マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】栗原康『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』(2015 角川新書)

はじめに

我々は一方的に暴力をふるわれている

・見えない社会的暴力 服従することがあたりまえになっている

原発デモにいく

・2011.4.10高円寺デモ 1万人

生は永久の闘いである

「生は永久の闘いである。自然との闘い、社会との闘い、他の生との闘い、永久に解決のない闘いである。
闘え。闘いは生の花である。みのり多き生の花である。」大杉栄

・大杉の暴力=自分の人生を自分でかたちづくること。支配のための暴力=権力。
・権力=暴力の簒奪

生きのびるのではなく、生きたいとおもう

シチュアシオニスト ラウル・ヴァネーゲム『若者用処世術概論』「日常生活の革命」 生きたいとおもうこと(desire to live) 生きのびること(survival)
ヴァネーゲムシャルル・フーリエ
・”隷従の空気”

本書の構成

第1章 国家の暴力―我々は奴隷根性を植えつけられた

国家は収奪とカツアゲをする

アナキズム=「なにものにも支配されない状態」自分のことは自分できめること

国家は征服からはじまった

征服だ!僕はこう叫んだ。社会は、少なくとも今日の人の言う社会は、征服に始まったのである。

・戦争では、よりつよい武器をもった部族が勝利する。そして、そうじゃない部族を支配する。これが社会の、というよりも国家の起源である。

三つの統治方法

・①法②国民教育③被征服者の協力者をつくりだすこと。服従競争をさせる。

征服国家はいまもそこにある

政治!法律!宗教!教育!道徳!軍隊!警察!裁判!議会!科学!哲学!文芸!その他いっさいの社会的諸制度!!

統治技術の巧妙な進歩 わかりやすい暴力→目に見えない暴力 生権力
・税金=ただの収奪であって、大義名分は基本的には嘘

この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会の根本事実である。この征服のことが明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何ものも、正当に理解することは許されない。

奴隷制は労働の起源である

・税金をはらわないことがわるいことだとおもわされる。警官にしたがわないことがやましいことだとおもわされる。逆に、どちらもちゃんとやって、あなたはすばらしい市民だとかいわれると、うれしくなってしまう。大杉は、これを奴隷根性と呼んだ。

斬り殺されるか、焼き殺されるか、あるいはまた食い殺されるか、いずれにしても必ず身を失うべきはずの捕虜が、生命だけは助けられて苦役につかせられる。一言にして言えば、これが原始時代における奴隷の起源のもっとも重要なるものである。

奴隷制は、いまでいうところの賃金労働の起源。
・労働力商品という発想は、ひとをモノとしてあつかうことであり、非人間的なことなのだ。でも、奴隷だったらはなしはべつである。そのはたらき具合によって、いくらでもよしあしをきめることができるし、いくらでも交換することができる。奴隷制は、労働のモデルなのである。

道徳としての奴隷根性

★大杉によれば、こうした奴隷根性こそがいわゆる道徳をうみだすことになったのだという。≒ニーチェ
・アフリカのカフィール族 酋長に会うたびに犬の真似 ≒ 平身低頭やお辞儀
・ドープと呼ばれる強い酒 ドーピング
・初めは恐怖心からの服従→それが馴れてくると服従すること自体が快感に。マゾヒズム自分で自分を騙す認知的整合化 それが道徳
★もともと、奴隷は切り刻まれたり、拷問をうけたり、殺されたりするのがこわいという恐怖心から主人にしたがっていた。ガンガンひどいことをされて、犬みたいに四つんばいにさせられたりする。屈辱だ。なんでこんなことをさせられているのだろう。いつもそうおもう。でも、あらがえない。だったら、これになれるために、自分で自分を納得させるしかない。わたしはよわい人間だから、こんなことをさせられているのだ、わたしはダメなやつだ、わるいやつなのだと。だとすれば、主人にいたぶられる理由もわかってくる。ご主人さまはわたしがわるいことをしているから、それをただそうとして、善意で教育をほどこしてくれているのだ。ありがたい。できれば、尊敬するご主人さまがのぞんでいることをやって、ほめてもらいたい。地べたにはいつくばったっていい、苦役だっていい、農作業だっていい。ご主人さまがわらってくれた、ご主人さまがよろこんでくれた。ああ、快感だ。大杉は、こうした心理状態にまでいたってしまうことを奴隷根性とよび、道徳とよんだのである。

