述があり驚いた。
朴訥で素直な証言。重圧が大きいだろうがしっかり発言していた。
甲状腺がんは死亡率も低く「たいした癌ではない」かのような言説が一部流布されているが、
手術前の不安、長時間の手術、麻酔が切れたあとの痛み、予後の気分の悪さ、食べ物を食べられない不便さなど、
本人の証言には説得力がある。
次が一番重要だと思った、いわゆる過剰診断論への批判。
各原告の病理を細かくスライド図で説明し、決して放っておいてよいものではないことを証明。
診断は厳格なガイドラインに基づいて、複数の医師のもとで行われており、過剰診断論にはなんの根拠もないことがよくわかった。
次が、一番時間を使った。UNSCEAR報告書のいわゆる寺山論文批判。
放射線被ばく量の著しい過小評価。概略はわかったが、これについてはまだ勉強不足なので、あとで本を読むつもり。しかし、紅葉山モニタリングポストの数値を使わずに、SPM局のデータだけを使うのは、なんとも恣意的に感じる。
そもそも、本来は一番データを計測しなければいけなかった時・場所において、それをしなかったことが問題の元凶。国に被ばく量を隠したい意図があるのではないかと感じる。
最後に井戸弁護団長が短い時間だったが、原賠法成立時に原子力災害補償専門部会の部会長を務めていた法学者の我妻栄の発言を引き、原賠法の趣旨を説明したところは本当に重要な点だと思った。

裁判を傍聴し、支援者の集会にも参加して、
原告の訴えでた勇気、弁護団の的確な戦略、支援者の熱意に感じ入った。
傍聴希望者が回を重ねるごとに増えているらしい。
自分としては、過剰診断論も一蹴されて、もう事故由来の被ばくとの因果関係は明らかだと確信している。
裁判を伸ばすようなことはせず、司法の公正な判決と、被告がそれを受け入れることで早期の決着がつくことを願うばかり。

家に帰ったあと今回の公判に提出された準備書面を読んでいるが、自分が一番目から鱗だったのが、奈良大学高橋博子教授の寄稿をまとめた第34準備書面「UNSCEAR報告書には過小評価をする契機が存すること」。
1955年に設立されたUNSCEARとは、そもそもの設立の目的が、1954年のビキニ環礁水爆実験のために国際的に高まった反核運動を抑え込むことであると。そのためにビキニ環礁でも健康被害の矮小化をしてきた。それがチェルノブイリでもそうだったし、いま福島でも同じことをやっていると。
「科学」の衣をまとった、紛れもない「政治」組織。「国連」の名を冠しながら、国連加盟国193か国中、わずか16%の31か国しか加盟していない。
やはり歴史を学ぶことが何よりも大事だと再認識した。

www.311support.net

【読書メモ】NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」』(講談社 2021年2月)

目次

プロローグ

吉田昌郎の墓 板橋区 小豆沢墓苑? 命日2013年7月9日
・大阪出身→東工大大学院原子核工学→東京電力 

第1部 ドキュメント 福島第一原発事故

第1章 想定外の全電源喪失

・2011年3月11日(金曜日)午後2時46分 事務本館→8ヶ月前に完成したばかりの免震重要棟
・1・2・3号機スクラム成功 非常用ディーゼル発電機起動
・中央制御室 当直長 伊沢郁夫(?) 
・運転員の多くは「東電学園」出身。
・1号機イソコン起動?不明
地震発生の51分後の午後3時37分 電源喪失 2号機、3号機RCIC起動 SBO 全交流電源喪失
・午後4時45分 原子力災害特別措置法1(原災方)15条通報
・東電本社小森明夫常務 武藤栄副社長は福島オフサイトセンターへ 清水正孝社長は奈良、勝又恒久会長は北京(石原萠記花田紀凱らと「愛華訪中団」)

