マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【演劇メモ】サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』@神保町PARA theater

翻訳:長島確(書肆山田刊)演出:額田大志 出演:矢野昌幸
アフタートーク:仲山ひふみ(批評家)、大岩雄典(美術家)、岸井大輔(PARA主宰)
 
ヴィトゲンシュタイン 言語ゲーム
ベケットの特徴 追い詰められたうつ病の男
・可能性→実現 どんどん疲労していく
ドゥルーズベケット論 消尽
・可能性/潜在性
・晴れであり雨である 雨が降っている雨は降っていない
・千鳥「お主」のコント 正しく失敗すること
マイケル・フリード『芸術と客体性』ミニマリズム
ドゥルーズ 最後から二番目(pénultième) これで最後といいながら飲む酒 これが繰り返し結局終わらない=資本主義
 
◆感想:高尚すぎて意味がわからなかった。
まず原作のベケットが何を目的に創作しているのかわからない。現実に怒っているのか、絶望しているのか?言葉の実験をしているのか?神や宇宙のことを考えているのか?
そして、それを演劇化したこの公演も、何を訴えたいのか全くわからなかった。
このような政治性が漂白された「現代美術」のようなもの大嫌い。「安全」な芸術。
自分にはこの作品を受け取る素養がなかったが、こういう界隈がどんな感じなのか知れてよい経験にはなった。
 

 

【読書メモ】酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社文庫 2006年)

単行本は2003年。IN☆POCKET連載。
目次

本書を読まれる前に

・負け犬の定義 狭義には未婚、子ナシ、30代以上
・広義には「現在、結婚していない」
・「負け」と「勝ち」について、有機物を生産しているか、無機物を生産しているか 凄いと偉いの違い

余はいかにして負け犬となりし乎

・堅実さの違い 呑気にしていた
・含羞問題 踏み絵 手練手管を使うことが恥ずかしい

負け犬発生の原因

負け犬と三十五歳

・「私、Dちゃんってすごく偉いと思うのよ」「私もBちゃんもCちゃんも、みんな結婚して子供がいるわけでしょ?Dちゃんは独身なのにちっとも嫉妬しないで、ちゃんと私達の仲間に入って子供の相手とかしてくれるんだもの……」
・子育て中は必死で他人に気を使う余裕はない。本心がズバッと出る。
・F1層=20-34歳までの女性 F2=35-49歳

負け犬と年齢

・子供を産むリミット 卵子の質とホルモンバランス
・時間がない 実に深刻な苦悩 夏休みの宿題を最終日にまで持ち越すことに似ている
・自らの女性性(容姿)にも自信が無くなってくる

負け犬と大人

・30歳成人説 明治時代の平均寿命40代前半
・30歳の時点で、「大人になれ!」と鳴り響いていた”成人目覚まし”を片目だけ開けてうざったそうに見つめ、即座にオフにしてしまった。

負け犬と少子化

少子化対策=出産・子育て対策になっており、結婚できない層が置き去りにされている。
・2次元にしか興味がないオタク男性の大量発生

負け犬と都会

・欧米との違い、明確なカップル文化が存在するか否か 日本の都会は独り者に優しい

負け犬と住居

・独居女性にとっての重要な存在が猫

負け犬の特徴

負け犬と金/仕事

負け犬と恋愛/結婚

・私達は「モテる人が偉い」という価値観の中で生きてきた。
・「恋愛できない人は人生の落伍者」という物心ついて以来の強迫観念が、負け犬をなおも縛っている。

負け犬と依存症

・歌舞伎、落語、踊り、一人旅、刺繍
・独身女性が、他にすることが無いから「知的好奇心」という耳触りの良い言葉を言い訳にして歌舞伎を観るように、既婚女性は他にすることが無いから「愛」「母性」という言葉を頼りに、子供を産む。85年という長い人生の暇を潰すために、人はそれぞれの依存対象を見つけているのであって、「依存に貴賤なし」と私は言いたい。
もちろん、歌舞伎にうつつを抜かし、「福助は私が育てた」などと妄想をたぎらせるような趣味依存よりは、結果として次世代を担う子供を残す子育て依存の方が世の役には立つのでしょう。が、歌舞伎観賞もフラメンコも子育ても、依存に至るまでの構造は皆同じ。人生という長い長い暇な時間を、どのように使おうと差別されない世の中を望む私。

