マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】2023年に読んで面白かった本ランキング

1位 エドワード・バーネイズ著、中田安彦訳『プロパガンダ[新版]』(成甲書房  2010年)

「広報の父」と称されるエドワード・バーネイズが自らプロパガンダの意義と手法を解説した本。完全なエリート主義で、馬鹿な大衆は適切なプロパガンダによって馴致されることが社会を運営するうえで必須という立場。中田安彦さんの解説が丁寧で、自分たちがいかに騙されているかを知れて大変ためになった。

2位 ジグムント・バウマン著、森田典正訳『リキッド・モダニティ――液状化する社会』(大月書店 2001年)

今も続く、ネオリベ社会というものがよく分かる。徹底的に公共、社会、共同体を破壊し、個人をひたすら弱く、不安定にする。
20年以上前の本だが、いまに続くことはここに全て書かれており、それがさらに悪化して、全員が心を病んでいるのがいまだと思う。

3位 ミシェル・ウエルベック著、中村佳子訳『闘争領域の拡大』(角川書店 2004年)

『リキッド・モダニティ』で描かれた、不安定で個人化した社会を描いた象徴的な小説だと感じた。
勝ち組、負け組に分かれ、負け組はパートナーも得られない。
少し前に話題となっていた「インセル問題」を扱った小説の草分けでもあると感じる。

4位 ジャン=ポール・サルトル著、伊吹武彦・海老坂武・石崎晴己訳『実存主義とは何か 増補新装版』(人文書院 1996年)

実存主義とは行動主義。現在の状況を、愚痴をこぼさず、言い訳せず引き受ける(アンガージュ)こと。
構造主義や社会的要因は当然ある。そのルサンチマンに安住せず、不幸や不運を引き受けた上でどう行動するか。
一方で諦念(どうせ人は死ぬし、世界は変わり続ける)でもあり、一方で勇気の思想だとも感じた。

5位 浅田彰『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』(ちくま文庫 1986年)

これはある種時代を作った本だと思う。日本の80年代の底抜けに明るい、爛熟した消費社会、ハイセンスなカルチャーを肯定した本。
セゾン文化やYMO糸井重里や俺達ひょうきん族など。
パラノイア(偏執症)的ではなく、スキゾフレニア(分裂症)的に生きること。
最初のゲイカルチャーについての文章が白眉。
この思想が悪用(誤用)されて、この後に続くネオリベ社会を招き入れてしまったことは残念だけど、
日本が一瞬だけ世界で一番豊かだった、奇跡の時代を作った大事な思想だと思った。

その他

ルリッヒ・ベック&エリーザベト・ベック=ゲルンスハイム『個人化の社会学』(ミネルヴァ書房 2022年)、佐野亨『ディープヨコハマをあるく』(辰巳出版 2022年)、酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社文庫 2006年)、内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書 2002年)なども面白かった。
2023年は本当に調子が悪かった。コロナ後遺症のブレインフォグの影響なのか、老いなのか、アルコールなのか、鬱気味だからか、後半は本を読むスピードがとても遅くなってしまった。

