マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

宇野常寛 x 濱野智史『希望論 2010年代の文化と社会』 (NHKブックス)

希望論 2010年代の文化と社会 (NHKブックス)

希望論 2010年代の文化と社会 (NHKブックス)

2012年1月出版
目次

 

Ⅰ 「震災」から考える

1.フクシマ”を受け止めるための想像力

見田宗介 理想(夢)の時代/虚構の時代
・戦後、その時代において何が「現実」の反対語としてイメージされているか
・45-70理想(夢)の時代 アメリカ並の豊かさという高度成長もソ連にならった共産主義革命も理想
・80-95虚構の時代 「新人類」や「オタク」に代表される記号消費
・95- 東「動物の時代」大澤「不可能性の時代」
・かつての国民国家マルクス主義=規律を与えてくれる<父>
・今はグローバル資本と情報ネットワークの方が上位 →<父>の機能が低下
・「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」村上春樹によるポストモダン化の比喩
オーウェルが批判したような国家=疑似人格的な権力観はすでに過去のもので、現代は非人格的なシステムの自己増殖(=リトル・ピープル)こそが不可視の権力を生んでいる。 
・グローバリゼーション下の権力の掴みづらさ
・村上 エルサレム賞 壁(システム)と卵(人間)→そんな単純に切り分けられない時代
・宮台「終わりなき日常」当時の消費社会を説明するキーワード。ポストモダン状況における「政治と文学」の断絶を意味する。自分の人生は歴史に意味づけられているという実感が得られず、小規模な人間関係の自意識の問題だけが残された状況
・「革命を喪った僕たちはどうやって自分の人生を意味づけていいのか分からない」というポストモダンアイデンティティ不安の問題。
・自分の自意識の問題が解決されれば世界の謎が解ける、というセカイ系的意識
・「終わりなき日常」とは、政治と文学、壁と卵、世界と人間を繋ぐ回路の問題で、人々が「自分は世界と繋がっている」と感じる方法が変化しつつあるときに生じる不全感のこと。
・オウム以前まで「ハルマゲドン」は明らかに現実に希望を持てない人々にとって、ある種の希望だった。
・「虚構の時代」の精神=自意識を操作し世界の見方を変える思想。「革命」で世界を変えるのではなくドラッグやアニメ、オカルトなどを注入することで自意識を操作すると世界が変わったように見える。
・大澤「不可能性の時代」=「現実」から逃避することが不可能と思える時代→テロリズムリストカット
 

2.復興への希望はどこにあるか

・「震災」→既存の問題を露呈させた=商店街のシャッター通り
高原基彰現代日本の転機 「自由」と「安定」のジレンマ』 =自由と安定の両立の難しさ、平和すぎるとつまらないという問題
・新しい幻想としての「希望」が必要 ビジョンが何もない
・もはやどこにも「希望」のリソースがない日本社会の現状認識
・東日本復興計画=これからの地域コミュニティをどう設計するか
・「そもそも。この10年の論壇は猫も杓子も中間共同体の不在を嘆く議論ばかりだった。それはその通りで、単純に考えて日本の近代化は村落から都市へ、産業構造の変化を背景に人口を移動し、その封建的なムラ社会から人々を解放していった歴史の積み重ねです。つまり、それまで日本の家庭でも国家でもない中くらいの存在、中間共同体として機能していたムラ社会は、個人の自由を抑圧するデメリットのほうが生活支援のメリットよりも大きいとされ、否定された。そして都市化する日本社会における中間共同体として機能したのが、日本的かつ戦後的な企業社会ですね。終身雇用と年功序列で生活を保障し、社会保険も担い、社宅も与え、都市の消費生活の範疇でムラ社会を代替する役割を果たした。」
・西千葉「あみっぴぃ」地域コミュニティ
 

