マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

サイダーハウスルールを観て泣いた

人が死ぬ時って「間」があると思う。受け入れる瞬間というか。その瞬間に、人生の中で思い出深い記憶、愛する人の顔等が、走馬灯のように流れるのではないか。
その走馬灯こそが人生だったというか。the凝縮みたいな。
例えばサッカー選手だったら、大事な試合で決勝点を奪ったゴールの瞬間とか、そういうの流れるかもしれないね。子どもが生まれた時の記憶とか、結婚した時の記憶とか流れるかも知れない。
もっと日常的な記憶、子どもの頃学校に行ってた記憶とか、友達と遊んだ記憶とか、家族で食卓を囲んだ風景とか、かもしれない。
例えば、今自分が死んだらどんな走馬灯になるのか。
サイダーハウスルールはなにも教訓めいたことは描いてない。
ただ人それぞれに一生があって、それぞれに思い出深い記憶がある、という当たり前のことに気づかせてくれる映画だった。