- ●マスタークラス 釜山2012(2012年10月06日)
- ●インタビュー
- ●対談・座談
- ●インタビュー
- ●インタビュー/ブリュッセル1968
- ●インタビュー/パリ1976
- ●エッセイ
- 曾根中生 「若松孝二の観念が燃えた」
- 山本晋也 「若チャンがロケにイッタ」
- 中村義則 「服喪のスートラ パノプティコンからの脱出」
- 福間健二 「カツ丼と味噌汁」
- 山下洋輔 「若松さんは最初からフリージャズだった」
- 坂田明 「若松孝二監督のことをすこし。」
- 佐々木美智子 「ありがとう! さようなら! 」
- 重信房子 「戦友・若松孝二追悼」
- 和光晴生 「追悼」
- 福岡芳穂 「若松孝二のこと」
- 井上淳一 「若松孝二を失ってはならない」
- 高橋晶子 「ヨーロッパの若松さん」
- ローランド・ドメーニク 「ある個人的追悼——若松孝二との三度の出会い」
- 阿部・マーク・ノーネス 「密室の光り輝く眼」
- ジム・オルーク 「インスピレーション」
- ●論考
- ●対談
- ●フィルモグラフィ+年譜 ——磯田勉
●マスタークラス 釜山2012(2012年10月06日)
若松孝二「映画なんて誰にも撮れる」[聞き手 ヤン・シオン]
・「群れるな」「頼るな」「ぶれるな」「褒められようとするな」座右の銘 手帳に書いてある
・映画なんていうのはね、どんな人でも撮れる。たとえばこの水をただ撮るだけでもいいんです。これも映画なんですよ。
・それだったら東電や靖国の映画を撮れと言いたい。僕は3年以内に撮りますよ。東電というのはどれほどひどいかという映画を。…たとえば東電から日本の戦前の、どれほど太平洋戦争で悪いことをしたか、軍隊と、あらゆるものをごちゃ混ぜにした映画です。…だから東電はやりますから。必ず期待していてください。どうしてもやります、これは。
・だから今僕に質問したあなたも、日本が朝鮮民族を植民地にしたということをきちんと訴える映画にしてください。…植民地にして、なんでこの戦争が起きたのか、なんで朝鮮人の慰安婦があれほど連れていかれたのか、なんで炭坑で労働者にされて日本にこれだけの無縁仏があるのか、そういうことをきちんとドキュメンタリーで訴えれば、おそらく韓国の政府も隠そうとしている、日本の政府も隠そうとしていることを、僕達が暴露することができるんじゃないかな。…今度さっき言ったその東電の話と戦争の話を混ぜてつくるというのも、日本が何をやったかを入れながら東電の話をしようと思っている
・かつての日本は本当にひどい国だと思っていますよ。そういう歴史を今の若い人に全部隠そう隠そうとして日本は教えないんですよね。今の国会議員は戦争もほとんど知らない二代目の馬鹿ばっかりですからね。
・なんで日本人のくせにこんなに日本の悪口ばっかり言っている?本当に何の解決もしてないじゃないですか、あの戦争の。
★そのとき北朝鮮のちょっと偉い人に言われたのは、「日本は一切我々のことを映画にしてくれない。慰安婦のことも一切映画にしてくれない」と言われました。それから「原爆の話もひとつもしてくれない」と。「それをきちんとやってくれたなら我々は本当に日本と仲良く問題を解決する。「それがいちばん早道じゃないですか」と言われて、日本に帰ってきてそれをいろんなマスコミに言ったけれど、一切マスコミは載っけないですよ。ただ「ひどい国だ。ひどい国だ」とばっかり言っているんだからね。
●対談・座談
小水一男×秋山道男 「必死にやって、そして楽しかった若松プロの青春時代」
・桑沢 セツ・モードセミナー 長髪族
・「樽小屋に何人連れて来ればいいんだろう」と、ちょい役を集めたり。そのなかにタケちゃんがいた。タケちゃんは永山則夫と「ヴィレッジヴァンガード」で一緒で、ボーイのローテーションやってた。
ジャックスのカツラ君とかもいたしね。
ジャックスは「ビザール」で知り合ったんだ。早川君も。後で分かったんだけど、ジャックスの運転手をしてたのが、警視庁乱入事件の飯島だった。
●インタビュー
朝倉大介 「やはり、若ちゃんはピンクの頃が一番勢いがあった」
葛井欣士郎 「若松さんは、主義主張のある、幸せ者だった」
吉澤健 「自負を生きていた若松さん」
