マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】TVOD『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房 2020年)

プロローグ コメカ(TVOD)

・TVOD(コメカ&パンス 1984年生まれ男性2人)
・焼け跡
・どれだけ過去を懐かしんでも、あの時代はもう帰ってこない。消費社会に引きこもり、サブカル消費に耽っていられる状況には戻れない。この国はもう「ナンバーワン」じゃない。その中で延々と戯れていられるような、欺瞞的な「平和」は、「戦後」は、もはやこの国には無い。だが、だからと言って首相が語る「美しい国」の夢の中に取り込まれるのは癪じゃないか。そんなつまらない夢に騙されるほど、僕らは「消費者」としてもヤワじゃなかったはずだ。伊達に何十年もサブカルチャーを消費し続けてきたわけじゃない。
サブカルの「後」の時代

第1章 カウンターからサブカルチャーへ(1973-1978)

矢沢永吉 アメリカ化された「天然」の天才

・1969「新宿西口フォーク集会」
山崎眞行「クリームソーダ」「怪人二十面相
・「ヨコスカ・マンボ」族
・無自覚かつ無意識に50年代的な記号をサンプリングする 消費社会的な感覚をそのままに体現
・「暴走族」
・70年代の『ワンダーランド』~『宝島』というのは、60年代的なカウンターカルチャーと80年代的なカウンターカルチャーの繋ぎの役割を果たしていた。対抗文化的なものを消費社会的なカタログ文化の中に落とし込んでいくプロセス

沢田研二 ポップな記号に成りきること

タモリ 記号化 キャラクター化
橋本治80年安保」『ぼくたちの近代史』

坂本龍一 消費されるイデオロギー

・「YMO環境」
マンドレイクがP-モデルに変わるとか、紅蜥蜴がリザードに変わるとか、70年代カルチャーにあった重たさを、記号的なイメージを持ち出して軽くする。68年的なものの残滓・政治性や地下(アングラ)性をここで完全に切断したい、という動き。そのための手段としての、記号化・ポップ化。= D&Gの「脱領土化」「脱コード化」
・『ゲンロン4』浅田彰インタビュー レーニンを引用して「曲がった棒を元に戻すには逆方向に倍くらい曲げないといけないから」
・日本の学生運動には、自分自身の内なる「大日本帝国」をどう解釈するかという命題があったと思ってる。それを徹底すると、自らの「加害者性」と無限に向き合わなければいけない→帝国主義の中にいる市民自体に問題があり、ならば爆破するしかない――という隘路に入っちゃったのが、70年代半ばのテロリズムでもあった。ただしそれはカルト化とも言えるわけで、そこで「積極的な忘却」をするための動きが、80年代前後から生まれた。
・「一番のゲームマスター糸井重里

第2章 消費社会空間の完成、ジャパン・アズ・ナンバーワン(1979-1988)

ビートたけし 消費社会で勝ち抜くこと

・「いかに死ぬか」若い頃から死を意識していた
・悪意や露悪性を記号=キャラクター化
・81年「オールナイトニッポン」開始 青山正明『突然変異』

戸川純 女たちのサブカルチャー

矢野顕子戸川純 矢野 母性的・宗教的な救済
松田聖子戸川純
・『東京ガールズブラボー』 浅田彰X岡崎京子対談「(戸川の)ファンのなかにはほんとに危ないところにいた子がいっぱいいた。」
大槻ケンヂ80年代にはみんなビョーキぶりっこしてたけど、90年代になったら本当に病気になってしまった
・「ボンクラ」と「こじらせ」
・「ナゴムギャル」

江戸アケミ バブル・ニッポンにおける「もがき」

・寿町フリーコンサート
藤田省三「安楽への全体主義
・「同時代のサブカルチャーの人たちと異なっているのは、そこにアイロニーが存在しないってことじゃないかな。はぐらかしたり解体することで解放する、のではなく、ダンス・ミュージックという形式でど真ん中からぶつかっていった感じ」「もっと切迫している
・「仲間をつくれ!仲間をつくるんだ!JAGATARAなんてせこいバンドだ!おまえらはおまえらの仲間をつくれ!JAGATARAなんて見に来なくていい!おまえらはおまえらの仲間をつくれ!」
・「青空ディスコ!」
・「ヨコノリ」「ワールドミュージック

第3章 リアルと無意識(1989-1998)

フリッパーズ・ギター 「本当は何か本当があるはず」

・下北沢ZOO/SLITS 『大人は判ってくれない』『蝿の王』の雰囲気
・「ただ「冷笑系」と彼ら(フリッパーズスチャダラパー電気グルーヴ)がある一点で違うのは、彼らは「成長」の不可能性への屈託や苛立ちと共にそういう態度をとっていた。ビルドゥングス・ロマンへの憧れと諦めがない交ぜになっている。80年代に資本主義社会そのものを相手取って抵抗しようとした江戸アケミのような人とは違って、彼らはあくまで資本主義社会の内部で、ビルドゥングス・ロマンの不成立への苛立ちを表現にぶつけていた人たちだった。自己保身のためだけに「どっちもどっち」みたいな相対主義的態度をとる昨今の「冷笑系」的な振る舞いの中には、そういう苛立ちや青臭さみたいなものは無い
・イギリスKLF「著作権解放戦線」
相対主義の果てに自爆する
・当時は80年代以降の相対主義的態度が持続しつつ、それじゃダメなんだ、という批判と、本質(的な何か)への志向が存在していた。J-POPだと、大事manブラザーズバンド「それが大事」のヒットに見られるような「頑張れソング的」保守回帰も進行していたし、新宗教への帰依や、自己啓発セミナーの勃興など
相対主義的な態度をとっていると、イデオロギーに絡めとられることから身を守ることはできるけれど、同時に、生きるための「熱量」を失ってしまうことにも繋がりかねない
意味から逃れて快楽へ 幼児化 幼稚化
オタク文化のカジュアル化
・『動物化するポストモダン』の直中

電気グルーヴ 諧謔・暴力・快楽

・1991「オールナイトニッポン」たけしと10年違い
・『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ 』80年代サブカル的センスをよりバッドテイスト化
・「ビックリハウス」をアシッド化した架空の読者投稿ページ
・「Billy」根本敬岡崎京子天久聖一
・イギリス クリミナル・ジャスティス・ビル? レイブ禁止法案
政治を忘れて、記号ゲームに没頭する、みたいな80年代的な態度の行きつく果てが、結局はココロの問題に辿り着いちゃって、その突破口も快楽主義的な「無意識」への没頭になってしまう。
・新人類~90年代サブカル的な流れはこのあたりで臨界点を迎えるというか、これ以降力を失っていって、入れ替わるようにオタク的な文化が前景化してくる。
・究極の妄想というか、脱政治的な傾向がエクストリームな形になって結実したのが当時の砂原の世界
常盤響
・1997酒鬼薔薇事件、山一証券破綻
・「カウンター」たること、オルタナティブな「虚構」を立ち上げること、そういうやり方で対抗しようとした現実が崩れていったことで、90年代の頃のように創作に対する緊張感を保てなくなった
・「ネタがベタになった」
・かつてのセンス・エリート対立、スタイル・ウォーズ
・2010年代に入ってからは、政治や社会問題の水準での「戦い」が、良くも悪くも復活してきている。で、電気はその水準には頑なにコミットしないスタンスを続けていて、それはそれで一貫しているわけだ。80年代という時代に育てられた人たちの、ある種の着地点としてそういうスタンスがあるんだろうなと僕は思っている

X JAPAN 90年代最強の記号

・ジョックvsナード インセル問題
・「エクスタシーレコード
LUNA SEAは本当に前出したメタル、ハードコア、ポジパンの要素がごった煮になっていて、それを歌謡曲構造でまとめ上げた音楽性
BOØWY
・少女漫画の影響 楠本まき『KISSxxxx』 耽美的
黒夢 清春 ビリー・アイドル
・少女文化の一種

第4章 ネオリベセカイ系、右傾化(1999-2010)

椎名林檎 自意識と生存戦略

・「なんとなくオルタナっぽい」「新宿系」
aikoとの差別化
・実は戸川純と音楽的な接点はほぼ無い
・同時期に鳥肌実
・「和モノ」
・「右傾化」ではない。思想がない。
・歴史がフラットになった状況
・70~80年代まではあった「屈託」がついに無くなった。
・「解放されたいがために歴史を切断した場所を選択した」というわけではない、「あらかじめ歴史から切断された場所に生まれ落ち、生き始めた」世代の登場。
・情念的なものやラディカルな雰囲気も記号、道具として使う セルフプロデュースの才能
・普通の人 環境へのある種の過剰適応 上手くやる 期待に応える
・「ただ、そうして辿り着いた現在において、ワールドカップだったりオリンピックだったり、国民的イベントに重用されるようになった彼女の振る舞い方って、かつては雰囲気で和風ヴィジュアルや日本的記号をオモチャにして遊んでいたのが、本当に国家と接続される機会を与えられて本人もそのことについてきちんと咀嚼し切れてない感じ。ジョークが本当になっちゃったというか。ゼロ年代って言うのはそういう風に、反語やアイロニーがどんどん不成立になって、身も蓋も無く世界が「順接化」していく時代だった」

KREVA コミュニタリアンネオリベラリズムの狭間で

・事務所ファンキーグラマーユニット
・kick、リップスライム 先行世代に比べてナード感とかルサンチマンを感じさせない
・小泉 自己責任論 痛みを伴う改革
・「アグレッシ部」当時サブカルチャーの領域で流行していたセカイ系的な母体回帰幻想ではなくて、リバタリアン的な能動性=アグレッシブさが志向されている。当時のITベンチャー系のビジネスマンたちとも世界観がかなり近い
・対照的なECD。「『上がってんの?下がってんの?』下がってちゃ悪いんか?」
・2001年、森喜朗が支持率を落とし続けるなか出てきた小泉純一郎に対して、国民的な熱狂が巻き起こる。その一方で、ネグリ/ハート『帝国』が翻訳され、反グローバリゼーション的な思想が紹介されるような状況もあった。
KREVAのハイパーアクティブなキャラクターが持つ「強さ」に惹かれた人がとても多かったのはゼロ年代のひとつの側面を象徴している。新自由主義が全面化していく世界の中では、自己啓発的に自分をエンパワメントしないと鬱になってしまうという恐怖心
セカイ系的な言葉は、そういう類の「弱者」たちの言葉になっていた。ゼロ年代において、マイルドヤンキー的な地方の社会からも疎外されるオタクたちが、オタク文化の中でそういう言葉を小説やマンガ、アニメ等の領域で、繰り返し語り、表現し、消費してきた