【イベントメモ】神保哲生、宮台真司「年末恒例マル激ライブ2023」@きゅりあん品川区立総合区民会館大ホール

・なぜADHDが正しいのか。『普通という異常 健常発達という病』
・酒、タバコ 途上国 いつ死んでもおかしくない 死が身近だから今を楽しく生きる ↔ ポートフォリオ(株、投資信託など)、貯蓄 
・学問を地域に還元すること 子ども大学
・吉田民人 理論社会学 メモを見ない
・マスコミ報道 検察の掌の上で踊らされているだけ
田中角栄ミッテラン死刑廃止ヴァイツゼッカーのスピーチ力 ↔ 安倍、菅、岸田の原稿読み
・デュルケム なぜ犯罪や戦争のような逸脱があるのかではなく、逆になぜ秩序があるのか → ホッブズ
ホッブズ 経済取引をするために暴力を預ける
田中角栄 500万円ずつ 頭を下げて渡す 「不快だろうが、どうかもらってくれ」
・パーティー券問題 贈収賄に近い ゾンビ企業の延命 産業構造改革が出来ない
・我々は政治家は選べるが、官僚は選べない ウェーバー 政治家と官僚の最終戦
・旧内務省支配→検察支配
・雇用の流動性 少しでも賃金の高いところに転職する
swatch ルイ・ヴィトン 中小工房の生き残り策
・ホームベースを作ること バトルフィールドに出撃し、帰還する場所 感情的安全を回復する場所
アングロサクソン 絶対核家族主義
・日本 世界で最も血縁が薄い 個人化が最も進んでいる
・墓仕舞い 終活ビジネス タワマンで孤独死
・自然信仰も宗教も弱い 共同体、コミュニティも崩壊 だからみんな弱い
・80年代 新住民化 安全・安心・便利・快適 公園の禁止事項 焚き火 隣人訴訟 掟より法を重視
・そこで育った「育ちの悪い子」(過保護に育てられた子)がキャラを演じて、自分の内面を隠す
・道路で遊ぶ 蝋石 ケンケンパ
・94年 渋谷・音楽・世紀末 クラブ=ディスコのアンチテーゼ チルする場所 まったり アジール それも96年に終わる
・楽しめる、自分をさらけし、自然に笑える場所があるかどうか
・ナンパ 目が合う 前提があれば(同じ映画の帰りなど)、話しかけないのがおかしい → 今は聖徳太子スタイル みんなスマホとにらめっこ
・96年から 他人を避ける避ける 目を合わさない ディフェンスの壁が分厚すぎ 米国三菱自動車セクハラ事件  
・損得勘定より価値観 ジャスティスとフェアネス
・友達の濃さ、人間関係の濃さ
記者クラブ(マスコミ)が官僚と一体になっている。
・人生経験、フィールドワーク
・日本の風土、大きな平野がないので、それぞれに分かれて住んでいた 多民族の侵入や大虐殺の歴史がない → 価値へのコミットがない、共同体の中の座席争い 国自体が村社会
・芥正彦、近田春夫と喧嘩 雨降って地固まる体験 パレーシアの経験 宮台真司自伝本
・リーダー=音頭を取る人 飲み会の幹事
 
◆感想:毎年恒例。
宮台さんの恒例の話だが、何度でも考える必要がある。
80年代の新住民化。安全・安心・便利・快適を得て、代わりに何を失うのか。
街が浄化されていく。
日本。そもそも血縁が薄い、地縁もどんどん薄くなる。共同体がない。
友人が少ない、内面をさらけ出せない。
価値へのコミットが薄い、宗教的力も薄い。
頼れるのは唯一お金だけ。そのお金もない。
だから日本人はみんな弱い。頼れるものがない。自己肯定感が低い。
感情的安全が保てない。
ホームベース、同志の重要性。
そこを言われると、自分のような友人の少ない、プレカリアート独身中年にはほんとうに厳しい話だが、
泣き言をいっても始まらないので、まだ諦めず、やっていきたいと思う。
冒頭のあの事件を経た影響という話で、
ますます今を楽しく生きること、自分のADHDを肯定することという話が良かった。

【講演メモ】『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』刊行記念 酒井隆史氏×森元斎氏ライブトーク

@誠品生活日本橋
 
・デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』
・ハラリ「小麦が人間を隷属させた」
・ルソー「人間不平等起源論」/ホッブズリヴァイアサン
アメリカ先住民ウェンダットの政治家カンディアロンク/貧しいフランスの貴族ラオンタン
・ラオンタン『未開人との対話』
・夏と冬で移動する 定住しない
・不平等の起源という問い自体がどこからきたか
・人に命令してそれに服従するなんてありえない
・世界史(西洋史)を読み替えていく
・マヤ、アステカ、テオティワカン
テオティワカン公営住宅
・必然的な発展段階論を否定する
・ポスト・モダニズム=目的などない は誤り。現在の新自由主義を超目的としている(支援している) シニシズムニヒリズム ポスト・モダン=資本主義リアリズム
・グレーバー 魔術についての デ・カストロとの論争 
・社会が我々を規定するのではない。我々が社会を構成するのだ。だから、社会を変えられる可能性がある。
・ロイ・バスカー 批判的実在論 実証主義と解釈主義の調停 出来事を生み出す、歴史的、構造的メカニズムを明らかにする
・グレーバーによるラッツアラート、ネグリ、ビフォ、ルヴェルといったポストオペライズムに対する批判 
 