牧口元美 「『牧口、向こうから走って来い! 』と言う声がまだ響いている」
福田伸 「私には、いい兄貴分だった」
清水一夫 「身体に付随したキャラクター」
●インタビュー/ブリュッセル1968
若松孝二との対話[聞き手 ミシェル・カーン/ローラン・レーテム]
〈付記〉ローラン・レーテム 若松孝二、クノックにて――クリスマス(1967年)から新年(1968年)にかけて
●インタビュー/パリ1976
若松孝二に訊く[聞き手 ジャン=ピエール・ブイツー]
●エッセイ
山本晋也 「若チャンがロケにイッタ」
中村義則 「服喪のスートラ パノプティコンからの脱出」
福間健二 「カツ丼と味噌汁」
山下洋輔 「若松さんは最初からフリージャズだった」
佐々木美智子 「ありがとう! さようなら! 」
和光晴生 「追悼」
高橋晶子 「ヨーロッパの若松さん」
ローランド・ドメーニク 「ある個人的追悼——若松孝二との三度の出会い」
阿部・マーク・ノーネス 「密室の光り輝く眼」
ジム・オルーク 「インスピレーション」
●論考
小野沢稔彦 「映画監督・若松孝二 ——そのテクニックと背景について」
ニコル・ブルネーズ 「永遠の反逆者、若松孝二」
金晟旭 「わたしは在日日本人である ——この世を去った若松孝二監督を偲びつつ」
ステファン・デュ・メニルド 「赤と青の映画」
ジャン=フランソワ・ロジェ 「『実録・連合赤軍』」
●対談
市田良彦×友常勉 「無根拠と無意味のラディカリズム——若松映画の政治性」
どこにも位置づかない感覚
・団地もキーワードでした。僕は少年期に団地に住んでいたんです。団地というのは子どもの自分にとっては、新しいライフスタイル、夢のあるいい生活の代名詞です。木造住宅からそこへ移り住んで、子どもながら鼻高々でしたよ。いとこの家族が先に同じ団地に住んでいて、羨ましかったですから。ところが思春期になると、団地に対してまったく違うイメージをもち始める。それ自体がとても鬱屈した空間のように見え始める。吹田に住んでいたのですが、千里ニュータウンが建設されていく時代です。徐々に増えていくコンクリートのアパート群は冷たく無機的で、もはや羨ましい場所ではなかったです。まだ人が入居していないニュータウンは不気味で、子どもにとってさえ巨大な墓地のよう場所でした。墓に探検に行くように、建設途上のニュータウンに怖いもの見たさで行ってました。幼少期には団地は明るい未来の象徴みたいに思えていたのに。この違和感を、『壁の中の秘事』と『胎児が密猟する時』は強烈に思い出させてくれました。というか、あの違和感は正しかったんだ、その奥底には「これ」があったんだ、と気づかせてくれたというか。家族が蟻の群れのように住んで、それぞれの隠微な情念を「壁の中」に閉じ込めている。さらには、育てている。そのことと、60年の政治経験の「終わり」という事態があの2作によって僕のなかで合体したわけです。
無意味という解放
・60年代の中頃というのは「綱領による革命」が終わった時代でしょう。「綱領」でないとすれば何を根拠に反乱なり革命がありうるのかという問いが、広い範囲で無意識に共有されていたんじゃないでしょうか。新しい根拠として若松さんが結果的に提示したものが、たしかにあったかもしれない。それは、「意味がない」ことだと思います。意味のなさみたいなものが逆に意味や根拠になりうる。「壁の中の秘事」における「秘事」というのは、戦後日本の左翼運動が「プロレタリア」にあたえてきた意味――被爆国民であるとか資本家に搾取されてるとか――が全部はげ落ちてし まった後に残るもの、でしょう。
・意味がないというのは解放的な経験でね。平たく言えば、必然性に突き動かされないエアポケットのような時空が、そこから広がる。右へ行こうが左へ行こうが自由。どこへ、向かってもいいと思わせてくれる爽快さが、無意味にはある。だから意味のなさへの志向はけっしてニヒリズムなんかじゃないと思います。
・『マッド』のおやじさんは若松映画には珍しいキャラクターだろうけど、彼に代表される「意味」をまるで無意味に奉仕させるかのように弄んでいるうちに、若松さんもどこかでだんだん「根拠」というか、究極の意味みたいなものが欲しくなるようなところはあったかもしれませんね。生きる意味、映画を撮る意味、闘う意味。足立さんがなぜアラブに行ったかにも関わります。日本で火炎瓶をちょっと投げるか投げないかの闘争を東京戦争だとか大阪戦争だとか呼んでみても、あまりに空しい。本当に「リアルに」闘っている人を見てみたい、と「根拠」が欲しくなって当然です。
