マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】『長渕剛:民衆の怒りと祈りの歌』(KAWADE夢ムック 文藝別冊 2015年)

目次
【カラーグラビア】富士の国2015
本誌初公開! 創作ノート・手書き原稿掲載
「鶴になった父ちゃん[草稿]」「絶望とは何か! ! ……[草稿]」
「かすかな抵抗は民衆のものだ……[草稿]」「力の無い正義[草稿]」
長渕剛日記」

長渕剛散文詩
「父ちゃんの詩」「ダチ山田辰夫へおくる」「復興」

長渕剛ロングインタビュー】
引き裂かれた大地から怒りの声と祈りを
聞き手・武田砂鉄

【特別対談】
藤原新也×長渕剛 世界に抗する力
柳美里×長渕剛 命の痛みに寄り添う歌

【インタビュー】
湯川れい子 長渕剛という稀有な短篇作家

【エッセイ】
和合亮一 噴煙をあげる桜島を背中に
須藤洋平 舵を取る
山下澄人 乾杯、いつかの少年

【ドキュメント】
須田論一 TVドラマ『とんぼ』の時代

【論考】
高山文彦 歌い屋の一生
栗原康 燃やせ、燃やせ、燃やせ
松村正人 東京の合唱
五井健太郎 巡る恋の歌――長渕剛における政治的なもの
マニュエル・ヤン We Are the Folk――長渕剛とフォークの力
スコット・アルガード 言語、社会、共同体――長渕剛との二十六年
杉田俊介 長渕剛三島由紀夫――その日本浪曼派的な命脈
森元斎 よしっ、じゃぁ、叫ぶか