Ⅱ 「戦後以降」を考える

1.情報社会の現在地まで

・情報社会論 フリッツ・マハループ『知識産業』ダニエル・ベル『脱工業社会の到来――社会予測の一つの試み』アルビン・トフラー『第三の波』
・72年ローマクラブ「成長の限界」→MITのコンピュータ・シミュレーション
・72年『日本列島改造論
・建築家が、社会や都市のあり方を提案するといった「深層レベル」の設計に携わることがたま必要。「メタボリズム」運動のように。
・次の数十年を支え得る社会のグランドデザイン
・「安保闘争学生運動に明け暮れた「政治の季節」としての1960年代が過ぎ去ると、マルクス主義的な革命なんかは全部無駄であって、大衆的にみんなが幸せになることこそ真の自由を実現するんだという「生活保守主義」のイデオロギーが支配的になった。80年代は「虚構の時代」とくくられるわけですが、実際にはその裏側に、まさに「おいしい生活」と呼ぶべき状況があって、イデオロギー闘争の意味はもはやない、誰もが豊かになっていくんだという空気が流れていた。」
・2006年梅田望夫ウェブ進化論』→「総表現社会」匿名ではなく顕名
・技術決定論は間違い。社会のあり方こそが技術の使われ方を決定する。
・梅田←→ひろゆき 2009年梅田「日本のウェブは残念」
・外部要因で変わっても真の変化にならない。日本人の内発性で変わることが必要。
・日本の近代化の問題を反復。夏目漱石現代日本の開花』「西洋の近代化は「内発的」だけど日本はそれをかたちだけ真似た「外発的」なものでしかなくて、だからダメなんだ」
・「コンピューター(計算機)」もともと軍事的理由から発達。弾道計算、暗号解読、インターネットも。
・しかし一方で、アメリカにおける情報技術的なものは、1960年代のベトナム反戦運動やヒッピー文化といった西海岸の反政府的運動と結びついていきます。いわゆるハッカー文化。国家による戦争に寄与させられているコンピュータを、個人が自由に使える「パーソナル・コンピュータ」として奪還していく。
アメリカ=民主主義の絶対化。建国の精神。
・96年ジョン・ペリー・バーロウサイバースペース独立宣言」。通信品位法という通信の監視を強める法律に反対。アメリカ独立宣言へのオマージュ。
・「情報社会論」日本は先行 梅棹忠夫 元官僚増田米二 「開発主義」
村井純 情報工学者「日本のインターネットの父」95年『インターネット』ノンポリ、素朴なまったり系
・インターネット前夜 ニフティ等のパソコン通信
ワイアード系=ニューアカ、フランス現代思想に対するアンチテーゼ的役割 資本主義肯定、リアリズム
シリコンバレーの「フロンティア精神」金が回るエコシステム
Bio_100% フリーゲーム →ドワンゴ 着メロ
・「日本というのは、近代化に急いでキャッチアップした過程で、個々人が「反省」するのではなくて、互いの空気を読んで素早く「反射」する能力だけが異常に発達してしまった。『孤独な群衆』を書いた社会学者デイヴィッド・リースマンの言葉を使えば、「内面志向型」ではなくて「他者志向型」の人間ばかりなのが日本社会です。でも、むしろ日本はそれだからこそ高度成長に成功したとも言える。本来であれば個々人が相互に自律的に判断する能力を持って「契約」を結ぶのが欧米的な近代的個人なんだけれども、日本はそのかわりに「空気を読む」ことで社会を発達させてきた。とくに戦後はテレビのおかげで、日本社会全体の空気を読むということがすごく容易になってしまったわけです。」
・「空位玉座を守る」ことが「虚構の時代」の精神
AKB48=テレビとネットの間
・リチャード・フロリダ、ダニエル・ピンク「クリエイティブ・エコノミー」センスとブランド価値
初音ミク
 

2.日本的なものの再定義

・2004年三浦展ファスト風土化する日本』
滝本竜彦「引きこもり」をテーマにした小説家『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ
木多康昭『幕張』
・周囲の人間をキャラクター化してなじませることにより、郊外という何もない場所を豊かな場所に変換してしまう。都市ではなく郊外の文化の本質というのはまさにここにあって、フラットな空間にデータベースを大量に流し込むことによって偽史的な想像力を駆動させることが重要な方法になってくる。歴史性からも地理性からも切り離された無場所的な空間≒郊外≒ネットでこそ、それができやすいという図式
・濱野「僕自身も、18歳になるまでいわゆる「ニュータウン」と呼ばれる場所にしか住んだことがなかったので、完全に郊外育ちの人間です。」
・郊外のような、何もない場所にどうやってもう一度濃いコミュニティを立ち上げるか
藤村龍至『地域社会圏モデル』『ローマ2.0』核は「祭り」せいぜい直径5kmの円の範囲
・『School Daysnice boat騒動 マクルーハン『グローバルヴィレッジ』
・かつてのマルクス主義左翼のように、社会をまるごと設計して書き直そうとしても当然無理なわけです。それは「内発的」じゃないから――ハイエクの言葉を使えば「自生的秩序」ではないから――、絶対うまくいかない。ハイエクもさんざん批判したように、設計主義はうまくいかない。社会システムは、複雑多数のシステムが絡み合ってなぜだかうまく回っているもの――ルーマン風に言えば「ありそうもない」こと
・日本の一番の強みはサブカルチャー、オタクカルチャー。「ガンダム」から「AKB48」まで。
中沢新一「工芸」「民芸」に通じる
 