◆感想:カンディアロンクとラオンタンの関係が面白い。
未開人を啓蒙してやろうとしたら逆に啓蒙された。
ポストモダンは純粋な新自由主義イデオロギーだという話が目から鱗
可能性はいくらでもある。
例えば、儒教由来の徳治主義孟子の四端四徳→浩然の気→大丈夫。を思い出す、取り戻していくだけでもだいぶ変わってくる。
「社会は変えられないから自分を変える」から「自分を変えて、社会を変えていく」へ。
グレーバーはこの続きを構想していたとのことで残念。
酒井さんのアントニオ・ネグリへの評価を聞けたのがよかった。

【読書メモ】綿野恵太『「逆張り」の研究』(筑摩書房 2023年)

【目次】

まえがき 逆張りくんによる「逆張り」の研究

第1章 「成功したければ逆張りをしろ」――投資家と注意経済の時代

瀧本哲史とピーター・ティー

・瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい』(2012年)
・『新世代が解く!ニッポンのジレンマ』(NHK Eテレ 2012年1月1日~2019年3月31日) 1970年以降に生まれた新世代の論客

注意経済(アテンション・エコノミー

・アクセス数、再生数稼ぎ。感情に訴えかける。

炎上狙いの逆張り

・「信者」=「カモ」を効率的に見つけ、オンラインサロンなど課金コンテンツへ誘導する。ガーシー、N国党。

空気=同調圧力を読んで、あえて逆張りする

山本七平『「空気」の研究』。戦艦大和の沖縄への出撃を決めた会議。

「運動」の時代と「逆張り冷笑おじさん」

・2011年3.11以降の時代の趨勢。2013特定秘密保護法、2015安保法制、2017#MeToo、2020ブラック・ライブズ・マター 「運動」の時代

第2章 「どっちもどっち」の相対主義と「この道しかない」の絶対主義――同じところで同じ情報がぐるぐる回っている

インターネットの類友たちのポピュリズム

ポピュリズムは世界を 敵/味方、善/悪という二項対立で単純化する。わかりやすい敵=悪への憎しみをかきたてる。世界をウエ/シタにわけて、「資本家」(ウエ)を敵にすれば、左翼ポピュリズムになる。世界をウチ/ソトにわけて、「外国人」(ソト)を敵とすれば、右翼ポピュリズムになる。

相対主義と絶対主義は同じコインの両面

常識というセキュリティ

「愛が大事」と「勇気づけられる」

・2013年アントニオ・ネグリ来日シンポジウム 六本木鳥居坂にある国際文化会館 三菱を率いた岩崎小弥太の邸宅を改築 ロックフェラー財団の援助で日米文化の交流拠点として建てられた 国際文化会館の会員優先の抽選制

第3章 「昨日の敵は、今日の友」――アンチと「アンチのアンチ」の戦争

アンチになると主義主張がおかしくなる

・ほとんど政治的な知識を持たない「ホビット」/自分の党派を応援するために政治的な知識を獲得する「フーリガン」/さまざまな情報に基づいて合理的な判断をおこなう「バルカン」
ポピュリズムは味方と敵を峻別し、敵への憎しみをかきたてる。「アンチ」として、敵を叩くことに夢中になる人が出てくる。より攻撃的な言動をすればするほど、「われわれ」(味方)から賞賛が得られる。部族主義的な本能を満足させられる。

敵の敵は味方」という論理

ポピュリズムは「敵」を否定することで、「われわれ」というアイデンティティを確立する。「あいつら」とのちがいを示すことで、「われわれ」を成立させる。両者は対立しながらも、互いに依存している。だから、「われわれ」と「あいつら」の共通点を指摘する批判は、この対立関係を揺るがしてしまう。せっかく結集させた「われわれ」というアイデンティティを崩壊させる。敵/味方、善/悪という二項対立の世界観そのものを批判することは、ポピュリズムにとって「敵」以上の「敵」になる。

「敵/味方」の世界観を絶対化する

ポストモダン思想が嫌われる理由?

ツイッターという類友の内輪

支配的な政治は自然の顔をしている

第4章 「ブーメランが突き刺さっている」――アンチ・リベラルの論法

常識や良識を相対化できればなんでもいい

「それってあなたの感想ですよね」「ブーメランで草」

御田寺圭氏の「かわいそうランキング」

・「学歴」差別 「若年非大卒の男性」は無職や非正規雇用も多く、収入も低い。

アンチ・リベラルはリベラルとよく似ている

「敵」の主義主張のパロディ

第5章 「他人からええように思われたいだけや」――動機を際限なく詮索するシニシズム

「社会から安心、尊敬、信頼される人間を育てる」

厨二病シニシズム

・子供っぽい純粋さをもっている。「大人はきたない」

資本主義社会の耐えがたさ

リベラルは流行しやすい

猜疑心あふれるネット迷探偵たち

物語にすることで安心する

シニシズムは利己的な動機を暴露する

・他人を道徳的に非難すると、快楽をつかさどる神経伝達物質ドーパミンが放出される。「許せない」と怒ることで、快楽に酔いしれて気持ち良くなっているのだ。実はギャンブルやドラッグでもドーパミンが分泌されるのだが、これらの依存症の原因にはドーパミンの過剰放出があるとされる。つまり、「他人を許せない」と怒るひとは、ギャンブル依存やドラッグ中毒と同じような「正義中毒」の状態だといえる

