目次
第1章 この男、“国際テロリスト”につき
ウィーン国際映画祭へ招待されて
『天使の恍惚』
・1971年(昭和46年)12月24日 新宿クリスマスツリー爆弾事件
・『天使の恍惚』1972年3月11日公開 直前にあさま山荘事件、山岳ベース事件発覚
第2章 癒しのパレスチナ
『赤軍ーPFLP・世界戦争宣言』
PFLP
・1970年頃の主な出来事
1967年
6月 第3次中東戦争。イスラエルは東エルサレムとヨルダン川西岸のヨルダン領などを占領し支配下に
10月 佐藤首相のベトナム訪問に反対する京大生が羽田で死亡
1968年
1月 ベトナム戦争で解放戦線がテト(正月)攻勢。アメリカ大使館占拠
4月 アメリカで黒人運動指導者キング牧師暗殺。全米各地で暴動勃発
5月 パリで学生らによる五月革命
6月 日大、東大ストライキ突入
アメリカで大統領候補ロバート・ケネディが遊説中に暗殺
7月 PFLPによる初めてのハイジャック(イスラエル航空に対して)
10月 10・21新宿騒乱事件
1969年
1月 東大安田講堂封鎖解除
4月 国際反戦デーに破防法適用
9月 全国全共闘結成
11月 ベトナムで米兵によるソンミ村虐殺発覚。反戦運動全米各地へ
1970年
3月 よど号ハイジャック事件
4月 アメリカ軍カンボジアへ侵攻
9月 ヨルダン内戦(黒い九月事件)
11月 作家の三島由紀夫が自衛隊の決起を訴え防衛庁で割腹自殺
・「新宿のカプリコンっていう店に、髪の長いコがよくカンパを集めに来てるでしょう。重信房子っていう明大の女のコなんだけど、彼女が今アラブに行ってる。取材ができる」
・1971年カンヌ映画祭 監督週間『性賊 セックスジャック』『犯された白衣』大島渚『儀式』『東京戦争戦後秘話』
・カンヌ→パリ→ベイルート 重信・奥平剛士 ハイジャックの女王ライラ・カリド
パレスチナ参り
日本赤軍のアジト
・76年『愛のコリーダ』パリ試写会 → シリア ベカー高原 足立、重信、和光と再会 坂東国男 覆面
・無線機150台
・イスラエル 第二次世界大戦後、欧米諸国とユダヤ人がパレスチナにつくった人為的な国家。イスラエルは中東におけるアメリカ最大の経済・軍事援助国だ。
歴史的にキリスト教社会から差別と迫害を受けたヨーロッパのユダヤ人(=ユダヤ教徒)は、19世紀後半、旧約聖書の記述を根拠に自らの領土を中東パレスチナに求める運動(シオニズム)を起こした。第一次世界大戦中の1917年、イギリスはユダヤ財閥の資金協力を得るために、パレスチナにユダヤ国家の樹立を認める書簡をR・ロスチャイルドとの間に交わす(バルフォア宣言)。大戦後、イギリスの委任統治下でヨーロッパからユダヤ人の移住が始まるが、古くからパレスチナに住むアラブ人(=パレスチナ人)と衝突が続発。第一次世界大戦中、イギリスはアラブ社会を懐柔するために、中東地域でアラブ人が独立することも承認していた(フセイン・マクマフォン書簡)。
第二次世界大戦後、1947年、国連はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する決議を採択。翌48年5月、建国宣言にともなうアラブ諸国との戦争(第一次中東戦争)で、イスラエルはパレスチナの77パーセントを占領した(国連決議が認めた分割領土は56パーセント)。
その後、67年にはエジプトを奇襲(第三次中東戦争)。パレスチナ全域とシナイ半島を支配下に置く。イスラエルは占領地からの撤退を求める国連安保理決議(242号)を無視し、占領地区に入植地を次々に建設、国内外のユダヤ教徒を移住させた。