キョードー東京 田村有宏貴
「JAPAN」
「蝉 semi」「カモメ」
ヒップホップ、フォーク、ロック 怒り
武田『紋切型社会』
感情をぶつけろ 
暴対法でヤクザが二分
寿司屋は寿司 ミュージシャンは歌う 「それしかできない仕事をやりきる、そうすれば自然と迎合しない生き方になる。」
酸化防止剤 『フォークス・オーバー・ナイブス』『フード・インク
福島の自衛隊への慰問 行方不明者捜索 遺体収容
日の丸 ナショナリズムパトリオティズムについて
「僕たち一家を苦しめたものたちに復讐をする、そういう気持ちで東京に出てきた。」
「いつかの少年」
須藤洋平
藤原「そのヤバいという時代の感覚は、今になって初めてわかるんだけど、身体性がなくなっていくことへヤバさだったんだと思います。戦前は農業、漁業、林業といった第一次産業の世界でしょう。そういう産業形態がちょうど60年代あたりからがらりと変わっていった。身体と自然を資本とした産業から、どんどん頭脳偏重へ。68-9年はちょうどその変わり目だった。前近代的なものが失われ、身体が消えていくことへの異議申し立てが、若者には感覚的にあったのだと思います。」
藤原「僕は現代の雇用制度が奴隷制に近いのは、若者を生かさず殺さずの生殺しにしておく方がつまり考える余裕を与えず70年代的な若者の反乱を回避できるという、システム側が暗黙に作った制度だと思っています。」
福島 ねじれた花
湯川
「ボーン・イン・ザ・USA」ベトナム戦争批判 「JAPAN」
山下澄人
「とんぼ」ヤクザのドラマにスポンサーがつくか
TV業界の凄さ 才能の集まり
坪内祐三『一九七二』
吉田拓郎「人間なんて」→「結婚しようよ」
スーザン・ソンタグ「なぜニューヨークが好きか?」岡崎京子東京ガールズブラボー
stay alive「カモメ」
1964 ノーマン・メイラー『夜の軍隊』ワシントン反戦デモ
ヤン LIVE’89 中学のときディランとスプリングスティーン
「英二ふたたび」「秋葉原事件
「涙」「身体性」
9.11 ユナイテッド93便
オバマ アフガン北部クンドゥーズ病院爆撃事件 コラテラル・ダメージ(副次的な被害)
「模倣はもっとも真摯なお世辞だ」英語の諺
スプリングスティーン オバマ就任式典 ウディ・ガスリー「我が祖国」
「「和製ボブ・ディラン」と呼ばれた吉田拓郎のライブで「全身に電流が走った」体験をする」
「じっさい、吉田拓郎上智大学全共闘メンバーが闘争資金を募るために制作したアルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』に参加しているのだが、「圧倒的な迫力」のあるかれの弾き語りという「カルチャー・ショック。まさに未知との遭遇」を経て、長渕は「フォーク・シンガー」になる決心をする」
「「民衆」や「大衆」という意味の英語の「フォーク」は無名の労働者や奴隷や平民がつくり直し続ける伝統的な大衆音楽をもともと指しているのだが、それがここではアーティストの個人的自己表現の代名詞に変わっている。この「意味の変容」をもたらしたもっとも著名な前例はディランその人である。ガスリーの申し子として社会派フォークのオリジナル曲を次々と世に出し公民権運動を代表するプロテスト・シンガーになったディランは、突如として自己の内面を探る歌やシュールで複雑な人物がおびただしく登場する長編のロックソングをつくり始め、カネに身を売った「転向者」のレッテルを貼られライブで激しくブーイングされた。そして、長渕はディランの声に憧れ、80-90度の酒で毎朝うがいして初期の透き通った高温の声を潰して、自分の心境をもっと切実に表現できる声を手に入れようとする。幸い、長渕の場合、観客がついてきたが、必要ならば大衆(フォーク)の期待を裏切ってでも自己表現に徹することが「フォーク」の真髄だというディランの逆説をかれは無意識にせよ踏襲していた。」
「土というのは本来、個人が所有するもんじゃないんですよね。不動産屋があるでしょ。不動産屋の友だちもいっぱいいますけど、不動産屋はろくなことしないよ……土地の高騰でどんどん土地[の価格]を上げていってしまうけど、じゃあもともと土地って誰のもんよ。土地買っても三代続かないんだから。だからいずれにしても「お借り」するという形ですよね。土地をまず人間が買おうとした段階から神さまは罰則を与えているんじゃないかという気がする。昔、白人がインディアンの土地を買収しようということで、買収されたインディアンの酋長が「白い人たちよ、なぜあなたたちはわたしたちの土地を買おうとするのか。この降り注ぐすばらしくキラキラする星はあなたたちのものではない。兄弟よ、みんなのものだ」という散文詩みたいなものを書いて直談判というかそういう文章を読んだことがあるんです……」
物語や言語と同じく、土地もコモンズ
「誰がつくったのかわからない、オリジナルが存在しないフォーク音楽も「コモンズ」だ。土地を奪われ闘い、皆殺しにされたアメリカン・インディアン。アフリカから根こそぎ誘拐され奴隷農園で強制労働をさせられた黒人。ヨーロッパその他世界の各地からアメリカの農村や都会に移り住み、「働きっぱなしの24時間」を強いられ、「生まれっつきのうらぶれた小汚ねえ暮らしに乾杯する」労働者たち(「流れもの」)。カネも私有財産もないかれらが労働や生活や祈りの中で紡いでいった歌がブルース、カントリー、ゴスペル、ブルーグラス、フォークになり、20世紀後半にアラン・ローマックスやハリー・スミスといった卓越した民族音楽者たちによって集められ録音される。ディランはこの豊かな大衆音楽の大地に根を張り(スプリングスティーンや長渕も含めた)世界中のアーティストに影響を及ぼすことになる独創的な自己表現を開拓した。」