バンプ・オブ・チキン セカイ系J-ROCK

藤原基央の声の少年性
・実際それ以降、藤原のボーカルスタイルを踏まえたRADWIMPSや米津玄師らのような存在が、「イノセントな少年」といイメージをまとったミュージシャンとして活躍していく。
・語弊を恐れずに言うと「貧しさ」を感じさせる声
・90年代の「豊かな」イノセンス小山田圭吾)とは異なる、ゼロ年代の「貧しい」イノセンス
フリッパーズの作品が豊かな良家の子弟というイメージを持っているとすると、貧しい孤児のようなイメージを彼らの作品世界に僕は感じる
ゼロ年代日本の文化的教養の欠如という意味でも
・テレビゲームやアニメ等の、(20世紀的な教養主義を重視する人々から見れば)チープな、「貧しい」サブカルチャー
・90年代終わりから「都市的なカルチャー」みたいなもの(セゾン文化など)が力を失っていく状況
中村一義『金字塔』
フリッパーズのような衒学性とも、筋肉少女帯のような諧謔性との遠い世界観を持っていた。90年代のバンドたちがストレートに本質的なことを歌うことがどうしてもできずに、一度迂回してサンプリング的な表現をせざるを得なかった状況を変えるような真っすぐさが彼の表現にはあった。
・「あぁ、全てが人並みに、うまくいきますように。」ロスジェネ的目線の低さ
ロールプレイングゲームの熱心なファン「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー
・90年代にはまだ辛うじてジャーナリズム的な視線も保っていたロッキング・オンの言説が、煽りと惹句(じゃっく。キャッチフレーズ)による「物語化」だけに特化していった流れとも、バンブの歴史はシンクロしているような気がする
・ガス抜き、照れ隠しとしてんのシークレットトラックでのおふざけ
・世代の近いアジアン・カンフー・ジェネレーションフロントマンの後藤正文が政治や社会問題への言及を繰り返しているのと対照的。ただ、バンプ自身もそのファンたちも、そういう社会性からの切断・作品世界へのベタな没入を、ある種の切実さを持って志向している。社会に接続されることへ大きな苦痛があるからこそ、政治性の無い表現にのめり込むことを必要としているんだろうなと。
教養主義的な在り方や客観性の獲得への志向を感じさせないバンプの表現こそ本質的な意味で欠乏感があるというか、「貧しい」とやはり思う。ただ、徹底的に社会性やメタレベルの視点を排除したバンプの「貧しい」リアリティにはやはり強烈な説得力がある。そこに嘘がないからこそ大きな支持を得た。
・対照的に銀杏BOYZ峯田和伸には中央線カルチャーがある

第5章 「孤児」たちの時代へ(2011-2019)

星野源 「煩悶青年」への回答

テン年代
・「周囲の他人と自分との差異はどこにあるのか?」という自意識のレベルでばかり「私」を考えてしまう。男性というジェンダーを自認した上でそういう自意識のレベルにばかり執着するのが「サブカル男子」的な在り方。
・常に自意識過剰。人の目、見られ方を気にする。
・マジョリティに対する「拗ねた」感覚
みうらじゅん筋肉少女帯電気グルーヴ伊集院光
・「オトコノコ」が、80年代的な消費の差異化ゲームとは異なるやり方で自意識を形づくるための作法の探求
・「非モテ」的な男子のルサンチマンを主題。拗ねた男子の内面を「ホンネ」として吐露・主張することで消費の差異化ゲームをひっくり返そう、みたいな方法論を志向。
★「イケてる/イケてない」みたいな差異化ゲームを放棄することは、消費社会が強制してくるコードを拒絶する、っていう態度としてポジティブなところがあった。DCブランド着て雑誌「ホットドッグ・プレス」読んで、クリスマスイブには赤プリおさえて……みたいに、なんでもかんでもマニュアルどおりに行動しなきゃ嗤われるようなバブル期の若者ノリが生んでた抑圧ってハンパなかったと思うし。でも「オトコノコ」たちは、それを放棄した先でも結局「モテ/非モテ」という問題系に囚われていた。消費の差異化ゲームからは降りられても、恋愛の差異化ゲームからは降りられなかった
銀杏BOYZ 女子を偶像崇拝
星野源 渋谷系的なキャラクターの延長でもあり、大人計画のメンバーでもあり NHKとの親和性

秋元康 ポスト戦後のゲームマスター

・自伝的な小説『さらば、メルセデス
・1985『新人類図鑑』
・子ども時代からの官僚志向
・メッセージ・ソングという反戦フォーク的な志向が、ニューミュージック時代における脱政治化を経て、80年代を仕掛けた秋元という人によってアイロニカルかつ個人的なものに書き換えられたという歴史
・「オールナイトフジ」、おニャン子クラブとんねるず
・消費社会の爛熟、バブルに突入
・客観的視座を持って状況をセッティングし、その状況の中で熱狂する人々の欲望を把握しながら、その欲望をさらに盛り上げ焚きつける。その「欲望」に彼は自分自身を同化させることはできないんだけど、そういう「欲望」が盛り上がっていく状況そのものはたぶん本気で愛している
・80年代の糸井重里くらいまでは、面白主義で突っ走ることに対する衒いというか、前の時代に対するカウンター的な機能があった。吉本隆明が言うところの「重層的な非決定」みたいなスローガンに象徴される。
・消費社会の申し子。天才マーケター。内面の巨大な空洞。
ジラール「欲望の三角形」。アイドルカルチャーとはセンチメンタルな欲望をビジネス化したもの。
・システムを作る「アーキテクト」(男性)の倫理、責任が不問にされる問題。
・官僚的な処理能力。
・「ダダ漏れ」というある種究極の日本のサブカル形態。

大森靖子 たったひとりのあなたに届けるということ

最果タヒと共著『かけがえのないマグマ 大森靖子激白』「私は、きみの言葉に、態度に、ちゃんと傷つくよ」
・ひとりひとりの人間の実存というものを、自分に向けられる悪意ある眼差しひとつひとつの向こう側にちゃんと見出そうとしていることに、僕は誠実さを感じる。悪意を単なる大きなひとつの集合体として捉えてルサンチマンに逃げ込むのではなく、無数の悪意の向こう側に数えきれないそれぞれの「主体」があることを正面から見つめて、それらに向かい合う。
・(大槻ケンヂの)ファンやフォロワーの中には、「世間に馴染めない自分」というキャラクターを安易にセルフ・アイデンティティにして、ルサンチマンの中にこもるような選択をしてしまった人も多かったと思う。サブカルは、そういう人たちの避難所として機能するところが良くも悪くもある。
>>もうサブカルを卒業しなくてはいけない<<
・彼女はもっとハードコア。もっともっと本質的な意味で強くなれ、というメッセージを発信し続けている。ルサンチマンの中に逃げ込み隠れて生きる必要なんてない、あなたはあなた自身でいいんだ、と。「クソでもブスでも世界を変えたい」という歌詞があるんだけど、日本のサブカル的な小さな空間、小さな避難所の中に逃げ込むんじゃなくて、「本当に人を救う気」でいる。そういう避難所的な場所をぶち壊してでも、もっと「本当のこと」を語ろうとしている人。
ルサンチマンの中にこもるようなサブカル的態度というのは、自己防衛のための戦略だと思うんだよ。社会から疎外されている感覚を、自虐的な態度を通して自分のアイデンティティに変換することで、本当に自意識が崩壊してしまうことを避けるための戦略。そこにはある種の切実さがあったとはもちろん思うんだけど、でも結局は歴史や政治から離れた場所で展開されていた出来事、つまり消費社会化した環境の中で、自意識レベルでの闘争の中で起きていた出来事でしかなかった、とも思うんだ。
・彼女が「女の身体」というものを通して社会的に生かされている中で作り出している言葉や音というのは、大槻ケンヂ峯田和伸的な取り組みに影響を受けながらも、彼らよりもさらに社会との軋みが大きいものになっている。
・峯田の祈り方ははっきり言って「オトコノコ」の身勝手なものなんだけど、その祈りの強度や切実さがたくさんの人を救ってきたことは間違いなくて、大森もそのうちのひとりだったと思う。でも、大森は「女性」として眼差される身体を持った人間であるわけで。峯田が「女性」を眼差す自身の視線の中に込めた祈りを、大森は正面から受けて逆照射している。
まぼろしの「女性」に対して祈る爆死寸前の童貞フォーク少年に、「女性」を生きさせられている生身の人間が、力強くレスポンスを返している。あらゆる者は「人間」であって、あなたもわたしもまぼろしではない、わたしもあなたも、自分自身のままで十二分に美しいのだと。銀杏にただ憧れるのではなくて、自分自身の身体でそれを咀嚼するというのは、そういうこと。
・「私は私が認めた私を認めさせたい 何が悪い」、つまり、コミュニティ内部の関係性が自分に与えてくれる「キャラクター」を受け入れるのではなく、「私が認めた私」=自分自身の手でつくり上げた「私」の「キャラクター」をコミュニティ、ひいては社会に対して認めさせるぞ、という反抗。しかも重要なのは、そのときの手段が「キャラクター」という概念そのものから降りる=関係性や社会から降りる、というナチュラル志向・実存本位の方向ではなくて、完全に自分の意志で「キャラクター」を作り出して、闘争的に社会に乗り込んでいく、という志向であること。ナチュラル志向の人たちからしたら「整形」や「自撮りとリアル別人」は忌むべきものに映るだろうけど、彼女がそれを肯定することにはこういう文脈がある。
・関係性から退却してセカイ系的なメランコリーに引き籠る方向とも、関係性に覆いつくされた世界の中でリバタリアン的なプレイヤーとしてフル回転しようとする方向とも、大森の方向は違う。セルフイメージ=「キャラクター」を自分自身で作り上げてその「キャラクター」と共に世界に攻め込んでいく、という在り方。それを「痛い」だの「空気読め」だの揶揄する人たちは、他人からの眼差しが自分自身の存在より優位にあるという考え方を受け入れてしまっている。自分が自分を見る視線より、他者が自分を見る視線を優先してるわけ(まあこれが、日本社会というか日本の「世間」のデフォルトなんだけど)。
・大森の表現や活動はそうではなくてまず第一に個人としての自分が自分自身を見る視線を信じろ!というメッセージになっていると思う。自分が見たい自分=「キャラクター」を、自分自身の手で作り出せ!というメッセージになっていると思うんだよ。大森自身がそれを実行しているわけだけど、ZOCをやるに到って、彼女はそれを方法論として人々と共有しようとしている。
・世界の変わらなさを諦めて自分を変える、のではなくて、世界の中でコミュニケーションをとるためにこそ自分を変える。
・「私が認めた私」までで止まるのではなくて、それをさらに「認めさせたい」という意思がある。自意識をセルフ・チューニングして世界の見方を変える、のではなくて、自己を改変し肯定した上でさらに、それを「認めさせたい」=社会に切り込んでいく、という姿勢がここにはある。自己の書き換えに留まらず、共同性が持つ抑圧そのものをねじ伏せようとしているというか。
・承認欲求の肯定
・今のtwitterとにかく「上からかぶせていく」シニシズムチキンレース
・諦観が広がっているからシニシズムが蔓延している。抑圧的な関係性に対しての諦めが、文化のレベルでも政治のレベルでもどんどん強くなっている。
大森靖子のように「無理矢理」にでも自分の「キャラクター」を自分自身の手で作りだして行動する人間は、それこそ「空気を読め」みたいなシニカルな視線を浴びせられがちだけど、それぐらい強引にでもこの状況を突き破らない限り、社会の閉塞感は今後増す一方。
・どういう出自の人間だろうが、自分が思う自分のカタチ=「キャラクター」を追求して、それを社会に表明していいんですよ。空気なんて読まなくていいし、覆いかぶさってくる冷笑やマウントは破り捨てればいい。

エピローグ

・何がしかのメディア環境によって実存をデフォルメされることで、人は「キャラクター」になる。
・「遊びの時間が終わる」みたいな感覚は正直ある。
・「戦後」という状況が曲がりなりにも一応担保していた公共性が失われてしまうことに、もう歯止めは利かないだろう、という現状認識。
・その焼け跡の中では、かつてのサブカル空間で行われていたような「人間のキャラクター化」が、ネットを介して無限に反復され続けている。70年代に編み出されたサブカル的「キャラクター」化の作法が、ある意味で陳腐化し大衆化していった軌跡。
・焼け跡世代 野坂昭如 『あれよ星屑』 だから、焼け跡になっても結局「終わらない」んだよな。変わらない。

焼け跡から見た風景--あとがきにかえて パンス(TVOD)

