- まえがき 逆張りくんによる「逆張り」の研究
- 第1章 「成功したければ逆張りをしろ」――投資家と注意経済の時代
- 第2章 「どっちもどっち」の相対主義と「この道しかない」の絶対主義――同じところで同じ情報がぐるぐる回っている
- 第3章 「昨日の敵は、今日の友」――アンチと「アンチのアンチ」の戦争
- 第4章 「ブーメランが突き刺さっている」――アンチ・リベラルの論法
- 第5章 「他人からええように思われたいだけや」――動機を際限なく詮索するシニシズム
- 第6章 「そこまで言って委員会」――インターネット学級会とネトウヨになりかけたTくん
- 第7章 「やっぱり東野圭吾が一番」――逆張りとしての批評
- 第8章 「脳をつつけば世界はガラリと変わって見える」――はるしにゃんとケミカルな唯物論
- 第9章 逆張りは多数派の敵でありつつ、友でなければならない
- あとがき
- 主要参考文献
第1章 「成功したければ逆張りをしろ」――投資家と注意経済の時代
瀧本哲史とピーター・ティール
・瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい』(2012年)
・『新世代が解く!ニッポンのジレンマ』(NHK Eテレ 2012年1月1日~2019年3月31日) 1970年以降に生まれた新世代の論客
注意経済(アテンション・エコノミー)
・アクセス数、再生数稼ぎ。感情に訴えかける。
炎上狙いの逆張り
・「信者」=「カモ」を効率的に見つけ、オンラインサロンなど課金コンテンツへ誘導する。ガーシー、N国党。
第2章 「どっちもどっち」の相対主義と「この道しかない」の絶対主義――同じところで同じ情報がぐるぐる回っている
インターネットの類友たちのポピュリズム
・ポピュリズムは世界を 敵/味方、善/悪という二項対立で単純化する。わかりやすい敵=悪への憎しみをかきたてる。世界をウエ/シタにわけて、「資本家」(ウエ)を敵にすれば、左翼ポピュリズムになる。世界をウチ/ソトにわけて、「外国人」(ソト)を敵とすれば、右翼ポピュリズムになる。
相対主義と絶対主義は同じコインの両面
常識というセキュリティ
第3章 「昨日の敵は、今日の友」――アンチと「アンチのアンチ」の戦争
アンチになると主義主張がおかしくなる
・ほとんど政治的な知識を持たない「ホビット」/自分の党派を応援するために政治的な知識を獲得する「フーリガン」/さまざまな情報に基づいて合理的な判断をおこなう「バルカン」
・ポピュリズムは味方と敵を峻別し、敵への憎しみをかきたてる。「アンチ」として、敵を叩くことに夢中になる人が出てくる。より攻撃的な言動をすればするほど、「われわれ」(味方)から賞賛が得られる。部族主義的な本能を満足させられる。
「敵の敵は味方」という論理
・ポピュリズムは「敵」を否定することで、「われわれ」というアイデンティティを確立する。「あいつら」とのちがいを示すことで、「われわれ」を成立させる。両者は対立しながらも、互いに依存している。だから、「われわれ」と「あいつら」の共通点を指摘する批判は、この対立関係を揺るがしてしまう。せっかく結集させた「われわれ」というアイデンティティを崩壊させる。敵/味方、善/悪という二項対立の世界観そのものを批判することは、ポピュリズムにとって「敵」以上の「敵」になる。
「敵/味方」の世界観を絶対化する
ポストモダン思想が嫌われる理由?
支配的な政治は自然の顔をしている
第4章 「ブーメランが突き刺さっている」――アンチ・リベラルの論法
常識や良識を相対化できればなんでもいい
「それってあなたの感想ですよね」「ブーメランで草」
御田寺圭氏の「かわいそうランキング」
・「学歴」差別 「若年非大卒の男性」は無職や非正規雇用も多く、収入も低い。
アンチ・リベラルはリベラルとよく似ている
「敵」の主義主張のパロディ
第5章 「他人からええように思われたいだけや」――動機を際限なく詮索するシニシズム
「社会から安心、尊敬、信頼される人間を育てる」
資本主義社会の耐えがたさ
リベラルは流行しやすい
猜疑心あふれるネット迷探偵たち
物語にすることで安心する
第6章 「そこまで言って委員会」――インターネット学級会とネトウヨになりかけたTくん
「どっちもどっち論」批判は正しい
リベラルという優等生
議論と決断はつねにゴタゴタする
モラルの高さのお披露目会
道徳的な非難を避ける傍観者
誠実だからこそ裏切る必要がある
優等生のえこひいきが許せないネトウヨ
優等生はえらそうなのではない、えらいのだ
・福沢諭吉『学問のすすめ』には「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という有名な言葉がある。しかし、この文章の続きには「人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」と書かれている。つまり、人類みな平等だが、学力で序列ができることは認めていたわけだ。
頭がよくて良心的だからこそ嫌われる
ネトウヨになりかけたTくんの思い出
本当の意味で反社会的なひと
第7章 「やっぱり東野圭吾が一番」――逆張りとしての批評
メタ視点に立つための「差異化ゲーム」
マルクス主義の重しとメタメタメタゲーム
メタゲームを止めてくれる「身体」と「エビデンス」
「笑い」がリベラルに嫌われる理由
第8章 「脳をつつけば世界はガラリと変わって見える」――はるしにゃんとケミカルな唯物論
はるしにゃんと「メンヘラ」界隈
・はるしなくんとかいんくん
あとがき
主要参考文献
12/16読了
◆要約:3.11以降、「運動の時代」になり、逆張りが嫌われるようになった。友/敵をはっきりさせるポピュリズムの時代になり、そこでは誰もが陣営の一員になるので、どっちもどっちと俯瞰したことを言うとより嫌われるようになった。
◆感想:面白くなかった。
作者が何を訴えたいのか全くわからない。
現状の特にX上の言論状況を解説して、で、それでなんなんですか?という感じ。
不毛な争いをしてる両陣営を俯瞰で眺めて、やれやれといった感想ですか?
特に目新しい視点もなく、誰もがわかっていることが書いてあると思った。
作者は自身が「逆張り」というレッテルを貼られたことから、それに反論するというかもっと掘り下げて考えてみるというのがこの本の趣旨だと思うが、
自分は作者のことを逆張りとか冷笑とは思わなかったが、やはり虚無的なもの、ニヒリズムは感じた。
そしてそのニヒリズムは時代の要請であり、自分はそれこそが問題だと思っている。
それがどこから来て、なぜみんな「どうせ社会は変わらない」と諦めさせられているのか。それは権力にとって大変都合がよい状態。
人生は一度限りなので、誰もが間違っているかもしれないことは承知の上でなにかに賭けて生きざるを得ない。投企。
この本は綿野氏本人の意見がほとんど出てこない。世代として、さとり世代というか、より一層虚無的な世代なのかなと感じた。
自分は著者の熱を感じない、著者の実存を感じない本は読めないと感じた。
はるしにゃん氏について関心があるので第8章は興味深く読んだ。
綿野恵太氏についていろんなところで名前が上がるので、気になっていたが
自分にとってはあまり気にしなくていい存在だと割り切ることが出来た。