第6章 「そこまで言って委員会」――インターネット学級会とネトウヨになりかけたTくん

「どっちもどっち論」批判は正しい

リベラルという優等生

議論と決断はつねにゴタゴタする

モラルの高さのお披露目会

道徳的な非難を避ける傍観者

誠実だからこそ裏切る必要がある

優等生のえこひいきが許せないネトウヨ

優等生はえらそうなのではない、えらいのだ

福沢諭吉学問のすすめ』には「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という有名な言葉がある。しかし、この文章の続きには「人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」と書かれている。つまり、人類みな平等だが、学力で序列ができることは認めていたわけだ。

頭がよくて良心的だからこそ嫌われる

ネトウヨになりかけたTくんの思い出

本当の意味で反社会的なひと

第7章 「やっぱり東野圭吾が一番」――逆張りとしての批評

メタ視点に立つための「差異化ゲーム」

マルクス主義の重しとメタメタメタゲーム

メタゲームを止めてくれる「身体」と「エビデンス

「笑い」がリベラルに嫌われる理由

第8章 「脳をつつけば世界はガラリと変わって見える」――はるしにゃんとケミカルな唯物論

はるしにゃんと「メンヘラ」界隈

・はるしなくんとかいんくん

セロトニンとケミカルな唯物論

第9章 逆張りは多数派の敵でありつつ、友でなければならない

逆張りにも、逆張りぎらいにも「いま」しかない

「いま」自体を相対化できる別の視点を持つこと

常識をもって常識を制す

あとがき

主要参考文献

12/16読了
 
◆要約:3.11以降、「運動の時代」になり、逆張りが嫌われるようになった。友/敵をはっきりさせるポピュリズムの時代になり、そこでは誰もが陣営の一員になるので、どっちもどっちと俯瞰したことを言うとより嫌われるようになった。
◆感想:面白くなかった。
作者が何を訴えたいのか全くわからない。
現状の特にX上の言論状況を解説して、で、それでなんなんですか?という感じ。
不毛な争いをしてる両陣営を俯瞰で眺めて、やれやれといった感想ですか?
特に目新しい視点もなく、誰もがわかっていることが書いてあると思った。
 
作者は自身が「逆張り」というレッテルを貼られたことから、それに反論するというかもっと掘り下げて考えてみるというのがこの本の趣旨だと思うが、
自分は作者のことを逆張りとか冷笑とは思わなかったが、やはり虚無的なもの、ニヒリズムは感じた。
そしてそのニヒリズムは時代の要請であり、自分はそれこそが問題だと思っている。
それがどこから来て、なぜみんな「どうせ社会は変わらない」と諦めさせられているのか。それは権力にとって大変都合がよい状態。
 
人生は一度限りなので、誰もが間違っているかもしれないことは承知の上でなにかに賭けて生きざるを得ない。投企。
この本は綿野氏本人の意見がほとんど出てこない。世代として、さとり世代というか、より一層虚無的な世代なのかなと感じた。
自分は著者の熱を感じない、著者の実存を感じない本は読めないと感じた。
 
はるしにゃん氏について関心があるので第8章は興味深く読んだ。 
綿野恵太氏についていろんなところで名前が上がるので、気になっていたが
自分にとってはあまり気にしなくていい存在だと割り切ることが出来た。

【ポエム】サイバーパンクっぽい店

磯子バス停付近の歩道
日曜日限定で
稀に現れるあのトラック
あれなんなの?

歩道に停めている
荷台の扉が少し空いている
そこからチラリと見える
荷台の中に棚があり
なにかよくわからないものが陳列してある
あれは店なのか?

トラックが店になっている、生協の移動販売車のような
だいぶ怪しい
ちょっとサイバーパンクぽい匂いがする

今度見かけたら、聞いてみる