・韓国ソウルのオルタナティブスペース「新都市」
韓国映画『SUNNY』
・諸外国と比べて「なんで日本はこうなってしまったんだ」とひたすら考えた記録
日高六郎『戦後思想を考える』「すべての局面におけるおしきせ性」
・「自意識」=「近代以降、共同体から個人として切り離された人々によるアイデンティティ獲得への意思」
・日高「滅私奉公」から「滅公奉私」へ サブカルチャーが「自意識の主戦場」になっていった
パク・チャヌク『お嬢さん』
・ウーンウーンと唸りながら議論(比喩ではなく、ふたりで新宿の安酒場で呑んで話していると本当に唸っている)
・百万年書房・北尾修

年表・サブカルチャーと社会の50年

 
10/9読了
●要約
68年に政治的な盛り上がりが頂点に達した。山岳ベース事件や爆弾テロなどを経て、「曲がった木を倍の力で逆に曲げる必要」が生じた。
消費社会が花盛りになり、カウンターカルチャーがだんだんと記号消費の対象になっていった。
80年代までは、スキゾ・キッズのようなある種の前向きさがあった。
90年代は、シニシズムが全盛になったがまだ屈託があった。
セロ年代になって、ネタがベタになり、セカイ系のような表現が増えた。都市文化が消えていき、郊外的な文化的に貧しい表現が増えた。
テン年代いよいよ社会がまずくなっていき、余裕がなくなった。が、「サブカル男子」はそれでも自分の安全地帯に閉じこもっている。
その中で、大森靖子のように、ルサンチマンに逃げ込まず、痛みを引き受けて、それでも自己肯定して戦っていく姿勢を見習うべきだ。
●感想
面白かった。だいたい文化はある流れがあり、その反動があり、と反復していくから、60年代の政治の時代の反動として、70年代からの脱政治の時代になり、過度な相対主義の時代、自意識の時代が長いこと続いて、おそらく2011年3.11を境にして、まただんだん政治的な動きが出てきたのだろうという印象。
江戸アケミバンプ・オブ・チキン、そして星野源の「サブカル男子」の部分、そして大森靖子のパートが面白かった。
自分としては郊外ロスジェネの貧しさ、切実さに共感してしまう。
大森靖子がクライマックスでエモかったのだが、その後ZOCで脱退が相次ぎ、いま著者はどう考えているか?
戦うといっても、はっきりいってめちゃくちゃ大変。経済的にも悪くなる一方だし。
それでも、もうルサンチマンの殻に閉じこもって、人と関わらないようにすることだけはやめたいと思った。
負けたとしても、戦うことが勝ち。
サブカルが50年かけて一周して、また戦いの道具に、戦うためのカウンターに戻るべき戻すべきだと感じた。

渋谷 骨董通り 西麻布 六本木 新倉片町 神谷町 愛宕神社 芝公園 大門

渋谷 青山学院大学 骨董通り 西麻布 権八
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六本木 ヴェルファーレ 東声会 TSK・CCCターミナルビル
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国立新美術館
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乃木坂 日本学術会議
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ミッドタウン
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新倉片町 キャンティ
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外務省外交史料館 「国民国家」の時代 国家の戦国時代
ロシア大使館
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神谷町 麻布台大規模再開発 霊友会釈迦堂
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虎ノ門 愛宕神社
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NHK放送博物館 朝ドラと大河ドラマ 1925年(大正14年)ラジオ放送 戦後1953年(昭和28年)テレビ放送 
愛宕山 → 1938年(昭和13年)内幸町 → 1973年(昭和48年)渋谷
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慈恵医大 プリンスホテル 増上寺 大門
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【読書メモ】副島隆彦監修、中田安彦著『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』(日本文芸社 2005年)

2005年5月出版
目次

監修のことば

・副島 SNSI(副島国家戦略研究所)
・「現在の世界覇権国(ヘゲモニック・ステイト)であるアメリカ合衆国は、古代のローマ帝国がやったのと全く同じことをしている。すなわち、世界中の属国・属州郡から、将来の指導者になるべき優れた人材を選び抜いて帝国の都に呼び寄せ、教育することで帝国と属国の橋渡しをする人材として育て上げる。」
・「イラク戦争におけるネオコン派の動向についてそれなりに詳細にリポートする日本の大新聞、テレビ各社でも、「日本という国が、敗戦後のこの60年間で、どのようにアメリカに育てられ、そして巧妙に管理されてきたのか」という、より重要な事実のほうは報道しようとしない。大きな真実を描くことには「及び腰」になる。」
・言ってきたのは、副島、春名幹男など極一部。

第1章 日本を背後から操るジャパン・ハンドラーズ

ジャパン・ハンドラーズとは何か?

古代ローマ帝国アメリカ帝国

・「ジャパン・ハンドラー」=「日本の政治・経済・社会などをアメリカの国益に合致するように、"指導・管理"するアメリカ人」

帝国の教育システムとジャパン・ハンドラーズ

古代ローマベン・ハー』執政官「帝国の教育システム」

ソフト・パワーがソ連を崩壊させた

・ジョゼフ・ナイ『ソフト・パワー』たとえば「ハリウッド映画」「コカ・コーラ」「MTV」

フルブライト奨学金制度とは?

交換留学制度
・「塩野七生は、古代ローマ帝国が属州から連れてきた人質を歓待し、ローマのシンパにして送り返したことを紹介し、これを現代でいえば「フルブライト留学生」であろう、と指摘しているのだ。これは、たいへん"言い得て妙"である。」
・「フルブライト留学生制度」1946年創設 J・W・フルブライト上院議員 イギリスの「ローズ奨学金」をモデル 原爆がきっかけ 世界平和のため
・近藤健『もう一つの日米関係ーフルブライト教育交流の40年』(ジャパンタイムズ 1992年)

人材交流と「OSの書き換え」

カーネギー、デュポン、JPモルガン、モービル石油等が資金援助

「カウンターパーツ」という存在

・操る側=ジャパン・ハンドラーズ 操られる側=「カウンターパーツ」ジャパン・ハンドラーズであるアメリカ人の司令を受け取り、忠実に任務を遂行する日本人たち
高杉良 ”歩(ボーン)”、手先、エージェント

帝国と属国――四つのネットワーク

●属国管理の4つのネットワーク
Ⅰ政府の公式交渉のレベル
国家安全保障会議NSC)東アジアリージョン『ジャパンデスク』、アメリカ大使館、職員、大使側近、CIA東京支局 対日政策において、”得点を挙げる”、”営業成績”
Ⅱ財界人レベル
・USTR(米通商代表部)日本部長グレン・S・フクシマ
>>慶應義塾大学の役割、対米従属カウンターパートの養成、ネオコン、グローバリストの拠点<<
・「在日米国商工会議所(ACCJ)」と日本経団連との関係 俗に言う「ロビイスト団体」
・「日米財界人会議」
・「ロビイスト団体がアメリカ政府の圧力を背景に、日本に対して「〇〇に関する勧告」などの体裁を通して、規制撤廃(デレギュレーション)などの要求を突きつけてくる場合があるが、これらはたいていの場合「〇〇イニシアチブ」などの名称で呼ばれている。一応「単なる提言書」の形を取ってはいるが、実際は「対日司令文書」に等しい。これらの司令を、アメリカ側から日本政府内に送り込まれた閣僚・官僚・文化人・大学教授らが、自身らで構成される審議会や政策諮問機関を通じて、「政府への答申」という形で日本側に突きつけ、真綿で首を締めるように圧力をかけて実現させていくのである。」
シンクタンク人脈とジャパノロジスト(日本研究家)人脈
・先駆ハーバード・パッシン、ドナルド・キーン
・学者が「食う為」に国家戦略に手を貸す、加担する構図
Ⅳ国際会議・秘密クラブ・NGOを介した最高レベル
・「トライラテラル・コミッション(TC)」(旧称・日米欧三極委員会)
・「東アジア共同体評議会(CEAC)」
・「日本国際交流センター(JCIE)」
・皇族や旧華族

第2章 アメリカの日本管理戦略と対日研究家たちの変遷

アメリカの対日政策とジャパン・ハンドラーズの変遷

大きく2つに分けられる戦後の対日政策

・「第二次世界大戦後のアメリカの「対日政策」は、大きくは2つの期間に分けられる。1991年、つまりソ連崩壊以前と以後である。ソ連の崩壊で、アメリカは世界単独覇権国家になった。これはちょうどクリントン政権の誕生(1992年)とほぼ同時期であり、この時期を区切りにアメリカの対日政策も大きく変貌を遂げた。」
ジョージ・ブッシュ(パパブッシュ)1990「新世界秩序(ザ・ニュー・ワールド・オーダー)」「国際政治学の用語としては、ポスト冷戦体制の国際秩序を指す。また陰謀論として、将来的に現在の主権独立国家体制を取り替えるとされている、世界政府のパワーエリートをトップとする、地球レベルでの政治・経済・金融・社会政策の統一、究極的には末端の個人レベルでの思想や行動の統制・統御を目的とする管理社会の実現を指すものとしても使われる。」

「反共の防波堤」から「敵国」へ

・「日本のアメリカに対する積極的な協調姿勢を象徴する出来事が、1985年の「プラザ合意」である。この合意によって、円とドルの交換レートは、大きく円高ドル安に向けて加速した。アメリカが高金利を演出し、その結果、日本の機関投資家や企業、政府の資金はアメリカ国内に流入した。それがアメリカの国債を買い支え、冷戦を予算面で助けるという資金の循環構造が生まれた。つまりアメリカは、日本に米国債を買わせ続けることで、無尽蔵に増えていく赤字のツケを払わせるという仕組みを作り上げたのである。しかし、為替レートの「円高への大幅な変動にもかかわらず、日本の工業製品輸入の勢いは止まらなかった。アメリカは「日本市場でアメリカ製品が売れないのは、日本が非関税障壁を設けているからだ」との主張を強めることになり、半導体製品やスーパーコンピュータから牛肉、オレンジ、果ては法律事務所に至るまで、市場開放をしきりに求めるようになったのである。」
・「こうした中で、アメリカの対日政策は、従来の「日本をいかにして反共連合につなぎ止めておくか」という消極的な目的から、「どのようにしてアメリカの単独覇権の邪魔をさせないようにするか」という目的に変わっていった。これが90年代、アメリカが日本に要求してきた「構造協議」や「規制緩和」要求の正体である。」
・「反共の防波堤」→「日米関係の再定義」対日経済戦略の見直し
クリントン政権 ローラ・タイソン、エドワード・リンカーンなど
ブッシュ政権になると、国際金融資本を中心とする、いわゆる「ハゲタカファンド」の日本市場乗っ取り作戦が始まり、従来の日本の経済基盤が壊される中で、経済実態とはかけ離れたマネーゲーム的な市場形成やM&A(企業の合併・買収)が起きるようになった。その中で宮内義彦竹中平蔵など「外資の手先」ともいえる人々が、アメリカ財界や政府の指示を受け、それを忠実に実行することにより、外資による日本市場乗っ取りは容易になった。そして日本的なビジネスモデルは大した根拠もなく時代遅れとされ、アメリカ型の自由主義が持てはやされるようになるのである。
・外交・安全保障面では、湾岸戦争以降、日本国内の安全保障専門家や政治家を中心に「国際貢献の必要性」が盛んに論じられた。95年の安全ホ保障に関する提言書「ナイ・イニシアチブ」および2000年の「アーミテージ・リポート」の登場で、その流れは「日米安保の再定義」という形に半ば意図的に動かされていく。2001年の「9.11テロ」発生で「テロとの戦い(ウォー・オン・テラー)」が開始されるや、従来の心理的抵抗線であった「極東」の範囲を一気に超えた形で、インド洋沖への自衛隊派遣がなし崩し的に行なわれ、さらに、イラク戦争への「復興支援」という「戦闘地域」への部隊派遣も同様に実現化してしまう。従来とは「対米協力」の質が明らかに変化しており、日本の自衛隊アメリカ軍に事実上組み込まれつつある。今後自衛隊は、独立国の軍隊という立場も、どんどん奪われていくのだろう。だが、こうした流れに抵抗する動きは、わが国ではほとんど見られない。そういう動きをする政治家は失脚させられることになっているからだ。アメリカの「ソフト・パワー」で洗脳された日本の政治家たちが、危険なまでに対米追従を深めているのが現実だ。
・日本は、経済面では、外資の都合でいいようにルールを変えられ、国防・外交面では、自国の安全保障に対するビジョンを持つことなく、ただひたすらアメリカに迎合していくという「属国」になり果ててしまった。