負債をせおって生きのびる、生の負債化

・ひとがモノとおなじように、計測可能、交換可能な存在になる。さきにふれたように、奴隷はいかようにもあつかってよい存在であり、その労働力は商品とおなじように、カネではかりにかけることができるものであった。それはとても非人間的なことであったが、奴隷たちは、みずからの生きかたに負い目をかんじていたからこそ、ただしいとされる生のありかたにすがりつき、みずからをひとつの尺度にさらしてしまったのである。
・国民=奴隷 道徳=統治技術 儒教=人をおとなしくさせる 牙を抜く 上下関係に馴れさせる
・大杉にもとづいていえば、国家がやっているのは、暴力をつかって人びとを生きのびさせることである。ただ生存のために生きさせること、それ以外の生きかたをみとめないこと。……国家の暴力によって、奴隷根性がうえつけられている。はっきりといっておかなくてはならない。生きのびるということは、奴隷のように生きるということだ。それは収奪されるために生きるということであり、支配されるために生きるということである。

真の自由人になりたいんだ

・もちろん、物理的にふるわれる暴力は減っただろうし、形式的にはひとはどんな生きかたをしてもよいことになっている。でも、ほんとうのところ、統治の形式というか、暴力のふるわれかたが巧妙になっただけで、ひとの生きかたが一方的に方向づけられていることにかわりはない。
・唯一の尺度はカネを稼ぐこと。それができないと負い目を感じ、自分はダメだとおもいこまされる

政府の形式を変えたり、憲法の条文を改めたりするのは、何でもない仕事である。けれども過去数万年あるいは数十万年の間、われわれ人類の脳髄に刻み込まれたこの奴隷根性を消え去らしめることは、なかなかに容易な事業じゃない。けれども真にわれわれが自由人たらんがためには、どうしてもこの事業は完成しなければならぬ。(大杉栄

幸徳秋水大杉栄

・1910大逆事件 1913大杉と荒畑寒村『近代思想』創刊
大逆事件のあらまし 幸徳秋水 堺利彦 『万朝報』→『平民新聞
・直接行動派 ↔ 議会政策派(穏健派、漸進主義)
・山口孤剣出獄記念集会→赤旗事件 松原岩五郎『最暗黒の東京』横山源之助『日本の下層社会』

1910年、大逆事件

・幸徳、病気療養で高知→新宮→名古屋→箱根→東京 愛知県→長野県安曇野の鉄工所で働く宮下太吉が爆弾をつくる
・菅野、宮下、新村、古河らは漠然と計画し、幸徳は認知していたが、他の人は冤罪。12人死刑。
・1911年1月24日幸徳処刑
・死にたくなければ奴隷であれ。生きのびたければ奴隷であれ。 

ひとがほんきでたちあがるときは、われしらず奮起する

★幸徳によれば、革命とは水到りて渠なるものである。水がながれて、くぼみをつくるように、革命は自然の勢いで生じるものだ。まちがっても、人為的に計算をして、軍隊をうごかしたりとか、ひとを暗殺したりとかで、実現できるようなものではない。
・革命とインサレクション(暴動、一揆)「されどかかることは利害を考えていてできることではありません、そのときの事情と感情とに駆られて、われしらず奮起するのです。」(幸徳秋水「獄中から三辯護人宛の陳辯書」)
・インサレクションは理屈じゃなくて、損得勘定じゃなくて、衝動