93年、オスロ合意に基づき、ガザとヨルダン川西岸地区でパレスチナ人による暫定自治、イスラエル軍撤退のなど協定が結ばれる。だが、協定を結んだイスラエルのラビン首相が暗殺され、翌年協定に批判的な右派政党が政権をとり和平への動きは止まった。2000年、当時の野党第一党リクードの党首、対パレスチナ最強硬派のシャロン現首相が、エルサレム旧市街のイスラム教聖地"神殿の丘"へ強行侵入したのに対し、パレスチナ側は激しく抗議。自爆テロによるパレスチナ側の抵抗運動(第二次インティファーダ)が始まった。これに対し、イスラエルはパレスチナ暫定自治区を軍事制圧。アラファト自治政府議長を軟禁状態に置いた。また、入植地を保護し自爆テ口を防ぐためとして、国連の非難決議、国際司法裁判所の違法判決にもかかわらず、イスラエル本土や占領地域の入植地からパレスチナ人を排除、分離する高さ8メートル、延長760キロに及ぶ巨大な隔離壁を建設中だ。
・ドバイ たまたま友達からもらったマリファナを持っていたんで、本当に寂しくなると、ときどきそれを吸っていた。すると、不思議なことに、言葉が喋れるようになるんですよ(笑)。
悪夢の一週間
・『塀の中の懲りない面々』 城崎勉 安部譲二と刑務所仲間
友達が悪い
・早瀬優香子『永遠のサバンナ』
お風呂に入れてやりたい
第3章 誰でも映画監督になれる
ピンクからメジャーへ
映画ってなんでもありだ
・89『キスより簡単』90『われに撃つ用意あり』原田芳雄
「ロケ弁のほうが美味いなァ!」
・92『寝盗られ宗介』『エロティックな関係』
この映画から降りてくれ
映画からテレビへ
人との出会いが映画を作る
・95『Endless Waltz エンドレス・ワルツ』町田町蔵
”コートいちばん”でいってみようか
監督不在のロケ
私のオッパイを見て
長回しは役者を伸ばす
若松流映画監督入門
映画監督は大工の棟梁
・まあ、それと、努力だけじゃなくて、運とか、チャンスとかもあるよ。チャンスというのは、俺に言わせれば、人との出会いだね。人に会えば、必ず得るものがある。その人から得たものは、どんどん頭の中に貯めて、ひたすら背負っていくんです。どんなにたくさん背負ったところで、脳の中なんだから、重くないでしょう(笑)。だから、得たものは、なんでもいいから一生懸命背負っておけって言ってるんです。将来、それを必ず使うときがくるから、と。俺が一番言いたいことは、そのことだね。
・どうしても表現したいもの 若松の場合は「怒り」
リドリー・スコットでいこう
第4章 風景の中の少年
新作に託す熱き思い
風景と会話する少年
・阿部和重『ニッポニアニッポン』(2001)
・人間が生きるっていうことは、食べられるっていうことに尽きる。それを知ることが大切なんだよね。この飽食の時代には、そのことがわかりにくくなってる。だから、この映画は、そのことを言いたいだけの話なんですよ。
・99『山の郵便配達』
あさま山荘の氷柱
映画監督に時効はない
・「監督は、必ず己の映画を撮りなさい。自分の思いの映画を撮らないかぎりは、すぐ飽きられるし、いい作品にはならないと思う。自分がその映画を本当に面白く思えば、人も面白いと思ってくれる。そういう自信を持って、撮ったほうがいい。手を切れば、赤い血が出るのは、みんな同じだから。自分が面白いと思うものをきちんと撮れば、まあ、全員とまではいかなくても、せめて30、40パーセントの人は共鳴してくれるんじゃないですか」
自分が「これ、くだらない」とどこかで思っていれば、人が見ても必ず「くだらない」と思うんですよ。「自分ではくだらないと思うけど、お客さんはひょっとしたら、喜んでくれるかもしれない」なんていう考えは、お客さん対して失礼千万です。映画監督には時効や執行猶予はないんです。監督は自分の作品にいつも責任をとらなきゃいけない。