ジャパン・ハンドラーズの世代的分析

世代で変わる対日研究者の群像

・新知日派

第1世代 ライシャワーに始まる戦後"知日派"

・第1世代 エドウィン・ライシャワー 日本研究のゴッド・ファーザー 明治43年東京生まれ 父は宣教師 17歳まで日本で過ごす ハーバード大学講師 第二次世界大戦日本の暗号解読 ジョン・F・ケネディ政権米国駐日大使 「ライシャワー事件」
・「ハーバード大学 ライシャワー日本研究所」「ジョンズ・ホプキンス大学高級国際問題学科(SAIS=サイス) ライシャワー・センター」多くの日本研究者を輩出

第2世代 米軍日本語学校から輩出された日本語専門家たち

・第2世代 第二次世界大戦中軍や諜報部の下で日本研究に従事し、戦後は占領政策の遂行に当たった世代。
・代表的人物ハーバート・パッシン 「米陸軍日本語学校」出身 ドナルド・キーンエドワード・サイデンステッカー等も

第3世代 地域研究を駆使したジャパノロジストたち

・第3世代 エズラ・ヴォーゲルジェラルド・カーティスチャルマーズ・ジョンソン
アメリカ 1958「国防教育法(NDEA)」(冷戦戦略の一環)「国家安全保障と学問研究を密接に結びつけたこの法のもとで、日本研究や極東研究など、地域研究に奨学金が出され、地域研究の専門家が大量に採用された」
・このNDEA制定の前後に、アメリカの各地に、日本研究センターや東アジア研究センターが次々と設立される。ハーバード大学東アジア研究所、ミシガン大学日本研究センター、コロンビア大学東アジア研究所、カリフォルニア大学バークレー校日本研究センター、シカゴ大学極東研究センター、イエール大学東アジア研究評議会など。

第4世代 リビジョニストと経済学者たち

・第4世代 リビジョニスト派=日本は世界でも異質な国と考える ディシプリン派=どの国も違いはない
・前者=チャルマーズ・ジョンソン、クライド・プレストウィッツ、ジェームズ・ファローズ、カレル・ヴァン・ウォルフレ
・後者=J・マーク・ラムザイヤー、フランシス・ローゼンブルース、ケント・カルダー、エドワード・リンカーン、リチャード・サミュエルズ、スティーブ・ヴォーゲル、デヴィッド・アッシャー
・「彼ら(ディシプリン派)の考え方は「公共選択」という学問を改悪した「合理的選択論」と重なる部分が多い。現実の政治・経済の動きは彼らの演繹的な法則にしたがって動くだろう、という強い信念を持っている」
・彼らは「アメリカのグローバル・スタンダードこそ合理的である」と頭から信じ込ませようとしているような人たち。彼らは90年代後半から現在に至るまで「構造改革」の名の下、日本社会の制度や構造を、アメリカに都合のいいように改造しようと日本政府に対して働きかけてきた。

第5世代 北朝鮮・極東戦略と規制緩和

・第5世代 北朝鮮・極東戦略と規制緩和
マイケル・グリーンカート・キャンベル、マイク・モチヅキ 東大佐藤誠三郎に師事
・『ニューズウィーク日本版』「コラム・オン・ジャパン」執筆経験者が多い
リチャード・アーミテージ、ローレンス・サマーズ
・90年代以降、アジア地域での日本の経済的地位低下と中国の勃興

第3章 アメリカの大学・シンクタンクに巣食うジャパン・ハンドラーズ

竹中平蔵『日米経済論争』巻末に知日派経済学者一覧

アメリカの大学とジャパン・ハンドラーズ

東海岸の「老舗型」と西海岸の「新興型」

ハーバード大学

エリセ―エフとライシャワー

・1932年セルゲイ・エリセ―エフ(東大留学、文学研究)を招致。ライシャワーと2人3脚で日本学の基礎を気築く

ライシャワー日本研究所
ジャパン・アズ・ナンバーワン

エズラ・ヴォーゲル CIAの一部門である国家情報会議(NIC)の分析官に
・むろん、こうした生臭い政治の世界から離れて、研究一筋に打ち込む学者もいるとはいえ、基本的に彼らは、アメリカの国益を考えるようにしか研究を続けざるを得ない。なぜなら、彼ら自身が米国政府やその資金で助成されている大学・研究所の雇われ人だからであり、もちろん彼らも、そのことがわかっているはずだからである。
ヴォーゲルx橋爪大三郎ヴォーゲル 日本とアジアを語る』

マサチューセッツ工科大学

リチャード・サミュエルズのシミュレーション

・リチャード・サミュエルズ 安倍フェローシップ 「シミュレーション」独自の政治予測 予言の自己成就 産経古森義久も参加
アメリカの学問研究はどんなものであれ、国家戦略を抜きにしては考えられない。サミュエルズのシミュレーション研究は、国家戦略と学問が結びついたよい例である。技術とか工学という言葉の背景には、「人間の行動をアメリカが自らの望み通りに変えることができる」という一種の"技術信仰"が隠されている。

コロンビア大学

英国の王室によって創設
ジェラルド・カーティスの日本政治研究

ジェラルド・カーティス 奥さんは日本人「日米下田会議」

日本選挙制度の代表的研究『代議士の誕生』
1967年の衆院選を密着取材

・『代議士の誕生』当時25歳 大分2区に住み込んで密着取材 佐藤文生 「実弾攻撃」までもが活字化(ゲラ段階で削除される)

"スパイ活動"で出世!?

・パク・チョルヒ カーティスに師事 同じ手法の著作 佐藤誠三郎に師事 岡崎研究所岡崎久彦と並んで、親米ネットワークの重鎮的存在
・国家戦略を立案する上でフィールド・ワークの重要性 日本には全く足りない
・今も日本にCIAのスパイは多くいる

プリンストン大学

日本の歴史・文化研究がメイン

・マリウス・ジャンセン 日本の幕末・明治維新史の研究 1961『坂本龍馬明治維新』→司馬遼太郎に影響 1960「箱根会議」

"輸入品"だった!?司馬史観

・教え子エドワード・ズウィック映画『ラスト・サムライ

イエール大学

ジョン・W・ホールの日本史学

・「アイビー・リーグ」 浜田宏一終身雇用教授

ジョンズ・ホプキンス大学国際問題研究大学

ズビグネフ・ブレジンスキーソビエト研究、民主党系)、フランシス・フクヤマネオコン)、ポール・ウォルフォウィッツ(シオニストネオコン

冷戦時の核戦略家が創設

・SAIS 1995年までに8600人の卒業生 143ヵ国で活躍 アメリカ帝国の「世界管理委員養成所」

"裏人間"ケント・カルダー

★ケント・カルダー 郵政民営化「隠れCIA」「カルダーは、浜田宏一イエール大学教授、ヒュー・パトリック(コロンビア大学教授)と一緒に竹中平蔵郵政大臣の「民営化カンファレンス」に出席し、民営化積極賛成の発言をしている。彼はいわばアメリカ政府の「フィクサー」として、日本の政治家に圧力をかける仕事をしてきたのだ。」
・カルダー『戦略的資本主義』巻末に竹中平蔵の解説

CIA情報官ナサニエル・セイヤー

ナサニエル・セイヤー 主著『自民党』SAIS「中曽根康弘講座」中曽根「セイヤーはCIAそのものである」
・中曽根の前任者、鈴木善幸首相に対するアメリカの評価は最悪に近いものであり、中曽根が政治家としての権力基盤を固めるために、アメリカの支持を取りつけておこうと考えたことは想像にかたくない。中曽根元首相こそは、真の国民政治家であった田中角栄を裏切って、アメリカべったりの属国路線を開始した人物である。

米日財団理事長ジョージ・パッカード

・ジョージ・パッカード 『アメリカは何を考えているのか』 魚沼 国際大学 中山素平、大来佐武郎 →笹川良一「米日財団理事長」 富士通総研

カリフォルニア大学バークレー

リベラルな校風
大きな衝撃を与えた通産省研究
傾斜生産方式
通産官僚たちの群像

チャルマーズ・ジョンソン 中田が尊敬する研究者 『通産省と日本の奇跡』 傾斜生産方式 城山三郎官僚たちの夏』 佐橋滋「特振法」 天谷直弘、両角良彦「国際派」

スタンフォード大学

テクノロジー軍需産業

・「ミスター外圧」マイケル・アマコスト駐日大使
野口悠紀雄「1940体制」(日本経済の特徴とされる様々な要素が、1940年頃に戦時体制の一環として導入された)

ダニエル・オキモトの半導体産業研究

・ダニエル・オキモトの半導体産業研究 1986「日米半導体協定」自由貿易の理念もなにもない一方的にアメリカに有利な協定 → インテルのCPUなどで一気に追い抜く 「ジャパン・インク・モデル(政官財のネットワークによる日本株式会社モデル)」

アメリカのシンクタンクとジャパン・ハンドラーズ

アメリカにおけるシンクタンクの役割

・現在、アメリカでシンクタンクと言えば、アメリカ政府の政策の青写真を作り上げる「アイデア工房」のような役割を果たしており、アメリカが世界覇権を維持していくうえでなくてはならない存在になっている。
・2003年に起こされたイラク戦争に、ブッシュ政権を背後から駆り立てたのは、AEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)のワシントン事務所に間借りしている「アメリカの新世紀のためのプロジェクト」(PNAC)というグループであった。ブッシュ政権は、このAEIから多くの専門家(ポリシー・メイカー)政策立案者を迎えており、保守派言論人の資金源となっている。
★一般にアメリカの政府高官というのは、政権入りする前には、民間企業の重役を務めていたり、シンクタンクの研究員を務めていたりする場合が多い。そして政府での役目を終えると、また再びシンクタンクや民間企業に戻っていく。
・これは俗に「回転ドア」と呼ばれる仕組みであり、一種のアメリカ型「天下り」システムである。例えば、国防総省の兵器調達を担当した人がロッキード社の重役として天下ったりするのである。アメリカが世界覇権をこの70年近く握っていられるのも、シンクタンクと政府間で、人材が、止まることなく循環しているからなのだ。
アメリカでシンクタンクの数がこれだけ拡大したのは、冷戦という背景があったからである。第二次大戦前のアメリカには、ロックフェラーやモルガンが資金を出した外交問題評議会(CFR)という老舗シンクタンクが存在していた。
・冷戦時代になると、ランド研究所ジョージタウン大学戦略国際問題研究所CSIS)、フーバー研究所、ヘリテイジ財団といった、主に軍事戦略を立案するシンクタンクが次々と設立されていく。ランド研究所は、核抑止戦略を打ち出したといわれているし、CSIS湾岸戦争参謀本部とまでいわれた。
シンクタンクには、東部エスタブリッシュメントの財団が資金を出した基本的には民主党系のものと、1970年代頃から出現した「ニューライト」と呼ばれる対ソ強硬派によって作られたネオコン系のシンクタンクが存在する。