負け犬とファッション

負け犬と家族

負け犬の恐さ

・=若さに対する嫉妬
・20歳下の法則
・製造年月日が新しい牛乳を選ぶ
・「蒲鉾(かまぼこ)は魚(とと)からできているの?」

負け犬と純粋

・負け犬=結婚というに対する深慮遠謀を全くもっていない生き物
・負け犬は合理的な損得ではなく、純粋な愛=心から愛し合える人を求めている
・「とっても良い人」はたくさんいるが、「この人とセックスできるか?」と考えるとできない
・「私はただ、……たいだけなのに」→実は全然ちっぽけな望みではない

コラム オスの負け犬

・女性に興味はあるけれど、責任を負うのは嫌な人……ダレ夫→ダレ夫はつまり、とても面倒臭がりの上に、孤独を愛する性格なのです。特定の女性とベッタリ付き合うことはもちろん面倒だし、いわんや子供をや。つまりは自分が好きでたまらないが故に他人まで愛をまわす余裕など持ち合わせていないのが、ダレ夫であると言えましょう。
・女性に興味はあるけれど、負け犬には興味のない人……ジョヒ夫→顔も趣味も収入も、まぁそこそこ。……という意味では、ダレ夫と同じ。さらに彼等はダレ夫とは違い、結婚欲はかなり旺盛であり、良い相手がいればすぐにでも結婚したいと思っています。それなのに何故、彼等がオス負け犬の立場に甘んじているかといえば、良く言えば「理想を追い求めている」からであり、悪く言えば「身の程知らず」ということになる。
彼等は、たとえ自分が38歳であれ46歳であれ、20代の嫁が欲しいと思っていたりします。負け犬でもいいと思えば嫁候補の人材はわんさといるのに、「僕は子供がたくさん欲しいのでやはりもう少し若い方のほうが……」などと言う。おめぇ自分の歳考えろって。
彼等は基本的に、低方婚指向が強い人々なのです。男女平等ということは頭では知っているけれど、魂では、女より男の方が上と思っている。そんな彼等のことは、根っこの部分で男尊女卑ということで、ジョヒ夫と命名いたします。
自分が女性より少しでも上にいたいからこそ、様々な条件が最初から自分より下の女性を求めるジョヒ夫。しかし彼等が唯一、自分より女性の方が高レベルである方が良いと思っている条件が、容姿。
彼等が結婚できずにいる原因は、この部分にあると言っても過言ではありません。つまり彼等の欲求を一言で言えば「若い美人をかしずかせたい」なわけですが、残念なことに今の時代、そんな殊勝な心がけを持った美人はそうそういないのです。
男性に尽くす美人も、ゼロではありません。が、美人が尽くしている相手は、すごくお 金持ちで格好良くておまけに性格も良い、みたいな男性。並の経済力と並の容姿で、「やはり若い美人が……」
という希望を持つジョヒ夫が余りゆくのは、あまりに自明なことなのです。それでも負け犬には手を出そうとしないジョヒ夫の気持ちも、わからなくはありません。負け犬は、外見も性格も別に悪くはない人達ではあるけれど、いかんせん様々な意味において経験値が高すぎる。どんなレストランに連れていっても、
「ここ、前はたまに来たけどシェフが替わってからはイマイチよね」
と感動してくれないし、自分の意見は主張するし、下手をすれば自分より収入が多いこともある。ジョヒ夫としては、「なぜここまで待っていてこんな生意気な女と!」という気分にもなりましょうや。
その点、20代のギャルは、明らかに負け犬より御し易い存在です。寿司屋に連れていけば、
「うわぁ、回らないお寿司屋さんって初めて!」
と、無邪気に喜んでくれる。政治や経済についてよく知らないところも、初々しい。
しかし悲しいかな、彼女達にとってジョヒ夫は、単なるオヤジでしかありません。ギャルはジョヒ夫から迫られると、「えっ、こんなおじさんでも恋愛とかしたいと思うわけ?気持ちわるーい」とばかりに、ピューッと逃げていく。そして再び、ジョヒ夫は一人とり残されることになるのでした。