・ 「意味はどうでもいいんだから、ひとつやってみようか」とあちこちに踏み出せる。70年前後の若松作品の面白さというのは、そこからどこかへと実際に進む前に、この「直前」の時間に特有の解放感自体を見せてくれるところではないでしょうか。どこまで意図していたかは別にして、あの底抜け感はたしかに街頭反乱の現場における自由の空気に近しい。政治的にはその後が肝腎で、たいてい失敗するんだけど、過激派に憧れてない人間にとりあえず過激派になってみようかと思わせるだけものが、彼の映画にはあったかもしれない。
・因果性から解き放たれる瞬間に政治がはじまる。
・経験主義というのは政治思想的には通常、伝統主義や歴史主義の方に行くわけでしょう。今現在あるものは経験の結果としてあるから、合理的な根拠がなくてもそれなりに尊重しなくてはならない、と考える方向です。自分としてはそれを裏返したい、と思ってるところがあります。経験というのは根拠のなさなり自由を一瞬教えてくれるからこその経験。つまり必然だと思っていた関係が崩れる瞬間、それが経験だと考えたい。関係が一端ゼロに、無関係に戻るわけだから苦労して再建しなくてはいけないんだけど、それは解放的な瞬間であるはずだと思っているんです。
・たとえばフーコーについて、よくこんなふうに言われます。彼は権力と知が一体であるありさまを、どんな抵抗も不可能と思えるほどうまく描いて自ら袋小路に陥った。権力関係の網の目はフーコーにあって、近代人を縛るほとんど自然の必然性。いくら「抵抗している」と主観的に思っていようと、その抵抗の可能性そのものが権力によってつくり出されたものだ、と、たとえば『監獄の誕生』や『知への意志』を読めばすぐに思いますよね。自由に語っているつもりが実は語らされている、と。
・でも80年代のフーコーは、それをまったく逆転させている。いわば、そこまで微細にコントロールしなければうまくいかないほど、統治というのは覚束ないものなんだ、と見る。人間関係の至る所に介入しなくては自らを維持できないほど権力は脆いなものなんだ、と。個人を訓育しなければ全体が立ち行かないほど、社会はフラジャイル。統治される側から見れば、隙間がなく非常に息苦しく見える統治が、統治する側にとっては隙間だらけで、いつなんどき崩れてもおかしくない。この転倒が経験であり、必然が偶然に転倒されたところから世界を見直していくのが経験主義なんだと思う。
・その意味では権力者、統治する者こそが経験主義者なのかもしれませんね。けれど、合理性の代わりに「伝統」でもって現在の統治を正当化しようとする歴史主義は、必然性を再建しようと躍起になっているだけ。続いてきたことの根拠を、続いてきたことそのものに求めようとしている。そんな根拠はないから、統治には経験が必要だったのではないのか。
・伝統主義、歴史主義にいく経験主義もある意味「正しい」んだけれども、それは統治の合理性に根拠がないことの裏返しであって、無意味に耐えきれずに「伝統を守れ」と言うわけですよ。「昔からあるからいいじゃないか」という理屈。でもそういうのはシニスムにすぎないよね。自分ではほんとうは信じていない価値を信じろ、と自分と他人に求めるわけだから。
ポストモダンは殺人にならない
・ナショナリズムなんて信じていないのに、ナショナリズムは必要じゃないかと唱える若手の学者とか、頭の悪い経験論者にしか見えない。経験から「技術」を学べずに「イデオロギー」に走る。
・本気じゃないのに「共同体がいい」と言ってみたり、「ナショナルな価値はだいじ」とか言ってみたりするのは、思想史的に見ればアイロニーの系譜に属しますよね。根拠のなさをアイロニーに回収してしまう。アイロニカルにしか肯定できない。若松さんにはそんなアイロニーはない。そんな高踏的態度は絶対にもてない人でしょう。そこが僕にはいいんでしょう。ユーモアはあってもアイロニーはない。
やられるほうもかっこいい
ユーモアの戦略
・クリナメン=偏り、傾き
・若松=集団をあやつる技術の人、現場の人