ジョージタウン大学戦略国際問題研究所CSIS

日本部門がウリ

・日本部門を持っていることを大々的に謳っている、恐らく唯一のシンクタンク
・1962年、デイヴィッド・アブシャイア元国務次官と、アーレイ・バーク海軍次官によって設立。
・現在13人の日本専門家 日本部長ウィリアム・T・ブリア
渡部恒雄、酒井吉廣(日銀出身)など日本人の研究員も
CSIS太平洋フォーラム 1975年設立 ラルフ・コッサ、ブラッド・グロッサーマン、ブレント・スコウクロフト 樋口廣太郎(アサヒビール) 大河原良雄(元駐米大使)
・人材交流に非常に力を入れる

稲盛和夫アブジャイア博士

・アブシャイアは日本の稲盛和夫との関係が非常に深い。バークは、元国防総省国家安全保障局(ISA)の日本部長のジェイムズ・アワーを間にはさんで、元駐米公使の国際ロイヤー阿川尚之との「海の友情」でつながっている。
阿川弘之、尚之親子二代にわたるカウンターパーツ。親米ポチ。
・1996「日米21世紀委員会」2002「稲盛・アブシャイア・リーダーシップ・アカデミー」
・アブシャイア以外のメンバーには、IBMイーストマン・コダックゴールドマン・サックスなどの金融・経済界の関係者の名前がずらりと並び、さながら「日本市場こじ開けタスクフォース」といった布陣
・稲盛は「善意と利他の心」で日米関係を再定義する心づもりだったようだが、アブシャイアのほうは、その善意云々については一言も触れていない。ただ国家安全保障問題を解決する力量を持ったリーダーシップが必要であるという認識であり、どうも二人の間には大きなズレがあったようにも見える。要するにアメリカ側は非常に実務的(ビジネスライク)なのに対し、日本側は稲盛氏の美辞麗句だけが白々しく浮いている印象だ。
・この「日米21世紀宣言」の内容であるが、これはもうほとんどが日本に対する「規制緩和要求」のオンパレードである。「日米同盟堅持」「日本経済の構造改革規制緩和」だけが強調され、アメリカに対しては「貯蓄率を増やすべきである」と言ってお茶を濁している程度だ。
・稲盛「京都財団」日本の若きリーダー候補生をワシントンDCのCSIS本部に呼んで、一週間の研修を年に二回行う「稲盛国際フェロー」北神圭朗古川元久、二之湯武史、白石洋一など
・稲盛会長は現在、松下政経塾とか日本政策フロンティアといった団体を利用して、日本の二大政党制と政界再編をねらっているようである

地経学とエドワード・ルートワック

・上級研究員エドワード・ルトワックユダヤネオコン派の軍事戦略家「冷戦後のアメリカの敵は経済大国化した日本である」軍事力のかわりに経済政策で世界制覇を推し進める「地経学(ジオ・エコノミクス)」という新しい学問分野を提唱
・ルトワックがこの2冊(『アメリカンドリームの終焉(現代は「危機にひんしたアメリカンドリーム」)』『ターボ資本主義』)で示した対日戦略が、どうも90年代から2000年代にかけてのアメリカの経済戦略を規定したらしい。過去に大蔵省所管の財政金融研究所で働いていた経験あり
・80年代の日本の躍進は、アメリカにしてみれば喧嘩を売られたようなものだった。アメリカとしては、売られた喧嘩は買わない道理はない。そこで、クリントン政権誕生後は、日本に貿易自由化、規制緩和を要求し続ける一方で、アメリカ国内では、知的所有権戦略、情報通信産業の育成、ゲノム戦略などさまざまな経済戦略を打ち立て、経済での「グローバル・スタンダード」の確保を目指すようになったのである。

国際戦略研究所(IIE)

通貨戦略の仕掛け人、フレッド・バーグステン

・1982年発足。1985年のプラザ合意、1990年代の日米自動車交渉時に突如発生した急激な円高などはIIEが仕掛けたとも言われる。
・フレッド・バーグステン 「政治・安保はアーミテージ、経済はバーグステン」。日米関係を仕切る米側の“ドン”。ヘンリー・キッシンジャーに見いだされる。カーター政権で国際経済担当官。
・IIE理事会 ピーター・ピータソン(ゴールドマン・サックス・インターナショナル元会長)、デイヴィッド・ロックフェラーチェース・マンハッタン銀行元頭取)、ジョージ・シュルツ国務長官(ベクテル会長)、カーラ・ヒルズ元USTR通商代表、出井伸之ソニー元会長、アラン・グリーンスパンFRB議長、ポール・ボルカーFRB議長、モーリス・グリーンバーグ(アメリカン・インターナショナル元会長)など
外交問題評議会(CFR) 外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行。「国際金融資本の伏魔殿」。IIEとCFRはメンバーが重複しておりほぼ一体。
・「自動車交渉は、95年に合意をしたが、バーグステンの圧力は日本側にとって相当なものだったろう。さらなる円高をおそれたであろう当時の橋本通産大臣は、おそらくはその引き替えに、金融ビッグバンと言われる規制緩和(金融業への外資参入障壁の撤廃)を呑まされている。」

ブルッキングス研究所

民主党シンクタンクの老舗

・1927年米中西部の実業家ロバート・ブルッキングらの財界人・知識人が創設 小さな政府派
・1952年に所長が代わってからは、民主党的なケインズ主義にその軸足を移していく
・1968年にニクソン共和党政権が誕生すると、ケネディ民主党政権を支えていたリベラル派はここに籠城し始める。さながら「民主党亡命政権
・歴代研究所所長 マイケルアマコスト元駐米大使 ストローブ・タルボット 理事会メンバー ローラ・タイソン(クリントン政権大統領経済諮問委員会(CEA)委員長)、ダニエル・ヤーギン(資源学者)、ローレンス・サマーズ(元財務長官)、ジェイムズ・ジョンソン(投資会社ペルセウス)、ヴァーノン・ジョーダン(投資銀行ラザード・フレール)
・日本研究担当エドワード・リンカーン 日本人の交換留学生と恋に落ちる 同志社大学に留学 ウォルター・モンデール駐日大使の経済担当特別補佐官(後任がケント・カルダー)「郵貯廃止論」

アメリカ学会派閥抗争と「アメリカ帝国の悲劇」

アメリカの学問研究と分野構成について

・日本に対して「産業政策反対、規制緩和郵政民営化」と枕詞のように唱えるアメリカの経済自由化要求は、実は世界的な規模で行われているものである。このグローバル・スタンダードの押しつけはアメリカの首都・ワシントンから名前をとって「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる。
・ワシントン・コンセンサスの背後にあるのは「民営化、規制緩和すれば何でもうまくいく」というほとんど信仰に近い考え方だ。これは、今日、アメリカの学会で台頭している「合理的選択論(ラショナル・チョイス)」の存在とも大きく関係している。
副島隆彦の整理 アメリ政治学会の3つの派閥
1.「合理的選択論派」実務官僚の養成。グローバリスト的。昔のリアリズム政治学の流れ。伝統主義を捨てて、すべてを合理性(レイシオ)で考える人たち
2.「構造的方法学派」ウェーバーマルクスなどの伝統的政治思想を温存。左翼学者も隠れている。官僚制度、政党、大物政治家の研究も。
3.「文化的方法学派」地域研究。人類学の手法。

「合理的選択論(ラショナル・チョイス)」とは何か

★私たちは日常生活で絶えずカネ勘定を考えて生きている、というのがこの理論の前提。この何でもお金に換算する思想のことを功利主義ユーティリタリアニズム)と呼ぶ。
・要するに。人間の行動というのは、すべて経済的行動に還元できるモノであり、したがって経済学のモデルもそのまま適用できる、と考えた。そこには、すべての人間はいつも合理的(この場合には、カネ勘定というニュアンスが非常に強い)に行動するという前提がある。

チャルマ―ズ・ジョンソンの反撃

・ジョンソン「合理的選択学派は、自分たちが文化を超えるというよりも、実際には自身の文化、すなわち英米「西洋」文化を過度に普遍化しようとしている点を決して認めようとしない。」
グローバリズム=「アメリカにとっての合理性(アメリカ企業の経済的利益)」
・自分たちの「理論の正しさ」を証明することにしか興味がないのが学者というものである。彼らには「学問は政治に従属する」という事実はまったく目に入らない。しかし、学問は政治に従属するのである。学者たちは「学問自体は価値中立的である」と言うだろうが、そんなものはハッタリであって、幻想にすぎない。
・保守派エスタブリッシュメント御用雑誌『ナショナル・インタレスト』
・米ソ冷戦を勝ち抜いて、いよいよ単独覇権国となったアメリカの傲慢さ ネオコン派イデオローグ フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
・ジョセフ・スティグリッツグローバリズム批判

そして9月11日のブローバックが起こった

・ジョンソン2000年『ナショナル・インタレスト』『アメリカ帝国への復習』「軍・産・学複合体」
・帝国の手先であったジョンソン教授は1989年にCIAがロチェスター大学に委託した「日本つぶし」のための「戦略タスクフォース」に、ケント・カルダーや、モトローラ社情報部長のティム・ストーン、投資会社ブラックストーングループのジェフリー・ガーテン(クリントン政権商務長官)と一緒に加わっていたことのある

ビューティフル・マインド』に見る使い捨て学者の悲劇

ラッセル・クロウ主演『ビューティフル・マインド』天才数学者ジョン・ナッシュの半生 冷戦軍事戦略の総本山ランド研究所

第4章 暗躍するカウンターパーツと骨抜きにされる日本

二〇〇四年に起きたカウンターパーツの世代交代劇

ナベツネ・中曽根・キッシンジャー路線

・2004年カウンターパーツの「世代交代」が行われた記憶すべき年
渡辺恒雄中曽根康弘 → 宮内義彦孫正義三木谷浩史竹中平蔵 金融IT勢力。「新政商」。
渡辺恒雄 大野伴睦番記者。読売ワシントン支局に飛ばされていた時代に、ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官の活動に焦点を絞った『大統領と補佐官』という著書を書き、アメリカ政界の影の実力者であったヘンリー・キッシンジャーに急接近する。
・一方、彼の盟友である中曽根康弘は、すでに1953年に、ハーバード大学セミナーに参加して、若きキッシンジャーに属国日本の指導者として「青田買い」されていた。ここで生まれたキッシンジャーナベツネ・中曽根のネットワークが究極的には、戦後の1970年代頃から小泉政権誕生までの日本保守政界を動かしている。
・従来は、大谷昭宏記者などの「黒田軍団」(黒田清記者を中心とした大阪読売の社会部のこと)に代表されるように、左翼・リベラル派であった「読売新聞」の論調は、ナベツネ路線によって一気に右傾化する。これはキッシンジャーを中心に練られていた当時のアメリカ反共政策と大きく連動したものだった。
・読売、産経、PHP研究所など親米言論/朝日新聞、親中国・北朝鮮
・小渕・森政権あたりから、経済系のネットワークによる日米人脈が非常に強い影響力を持ち始めてきた。投資ファンド(ハゲタカ・ファンド)が、日本をマネー・ゲームの実験場と位置づけ、従来のキッシンジャー・コネクションとは別方向から、管理するようになってきた。それに伴い、カウンターパーツもガラガラポンと入れ替わり始めた。
・2004年プロ野球界のゴタゴタとナベツネの失脚

ナベツネ失脚の真実

ナベツネ『金貸しとは日本シリーズを戦いたくない』
・2004年一場投手栄養費事件
・中曽根→小泉

新勢力・宮内義彦とはいかなる人物?