負け犬の処世術

負け犬と女の幸せ

・殺しのフレーズ「あなたは、女として幸せではない」

負け犬VS子持ち主婦

負け犬と外見

負け犬の先達

・負け犬の永遠のスターが向田邦子 長谷川町子藤山直美

負け犬と老後

ナンシー関の死
・お墓が途絶える問題

負け犬と友情

・負け犬にとって何よりも大切なものが友情

負け犬と孤独

・「すごく気が合う友達がいたんだけど、その子が結婚しちゃってからは一緒に遊ぶ人がなかなかいなくて、寂しい……」と言う負け犬の姿も、よく見かけるものです。
・対して負け犬は、孤独であるから、孤独を恥じる。恥じているから、孤独を隠す。「あなたって、孤独な人なのね」とか、「本当は寂しい人なのね」などと言われることを最も恐れる人々にとって、絶対にばらしてはならない恥部が、「自分が孤独であること」なのです。
・負け犬は旗日に弱い。
・病気のときも孤独
・幸福であることが良いことかどうかすらもわからない

負け犬の存在意義

負け犬と敗北

土井たか子緒方貞子の対比
黒田清子さま 34歳で婚約

負け犬にならないための十ヵ条

女性誌を読む ナチュラルストッキングを愛用する

負け犬になってしまってからの十ヵ条

あとがき

文庫版特典 酒井順子vs.4匹のオス負け犬

オス負け犬がクヨクヨ吠えた

・単純に魅力的かどうか

文庫版あとがき

解説 林真理子

・普通さ=エロさ
・「独身女性が、他にすることが無いから『知的好奇心』という耳触りの良い言葉を言い訳にして歌舞伎を観るように、既婚女性は他にすることが無いから『愛』『母性』 という言葉を頼りに、子どもを産む」
「85年という長い人生の暇を潰すために、人はそれぞれの依存対象を見つけている」
人生は長い暇つぶしである。85年生きれば、みんな死んで灰になっていく。人間でいちばん崇高なものとされる「母性」とて、所詮はこの暇つぶしの道具ではないか。そう思えば、負け犬・勝ち犬にどれほどの差があろうかと酒井さんは言いたいのである。
1/13読了
 
◆要約:未婚、子なし、30代以上を負け犬と定義し、その生態を自虐と渇いたユーモアとともに解説し、彼女たちへのエールにもなっている。
◆感想:とても面白かった。この時代の日本の30代未婚OLの生態を描いた一級のエスノグラフィーになっている。
解説で林真理子が触れているが、この本は決して女性全般の話ではなく、都心に勤めるかなり高収入な層の話。この本を読むと、2003年はまだバブルの余韻がある感じがする。
 
自分は晩婚化・未婚化と少子化の進行はマクロに言えば、男性の所得金額と相関していると考える。
簡単に言えば、結婚に踏み切るあるいは異性と付き合うお金すらも無い男性が増えた。
この本の時点ではそうでもないが、これ以降の時代の未婚化・少子化の原因は身も蓋もないこれなので、
女性も男性もあまり自分を責めてはいけないと思う。個人の問題ではなく不況と貧富の格差の問題。
 
そうはいっても、辛さは解消されるわけではないので、もっと富の再分配と、
体外受精技術の発達や養子縁組制度の一般化を強く願う。

【読書メモ】宇野常寛 X 更科修一郎『批評のジェノサイズ――サブカルチャー最終審判』(サイゾー 2009年)

目次

 

CHAPTERⅠ 08.JUN.ー08.SEP.

