マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

パースペクティブ ジョルジュ・バタイユ 2

1.バタイユの思想
1)理論の特徴:①聖体験の探求・・・エクスターズ(脱自)=自己の外に立つ経験(『内的体験』他)
        ②存在論「哲学」・・・『エロティシズム』『宗教の理論』
        ③エネルギー経済論「普遍経済学」・・・『呪われた部分』『至高性』
2)連続性の非連続性
①人間の生を連続性と非連続性という二元論の枠組みでとらえる
「私たちは非連続の存在であり、理解できない運命の中で孤独に死んでいく個体であるが、しかし失われた連続性への郷愁を持っているのだ」
②根源的欲望:「失われた連続性への郷愁」「最初の連続性への強迫観念」
③非連続性:意識・理性、道具使用・労働、俗なる世界、死の不安・恐怖、主客分離、個体・孤独 自者・他者を道具としてみる 有用性 蓄積
連続性:無意識・非知、祝祭・消費・遊び、聖なる世界、死への接近、主客融合、個の溶解・交流 現在を楽しむ 暴力・危険の領域 波の中に浸透 至高性 消尽
3)エロティシズム
・象徴的な「死」に近づく経験:「エロティシズムは死におけるまで生を称えること」
・暴力、侵犯の領域
4)溶解と交流
◆考察 『新世紀エヴァンゲリオン』連続性への溶解
 
2.作田啓一「三次元の人間」
1)拡大と溶解
①拡大体験:集団と一体化することで自我境界が集団の範囲まで拡大する体験
潜在的・顕在的な敵の存在と集団の一体感「われわれ意識」 みんなで盛り上がっているとき 敵を必要とする
②溶解体験:個体の自我境界が溶解し、主客が相互浸透する体験
自我境界の溶解=内外の区別の不在=敵の不在
2)社会学の自我論と三次元の人間
社会学の自我論:
・個人と社会の二元論が前提・・・個人(自我)が社会的に構成される面を強調
・G.H.ミード:I(主我)とme(客我、社会的自我)
②作田の人間学
・「三次元の人間」:A:社会我/B:独立我/C:超個体我(自然、神、芸術)
・価値の三次元:A:有用価値/B:原則価値/C:共感価値
バタイユの理論
A:有用性/B:「価値」(「できるだけ遠く、内奥へ」)/C:至高性・消尽・交流
 