人間が死ぬのは問題ではない。問題は、いかにして死ぬかである

果実を結ばんがためには花は喜んで散るのである、その児の生育のためには母は楽しんでその心血を絞るのである、年少かくして自己のために死に抗するも自然である、長じて種のために生を軽んずるにいたるも自然である、これ矛盾ではなくして正当の順序である、人間の本能は必ずしも正当・自然の死を恐怖する者ではない、かれらはみなこの運営を甘受すべき準備をなしている。故に人間の死ぬのはもはや問題ではない、問題は実にいかにして死ぬかにある、むしろその死にいたるまでにいかなる生を享けかつ送りしかにあらねばならぬ。(幸徳秋水「死刑の前」)

・きっと、幸徳は死をまぎわにして、ひとが自己保存の本能ばかりにとらわれていくのを感じとっていたのだろう。国家の暴力は、ひとを生きのびさせようとするのであり、そうさせるなにかがある。幸徳は、そういった世のなかのうごきに、中指をつきたてた。ふざけんなと。生存のためだけに生きるということは、生きていないのとおなじことだ。それは奴隷のように生きるのとかわらない。わたしは、もっと生きたいとおもう。生きのびるんじゃない。死ぬことによって生きるのだと。

第2章 征服装置としての原子力―生きることを負債化される

八月の雨

中沢啓治はだしのゲン

生まれてはじめて、『はだしのゲン』を読む

・黒い雨

無希望、礼賛

・凄まじいスト―リー ウジ虫とハエ

被爆イメージは社会動員の象徴である

・広島、長崎も社会動員の象徴として使われた

恐怖の均衡は国家の統治技術である

・いつだって非常事態→非常事態だから政府に逆らうな

核戦争の人間化

・道徳=禁欲 「ドゥームズデイ・システム」 核シェルター

冬眠の地政学
原子力の平和利用ならぬ統治への利用

・1953年12月8日アイゼンハワー大統領国連総会演説「平和のための原子力」→1957国際原子力機関IAEA)設立。

原子力の父」は大杉栄と対峙していた

・「原子力の父」=正力松太郎 原子力委員会初代会長 科学技術庁長官 国家公安委員会委員長
・1955原子力基本法 1956原子力委員会 1963茨城県東海村 日本原子力研究所 初めて原子力発電に成功
・1979スリーマイル 1986チェルノブイリ
・正力、大杉と同い年 1885年生まれ 警察官僚→警視庁警務部長 巡査殴打事件 林倭衛「出獄の日のO氏」

原子力国家の三本柱①――負債による労務管理

・ロベルト・ユンク『原子力帝国』(1977)
・(1)負債による労務管理(責任感)(2)原子力生活の全面化(3)対テロ戦争の日常化

負債による労務管理はどんな職種でもおこなわれるようになっている

・ポスト・フォーディズム=認知資本主義=資本家の意思を内面化する労働者
・全国の原発作業員があびている放射線量 正社員3% 非正規97%(堀江邦夫『原発ジプシー』(2011))

原子力国家の三本柱②――原子力生活の全面化

御用マスコミ、御用学者も込みでの原子力
・既成事実化。いちど作ってしまえば、押し黙るしかない。
原発立地地域対策交付金 40年間で約1384億円 それに加えて 市町村は固定資産税、住民税をとれる
・金の力で依存させられる 原子力の暴力が、地域住民の生活を全面的におおっている。

原子力国家の三本柱③――対テロ戦争の常態化

・対テロ対策の特徴=予防的統制、監視 

原子力装置を破壊せよ

第3章 生の拡充―支配のための力を解体する

生きたいとおもうことは、暴力をふるうのとおなじことだ

自我とは要するに一種の力である。力学上の力の法則に従う一種の力である。力はただちに動作となって現れねばならぬ。何となれば力の存在と動作とは同意義のものである。したがって力の活動は避け得るものではない。活動そのものが力の全部なのである。活動は力の唯一のアスペクト(外観。様相。)である。(大杉栄「生の拡充」)