批評なんか、いらない? カネとオンナの恨みを批評にぶつける「ヒガミ系」問題

・「思想地図」「フリーターズフリー」「m9」「ロスジェネ」
・「あなたたちの人生がうまくいかないのは、〇〇のせいです」というメッセージ
ルサンチマンに訴える品のない動員
「WiLL」や「正論」は、口が臭くて娘が口をきいてくれない感じのサエない中高年オヤジどもに、「お前の人生がうまくいかないのは、中国や韓国や戦後民主主義のせいだ」みたいな免罪符を売って、市場を維持したわけです。
・「すべて他人のせい」というヒガミ系は、「すべて自分のせい」といった、つまり規制緩和路線を後押しして自己責任社会を徹底させた小泉構造改革の裏面として誕生している
・そもそも、なんだって「ある程度は自分のせいで、ある程度は世の中のせい」に決まっていて、その複雑な絡み合いを考えるのが批評なのに、そこから逃げている
・事実、批評を読んでる奴ってイタいんですよ。僕は以前、大学サークル研究をやっていたんですけど、大学生活が楽しくない人間が批評に逃げているんですよね。コミュニケーション能力が低くて、あまり友達がいない奴。彼らはマジメに本を読んでいるかもしれないけど、地頭が悪いわけなんですよ、はっきり言って。会話の切り返しもダメだし、長期的な人間関係の振る舞いを見てもバカなんです。
・自己正当化ロジッ クという免罪符を買い漁っても、それはなんの解決にもならない。必要なのは、社会的に結果を出すことと、いい人間関係を築くこと。それは批評による自己正当化では、絶対に購えないものなんですよね。才能ない奴ほど、口先だけ大きな問題に逃げますから(笑)。もうちょっと、ちゃんと相手の目を見てハキハキしゃべることができたり、実績ないクセにブクブク膨らんだプライドを制御できるようになれば解決できる問題ですよ。
・「金か権力か女か、お前さんが欲しいのはいったいどれだ?」と。そういう人って、欲望の優先順位を決められないから、ニート非モテといった宙ぶらりんの状態になっているんだと思うんだよ。当座の優先順位を決めれば、なんとなく達成目標も見えてくるから、とりあえずはそこに向かって努力できる。達成した後で虚しくなって自殺するかも知れないけど、そのへんは達成してから考えることでさ。所詮、この世の真実なんてどこにもありはしないのだから、適当にでっち上げるしかないんだよ。
・タコツボ化、見たいものしか見なくなる流れは止まらない
・僕はヒガミ系雑誌なんか、すべて潰してしまいたい。で、そこを生きがいに生きてきた奴には八つ当たりをやめてもらって、「話し方講座」にでも通ってもらう、と。そのほうが彼らにとっても長期的にはマシな選択でしょう。

今、面白い小説ってナニ? 盛り上がりそうで盛り上がらない純文学の行方

川上未映子&桜庭一樹ブームの真相 「早稲田文学」=「文壇のキューバ
・少女マンガ雑誌 「CUTiE Comic」(宝島社)が休刊したときに、羽海野チカの『ハチミツとクローバー』が連載途中で放り出されて「難民」になったんだけど、そのとき、個人的にキャンペーンを張って売りまくった熱心なハチクロファンの女性書店員がいてね。それがきっかけで話題になって、「ヤングユー」(集英社)に拾われたことが美談として広まったあたりから、本を売ることで自己表現しようとする書店員が急増したんだけど、結果として、本屋の平台が女子書店員=文系内向き女子センスに偏っていくんだよね。
有川浩の『図書館戦争』(メディアワークス)に至っては、「本が好きな女子は絶対的正義で、かっこいい男にも愛される」という文系内向き女子限定の願望充足小説なんだけど、大ヒットしている。
・「本屋大賞」と『文学賞メッタ斬り!』の影響