M&Aで業務拡大

・1935年兵庫生まれ、父は貿易、木材輸入業 関西学院大学ワシントン大学に留学 MBA取得 ニチメンに就職
・1980年以降(特にバブル期)に力を入れたのが、不動産融資と米国仕込の企業買収(M&A
バブル崩壊による影響もあまり受けることがなかったオリックスは、パチンコ店やラブホテルを買収する。そして消費者金融向けの融資を手がけ、当時関西地方で有力であった在日韓国人系の融資を担当する朝鮮系銀行などの顧客を吸収する形で、業務を拡大していったという。

あおぞら銀行買収劇の裏側

・1998 日本債権信用銀行経営破綻 → ソフトバンクグループ・オリックス東京海上火災保険が組成した投資ファンドへ売却 → 2000 あおぞら銀行 本間忠世社長変死
・2003 ソフトバンクサーベラスへ株式売却 サーベラス・ジャパン 宮内が顧問のトップ
サーベラス 1997設立 共同創業者 スティーブン・A・ファインバーグ アブレコ(投資ファンド)のCEOも兼任 会長 ダン・クエール ブッシュ政権の副大統領 馬鹿で有名 イグノーベル賞 社外取締役 ローレンス・リンゼ― ブッシュ政権大統領経済担当補佐官
★「このサーベラスによるあおぞら銀行の買収は、米投資ファンドリップルウッド・ホールディングスが主導した旧日本長期信用銀行(現新生銀行)の買収と同様に、ハゲタカファンドの「日本金融占領」として記憶されるべきだろう。」
新生銀行 八城政基 も外資の手先 「この新生銀行の買収には、米欧の金融資本のオールスターというべき人々がかかわっており、デヴィッド・ロックフェラーやポール・ボルカーが重役会に名前を連ねるほか、イギリス・ロンドンの銀行家である、ジェイコブ・ロスチャイルド男爵も資金を出して参加している」

エンロンと手を組んだオリックス

小泉政権規制改革・民間開放推進会議」「混合診療の解禁」「株式会社による病院経営の解禁」「刑務所の運営」「税金等の徴税業務」 「外資の水先案内人」「外資の忠犬ポチ公」「宮廷ユダヤ人」主著の扉ページに「ダビデの星

もう一人のキーマン・孫正義

貧しかった少年時代

在日韓国人3世。高校一年夏休みUCバークレーに短期留学圧倒される。→高校編入。UCバークレー入学。現地で「ユニゾン・ワールド」というマイコン機器の開発会社を立ち上げ。1981「日本ソフトバンク」設立。日本独自OS「トロン」潰し。

豊富な海外人脈とメディア買収劇

・1996オーストラリア出身メディア王ルパート・マードックと組み「JスカイB」設立。テレビ朝日買収失敗。
・2000ローレンス・サマーズと組んで「ナスダック・ジャパン構想」

アメリカのエージェント・竹中平蔵

グレン・ハバードとの関係

・2002年金融担当大臣 ブッシュ大統領の経済ブレーンを務めてきたグレン・ハバード元大統領経済諮問委員会委員長の強い後押し。
・前任の金融大臣の柳沢伯夫は、日本の不良銀行に公的資金を投入、国有化して、ハゲタカ・ファンドに二束三文で売り払おうとする政策に露骨に抵抗したので、アメリカに「邪魔者」として忌避された。
・このハバードは、ブッシュ政権第一期に、日本の不良債権処理を名目としたハゲタカファンド進出の総指揮を執った人物だ。
・日本のマスコミではまったく報道されなかったが、柳沢議員が金融担当大臣を務めていた2001年の12月には、静岡県御殿場市に、外資系金融機関の東京支店や有名外資系企業再建ファンドの経営者が一堂に会し、来たるべき外資の日本買いに向けて「総決起集会」を開いている。マスコミがシャットアウトされたこの集会には合計100人の日米金融関係者が出席したという。
・『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事(2001年12月10日付)によれば、ウィリアム・シードマン(モルガン・スタンレー社)、ウィルバー・ロス(WLロス&カンパニー)、ゴールドマン・サックスメリルリンチ東京支店の関係者も。
・出席したのは金融関係者だけではなく、当時、米大統領経済諮問会議(CEA)委員長のグレン・ハバードも含まれていた。そしてこのハバードが、『日本経済新聞』紙上で繰り返し「エール」を送っていた相手が竹中金融担当大臣だったのである

竹中平蔵のIIEネットワーク

・和歌山の履物屋、東大に入るはずが大学紛争で一橋へ。エコノミスト下村治にあこがれて政府系銀行の日本開発銀行に入行。当時の大物大蔵官僚であった長富祐一郎のメガネにかなってアメリカ留学。
・帰国後、長富の紹介で大阪大学経済学部教授。このときの同僚が本間正明。師匠筋が加藤寛慶應義塾大学教授。土光敏夫の下で中曽根行革に関与。慶應が湘南藤沢キャンパス(SFC) 設立に当たって中心的な役割。その後千葉商科大学の学長)。
・竹中は米大学での教授経験もあるが、なによりも彼の「財産」となっているのが、「国際経済研究所」(IIE)で築いた人脈ネットワークだ。このシンクタンクは「外交問題評議会」(CFR)とのつながりが強い。竹中はこのネットワークを通じて、クリントン政権の対日戦略の要となったローラ・タイソンや、リベラル派の仮面を被った新古典主義経済学派のフレッド・バーグステンといった著名人とつながっているのだ。

マスコミ界に根を張った親米派たち

米・民主党寄りの「朝日新聞

・『朝日新聞』で、対米人脈の受け皿になっているのが、船橋洋一編集特別委員だ。ジョゼフ・ナイ元国防次官補のカウンターパート。竹中平蔵とともに「牛場フェロー」(牛場信彦元駐米大使の名を冠した留学生制度)で、国際経済研究所に送り込まれた過去を持つ彼は、同研究所のバーグステン所長とも交友が深い人物である。
・『日本経済新聞』における親米派の代表格が伊奈久喜編集員。

保守言論人のカウンターパート

・『読売新聞』読売言論人の親米派代表格が岡崎久彦元タイ大使
・『産経新聞古森義久編集特別委員。ワシントン支局長。アメリカの保守的なシンクタンクである、ヘリテイジ財団やAEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)の研究員(ニコラス・エバースタットなど)たちとも強いパイプを持っている。
安倍晋三衆院議員が2004年にAEIで講演を行った際のパイプ。
・「ネオコン」という言葉に反発。思想的に屈折した転向者。自分に当てはまるからか。

外交・安全保障を牛耳るカウンターパーツ

アーミテージ・リポート」の影響力

・第二次小泉内閣防衛庁長官に大蔵族の大野功統。フルブライターで2度の留学。
アメリカが日本に世界の安全保障を肩代わりさせるという動きは、民主党政権だろうが、共和党政権だろうが変わらない。というのもアメリカの対日軍事戦略は、1999年に公表された、民主党のジョゼフ・ナイ国防次官補と共和党リチャード・アーミテージ国務長官らが作成した「超党派リポート」(いわゆるアーミテージ・リポート)に基づいているからだ。この作成には、マイケル・グリーン、トーケル・パターソン、ロビン・サコダ、ポール・ウォルフォヴィッツ、ジェイムズ・ケリーなど筋金入りの面々が参加している。
アメリカの都合のいいように自衛隊を再編することが狙い。
アーミテージ アナポリス海軍兵学校)出身の軍人あがりの政治家。ベトナム語に堪能で、ベトナム人孤児を多数養子にしている。
・「東芝スクリュー音事件」で日本の弁護。この一件で、日本の政治家たちはアーミテージにメロメロになってしまった。

マイケル・グリーンと「日米新ガイドライン

★2004年の夏頃、アーミテージは、訪米した中川秀直自民党国対委員長と、小林温参議院議員松下政経塾出身)らに対して、「憲法9条は日米同盟の妨げである」という爆弾発言を行った。また日本の「東アジア共同体」構想にも反対している。
・従来は日米安保条約の対象範囲は、極東に限定されていた。「新安保条約」の第6条で「極東条項」といわれている。
・「日米新ガイドライン」(1999年)の草稿を書いたのが、当時は外交問題評議会(CFR)だった研究員のマイケル・グリーンである。
ブッシュ政権国家安全保障会議NSC)アジア上級部長というポストをトーケル・パターソン(アナポリス人脈)から引き継ぐ。
・グリーンや、ポール・ジアラ(元国防総省アジア太平洋担当次官補)、カート・キャンベル、パトリック・クローニンのような防衛問題のエキスパートが、今のアメリカで対日安保政策に大きな影響を与えている若手たち。
・1983年、日本の文部省の英語教員募集に応じて静岡県にやって来た。85年SAIS入学。ジョージ・パッカード、ナサニエル・セイヤーなどの知己を得る。
・86年に再来日『岩手日報』の記者見習い。87年佐藤誠三郎に師事、国会議員の椎名素夫の秘書を2年間務める。筋金入りの日本専門家。
・研究テーマは、日本の「次期支援戦闘機(FSX)」の開発をめぐる日米摩擦。
・『アーミング・ジャパンー防衛生産、同盟政治、戦後の自立の模索』(1995日本未邦訳)が認められ、外交問題評議会入り。クリントン政権時代に国防次官補のジョゼフ・ナイを助けて「日米新ガイドライン」を書きあげた。
・グリーンの前任、トーケル・パターソン 82年から筑波大学大学院地域研究科で日本政治について学び、ミサイルメーカーであるレイセオン社の日本支社長の経験もある筋金入りの「米軍産複合体」の一員。現在はJR東海取締役。

米CIAが阻止する「兵器の国産化

・「武器輸出三原則緩和」がグリーンの『アーミング・ジャパン』そのまんま
三菱重工豪華客船不審火、三菱重工名古屋工場ジェット機破壊→兵器の国産化を阻止しようとする米CIAの秘密工作の一環である可能性が極めて高い。

民主党新世代の防衛族たち

長島昭久 外交問題評議会の研究員 ジェイムズ・アワーやズビグニュー・ブレジンスキーとパイプ ビクター・D・チャ、岡崎久彦森本敏櫻井よしこ村田晃嗣との関係も深い 2004岡田克也訪米の根回し 

第5章 世界を動かすインナー・サークルと国際金融資本の正体

欧米エスタブリッシュメントとクラブ社会

・海外の「紳士録」(Who’s who)をひもといてみればいい。欧米のエスタブリッシュメントは、センチュリー(ニューヨーク)やブルックス(ロンドン)やニッカボッカーズ(ニューヨーク)のような名門クラブに、必ず所属していることがわかるだろう。欧米は、クラブ社会なのである。

「インナー・サークル」とは何か?