第2章 運命のイソコン

・1号機燃料棒先端露出まで1時間の情報、吉田に伝わらず
首相官邸 保安院院長寺坂信昭(素人)、原子力安全委員長班目春樹、保安院次長平岡英治、東京電力武黒一郎フェロー
保安院ERSS全く機能せず
・午後9時23分 半径3キロ避難指示 3~10キロ屋内避難指示
・2号機電源盤パワーセンターは生きていた
・電源車必要な480ボルトは1台も結局なかった。

第3章 決死隊のベント

・12日午前3時霞が関経済産業省での東京電力の会見(小森常務)この映像がない
・ベントが全然行われない 業を煮やした菅直人首相、スーパーピューマで福一に降り立つ 池田元久経産副大臣、内堀雅雄福島県副知事、武藤栄が迎える
・吉田の説明に一応納得して帰る
・1号機ベント決死隊 MO弁は成功 地下1階AO弁はサーベイメータ1時間あたり1000ミリシーベルト振り切れて 戻る。失敗。

第4章 ノーマークの水素爆発

日立グループ電源復旧班 6900ボルトの高圧電源車→動力変圧器→パワーセンターと200メートルほどケーブルを敷設する
・消防注水も開始→あとでわかるが全然入っていなかった 配管のリーク
・コンプレッサーの圧力をつかってベント 成功したかに見えた
・12日午後3時36分、1号機原子炉建屋水素爆発 電源ケーブル敷設作業が1からやり直し
・海水注水騒動、結局海水は入ってなかった

第5章 3号機 水素爆発の恐怖

・3号機 RCIC→HPCIとうとうバッテリーが潰える なんとかSR弁を開けてベント しかし水が入らない

第6章 加速する連鎖 2号機の危機

・14日午前11時1分 3号機原子炉建屋水素爆発 吉田作業員に謝る
・2号機もとうとうRCICが止まる ベントも出来ない SR弁も開かない
・吉田タバコを吸い 10分ほど横になる
・警備員の土屋さん遺書を書く
菅首相東電本店に乗り込む 撤退を止めるため演説
・サプチャン圧力ゼロ 
・およそ70人を残して、650人あまりを福島第二へ退避させる
・残った馴染のメンツで牛肉大和煮やサンマの缶詰を食べる
・15日午前6時14分4号機建屋水素爆発
15日午前9時、原発正門付近で事故後最も高い1時間あたり11.93ミリシーベルトを計測
・よくわからないが 2号機格納容器の圧力下がる なし崩し的に放出された フランジや配管のシール材が溶けた隙間から

第7章 使用済み核燃料の恐怖

アメリカがとうとう介入してくる。NRCアメリ原子力規制委員会グレゴリー・ヤツコ委員長(40歳)
・4号機・3号機使用済み燃料プールが最大の問題 自衛隊ヘリ焼け石に水
・定期検査中だったので、普段は水が入っていない隣の原子炉ウェルに水が満水だったので、それが使用済み燃料プールに入って助かった=たまたまラッキー
・19日午後3時46分、ついに2号機パワーセンターへの受電成功。電源復旧。3号機燃料プールへの注水もできるようになった。
・最悪シナリオ=半径250km避難 北は盛岡、南は横浜まで

第8章 決死への報奨

・吉田愛読書、道元正法眼蔵
・吉田2011年12月食道がんのため入院。1年7ヶ月務めた福島第一原発の所長退任。
・国会事故調の聴取。指揮系統がめちゃくちゃだったので、最終的には自分が責任取った。
・東電社長 清水→西澤俊夫→廣瀬直己 原子力改革特別タスクフォース姉川尚史(55歳)抜擢 
・2013年8月26日 吉田のお別れの会の3日後 Jヴィレッジで100人、9月20日東電本店で100人の表彰
・廣瀬、嗚咽する

第2部 [検証]事故はなぜ起きたのか?本当に防ぐことはできなかったのか?