「大ヒット曲”Born in the U.S.A.”」の主人公はスプリングスティーン同様招集され、じっさい「黄色いひとを殺す」ためにベトナム戦争へ行く。帰ってきても、製油所は雇ってくれないし、政府の復員軍人援護局にはあしらわれる。「死の町で生まれ……殴られすぎた犬のようになり果てたことを/人生の半分を費やしてただ隠そうとする」かれは、「刑務所の影の中で/製油所のガスの炎の横で/10年間駆け抜けてきて/逃げ道もないし行くところもない」。そこで叫ばれる「アメリカに生まれた!」の復唱には激しい絶望と怒りが入り混じっている。」
東中野の駅前 電信柱にひっかけた夢
「ご愁傷さまでした」言葉に気持ちが入っていない
「作家・坂口安吾が「堕落論」で展開する通り、社会のルールの外側に出ること、「アウトロー」になることによってこそ、抑圧的な社会への本質的な抵抗と批判が可能になる。長渕剛の歌にも、そんな社会の暗黙のルールに服従するようなタブーは一切ない。資本主義も原発も消費者主権も、アメリカの中東政策も、個々の政治家や支配者も、すべてが標的になる。私は現代日本における音楽の分析を仕事の一つとしているが、私が知る限りこれだけストレートに訴えるアーティストはいない。長渕剛の「美しき堕落」は、社会の暗黙な了解や仕組みに従うことを完全に拒否し、逆にそれらを揺るがすことによって、新しい「あり方」を予示的に立ち上げる一つの哲学だと思う。」
橋川文三 『日本浪漫派批判序説』
「保田のいうように、日本ロマン派は、満州事変とマルクス主義の敗北という衝撃を真正面からうけとめた「一等若い青年のあるデスパレートな心情」を母胎として生まれている。」
(中略)「混沌未経」の時代状況の中で、知的錯乱のあらんかぎりを展開し、ついに現実的なるもののすべてをイロニイの対象とするにいたったのが日本ロマン派の「過激なロマンティシズム」であった。保田によれば、日本そのもの、トータルな現実そのものが「イロニイとしての日本」という形容で規定されている。
「一般的に言って、近代化とは、世俗化のプロセスであり、あらゆる価値が等しく大衆(人民)の手の中に握られていく過程であるが、それは同時に、宗教的なものや聖なるものの超越的な価値が弱体化し、次第に失われていく過程でもある。ゆえに近代人は独特の屈折や矛盾を抱えこむことになる。時代の発展や競争の中を生き延びるためには、近代化=世俗化の過程を受けいれ、そこに適応していくほかにないが、そのことで、他ならぬ自らの足元がたえまなく切り崩され、相対化されていくからだ。ロマン主義的な情念は、近代化が不可避に強いるこうした矛盾のホットスポットから出現する。」
「戦争期こそが青春のユートピアであり、「戦争は永遠の休暇、不朽の抒情詩」(橋川)だった。そんな三島にとっては、戦後民主主義的な平凡な日常性は、軽蔑や嫌悪の対象でしかなかった。そんな日々の中で、三島は、かつての勇敢な戦死や武士のような死にさまを探し求めた。しかし、肥大化した消費社会=情報社会の中では、すでに英雄的な死はありえなかった。日常の中の曖昧で緩慢な死――精神の腐敗と肉体の老醜――が存在するだけだ。三島には、それが耐え難かった。しかしこれは、逆にいえば、三島は、マスデモクラシーやマスメディアに覆われた日常性や大衆性に、それだけ深く強く魅惑され、捉われてもいた、ということだ。」
「そうした緩慢な死=老化に抗うかのように、三島は、極度に人工的な、絢爛たる芸術主義の城を築かんとした。しかし、三島自身が認めていたように、それは虚しく不毛な伽藍にすぎなかった。中身は空っぽであり、空っぽだからこそ絢爛豪華で、美しく、言葉の奔流には際限がなかった。三島の言葉の中には、何も無かった。空っぽな空無が広がっていた。書くべきテーマもなく、書くことの意味も見当たらないのに、ただただ言葉を書き続けるしかなかった。」
「戦後のマスデモクラシー的な画一化された悪平等を、ぎりぎりのところで、美を通した真の平等へと開き直すこと。それが三島にとっての一度きりの闘いだったのだ」
「三島の根幹には、いわば、福祉国家的なものへの嫌悪があった。生き延びねばならないことは、それそのものが、完治も改善もできない不治の病だった。健康であり続けねばならない、という病である。しかし、三島が『文化防衛論』の中で、好きなものも嫌いなものも、綺麗なものも俗悪なものも、等しく並べようとするところに、僕はどうしても心を動かされる。戦後の生命の全てが腐敗しゾンビ化していたとしても、そんな老醜やゾンビをすら、美の原理(日本文化)によって、平等に救済せんとしているからだ。それがたんなる諧謔ニヒリズムだとは思わない。真面目な祈りがある。自己嫌悪の極点で何かを肯定せんとするぎりぎりの意思を感じる。」
三島事件の影響 新右翼 反日武装戦線 野村秋介 見沢知廉 『天皇ごっこ』 すべてはごっこ 無限の空虚さ 深く鬱屈したニヒリズム
石川啄木 26歳没
大正時代のアナキスト 金子文子 22歳没
「私たちはただこれが真の仕事だと思うことをすればよい。それが、そういう仕事をすることが、私たち自身の真の生活である。」
月ではうさぎが餅つきをしている
ホワイトヘッド 2つの自然 知覚できる自然と、知覚の前提となる自然(原子、分子)
1/31読了