・高度に発達した資本主義社会において、世界を動かすのは、イデオロギーや宗教などではなく、多国籍企業やそれぞれの国内の大企業の利害である。企業の利害が政治家を動かし、世界を動かしている。そして日本も、その大きな動きの中にある。
・この秘密クラブを介したエスタブリッシュメントたちのネットワークを「インナー・サークル」と呼ぶ。アメリカの経営学者、マイケル・ユシームの造語。
・かつての王族や貴族たちは国際的な結婚を重ねて、閨閥門閥をつくった。その現代版。
・インナー・サークルのメンバーたちは、ほとんどの場合マスコミをシャット・アウトして定期的に会合を開催して情報交換をし、それぞれのビジネスにとって必要なコンセンサスを形成している。そしてここで議論されたビジネス界の「要求」は、サークルのメンバーたちが持っているコネを通じて、政界に大きな影響力を及ぼしているのだ。

裏の国際会議=ビルダーバーグ

・サミットや国連が「表の国際会議」だとしたら、これらのインナー・サークルは「裏の国際会議」と言える。重要なことは、「裏の国際会議」で決められるのだ。「裏の国際会議」としてもっとも有名なものがビルダーバーグ会議
・1992年ビル・クリントンを大統領に決める。2002年イラク戦争開戦を決める。
・現在(2005)の議長 ベルギーの元外交官エティエンヌ・ダヴィニオン子爵 トヨタの国際顧問 水道ビジネスを牛耳るスエズの取締役 ベルギー最大手総合商社ソシエテ・ジェネラル会長

会員制ゴルフクラブ=バーニング・ツリー・クラブ

メリーランド州ベセスダ 岸信介アイゼンハワーがサウナで裸の付き合い

学生クラブ=スカル・アンド・ボーンズ

イエール大学の学生クラブ ジョン・ケリー ジョージ・W・ブッシュ 2004年大統領選両者このクラブのメンバー
・新規入会毎年15人
・学生クラブ=「フラタニティ」(女性の場合はソロリティラテン語の兄弟、姉妹という意味
・映画を見ると、アメリカは、実は日本異常に「コネ社会」であることがわかる。アメリカでの「実力主義」というのは、どのようなクラブに所属しているかということも、実力のうちに含まれるのだ。だからアメリカというのは、本当は実力社会(メリトクラシー)の国ではなく、いまだに貴族社会の国なのであり、いわゆる「アメリカン・ドリーム」など幻想にすぎない。
・これによって、富裕層の所得だけ増え続ける社会

アメリカの"貴族"ロックフェラー家

アメリカには「貴族社会」というものは存在しないと思われているが、ロックフェラーやモルガンなどの”オールド・マネー”出身のエリート名家が、貴族のような存在となっている。彼らは欧州貴族たちの、アメリカでの「カウンターパーツ」でもあるが、その中でもロックフェラー家は、日本との関係が深い。
関東大震災 東大の図書館再建に寄付 高木八尺(やさか)東大教授 アメリカ研究の第一人者
・ロックフェラー2世に5人の息子

ジョン・D・ロックフェラー3世と日本

・戦後、日本を含むアジアとのかかわりを再開したのは、ジョン・D・ロックフェラー三世である。彼は、吉田茂首相らが出席して行われたサンフランシスコ講和条約調印(1951)の時にも、民間人なのに調印団の中の一員として立ち会っていた人物だ。彼は、第二次世界大戦が終わった1940年代後半に、ロックフェラー家のお抱えの弁護士でこのときは対日講和団使節団長をしていた、ジョン・フォスター・ダレス(のち国務長官、CFRメンバー)に同行し、日本の指導者たちと親交を深めた。その中には、昭和天皇ご一家も含まれている。
・ジャパン・ソサエティ(スタンダード石油の窓口)、アジア・ソサエティ
国際文化会館 松本重治 高木八尺 都留重人 新木栄吉
・日米会話学院 日米知的交流委員会 「文化交流路線」「ゆるやかなソフト・パワー」

「小沢革命」の黒幕!? ジェイ・ロックフェラー

・ジェイは4世 ライシャワーのアレンジで3年間日本のICU国際基督教大学)に留学
トヨタ自動車の工場を自分の選挙区に誘致
小沢一郎日本改造計画』の英語版序文 翻訳はルイーザ・ルービンファイン女史 『日本改造計画』は竹中平蔵も執筆に関わる超ネオリベ政策

デヴィッド・ロックフェラーの文化交流人脈

・「日米財界人会議」
・フジサンケイ・コミュニケーション・グループ(FCG)、故高松宮殿下とのかかわり 箱根・彫刻の森美術館

デヴィッド・ロックフェラーと日米欧三極委員会

・当時チェイス・マンハッタン銀行頭取
ブレジンスキー『2つの時代のあいだに』 ビルダーバーグに日本人が入れない代わり 
エスタブリッシュメントたちは、6月頃に「三極委員会」に出席し、7月頃に「ビルダーバーグ会議」に出席し、7月下旬頃のサミットをテレビで眺める、というのが毎年の定例行事になっている。

ロックフェラーの日本秘書・山本正

・「三極委員会」設立 日本側 宮沢喜一大来佐武郎武者小路公秀
アメリカ側 ロックフェラー、ブレジンスキー、フレッド・バーグステン(プラザ合意の立役者)、マクジョージ・バンディ(当時フォード財団理事長)
・木下玲子『欧米クラブ社会』、ジョン・ロバーツ、グレン・ディヴィス『軍隊なき占領』
・「つばぎ屋」に徹する

JPモルガンチェイス国際評議会のきな臭さ

ジョージ・シュルツ国務長官が議長 ライリー・ベクテル(ベクテル社CEO)、ウィリアム・スタヴロポーロス(ダウ・ケミカル取締役会議長)など軍産複合体のメンバーも入る
・日本側 小林陽太郎富士ゼロックス会長)、緒方四十郎(元日銀総裁 貞子の夫)

東アジア共同体評議会と日米人脈

中曽根康弘会長 東アジア共同体評議会(CEAC) ワールドメイト半田晴久
★「山本は、最近あるインタビュー(『朝日新聞』英語版)の中で、「フォード財団や、ロックフェラー財団、アジア財団といった一握りのアメリカの民間財団が、日本を再建する際に重要な役割を果たし、日米関係を再建し、改善するのに大きな助けになった」と述べ、その功績を強調している。
彼はきっと、アメリカの貴族階級やエリートなどの「インナー・サークル」から外れてしまったら日本の繁栄はない、と考えているのだろう。「お代官(アメリカ)さまに逆らっては百姓(日本)は生きていけません」ということなのか。それとも、「対等でなくてもつながっていないよりは百倍はいい」ということなのか。
いずれにせよ、アメリカのカウンターパーツが、日米交流の名の下に、国益を売り渡し続けるのであれば、日本の属国化はますます深刻になるばかりである。」

あとがき

・カウンターパーツの人々もそれぞれ経緯、運命、立場があるのはわかる。それでもなお、私はこの本を書かなければいけないと思った。
・”ジャパン・ハンドラーズ”と”カウンターパーツ”の実像を体系的に知ることでしか、日本の次なる国家戦略は立てられないと強く思うから。
・インタビューなし、資料のみの「弱み」と「強み」。
・謝辞 古村治彦 園田義明 弓立社宮下和夫 

巻末資料

 
10/15読了
●概要
敗戦国である日本は当然、戦勝国支配下にあり、それは見えにくい形でネットワークが張り巡らされている。フルブライト交換留学生制度はその基礎部分。外交・軍事はSAISのCSIS、経済はIIEに握られている。そのカウンターパーツが日本に沢山いる。
●感想
面白かった。日本が傀儡政権である厳然たる事実を、もっと多くの国民が自覚するべきだと思った。そして、国会議員、官僚、財界人、学者、文化人の中で”カウンターパーツ”=売国奴愛国者を見分けることが重要だ。

【読書メモ】宇野常寛 x 濱野智史『希望論 2010年代の文化と社会』 (NHKブックス 2012年)

2012年1月出版
目次

 

Ⅰ 「震災」から考える

1.フクシマ”を受け止めるための想像力

見田宗介 理想(夢)の時代/虚構の時代
・戦後、その時代において何が「現実」の反対語としてイメージされているか
・45-70理想(夢)の時代 アメリカ並の豊かさという高度成長もソ連にならった共産主義革命も理想
・80-95虚構の時代 「新人類」や「オタク」に代表される記号消費
・95- 東「動物の時代」大澤「不可能性の時代」
・かつての国民国家マルクス主義=規律を与えてくれる<父>
・今はグローバル資本と情報ネットワークの方が上位 →<父>の機能が低下
・「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」村上春樹によるポストモダン化の比喩
オーウェルが批判したような国家=疑似人格的な権力観はすでに過去のもので、現代は非人格的なシステムの自己増殖(=リトル・ピープル)こそが不可視の権力を生んでいる。 
・グローバリゼーション下の権力の掴みづらさ
・村上 エルサレム賞 壁(システム)と卵(人間)→そんな単純に切り分けられない時代
・宮台「終わりなき日常」当時の消費社会を説明するキーワード。ポストモダン状況における「政治と文学」の断絶を意味する。自分の人生は歴史に意味づけられているという実感が得られず、小規模な人間関係の自意識の問題だけが残された状況
・「革命を喪った僕たちはどうやって自分の人生を意味づけていいのか分からない」というポストモダンアイデンティティ不安の問題。
・自分の自意識の問題が解決されれば世界の謎が解ける、というセカイ系的意識
・「終わりなき日常」とは、政治と文学、壁と卵、世界と人間を繋ぐ回路の問題で、人々が「自分は世界と繋がっている」と感じる方法が変化しつつあるときに生じる不全感のこと。
・オウム以前まで「ハルマゲドン」は明らかに現実に希望を持てない人々にとって、ある種の希望だった。
・「虚構の時代」の精神=自意識を操作し世界の見方を変える思想。「革命」で世界を変えるのではなくドラッグやアニメ、オカルトなどを注入することで自意識を操作すると世界が変わったように見える。
・大澤「不可能性の時代」=「現実」から逃避することが不可能と思える時代→テロリズムリストカット
 

2.復興への希望はどこにあるか

・「震災」→既存の問題を露呈させた=商店街のシャッター通り
高原基彰現代日本の転機 「自由」と「安定」のジレンマ』 =自由と安定の両立の難しさ、平和すぎるとつまらないという問題
・新しい幻想としての「希望」が必要 ビジョンが何もない
・もはやどこにも「希望」のリソースがない日本社会の現状認識
・東日本復興計画=これからの地域コミュニティをどう設計するか
・「そもそも。この10年の論壇は猫も杓子も中間共同体の不在を嘆く議論ばかりだった。それはその通りで、単純に考えて日本の近代化は村落から都市へ、産業構造の変化を背景に人口を移動し、その封建的なムラ社会から人々を解放していった歴史の積み重ねです。つまり、それまで日本の家庭でも国家でもない中くらいの存在、中間共同体として機能していたムラ社会は、個人の自由を抑圧するデメリットのほうが生活支援のメリットよりも大きいとされ、否定された。そして都市化する日本社会における中間共同体として機能したのが、日本的かつ戦後的な企業社会ですね。終身雇用と年功序列で生活を保障し、社会保険も担い、社宅も与え、都市の消費生活の範疇でムラ社会を代替する役割を果たした。」
・西千葉「あみっぴぃ」地域コミュニティ
 