第9章 なぜイソコン停止は見過ごされたのか?

一般財団法人エネルギー総合工学研究所 内藤正則部長 「サンプソン」(SAMPSON)での解析

第10章 なぜイソコンは40年間動いていなかったのか?

・轟音と凄まじい蒸気 周辺住民への不安への配慮 放射性物質が少しでも漏れてしまう可能性がある

第11章 歴史から学ぶアメリカ、学ばない日本

アメリカでは5年に1回実地で動かす 非常時の訓練をする

第12章 ベントはなぜかくも遅れたのか?

・100ミリシーベルトの壁→現在は250 サーベイメータが100mSv/hまでしか測れない
・「事故が起きた3月11日の午後6時半前。このときも、福島第二原発の録画スイッチを押して記録が始まった。録画には、映像と音声の両方が記録されているはずだった。ところが後に調べてみると、録画開始から翌12日の午後11時前まで、映像は記録されていたものの、音声は記録されていなかったことがわかった。東京電力は、福島第二原発の社員が映像の録画スイッチとは別にある録音スイッチを押し忘れたのが原因だと説明している。事故の検証で、最も重要とされる初動の会話の記録がない、というのが東京電力の公式見解だ。このため、この時間帯に何が行われていたのかを知る資料としては、政府や東京電力などの事故調査で、事後に関係者から聞き取った証言や断片的に残されていた原子炉や格納容器のデータなどをもとにした報告書に限られている。つまり、東日本大震災が起きた3月11日午後2時45分から翌12日午後10時59分までは、現場でどのような事故対応が行われたのかを検証するための客観的な資料が残されていない、いわば「空白の32時間」となっているのだ。謎の多い1号機のベント作業を検証するうえで、このことが大きな障害となっていた。」

第13章 吉田所長が遺した「謎の言葉」 ベントは本当に成功したのか?

原発から5.6km双葉町上鳥羽のモニタリングポスト 1時間あたり1.6ミリシーベルト
・イタリア、ピアチェンツァ試験施設SIET ウェットウェルベントの実験
・ウェットウェルベント=放出される放射性物質の量を1000分の1まで減らせるとされていた
★サプチャンの水が高温になっていた場合、凝縮の効果が半減 2分の1は蒸気のまま放出されてしまう
・結局地震で配管は壊れていた=コンプレッサーの圧力が届かない

第14章 冷却の死角

・吉田の奇策、消防注水=結局配管のリークにより、ほとんど意味なかった
・「事故から1年5ヵ月が経過した2012年8月6日のことだった。東京電力が事故直後の免震棟と東京本店とのやりとりなどを記録したテレビ会議の映像を公開した。テレビ会議の映像は、事故直後の対応をあるがままに記録し、検証には欠かせない極めて貴重な資料だったが、東京電力は、プライバシーや社内資料を理由に公開を拒んでいた。しかし、報道機関の度重なる要請や枝野経済産業大臣の事実上の行政指導を受けて、東京電力は、事故直後の3月11日から15日までの150時間分の映像を公開したのだ。映像には、音声が記録されていない時間帯があり、事故直後の11日から12日の夜にかけての時間帯や2号機が最も厳しい局面に陥った15日未明から昼の時間帯など、150時間のうち100時間あまりは、音声なしの映像のみであり、映像の多くは不鮮明であった。しかし映像には、1号機や3号機が水素爆発していくなかで動揺する現場の様子や事故対応に介入する総理大臣官邸とのやりとりに困惑する東京電力の幹部の姿や言葉が克明に記録されていた。
テレビ会議の映像は、この後、2012年1月に336時間分が、さらに2013年1月には312時間分が追加で公開され、事故直後の3月1日から4月1日までの798時間分の映像が、事故対応を検証する貴重な資料として、報道関係者の前にさらされている。ただ、映像の大半は、期限を限った閲覧の形で開示され、録画も録音も認められないという取材制限が設けられた。報道機関の記者たちは、長い時間をかけて映像を見ながら、その様子と音声をパソコンやノートに辛抱強く記録していく作業を続けた。」

