マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【映画メモ】 クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』(2023年)

@イオンシネマみなとみらい

J・ロバート・オッペンハイマー 
・1904年NY生まれ。 ハーバード大学ケンブリッジ大学 キャヴェンディッシュ研究所(ニールス・ボーアとの出会い)→ゲッティンゲン大学→1929年カリフォルニア大学バークレー校、カリフォルニア工科大学助教授→1936年両大学の教授
・1942年 原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画開 
・1943年 オッペンハイマーロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導
・1945年7月16日 ニューメキシコ州ソコロの南東48kmでの核実験(トリニティ実験)
・1945年8月6日広島市(9~16万6千人が被爆から2~4ヶ月以内に死亡)、8月9日長崎市(約7万4千人が死亡)に原爆投下
・1954年 ソ連スパイ疑惑を受けたオッペンハイマーは、秘密聴聞会で追及を受ける(オッペンハイマー事件)
・1959年 その事件の首謀者ストローズの公聴会
・1963年 「エンリコ・フェルミ賞」受賞。名誉回復。
マンハッタン計画 
テネシー州オークリッジ ウラン濃縮施設 82000人の労働者 クリントン・エンジニア・ワークス 
ニューメキシコ州ロスアラモス ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミジョン・フォン・ノイマン(爆縮レンズの計算担当)、オットー・フリッシュ、エミリオ・セグレ、ハンス・ベーテ、エドワード・テラー、スタニスワフ・ウラムなど著名な科学者のほか、リチャード・ファインマンなど若手の研究者やハーバード大学やカリフォルニア大学など名門校の学生などが集められた。当時はコンピュータが実用化されていなかったために、計算だけを任務とする、数学の優秀な高校生も集められた。その他、アーサー・コンプトン、レオ・シラード、アーネスト・ローレンス、ジョン・ホイーラー、グレン・シーボーグなど
ワシントン州ハンフォード プルトニウム生産工場
・ロスアラモスの他にもシカゴ大学冶金研究所やカリフォルニア大学バークレー校など多くの施設がマンハッタン計画に参加し、米国以外ではカナダのモントリオール大学が計画に参加している。またデュポン、ゼネラル・エレクトリックウェスティングハウス・エレクトリックなど民間の大企業も参画している。この計画に対しては多額の資金(当時の額面で19億ドル)が投入された。
・レズリー・グローヴス准将 ローランド・ジョフィ監督『シャドー・メーカーズ』(1989年)
フランクリン・ルーズベルト(1882年1月30日 - 1945年4月12日)第32代アメリカ合衆国大統領 4回当選任期12年 静養先のジョージア州ウォームスプリングスにある別荘で肖像画の制作途中、昼食前に脳卒中で死去した。63歳没。勝利を目前にしての死去
ハリー・S・トルーマン1884年5月8日 - 1972年12月26日)任期 1945年4月12日 – 1953年1月20日 NATO・CIA・NSA国防総省を創設
マッカーシズムは、第二次世界大戦後の冷戦初期、1948年頃より1950年代前半にかけて行われたアメリカにおける共産党員、および共産党シンパと見られる人々の排除の動きを指す。1953年より上院政府活動委員会常設調査小委員会の委員長を務め、下院の下院非米活動委員会とともに率先して「赤狩り」を進めた共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員の名を取って名づけられた。マッカーシーに協力した代表的な政治家は、リチャード・ニクソンロナルド・レーガン
・ルイス・ストロース(1896-1974)靴の行商人→投資銀行家→原子力委員会 水爆推進「クラッシュ計画」→商務長官代行
・1968年1月21日チューレ空軍基地米軍機墜落事故 グリーンランドデンマーク自治領)チューレ空軍基地付近、ノーススター湾の海氷上に墜落
・1960年、アメリカ空軍戦略航空軍団(SAC)は、核戦争時の迅速な先制攻撃や報復攻撃のための能力を確保するため、平時に核武装したB-52爆撃機ソ連国境沿いに飛行させる空中待機プログラム「クロームドーム作戦(Operation Chrome Dome)」を開始した。この作戦は常時12機以上の爆撃機を滞空させておくというものだった。これら爆撃機ソ連からの先制攻撃時のSACの攻撃力となり、重要な核抑止力になっていた。
吉岡斉先生 科学史

 
◆感想:とても良かった。ハリウッド映画の新作を映画館で観るのは本当に久し振り。とにかく重厚。
映画で歴史をざっくり知ることは一番効率的でよい方法だと改めて思った。オッペンハイマーマンハッタン計画のことがざっくりとわかった。
広島・長崎の被害、加害責任を正面から描いていないという批判があるようだが、
日本も重慶爆撃や南京事件バターン死の行進などの加害責任を正面から受け止めた作品を作っていないと思うので、人のことを言う資格はないと思った。