3.デュルケームバタイユ
1)デュルケームの二元論とバタイユの二元論
デュルケーム:集合意識と個人意識
D「個人意識は、それ自体では、互いに閉じている」「個別の精神は自分自身から外へ出るという条件によってのみ、出会い、合一することができる。しかし個別の精神が外在化できるのは、ただ運動というかたちにおいてのみである。運動の同質性こそが集団に自己感情を付与し、したがって集団を存在させるのである」(『宗教生活の基本形態』)
バタイユ:連続性と非連続性
B「存在者たち、人間たちは、自分自身の外に出てはじめて交流する――生きる――ことができる」(『ニーチェについて』)
2)聖なる体験の解釈
デュルケームの解釈する聖の体験:集合意識、「合一 communion」=拡大体験
バタイユの解釈する聖の体験:連続性、「交流 communication」=溶解体験
3)集合的沸騰の解釈
デュルケームによる祝祭の機能主義的解釈(『宗教生活の基本形態』)
・社会秩序の活性化:祝祭における集合的沸騰
 儀礼的行為をつうじた集合の高揚、「合一 communion」における道徳的感情
 ⇛社会的結合の強化、強烈な情動の発散:秩序の安全弁⇛社会統合
・新たな秩序の再創造:革命における集合的沸騰 ex.十字軍、宗教革命、フランス革命
 集合的沸騰から新たな理想を表明する社会のシンボル(=聖)が生み出される
 ⇛新たなシンボル(=聖)を凝集点に⇛新たな社会秩序が再創造
 cf.デュルケーム「目的もなく、いかなる種類の有用性もない発現」「単なる活力の放出」
バタイユによる沸騰の解釈
・「人間性の目標」(1)否定的なもの:生を保存すること(死から逃避すること)、毎日を生きていく(2)他方は肯定的なもの、「死において強烈さを増大させることである」(『文学と悪』)
「強烈な生の瞬間が社会的紐帯を創設するために必要だということは、二次的な関心でしかない。」
「人間存在が融合点へと向かおうとするのは、社会を形成しなければならないからではない」
・祝祭の誤認
「祝祭がいま現在何であるかについての明晰な意識はありえない。そして祝祭が意識の中に判明に位置づけられるのは、ただ祝祭が共同体の持続の中に取り込まれたときだけなのである」「この宿命的な誤認のうちに、宗教の根本問題は与えられている」(『宗教の理論』)
*オリンピックの感動 ⇛ 国家のシンボルの媒介 ⇛ ナショナリズムの高揚
*エロティシズムの経験 ⇛ 恋人関係の事後確認 ⇛ 結合の強化
*溶解体験 ⇛ 集団のシンボルによる事後解釈 ⇛ 拡大体験
ファシズムの沸騰、革命の沸騰:生命の沸騰を有用な目的に従属させること
(1)バタイユは目的に限定されない沸騰の肯定←「シュール・ファシスト」との批判(プルトンら)
(2)S・ヴェイユの批判:「革命とは、彼にとっては、非合理的なものの勝利なのですが、私にとっては、それは合理的なものの勝利のことなのです。また彼にとっては破錠=破局なのですが、私にとっては大きな被害を食い止めるべき方法的行動なのです。さらに革命とは彼にとっては本能の解放、とりわけ普通は病理的だとみなされている本能の解放なのですが、私にとって、革命は高度の道徳性の問題なのです。どこに共通なものがあるでしょうか?」
④戦争の沸騰
(1)カイヨワ
・「戦争と祭りは酷似している。両者ともに強力な社会的一体化の時代、道具・資産・組織の全面的な共有化の時代をつくり出す。」「戦争こそが、集団的な沸騰状態である古代の祭期と比較されねばならない」。「祭りと同様、戦争によっても社会の周期的な更新が図られてきた。」「祭りに劣らず戦争もまた、聖なる時、神聖なものが顕現する時であるように思われる」(『人間と聖なるもの』)
・「国民が、その人的資源と物的資源とエネルギーをすべて動員して、これを敵対する国民に対して投げかける時、国民の心は白熱し、興奮と浪費の時がはじまり、極度の緊張が生まれる」。「別の全体と対決することにより、国家は自己を肯定し、自己を正当化し、自己を高揚し強化する。その故にこそ、戦争は祭りに類似し、祭りと同じような興奮の絶頂を出現させるのである。そして祭りと同じように一つの絶対として現れ、ついには祭りと同じ目眩と神話とを生むのである」。「狂宴と殺戮、祭りと戦争、この二つの現象は対称的なものであり、ともに暴力的なものでもある。この両者は(・・・)同一の機能を果たし、ともに人間を魅惑する力を持っている。」(『戦争論―われわれの内にひそむ女神ベローナ』)
(2)バタイユ
・「ファシズムは卑屈にもあらゆる価値を闘争と労働の下に置く」(「戦争の脅威」『無頭人』)
・「私は初めて今度の戦争の意味を理解した。この戦争は内在的に対する超越性の戦いであるのだ。」「ファシズムは国家の超越性を本質としたのであり、《普遍的なもの》になることができなかった。ファシズムは、その特異な力を国家と言う《特殊性》から引き出していた。それだからファシズムは、普遍的な側面を持つ主張を掲げていたのにもかかわらず、この主張を実現させることができなかったのだ。」(『ニーチェについて』)
・「原爆投下後の広島に関するジョン・ハーシーのレポート:「『彼[谷本氏]は意識をはっきりもって絶えず自分にこう言いきかせねばならなかった。これは人間なんだぞ、と』。こうした物語の全体から浮かびあがってくるのは、これら不幸な人々によって維持されていた人間的振る舞いが、動物的な朦朧状態の根底の上でかろうじて続いていたという事実である」。「至高の感性の人間は不幸を真正面から見つめているため、もはやこんなふうに即座に言ったりしない。『この不幸をなんとしてでも撲滅しよう』。まず彼はこう言うのだ。『この不幸を生きよう』。瞬間のなかで、最悪のもののレベルにまで生のあり方を高めよう。」(ヒロシマの人々の物語)
動物性↔人間性
 
◆「私の文章を読んでくれている君、君が誰であろうとかまわない。君の好運を賭けたまえ。私がしているように慌てずに賭けるのだ。今これを書いている瞬間に私が君に賭けているのと同様に君も賭けるのだ」(『ニーチェについて』)
 

即興演奏と音楽療法

1.日本語のリズム:韻を踏む
2.即興演奏
キース・ジャレットの即興ピアノ
「誰もがそれぞれの人生で即興をしている」
アドリブ
3.音楽療法と即興演奏
音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きを用いて、音楽を意図的・計画的に使用すること
音楽 医術 宗教
体を動かす
ALSと音楽療法 近藤清彦医師
ヘヴィメタルの軍事利用