- はじめに 安彦良和
- 本書の成り立ちについて 斉藤光政
- 第1章 冷戦の落とし子ガンダム
- 第2章 北辺の地の少年
- 第3章 弘前大学での“闘い”
- 第4章 怒れる若者たち、その後
- 第5章 サブカルチャーの波
- 第6章 世界をリアルに見る
- あとがき 安彦良和
- 付録――安彦良和エッセイなどなど
- 安彦良和作品リスト
はじめに 安彦良和
本書の成り立ちについて 斉藤光政
第1章 冷戦の落とし子ガンダム
ある学習塾の風景――『虹色のトロツキー』
人間くさい主人公たち――『アリオン』
冷戦が生んだ終末観
・第一希望金沢大学
・スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』
・1966年パロマレス米軍機墜落事故 1968年チューレ空軍基地米軍機墜落事故
ガンダムのテーマとは
ユーゴ内戦にショック
物語作家としての覚悟――『ヴイナス戦記』
なぜ日本はまちがえたのか――『王道の狗』
・日清戦争→中国にあなどりの念
寄せる波、返す波
日中間に突き刺さる深いトゲ
・「ほおを叩かれたものは忘れない」=日清戦争
《安彦良和 私の原点1》『ガンダム』と「戦争」・「日本」
・安彦1947年生まれ
・50年代 のどかな子供時代
・61年父が亡くなる。 60年代 思春期
・70年弘前大学を除籍となり東京に出てくる 70年代 苦しい生活と仕事の時代
・79年ガンダム開始 80年代 ガンダムの時代、アニメの時代
・90年代 気ままな漫画描きの時代 『虹色のトロツキー』『王道の狗』『ジャンヌ』『イエス』『ナムジ』
・00年代 ガンダムtheオリジンの時代
・10年代 そのアニメ化の時代
・1969アポロ月面着陸が端緒 SFブーム 『スター・ウォーズ』(1977)『宇宙戦艦ヤマト』(1974アニメ、1977映画)
・富野由悠季1941年生まれ 安彦の6つ上 60年と70年の間の世代 日大芸術学部 S・キューブリックの信奉者
・原田常治『古代日本正史』
第2章 北辺の地の少年
“おもしろさ”へのこだわり
・手塚治虫『来るべき世界』→『新人類フウムーン』(1957年)
・1957年 ソ連と英国で原子力事故 世界初の人工衛星スプートニク1号打ち上げ成功
・手塚=子どもに背伸びをさせる 子供を侮らない
マンガ家を断念し南へ
・「権威に逆らう」親や教師に反抗する ビートルズ世代、ヒッピー・ピープル
・高校生『遥かなるタホ河の流れ』スペイン内戦
第3章 弘前大学での“闘い”
党派への違和感
「ベトナムさん」との出会い
弘前大学全共闘の誕生
・民青に入るが、その教条的で画一的な体質にすぐに失望→新左翼になるのは自然の流れ
・全共闘=参加も離脱も自由な梁山泊的な寄り合い所帯。ノンセクトの格好の受け皿。
・安彦「ベトナムの平和を願う会」。ベ平連小田実、鶴見俊輔から影響を受けて
・早稲田ノンセクト村上春樹「何より精神的に自由でいたかった」
一方的なアジ演説に反発
・60年安保=「戦後民主主義の正義を守るための戦い」/70年安保=革命を目指す
・「学生先駆性」=しがらみをもたない学生こそが社会の先頭にたって変革しなくてはいけない。正義感(感情)優先。
・当時の学生 お金があれば本を読むのがあたりまえ。知への欲求があった。
・安彦、ヘルメットとタオルは決してしなかった
第4章 怒れる若者たち、その後
「わかりあえない」が出発点
東大安田講堂事件で仲間逮捕
・工藤くん
・城攻め
いつも雨が降っていた
・川本三郎『マイ・バック・ページ』
・立身出世主義をぶち壊した世代
弘前大学本部占拠事件
・梅内恒夫
第5章 サブカルチャーの波
アニメーションの世界へ
・虫プロに入社。高校時代の作品が評価された。
『宇宙戦艦ヤマト』への挑戦
・西崎義展
・27歳にして絵コンテ担当に抜擢される
青森から照射する日本――『ナムジ』『神武』
日本動漫文化
《安彦良和 私の原点5》サブカルで、生きる