Ⅱ 「戦後以降」を考える

1.情報社会の現在地まで

・情報社会論 フリッツ・マハループ『知識産業』ダニエル・ベル『脱工業社会の到来――社会予測の一つの試み』アルビン・トフラー『第三の波』
・72年ローマクラブ「成長の限界」→MITのコンピュータ・シミュレーション
・72年『日本列島改造論
・建築家が、社会や都市のあり方を提案するといった「深層レベル」の設計に携わることがたま必要。「メタボリズム」運動のように。
・次の数十年を支え得る社会のグランドデザイン
・「安保闘争学生運動に明け暮れた「政治の季節」としての1960年代が過ぎ去ると、マルクス主義的な革命なんかは全部無駄であって、大衆的にみんなが幸せになることこそ真の自由を実現するんだという「生活保守主義」のイデオロギーが支配的になった。80年代は「虚構の時代」とくくられるわけですが、実際にはその裏側に、まさに「おいしい生活」と呼ぶべき状況があって、イデオロギー闘争の意味はもはやない、誰もが豊かになっていくんだという空気が流れていた。」
・2006年梅田望夫ウェブ進化論』→「総表現社会」匿名ではなく顕名
・技術決定論は間違い。社会のあり方こそが技術の使われ方を決定する。
・梅田←→ひろゆき 2009年梅田「日本のウェブは残念」
・外部要因で変わっても真の変化にならない。日本人の内発性で変わることが必要。
・日本の近代化の問題を反復。夏目漱石現代日本の開花』「西洋の近代化は「内発的」だけど日本はそれをかたちだけ真似た「外発的」なものでしかなくて、だからダメなんだ」
・「コンピューター(計算機)」もともと軍事的理由から発達。弾道計算、暗号解読、インターネットも。
・しかし一方で、アメリカにおける情報技術的なものは、1960年代のベトナム反戦運動やヒッピー文化といった西海岸の反政府的運動と結びついていきます。いわゆるハッカー文化。国家による戦争に寄与させられているコンピュータを、個人が自由に使える「パーソナル・コンピュータ」として奪還していく。
アメリカ=民主主義の絶対化。建国の精神。
・96年ジョン・ペリー・バーロウサイバースペース独立宣言」。通信品位法という通信の監視を強める法律に反対。アメリカ独立宣言へのオマージュ。
・「情報社会論」日本は先行 梅棹忠夫 元官僚増田米二 「開発主義」
村井純 情報工学者「日本のインターネットの父」95年『インターネット』ノンポリ、素朴なまったり系
・インターネット前夜 ニフティ等のパソコン通信
ワイアード系=ニューアカ、フランス現代思想に対するアンチテーゼ的役割 資本主義肯定、リアリズム
シリコンバレーの「フロンティア精神」金が回るエコシステム
Bio_100% フリーゲーム →ドワンゴ 着メロ
・「日本というのは、近代化に急いでキャッチアップした過程で、個々人が「反省」するのではなくて、互いの空気を読んで素早く「反射」する能力だけが異常に発達してしまった。『孤独な群衆』を書いた社会学者デイヴィッド・リースマンの言葉を使えば、「内面志向型」ではなくて「他者志向型」の人間ばかりなのが日本社会です。でも、むしろ日本はそれだからこそ高度成長に成功したとも言える。本来であれば個々人が相互に自律的に判断する能力を持って「契約」を結ぶのが欧米的な近代的個人なんだけれども、日本はそのかわりに「空気を読む」ことで社会を発達させてきた。とくに戦後はテレビのおかげで、日本社会全体の空気を読むということがすごく容易になってしまったわけです。」
・「空位玉座を守る」ことが「虚構の時代」の精神
AKB48=テレビとネットの間
・リチャード・フロリダ、ダニエル・ピンク「クリエイティブ・エコノミー」センスとブランド価値
初音ミク
 

2.日本的なものの再定義

・2004年三浦展ファスト風土化する日本』
滝本竜彦「引きこもり」をテーマにした小説家『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ
木多康昭『幕張』
・周囲の人間をキャラクター化してなじませることにより、郊外という何もない場所を豊かな場所に変換してしまう。都市ではなく郊外の文化の本質というのはまさにここにあって、フラットな空間にデータベースを大量に流し込むことによって偽史的な想像力を駆動させることが重要な方法になってくる。歴史性からも地理性からも切り離された無場所的な空間≒郊外≒ネットでこそ、それができやすいという図式
・濱野「僕自身も、18歳になるまでいわゆる「ニュータウン」と呼ばれる場所にしか住んだことがなかったので、完全に郊外育ちの人間です。」
・郊外のような、何もない場所にどうやってもう一度濃いコミュニティを立ち上げるか
藤村龍至『地域社会圏モデル』『ローマ2.0』核は「祭り」せいぜい直径5kmの円の範囲
・『School Daysnice boat騒動 マクルーハン『グローバルヴィレッジ』
・かつてのマルクス主義左翼のように、社会をまるごと設計して書き直そうとしても当然無理なわけです。それは「内発的」じゃないから――ハイエクの言葉を使えば「自生的秩序」ではないから――、絶対うまくいかない。ハイエクもさんざん批判したように、設計主義はうまくいかない。社会システムは、複雑多数のシステムが絡み合ってなぜだかうまく回っているもの――ルーマン風に言えば「ありそうもない」こと
・日本の一番の強みはサブカルチャー、オタクカルチャー。「ガンダム」から「AKB48」まで。
中沢新一「工芸」「民芸」に通じる
 

Ⅲ 「希望」を考える

1.希望と社会・政治・運動

大澤真幸アキハバラ発』「彼(加藤智大)は家族共同体から疎外され、企業共同体からも疎外され日雇い派遣の世界で生きていた。それが最後には居場所としていたインターネットからも疎外された」
・「「彼女がいない、その時点で人生終了」という彼の残したインターネットへの書き込みは、あまりにも恋愛至上主義的にすぎますね。彼を過剰な恋愛至上主義に追い詰めていったのは、恋愛以外の承認の回路が乏しかったからなのは、たぶん間違いない。
・しかし加藤の孤独に対して「いい家族をつくるのが大事だ」という心温まるお説教や、「やはり戦後的、家族的な会社共同体を社会レベルで復活させよう」という無理のあるシナリオは処方箋にならない。はっきり言ってしまえば「不幸な家族に生まれた」人間がほかに居場所を見つけることができるのが「いい社会」です。
承認欲求の問題
・アイドルの自己肯定感の問題
・「草食」人生も「肉食」人生も両方許容する社会
ドゥルーズ、「個人」ではなく分割可能な「分人」
ポストモダンな社会でも回る制度なりアーキテクチャを考えるべき
・コミュニティを選択する、どんどん移っていく能力
・日本の学校教育はひたすら「与えられた箱」の「空気を読む」訓練ばかりさせますが、ほんとうに必要なのは「自分に合った箱を探す」訓練と、「選んだ箱に対する距離を計る」訓練じゃないか。
★趣味の仲間を見つける訓練
・日本国民のメンタリティというか、承認欲求システムというのを、自己決定型に移行させること。
・「繋がりの社会性」しかない日本的コミュニケーション
・宇野、小泉+堀江的なものの継承
・宇野、宮崎哲弥浅羽通明リスペクト
・リーダー論、君主論を語るより、新しい議会政治システム、選挙システムの設計を考えた方がいい
・極論すると、僕はこれから日本人の生活のセーフティネットになり、心のよりどころになる共同体は、インターネット上の趣味の共同体をベースに考えてもいいとすら思っている。「ガンダムファンクラブ」とか、「浦和レッズ応援団」とか、そういうものでかまわない。それも、複数所属しているほうが望ましい。
・インターネットが近代的な「個」の成立を決定的に支援する、なんて物語はいわば西海岸的なサブカルチャーにすぎず、その本質はむしろ日本的「繋がりの社会性」にある。要はネットの本質は「炎上」「祭り」にこそある。
・ミハイ・チクセントミハイ「フロー体験」人間はある種の動物的な本能として、「学習」に快感を感じる
 

2.政治と文学の再設定

・母性のディストピア=基本モチーフは新しい政治性を「母権」をキーワードにイメージ化すること。近代的な国民国家は男性の疑似人格。つまり「父」に比喩できるものでした。それに対して現代の貨幣と情報のネットワークに女性の疑似人格、つまり「母」を当てはめて考えてみた。
リチャード・テイラー&キャス・サンスティーン『実践行動経済学』「リバタリアンパターナリズム」「ナッジ」
・現実はそんなに酷くない
 
おわりに
・濱野「昼の世界/夜の世界」東・北田『思想地図』
 
9/7読了
要約:震災後の日本はどうなるか。どこに希望を見出すか。日本のガラパゴスポストモダン状況は変えられないから、ポストモダンのまま生きやすい社会を作るしかない。ネットでゆるく繋がり、適当な祭りで満足する。初音ミクニコニコ動画AKB48などがヒントになる。
感想:「駄目なポストモダン」の典型のような議論だと感じる。結局10年代版「終わりなき日常を生きろ」のよう。ニコ動とAKB48で気を紛らわせろみたいな。宮台ですら人が生きるには超越性も必要と議論を修正してるのに。
日本の格差、貧困の現状認識も甘すぎると感じる。
結局この後宇野氏は渋谷再開発、幻冬舎系、newspicks系のネオリベ路線に突き進んでしまった。

【読書メモ】中村淳彦『東京貧困女子。―彼女たちはなぜ躓いたのか』(東洋経済新報社 2019年)

2019年4月出版
まえがき
第1章 人生にピリオドを打ちたい
第2章 母親には一生会いたくない
第3章 明日、一緒に死のう。死ねるから……
第4章 あと1年半しか仕事ができない
第5章 45歳、仕事に応募する資格すらありません
第6章 子どもの未来が消えていく
終 章 絶望の淵
 
まえがき
第1章 人生にピリオドを打ちたい
・2006-07年あたりから
・AV女優でも出演料が安すぎて生活できない 生活できるのは上位の一部
・東京の高額な家賃
パパ活は自由恋愛なので違法ではない
・お金と短時間、大学との両立「いくら悩んでも選択肢は風俗しかない」
・水商売=お酒が飲めることとコミュニケーション能力が必要
・部活にお金がかかる
パパ活ハッシュタグでツイート
・どうせ長くない命と投げやりになれば、負債が300万円でも1000万円でもあまり変わらない
 
第2章 母親には一生会いたくない
・風俗嬢=客から必要とされて承認欲求が満たされる部分もある
・月額40-70万稼げて、欲しい物も買い戻れなくなった
・大学の学費と有利子貸与型奨学金が諸悪の根源
・1969年国立大学費年間1万2000円→2019年53万5800円 44倍
・「風俗や水商売に足を踏み入れる年齢は22歳が一番多いと言われている。この現状を見ると、奨学金の影響が大きいと思わずにはいられない。」
・女子大生は風俗へ、男子学生はホストやキャッチ、スカウト、詐欺手伝いなどへ
・東京ひとり暮らし、最低でも手取り20万必要 
・鬱と過食嘔吐心療内科
・ストロングチューハイとアルコール依存
苦学生の範囲を超えている
・かなり重い統合失調症
・副作用の強い薬で頻繁に記憶がなくなる 衝動的に首をつる
統合失調症→陽性症状と陰性症状
・牛丼チェーン、非正規の使い捨て
うつ病などの精神疾患患者の激増
 
第3章 明日、一緒に死のう。死ねるから……
・データに現れない十人十色の貧困
・店舗型→デリヘル 集客がさらに減る
あきらめるとは自分自身の将来や未来になにも期待しないこと。なにも期待しなければ、不安も薄くなる。貧困に飼いならされる、という哀しい自己防衛だ
・介護職の賃金は63業種の中で圧倒的な最下位。
・無料定額宿泊所の生活保護搾取
 
第4章 あと1年半しか仕事ができない
橋本健二『新・日本の階級社会』
可処分所得の中央値=244万 その半分以下の人が相対的貧困 自分は177万6000円
・「結婚すれば生活が変わるみたいなことはよく言われていますが、非正規で低収入な自分にまったく自信ないし、誰かが見初めてくれるとはとても思えない。やっぱり結婚とか出産は、普通以上の収入がある人の特権というか、自分にかかわることとはとても思えないです。」
 
第5章 45歳、仕事に応募する資格すらありません
生活保護、差額をもらえる
・養育費未払い率8割→罰則がない
・2018年3組に1組は離婚
精神疾患のほとんどは実は経済的な問題が原因
うつ病99年44万人→14年111万倍増
鈴木大介貧困に陥る原因「3つの無縁」「家族の無縁、地域の無縁、制度の無縁」
・昔は介護は公務員がやっていた
介護施設の閉鎖性
 
第6章 子どもの未来が消えていく
終 章 絶望の淵
向精神薬の副作用問題
 
あとがきーでも生きていきます
東洋経済 高部知子
8/31読了
 
概要:東京近郊在住貧困女性のインタビュー、ルポ。家庭環境、離婚、虐待。貧困の遺伝。地方は仕事がない、都市は家賃が高い。高すぎる学費、きつい出席と課題。時間がない。女性は水商売と風俗に流れる→病むの悪循環。シングルマザー、ダブルワーク、長時間労働、セクハラ、パワハラ。鬱、徹底的な個人と家族の孤立。
感想:週刊誌の連載をまとめたもので、最低限の背景の説明はあるが、社会学的、歴史的考察はほとんどない。話半分だとしても酷い現状。政治による解決が待たれるが、日本人が自己責任でどんどん他人に厳しくなっているので先行きの見通しは更に暗くなる。