マンガビジネス崩壊寸前! 旧態依然な制作現場と中年オタクの性欲野放しのツケ

マンガ雑誌編集の体育会系文化
・「原田知世症候群」に侵される、中年オタクたち
谷山浩子を聴いて、新井素子を読んでる文化圏 本当は性欲爆発なのにそれを認めない
・「マンガ大賞」にも「本屋大賞」と同じ問題 明らかにノイタミナ女子の好みに偏っている

ゼロ年代」の物語の想像力 セカイ系的価値観の支配から解かれた、00年代コンテンツの特徴

相対主義の世の中が定着すると、逆に、「こんな世の中だからあえて自分は何かを信じるんだ」という態度(物語回帰)が全面化するんです。そうなると、みんな「自分たちこそが、相対主義の生むニヒリズムに抗うためにあえて自分の信じる超越性に賭けている存在だ」と思ってしまいがちになる。ところがですね、実はどのコミュニティでも、起こっていることは同じだったりするわけです。「新しい歴史教科書をつくる会」も、渋谷系残党も、「萌え」セカイ系オタクも、自分たちこそが「こんな時代だからこそあえて」信じたいものを信じると言って独我論に陥っている。→島宇宙
・90年代前半、平成不況に突入すると「頑張って何かを獲得する」「金を儲ける」「面白おかしく生きる」といった社会的自己実現の物語が減り、代わりに「心の傷を癒やす」「本当の自分を見つける」といった心理主義的な話が増えるんです。そして、1995年頃からオウム真理教の事件や阪神大震災でいよいよ世の中暗くなり、タコツボもより強固になっていく。
・そのあたり、テレビドラマの流れがダイレクトに反映しているね。90年代序盤まではトレンディドラマ全盛で、フジの月9からよくヒット作が出たけど、次第にTBS系金曜10時枠で『ずっとあなたが好きだった』『高校教師』といったダーク路線が台頭。1995年以降はさらに前景化して、野沢尚の『青い鳥』や、野島伸司の『聖者の行進』といった鬱々としたヒット作を連発していた。同時にサイコミステリー系の流れもあっ て、TBS金10枠では1999年の『ケイゾク』が大ヒットになった。特に1997〜98年頃に暗い作品が集中していて、他ジャンルでは「週刊少年ジャンプ」(集英社)ですら、看板作品が「不殺の誓い」で鬱々としていた『るろうに剣心』だったんだよね。ギャグマンガの『すごいよ!マサルさん』もダウナー系だし。
・それが煮詰まっていった結果、90年代末から00年代初頭にかけ純愛ブームが吹き荒れます。『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)、『冬のソナタ』(NHK)、『失楽園』(講談社)以降の渡辺淳一ブームや、ギャルゲー『AIR』も含め、その時期に同時多発的に流行したコンテンツは、みんなことごとく「オンリーユーフォーエバー」 症候群だったわけですよ。F1層、主婦、日経新聞を読んでる中高年、モテないオタク、すべて同じ欲望を抱いていて、「この世に価値あるものなんてまったくない。最終的にはキミと僕だけの関係がすべて」みたいな「セカイ系」的価値観に支配されたんです。
・要するに、相対主義に耐えられないんです。「世の中の何に価値があるかわからない」という事実が怖くて、「自分たちのタコツボこそが、至高の価値を持つ」と思い込むため、あえて小さく引きこもる。こういう姿勢を、僕は比喩的に「決断主義」と呼んでいますが、これって言ってみれば、オウム真理教が発泡スチロールのシヴァ神を信じていたのと似たようなもんなんです。
・疑問を禁じ得ないのは、東さんが父権批判的なモチーフに拘泥している 「父殺し」を経て成長するという概念自体、もう誰も信じていないと思うし、むしろ大切なのは、「棲み分けた島宇宙で全能感を確保している幼児的な状態」=「セカイ系」からの脱却こそ成長と捉える思考の転換だと思うんですよ。つまり、母権から自由になろうとする意志のほうに僕は注目したい。母親は自分の子を無条件で承認するし、子が成長して外に出ていくのを本能的に嫌がるじゃないですか。現代は父権社会なんかじゃない。むしろ母権社会ですよ。
・昔は「成長」=「父殺し」でしたが、今は「チチ離れ」です。それも「父」じゃなくて「乳」(笑)。自分と同じ価値観の人間しかいない母権的な共同体は、何をしても許し、承認し、肯定してくれるからすごく居心地がいいけど、平気で異物を排除するような人間しか作り出さないんですよ。
・今の世の中は自由だけど、冷たくもなっているわけですよ。かつては世の中が「生きる意味」とか「信じる価値」を与えてくれたけど、今は自分で選択して自分で責任を取るしかない。これは、他者に仮託してやり過ごそうとするタイプの人には茨の道だけど、自分で試行錯誤したい人には有利な仕組みです。つまり、父権からも母権からも独立して物事を考えることが要求されているんですが、萌え系のマザコンたちはこれがわからないし、逆に冷たくて自由な社会の「自由」な部分を利用する人間が次の時代を作っていくんだと思うんですよね。