第15章 1号機 届かなかった海水注入

第16章 検証 東電テレビ会議 AIが解き明かす吉田所長の「極限の疲労

★「テレビ会議はそのほとんどが録画され視聴することができるが、一部東京電力が"映像は記録されているが音声が記録されていない”としている時間がある。事故発生から3月12日の午後10時8分まで。つまり、1号機のイソコン操作など原子炉冷却をめぐる初動対応など重要な時間帯は音声がまったく残されていない。また、吉田がベントの準備を進めるよう指示を出した局面(3月12日午前0時36分)、断続的にではあるが1号機の注水が始まったタイミング(3月12日午前4時頃)、そして1号機が水素爆発を起こした瞬間(3月12日午後3時38分)などの音声記録も一切残されていない。次にテレビ会議の音声録音が途絶えるのは3月15日午前0時36分。この頃は既に3号機も水素爆発を起こし、2号機が切り札のベントもできず、福島第一原発が最も危機的な局面を迎えていた。未公開の国会事故調の聞き取り調査に対して、吉田が死を覚悟し「俺と死ぬのはどいつだ」と心の中で考えていた、と語っている時間帯だ。そして、東京電力の"全面撤退"を疑った菅総理東京電力本店に乗り込み、政府と東電による統合対策本部が東電本店に設置され(3月15日午前5時35分)、その後、吉田が対応に必要な最小限の人員を残し、社員を含めた対応者を一時的に福島第二原発に退避させる措置を行うことになった(3月15日午前7時官公庁に連絡)時間帯も音声記録は残っていない。このように事故のターニングポイントや、社会から注目される時間帯の音声記録が欠落していることに対して、政府も多くのメディアも疑問を持っていたが、いつしかそうした関心も薄れていった。」

第17章 巨大津波への備えは本当にできなかったのか?

・2008年の計算で津波「15.7メートル」という数字は出ていた。

第18章 緊急時の減圧装置が働かなかったのはなぜか?

・配管の圧力が高すぎれば、弁は簡単にはひらかない

第19章 原発事故から10年 異なる3つのメルトダウンの真相

ジルコニウムが水に含まれる酸素と結合し、水素を大量発生させる

エピローグ 10年目の「真実」

・この事故では、当初考えられていた事故像が新たに発見された事実や知見によって、どんでん返しのように変わった例は枚挙に暇がない。メルトダウンした1号機の危機を救うために吉田所長が一芝居打って消防注水を止めなかった英断は、事故直後、喝采を浴びたが、後の研究で、当時1号機の冷却に消防注水がほぼ寄与してい なかったことが判明している。3号機の原子炉を急減圧させることができたのは、当初思われ た復旧班渾身の急造バッテリーのおかげではなく、偶然が重なって自動減圧装置が働いたためだった。事故から10年を過ぎても事故像は変わり続ける。

COLUMN

混乱の病院避難 失われた命

・病院、介護施設の患者、避難のため病状悪化して60人以上が死亡した。

数奇な運命 吉田調書の公表

・2014年5月20日朝日新聞のスクープ 2F撤退問題 産経、読売、共同通信の反撃 木村伊量社長記者会見で謝罪に追い込まれる

見送られたイソコンを動かすチャンス

・1991年のトラブルで動かす直前までいった。

5号機と6号機 知られざる危機と機転

・6号機の非常用ディーゼル発電機1台は生きていた。これが5号と6号を救う。軽油の補給のため、北茨城市までピストン輸送

規制側と電力会社側の狭間の「バックチェック」

・規制側と電力会社との癒着。馴れ合い。

SR弁の「背圧」影響と向き合い始めた規制機関と東京電力

執筆者一覧

第1部 ドキュメント 福島第一原発事故 引用文献

9/16読了
 

◆要約:◆感想:

◆要約:
・プラントナンバー 原子炉形式 格納容器型式 運転開始 定格電気出力 主契約者(原子炉 タービン発電機 付属設備)建設工事費
1号機 沸騰水型軽水炉 (BWR-3) Mark-1 1971年3月26日 46.0万kW GE GE GE 約390億円
2号機 沸騰水型軽水炉 (BWR-4) Mark-1 1974年7月18日 78.4万kW GE GE 東芝 約560億円
3号機 沸騰水型軽水炉 (BWR-4) Mark-1 1976年3月27日 78.4万kW 東芝 東芝 東芝 約620億円
4号機 沸騰水型軽水炉 (BWR-4) Mark-1 1978年10月12日 78.4万kW 日立 日立 日立 約800億円
・1号機 12日14時30分頃なんとかウェットベント成功(本当は微妙) 15時36分建屋水素爆発
・3号機 13日8時41分なんとかウェットベント成功(本当は微妙) 14日11時1分建屋水素爆発
・4号機 15日6時12分建屋水素爆発
・2号機 ベント失敗 15日9時、原発正門付近で事故後最も高い1時間あたり11.93ミリシーベルトを計測 なし崩し的ベント
・イソコン40年間動かさず
津波想定してたのに対策せず ディーゼル発電機、電源盤水没
・1号機危機、吉田に伝わらず
放射線量100ミリシーベルト超え。人力作業できず
・吉田の奇策、消防注水。配管リークのため結局水入らず
・19日午後3時46分、ついに2号機パワーセンターへの受電成功により電源復旧。3号機燃料プールへの注水成功。
・事故後のピアチェンツァSIETでの実験。サプレッションチェンバーの水が高温の場合、ウェットウェルベントが本来の性能を果たさない。放射性物質の半分は放出されてしまう。 
東京電力は大事な局面のテレビ会議の音声を公開しない。
◆感想:
ドキュメントパートは手に汗握る。
検証パートは冗長に感じ、ところどころ飛ばし読み。
この本が、この時点での、東電も認める「正史」ということだろう。
しかし、本の中でも述べられているが、この事故は「当初考えられていた事故像が新たに発見された事実や知見によって、どんでん返しのように変わった例は枚挙に暇がない」ので、まだまだこれが「真実」ではない。

自分が重要だと感じた点はいくつかあるが、一番はイタリアでの実験で、サプレッションチェンバーの水が高温の場合、ウェットウェルベントが、放射性物質の1000分の1除去すると言われていた本来の性能を果たさず、半分ほどは放出されてしまうことが証明されたこと。
その他、イソコンが40年動かされていなかったこと、6号機の非常用ディーゼル発電機1台は生きていたことなどは知らなかったので驚いた。
そして、自分としては、重大な局面のテレビ会議の音声がいまだに隠されていることがどうしても許せない。

まだこの本の見解が正しいかはわからない。1号機と3号機は辛うじてウェットウェルベントが成功した設定になっているが、自分としては1、3号機も2号と同じように格納容器の隙間からなし崩し的に放出された可能性もあると見ている。
そして、結局燃料デブリが、東電の推定するように、圧力容器と格納容器の底に溜まっているのか、格納容器も突き破っているのか、それはまだわからないと思う。

そして吉田昌郎所長は英雄か否かという問題。これは読んでも自分にはどちらとも言えなかった。よく現場をまとめたという評価もできると思うが、結局ほとんどの策はうまくいかず、なし崩し的になるようになった(フランジや配管接合部の隙間から圧力が抜け、放射性物質も撒き散らされてしまった)だけとも言える。介護・入院患者の避難で60人ほどがなくなり、避難関連死が現在で数千人になっている。重大な放射能災害を起こした東電の罪は山のように重い。

