マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【映画メモ】若松孝二監督『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』( 若松プロダクション 2012年)

三島由紀夫、平岡公威 
学習院高等科を首席で卒業。卒業式には昭和天皇が臨席し、宮内省より天皇からの恩賜の銀時計を拝受され、駐日ドイツ大使からはドイツ文学の原書3冊(ナチスハーケンクロイツ入り)をもらった。御礼言上に、学習院長・山梨勝之進海軍大将と共に宮内へ参内し、謝恩会で華族会館から図書数冊も贈られた。
東京帝国大学法学部法律学科入学
・『花ざかりの森』日本浪曼派の影響。保田與重郎、蓮田善明 デスペレートな(絶望的な)諦観 死を背後に担った悲壮感
群馬県新田郡太田町の中島飛行機小泉製作所に勤労動員
兵庫県富合村高岡廠舎へ出立。肺浸潤(結核の三期の症状)と診断され即日帰郷。その部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、多数が死傷してほぼ全滅した。
・戦死を覚悟していたつもりが、医師の問診に同調し誇張した病状報告で答えた自身のこの時のアンビバレンスな感情が以後、三島の中で自問自答を繰り返す。この身体の虚弱から来る気弱さや、行動から〈拒まれてゐる〉という意識が三島にとって生涯コンプレックスとなり、以降の彼に複雑な思い(常に死の観念を意識する死生観や、戦後は〈余生〉という感覚)を抱かせることになる。
・神奈川県高座郡大和の海軍高座工廠に勤労動員
・〈玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられた使命なることを確信しました〉〈絶望せず、至純至高志美なるもののために生き生きて下さい。(中略)我々はみことを受け、我々の文学とそれを支へる詩心は個人のものではありません。今こそ清く高く、爽やかに生きて下さい。及ばず乍ら私も生き抜き、戦ひます〉〈日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであらう〉
川端康成の庇護
・大蔵省銀行局国民貯蓄課に勤務
・雑誌『近代文学』の第2次同人拡大に参加
太宰治入水自殺
・『仮面の告白』河出書房の編集者・坂本一亀(坂本龍一の父)
・『青の時代』光クラブ事件
・約半年間の初の世界一周旅行 ギリシャアテネ
古代ギリシャの〈肉体と知性の均衡〉への人間意志、明るい古典主義に孤独を癒やされた三島は、〈美しい作品を作ることと、自分が美しいものになることの、同一の倫理基準〉を発見した
・10作目『潮騒
金閣寺放火事件金閣寺
・ボディビルとボクシング 文壇の寵児 軽井沢での社交
・杉山瑤子と結婚
・『鏡子の家』戦後の総決算
・長女誕生 60年安保
・『憂国』 深沢七郎『風流夢譚』 嶋中事件
安保闘争や東西冷戦による水爆戦争への危機感が強かった社会情勢 〈世界崩壊〉〈世界の終末〉の主題
・1964東京オリンピック 特派員記者
・『憂国』映画化 自ら監督
自衛隊体験入隊
・雑誌『論争ジャーナル』 日本学生同盟の持丸博『日本学生新聞』
・「祖国防衛隊」構想 陸上自衛隊調査学校情報教育課長・山本舜勝との親交 
・1968年「祖国防衛隊」→「楯の会」へ改名
自衛隊国軍化・憲法9条改正へのクーデターを計画
川端康成ノーベル文学賞受賞
・1969年2月11日の建国記念の日、国会議事堂前で江藤小三郎が焼身自殺
・東大教養学部教室での全共闘主催の討論会に出席
五社英雄監督映画『人斬り』の撮影
・11月3日、森田を学生長とした楯の会結成1周年記念パレードが国立劇場屋上で行なわれ、藤原岩市陸将らが祝辞を述べ、女優の村松英子倍賞美津子から花束を贈呈された
・日本人は金に目がくらんだ。精神的伝統は滅び、物質主義がはびこり、醜い日本になった…と言いかけて、奇妙な比喩を持ち出した。「日本は緑色の蛇の呪いにかかっている」 これを言う前に、一瞬だが、躊躇したような気がした。さらにこう説明した。「日本の胸には、緑色の蛇が喰いついている。この呪いから逃れる道はない」
・1970年(昭和45年)11月25日、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会会員4名と共に訪れ、面談中に突如、益田兼利総監を人質にして籠城すると、バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自決した。45歳没。

・森田必勝 三重県四日市市生まれ 幼くして両親を亡くす
・2年間浪人 名古屋の予備校 早稲田国文学科
・左翼に牛耳られた早稲田の正常化を目指す民族派学生組織日本学生同盟」(日学同)の結成に参加

◆要約:森田必勝の上京から、楯の会結成、三島事件までの顛末。
◆感想:三島事件についてほとんど知識がないため、理解の助けになればと思って観たが、
思想の掘り下げが甘く、なぜ三島が事件を起こしたのかよくわからなかった。
あとで三島のwikipediaを読んで、だいぶ理解できた。
事件の概要を知る分にはいいかもしれないが、三島の本質はこの映画では描けていないと感じた。