CHAPTERⅡ 08.OCT.ー09.JAN.

「アニメはもうだめ」なんかじゃない

さらば、愛しの雑誌たち!?

・「宝島30」はもともとニューアカブームの反動雑誌で、「机上の空論よりも現場のリアリティ」をモットーに、良質のルポをいっぱい載せていた。その理論編として、浅羽通明さんや宮崎哲弥さんの論考があった
・小林弘人編集長時代の「サイゾー」 「ワイアード」、インフォバーン

邦画と洋画、ヒットの法則

・『ダークナイト』を作れない日本

恋愛至上主義という病

小谷野敦もてない男』、酒井順子『負け犬の遠吠え』、本田透電波男
・ブームの影響下にあるネット非モテ系の多くは、一見、世の恋愛礼賛の風潮を相対化しているようで、実は恋愛至上主義を再強化していたと思うんですよ。要は、本当は恋愛したいのにできない人による「酸っぱい葡萄」反応であると
本田透 「恋愛資本主義」 岸田秀ゼミ すべての文化や社会制度は本能の欠落を埋め合わせるための幻想だとする「唯幻論」を唱える
・残酷なほどのコミュニケーション格差社会 勝ち組/負け組 リア充
・仕事にアイデンティティを見いだせる人の割合が少なくなっている→友人関係、恋愛関係が生きる意味の全てになる
・終身雇用と会社共同体に支えられていた、誰でも手に入る「普通の社会的自己実現」が崩壊した今、コミュニケーション的に「イケてる」「イケてない」の差が、個人の幸福感を大きく左右してしまう。その象徴が恋愛なんです。
上野千鶴子『おひとりさまの老後』のメタ・メッセージ→「個人的なコミュニケーションでの自己実現に追い込まれるのが嫌なら、腹を据えてちゃんと仕事しろ」ということなんですよね。身も蓋もないけれど状況理解としては正しく、それができる人はそこに向けて邁進すればいい。ただ、繰り返しますが、それをできる人が生まれにくい世の中になってきているんです。
・「会社」「サークル」「家族」の3つの共同体。日本では「サークル」が弱く、その分「家族」幻想というか「恋愛」幻想が肥大してしまっている。中間共同体モデルがない日本。
・コミュニケーションの「コスト管理」みたいな発想を持つことですよね。本当はウザいのに孤独が怖くて党派を抜けられない人も、本当は寂しいのに自分は孤独を愛するタイプだとブログでアピールしたりする人も、バカ丸出しでしょう(笑)。

CHAPTERⅢ 09.FEB.ー09.JUN.

08年のベスト&ワースト大発表!