検証に終わりはなく、いまだ隠されていることも多いが、この本は10年後の区切りとしては一応役目は果たしていると感じた。

【読書メモ】片山夏子『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版 2020年2月)

目次

原子炉+タービン建屋図

汚染水をめぐる構図

序章

1号機、3号機、4号機で水素爆発
不眠不休で危機に向き合った作業員たち
「作業員の横顔がわかるように」
厳しくなった作業員への箝口令

1章 原発作業員になった理由----2011年

●全面マスク内は汗との闘い(シンさん)
作業員がイチエフに来た理由
初めて足を踏み入れたイチエフで身震い
防護服を着ても、被ばくする
●正門の犬はどこ行った(シンさん)
警戒区域に取り残された猫のタマ
●雨の日だって汗みどろ(キーさん)
7次請け、8次請け……原発多重下請け構造
●中学生の応援を胸に(シンさん)
「福島のためにありがとう、でも……」
●「サマータイム」まだ続く(キーさん)
政府が作り出した「冷温停止状態」の意味
放置された汚染限度1万3千cpm
●台風対策に大忙し(タケさん)
作業員を無料のがん検診へ
●帰れぬ痛みを共有(シンさん)
「緊急時避難準備区域」5市町村の解除開始
●冬前には故郷へ…(キーさん)
秋、急激に増えた作業員たちの解雇
原発と暮らしてきた町
●あっ、ダチョウだ(シンさん)
車と黒毛和牛の衝突事故、多発
福島第一で命を落とす作業員
●汚染まだ不安(ケンジさん)
頭から汚染水をかぶった作業員
作業員が数える「残りの被ばく線量」
●現場の情報、ちゃんと教えて(作業員)
●全面マスク、外せないよ(作業員)
高線量下での作業、日給8千円
●「闘って」息子が後押し(カズマさん)
「ゼネコンはいいなぁ。俺らは原発以外仕事がないから、使い捨て」
●吉田所長お疲れさま(ケンジさん)
報道の自由」日本の国際評価、下がる
政府の事故収束宣言に、作業員らの怒り
●夜中、娘の枕元に(ケンジさん)
「人の声も、生活の音も、夕飯の香りもしない」

2章 作業員の被ばく隠し----2012年

●元旦も休めない(カズマさん)
津波きたら、イチエフはもたない(作業員)
続々と起こる仮設ホースの汚染水漏れ
年度末を越えれば被ばく線量は「リセット」
格納容器内を初めて撮影、毎時7万mSv超
脱原発依存」と「再稼働」の矛盾
●冷たい手 排気で暖(キーさん)
事故収束宣言後……作業員の待遇、急激に悪化
●氷点下の朝が続く(ケンジさん)
進む軽装化と作業員たちの不安
会見の説明から消えた「炉心溶融
「事故」→「事象」、「汚染水」→「滞留水」。東電、原発用語に言い換え
東日本大震災から1年、足りなくなる技術者
●仲間と進むしかない(ノブさん)
「気持ちは明日にでも帰りたい」
●春――「チャッカ」のない海(ケンジさん)
●高線量恐れず2号機格納容器に穴開け(セイさん)
原発は絶対安全なはずだった
●娘の入学式 家族一緒(リョウさん)
幼い子どもたちと原発近くには住めない
退社する東電社員、とどまる東電社員
1〜4号機が廃止に
津波への備えが不十分なことは知っていた」
泊原発3号機が停止、原発ゼロに
●大丈夫と言われても(作業員)
●渋滞ひどい汚染検査(作業員)
原発再稼働、まだ早い(作業員)
避難者であると言えない
●暑い! また夏がきた(シンさん)
熱中症の発表はまとめて
4つの事故調査委員会、事故は「人災」か「天災」か
追いつめられた作業員らが「被ばく隠し」
「賃金、手当ピンハネ」労働局に訴え
「自分は"高線量要員"だった」
除染が終わってなくても自由に出入り
●迷惑考え無理重ねる(作業員)