・「挫折」というのは「自己卑下」のナルシシズムである。崇高なものや絶対的なものに帰依しえない自分への憐れみであり、同時に、そういう自分の合理化でもある。
・「自分はダメな人間だ」と思いつつ、一方では「でも、これが人間の本質なんだ」と正当化もする、その両者の葛藤に「レベルの高い悩みだ!」と酔いしれるのでなければ「挫折」は恍惚感を生まない。
・虫プロニ期生 同期岡田史子
・リミテッドアニメ=制作費用や期間削減のため、動きを簡略化するなどしてコマ数を少なくする制作手法
・「創英社」(後の「サンライズ」)=虫プロ退職組
・玩具メーカのコマーシャルフィルムとしてのロボットアニメ
・政治の季節が去り、挫折しそこねた全共闘世代が沈黙していく中で、早くも次の主役世代が登場していたのだ。「しらけ世代」というふうに、一時世間は彼等のことを呼んだ。が、彼等は決して「しらけて」いたのではなかった。それどころか、彼等は知識や面白さに貪欲で、おしゃれで、精力的だった。何か面白いものはないか、と、彼等は絶えず探し回り、嗅ぎ回っていた。そしてつかみ獲った獲物は放さず、旺盛な自己PRでそれを売りものにした。
・純文学では田中康夫がその代表であり、僕の識る人では、中島梓(栗本薫)や夢枕獏、そして、現在も友人でいる高千穂遙等がそうだった。彼等はそれぞれ作家として名を為すのだが、無論、彼等の背後には同世代の、無数のメディアの仕かけ人達がいた。彼等こそが、今日的なサブカルチャーの生みの親だった。
第6章 世界をリアルに見る
イスラム国と戦う少年兵
アジアの盟主をめぐる争い
・中国脅威論=「経済格差から生まれた国民の不満を外に向けようとする、典型的な国家の手法。危機の演出。うるおうのは軍需産業だけ」
歴史を知らない若者たち
《安彦良和 私の原点6》ふたたび、「社会」を見つめて
・宮崎駿は安彦を嫌った?会うことを断る。
・手塚治虫の態度は対照的。神様。第一人者としての自覚があった。
・『ヴイナス戦記』=ポストモダン的。大きな物語が終わった虚無感。でも世界はそうじゃなかった。
・歴史漫画の動機→神話まで遡って日本・天皇を考える。
・オウム真理教事件でガンダムの悪影響を恐れる→オリジン創作の動機
・富野由悠季「ヤスヒコ君。この世界で生きるということはね、そういうことなんだよ」。勝手な解釈だが、この言葉はサブカルチャーという文化の本質を言い当てていると思う。普遍的価値も、オリジナリティーも、矜持も、無くていい。受けて、食わなくてはならない。が、あくまでも創作者(クリエータ)であり続けなければ、その世界に棲み続けることも、いつかは出来なくなってしまう。富野「キミはね、絵が描けるからいいよ」。
あとがき 安彦良和
・不動産取引であれ外食産業であれ、儲けた金は結局投資へと向う。巨大な金融資本と、それを牛耳る一部の人々が世界経済を支配するようになる。マルクス主義陣営が冷戦で敗けようがどうしようが、その真実は変らないし、実際世界はそうなっている。
・戦争の悲惨さもキャンペーンに使われてしまう。
付録――安彦良和エッセイなどなど
ユーゴ・栄光と愚行と――坂口尚『石の花』解説
『銀座』とぼく
読んできた本、おすすめの本
『宮沢賢治詩集』
巖本善治編『海舟座談』
石川啄木『時代閉塞の現状』
角田房子『甘粕大尉』
山口淑子 藤原作弥『李香蘭 私の半生』
子母沢寛『新選組始末記』
アルシノフ『マフノ運動史』
浅田次郎『中原の虹』
カー『コミンテルンとスペイン内戦』
山口昌男 『「挫折」の昭和史』他
吉村昭『羆嵐』
マルクス 『経済学 哲学草稿』『ドイツイデオロギー』
ハインライン『宇宙の戦士』
ツルゲーネフ『はつ恋』他
宮崎滔天『三十三年の夢』
中江兆民『三酔人経綸問答」
陸奥宗光『蹇蹇録』
石原莞爾『最終戦争論』
山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』
尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』
松本健一『北一輝論』他
水木しげる『敗走記』