・自意識系マンガ 花沢健吾ボーイズ・オン・ザ・ラン

ウェブコミュニティの歩き方

・終身雇用制の崩壊で、個人に一生にわたる収入だけでなく、生きがいという精神的価値を与えてくれる日本型の会社共同体が機能しなくなってしまった。いまや一握りの特別な才能や職能のある人を除いて、圧倒的多くの人は、誰がやっても同じような入れ替え可能な仕事には生きがいを見いだせず、自己実現とは関係のない、食べるための仕事として従事するしかない。そうすると、家族関係や友人関係といった個人的なコミュニケーションの領域にしか生きがいを見いだせなくなり、恋愛という個人的な関係の価値が特権的な値上がりをしてしまった。そこでは、個人にとっての幸福がすべてコミュニケーション能力のあるなしで決定されるという、自由だけども残酷な格差社会が生まれてしまったため、その弊害をどう解除しようかという処方箋として、「中間共同体」的なコミュニティをいかに充実させるかという話になった
・いま、右も左も猫も杓子も、グローバル化のもたらす「アイデンティティ不安」の受け皿として中間共同体が必要だと言っています。僕も基本的にはそう思います。けれど、語られるべきはコミュニティの具体像です。それは旧態依然とした日本的な「ムラ社会」の復活や、「非モテ」とか「ロスジェネ」とかルサンチマンでつながるウェブのヒガミ系共同体ではあり得ない。

テレビドラマが面白い

・時代を映すTBS金曜10時枠『岸辺のアルバム』→『金曜日の妻たちへ』→『ふぞろいの林檎たち』→『高校教師』→『人間・失格』→『青い鳥』→『木更津キャッツアイ』 70年代以降の日本文化史はこの枠である程度語れる
・『すいか』『女王の教室』『野ブタ。をプロデュース』『ギャルサー』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』『リップスティック』

瀕死のラジオ、その未来

・伊集院の自虐ネタや「非モテ」ネタは、その後90年代末やゼロ年代前半に、ネット上で隆盛したテキストサイト文化の源流になっています

サブカルチャーの明日はどっちだ!?

・90年代以降の文化は、すべてのジャンルで「俺はこれが好き、お前はこれが好き、以上終わり」という島宇宙化が進行してきました。それは不可避で仕方のないことですが、そこに安住している文化はつまらない。だから越境的な態度を取ろうとすると排除のロジックが働いて、ますます棲み分けを強固にしてしまう。この否応なくセットで働く棲み分けと排除の2つの論理の象徴が、総合誌的な知性の衰退でしょう。
・たとえば40歳近くになっても芽の出ない人間が、中央線沿線で100部しか売れないようなミニコミを作って、「これって、俺たちが本物の文学がわかる文化的エリートである証しだよね」みたいな自己正当化で自分の才能のなさをごまかしながら死んでいくというのは、彼らの人生としてはいいかもしれないけど、文化的には非常につまらない。つまり島宇宙化というのは、才能のないカルチャー中年の自意識の問題としては非常に幸せな状況を生んでいるんだけれど、文化全体のレベルを低くしているわけです。「下北沢化」って言い換えてもいいですけど。
チャック・パラニュークコーマック・マッカーシー

CHAPTERⅣ 19.JUL.

特別対談 AD2019サブカルチャー最終審判

・「美少女戦麗舞パンシャーヌ
格差社会という言葉自体、もう形骸化して、富裕層と貧困層がお互い不可視になって事実上誰も困ってないんですけどね。カネがない連中はネットで無料のコンテンツだけを楽しんで、30円バーガーを食べていればいいんですから。

あとがき 宇野常寛

あとがきのあとがき――または、発端から顛末まで。 更科修一郎

ゼロ年代に入ってからは、サブカルチャーを評論、批評するという行為に意義を見いだすことができず、辟易することが多かった。編集者の立場では「販促ツールとしての評論、批評」ということになるが、読者にしてみれば、自己肯定のための理論武装ツールでしかない。言い換えると、成長しないための適応ツールでしかないので、どんなに大層な言葉で装っても、評価される評論、批評とは、現実逃避性能の高さが評価されているだけだ。よって、評論家、批評家として生きていくということは、文化的タコツボの住人に理論武装ツールを提供して、小さなカルト宗教の教祖になる、ということでしかない。
・「すべての党派から疎外されているからこそ見えるものがある」拗ね者の論理はルサンチマンの一種だが、もっと誇大妄想的で、すべてのタコツボを覗き込んでしまう。すべてのタコツボを一つの巨大なタコツボと捉えてしまうから、表裏一体の諦念も抱いている。 
1/8読了
 