Ⅲ 「希望」を考える

1.希望と社会・政治・運動

大澤真幸アキハバラ発』「彼(加藤智大)は家族共同体から疎外され、企業共同体からも疎外され日雇い派遣の世界で生きていた。それが最後には居場所としていたインターネットからも疎外された」
・「「彼女がいない、その時点で人生終了」という彼の残したインターネットへの書き込みは、あまりにも恋愛至上主義的にすぎますね。彼を過剰な恋愛至上主義に追い詰めていったのは、恋愛以外の承認の回路が乏しかったからなのは、たぶん間違いない。
・しかし加藤の孤独に対して「いい家族をつくるのが大事だ」という心温まるお説教や、「やはり戦後的、家族的な会社共同体を社会レベルで復活させよう」という無理のあるシナリオは処方箋にならない。はっきり言ってしまえば「不幸な家族に生まれた」人間がほかに居場所を見つけることができるのが「いい社会」です。
承認欲求の問題
・アイドルの自己肯定感の問題
・「草食」人生も「肉食」人生も両方許容する社会
ドゥルーズ、「個人」ではなく分割可能な「分人」
ポストモダンな社会でも回る制度なりアーキテクチャを考えるべき
・コミュニティを選択する、どんどん移っていく能力
・日本の学校教育はひたすら「与えられた箱」の「空気を読む」訓練ばかりさせますが、ほんとうに必要なのは「自分に合った箱を探す」訓練と、「選んだ箱に対する距離を計る」訓練じゃないか。
★趣味の仲間を見つける訓練
・日本国民のメンタリティというか、承認欲求システムというのを、自己決定型に移行させること。
・「繋がりの社会性」しかない日本的コミュニケーション
・宇野、小泉+堀江的なものの継承
・宇野、宮崎哲弥浅羽通明リスペクト
・リーダー論、君主論を語るより、新しい議会政治システム、選挙システムの設計を考えた方がいい
・極論すると、僕はこれから日本人の生活のセーフティネットになり、心のよりどころになる共同体は、インターネット上の趣味の共同体をベースに考えてもいいとすら思っている。「ガンダムファンクラブ」とか、「浦和レッズ応援団」とか、そういうものでかまわない。それも、複数所属しているほうが望ましい。
・インターネットが近代的な「個」の成立を決定的に支援する、なんて物語はいわば西海岸的なサブカルチャーにすぎず、その本質はむしろ日本的「繋がりの社会性」にある。要はネットの本質は「炎上」「祭り」にこそある。
・ミハイ・チクセントミハイ「フロー体験」人間はある種の動物的な本能として、「学習」に快感を感じる
 

2.政治と文学の再設定

・母性のディストピア=基本モチーフは新しい政治性を「母権」をキーワードにイメージ化すること。近代的な国民国家は男性の疑似人格。つまり「父」に比喩できるものでした。それに対して現代の貨幣と情報のネットワークに女性の疑似人格、つまり「母」を当てはめて考えてみた。
リチャード・テイラー&キャス・サンスティーン『実践行動経済学』「リバタリアンパターナリズム」「ナッジ」
・現実はそんなに酷くない
 
おわりに
・濱野「昼の世界/夜の世界」東・北田『思想地図』
 
9/7読了
要約:震災後の日本はどうなるか。どこに希望を見出すか。日本のガラパゴスポストモダン状況は変えられないから、ポストモダンのまま生きやすい社会を作るしかない。ネットでゆるく繋がり、適当な祭りで満足する。初音ミクニコニコ動画AKB48などがヒントになる。
感想:「駄目なポストモダン」の典型のような議論だと感じる。結局10年代版「終わりなき日常を生きろ」のよう。ニコ動とAKB48で気を紛らわせろみたいな。宮台ですら人が生きるには超越性も必要と議論を修正してるのに。
日本の格差、貧困の現状認識も甘すぎると感じる。
結局この後宇野氏は渋谷再開発、幻冬舎系、newspicks系のネオリベ路線に突き進んでしまった。