隠蔽される事故「上に報告しないでくれ」/●「絆」って何だろう 事故後に増えた離婚(カズマさん)/賠償金を「もらえる人」、「もらえない人」/「ちりとりで汚染水をすくう」記事に厚労省の圧力……?他

3章 途方もない汚染水----2013年

●積雪これほどとは(シンさん)/自民党原発ゼロ見直し「事故収束宣言」に答えぬ旧政権「/俺の存在は線量だけなのか」/超高線量の建屋内、5分が限界/責められる東電社員の家族/急ピッチで進められるタンク造り/広がる汚染水対策、国費470億円投入●/無駄な視察なら来るな(ヤマさん)/「原発で働いていると言えない」/●吉田所長安らかに(作業員)/「あんたらマスコミのせいだ」と怒られる/安倍首相「アンダーコントロール」、2020年五輪が東京に/国の圧力「急げ、急げ」作業10時間超え発覚/収束宣言を境にがん無料検診で差別……他

4章 安全二の次、死傷事故多発----2014年

本当に日当は1万円上がる●?/ネオン輝く東京に違和感(ヒロさん)/労働環境改善アンケート「本音書けない」/●事故からまだ3年「忘れられるのが一番怖い」(ハルトさん)/過酷なタンク内の除染作業/土砂下敷きで作業員死亡、救急要請50分後/10時間超えの違法労働、再び「人間扱いされない、奴隷だった」/●資格のない溶接工だらけ(ケンタロウさん)/次に原発事故が起きたときの準備……他

5章 作業員のがん発症と労災----2015年

3カ所にがん、「病気になったら知らん」/2週間の工事中止による賃金不払いに、憤る作業員たち/壊れていく夫婦関係●/借金して社員に手当(ヨシオさん)/●結局、使い捨てなのか(ヨシオさん)/白血病で、原発事故後初の労災認定●/もうすぐ第2子誕生、被ばくの影響が心配(ヒロさん)……他

6章 東電への支援額、天井しらず----2016年

●「東電の負担を減らそう」とボーナス大幅カット(東電子会社作業員)/●「パパいらない」(ヒロさん)/1〜4号機を囲む凍土遮水壁、海側だけ先行/お守りは金髪の無修正ポスター/溶接工の男性、白血病で東電と九電を提訴●「/ポケモンGO」で起きた奇跡(ヒロさん)……他

7章 イチエフでトヨタ式コストダウン----2017年

●被ばく線量と__体重ばかり増え(トモさん)/3号機で初めてデブリを捉える●地元の漁師と交流(チハルさん)/入れ墨の作業員とヤクザの作業員/俺たち線量役者か●/お盆は妻の墓に(キミさん)/「トヨタ式」のコストダウン●/デブリの取り出し何十年先(?セイさん)/原子力御三家と原発カースト……他

8章 進まぬ作業員の被ばく調査----2018年

敷地は安全? 作業員の労務費下がる●/イチエフには戻らない(リョウさん)/●「イチエフ病」(ダイキさん)/進まぬ疫学調査、受診者は2割強●/酷暑に重装備、医務室行けば「健康管理不十分」(ノブさん)/長時間労働で過労死……他

9章 終わらない「福島第一原発事故」----2019年

2号機格納容器内でデブリ持ち上げに成功●/事故当時の中高生がイチエフで働くように(ハルトさん)/●選曲は「負けないで」から「宇宙戦艦ヤマト」に(ヒロさん)/●五輪工事現場に違和感(チハルさん)/●イチエフにうまみがなくなってきた(ユウスケさん)/福島第一原発事故のコスト/120メートル排気筒を輪切りで解体「/福島第一原発廃炉まで/作業員たちをめぐる労働環境と補償/立ち上がったチェルノブイリ収束作業員……他

解説 ―「小文字」を集めたルポルタージュ ジャーナリスト・・・青木 理