◆要約:2008-09年の日本の大衆文化状況。文学、マンガ、映画、テレビドラマ、雑誌などについて。島宇宙化、タコツボ化。セカイ系について。宇野氏の問題意識は日本は母性のディストピア(甘やかしの病)に冒されているということ。ヒガミ系の男性は、他人を叩くことで現実逃避・自己逃避しないで、もっと社会性を向上させて、自己実現をはかるべきという考え。
◆感想:『ゼロ年代の想像力』の復習になった。宇野さんの原点というか考え方がよくわかった。浅羽通明宮崎哲弥に影響を受けている。全方向に対してものすごい毒舌。自分に当てはまり、反省させられるところもあった。氏のコンテンツ批評は嫌いではないのだが、政治に対する考えは真逆。今の彼の人脈など、薄っぺらいインフルエンサー界隈に取り込まれているようで痛々しくて見ていられない。

【映画メモ】足立正生監督『REVOLUTION+1』(2022年)

@シネマ・ジャック&ベティ
・山上徹也父 大阪の名門府立天王寺高校→京大工学部→東京に本社のある建設コンサルタント会社の大阪支店→結婚を気に義父の建設会社に転職。トンネル工事の現場監督
・1980年、次男として山上徹也が生まれる
1984年、父がマンションから飛び降りて自ら命を絶つ。
・1985年、6つ下の妹が生まれる。
・1990年ごろ、兄が小児がんを患い、頭蓋骨を開く大手術を行う。抗がん剤治療のため、片目を失う。このころから母親が宗教にハマっていく。
・1991年、奈良市内の中学に入学
・1994年、母親が統一教会に巨額の献金をしていたことが分かる。
・1995年、同市内の高校に進学
・1998年、大学進学を諦め
・2005年、自ら命を絶とうと、ベンジンを服用したが一命を取り留める
・2015年11月、兄が自ら命を絶つ同11月8日、告別式
・2021年9月旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)のフロント組織UPF(天宙平和連合)主催の「神統一韓国のためのTHINK TANK 2022希望前進大会」安倍晋三元首相の基調講演(ビデオメッセージ)
・2022年7月8日 銃撃事件
・母親の献金計1億円以上
・母親と家庭を壊した統一教会とその広告塔になっている安倍晋三が憎い
足立正生 パレスチナ解放人民戦線PFLP)→日本赤軍
・1972年5月30日テルアビブ空港乱射事件(リッダ闘争) 赤軍派幹部奥平剛士(当時27歳)、京都大学の学生だった安田安之(当時25歳)、鹿児島大学の学生だった岡本公三(当時25歳)
 
◆要約:家族の不幸につけ込み母親に巨額の献金をさせた統一教会が許せない。そこにビデオメッセージを送って祝福する安倍晋三が許せない。自殺未遂の後、自分の使命について考え抜いた川上は安倍晋三暗殺を決行した。
川上の父とリッダ闘争の実行犯安田安之が京大の麻雀仲間だったことにインスパイアされた足立正生が衝動的に撮った。
◆感想:映画の出来としてはかなりレベルが低いと感じた。シナリオに面白みがない。貧困で苦しむ描写や、統一教会安倍晋三の悪質さを表す描写が少ないので、主人公にあまり感情移入できない。
自分がこの事件を信じていないことも影響していると思う。
自作の散弾銃で警護中の元首相暗殺など成功するわけがないと考える。そして散弾銃の流れ弾が他の誰にも当たらないのことも非常に不可解。
作品の質としてはイマサンだが、議論を呼ぶ映画という意味では作られたことは良かったと思う。
しかし、現在の岸田政権の常軌を逸した暴走ぶりを見ると、いくら要人を暗殺しても、システム自体はなにも変わらないので、世直しには全然ならないのだなあと感じる。