・生きたいとおもう力が、たえずいろんな方面へとひろがっていくのだ。爆弾みたいにおもいきりとびちる。あばれる力、暴力だ。

生の最高の喜びは「俺はすっかり偉くなったんだぞ」

「不慮の出来事というようなものは、もうわたしには起こらない。いまわたしになにか起こるとすれば、それはみんなわたし自身なのだ。」とニーチェツァラトゥストラはいった。そして、これによって、その個性の完成を世界に宣言したのであった。これをもうすこしわかりやすくいえば、「俺はすっかり偉くなったんだぞ。俺はもう俺以外の何人もの、又何物もの、支配も世話もお陰もこうむらない。俺は俺だけの、なにもかもから独立した人間になったんだ。俺のすることは、また俺に起こることは、いっさい万事この俺が承知のうえで俺の力だけでやるんだ。俺は全知全能の神様なのだ。」とでもいうことになるだろう。(大杉栄「生物学から観た個性の完成」)

・よろこびの根っこにあるのは、自分の成長。

生の乱調をまきおこせ

・でも、と大杉はいう。ひとにぎりの人間が、力を独占しようとしている。

被征服者の生の拡充はほとんど杜絶せられた。かれらはほとんど自我を失った。かれらはただ征服者の意志と命令とによって動作する奴隷となった、器械となった。自己の生、自己の我の発展をとどめられた被征服者は、勢い堕落せざるをえない、腐敗せざるを得ない。(大杉栄「生の拡充」)

ここにおいてか、生が生きていくためには、かの征服の事実にたいする憎悪が生ぜねばならぬ。憎悪がさらに反逆を生ぜねばならぬ。新生活の要求が起きねばならぬ。人の上に人の権威を戴かない、自我が自我を主宰する、自由生活の要求が起きねばならぬ。はたして少数者の間にことに被征服者中の少数者の間に、この感情と、この思想と、この意志とが起こってきた。
われわれの生の執念深い要請を満足させる、唯一のもっとも有効なる活動として、まずかの征服の事実にたいする反逆があらわれた。またかの征服の事実から生ずる、そしてわれわれの生の拡充を障害する、いっさいの事柄にたいする破壊があらわれた。
そして生の拡充の中に至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊の中にのみ、今日生の至上の美を見る。征服の事実がその頂点に達した今日においては、階調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。階調は偽りである。真はただ乱調にある。
大杉栄「生の拡充」)

・根源的なもの、いくら飼いならされようともなくなることがないもの。

水滸伝』は暴力論の教科書だ

竹中労『黒旗水滸伝』ではなく

飲めば飲むほどつよくなる

・武松 酔拳 虎退治

道具は捨てろ、武器をとれ

・官軍と山賊の戦い方の違い ラテンサッカー 
・酒→生の乱調をひきおこす 翌日後悔するけど

山賊の武器はイモだ

・ジェームズ・C・スコット『ゾミア』

「自我の皮を、棄脱して行かなくてはならぬ」

・兵隊の足並み

われわれが自分の自我――自分の思想、感情、もしくは本能――だと思っている大部分は、実にとんでもない他人の自我である。他人が無意識的にもしくは意識的に、われわれの上に強制した他人の自我である。
百合の皮をむく。むいてもむいても皮がある。ついに最後の皮をむくと百合そのものは何にもなくなる。
われわれもまた、われわれの自我の皮を、棄脱していかなくてはならぬ。ついにわれわれの自我そのものの何にもなくなるまで、その皮を一枚一枚棄脱していかなくてはならぬ。このゼロに達したときに、そしてそこからさらに新しく出発したときに、はじめてわれわれの自我は、皮でない実ばかりの本当の生長を遂げていく。(大杉栄「自我の棄脱」『新潮』1915年5月)

・自我の皮=立場主義 坂口安吾堕落論とも通ずる。
・社会の構成員であるための仮面をかぶせられている。

永遠のゼロをつかめ

・生き辛さ=征服の事実
・やりたいことをやること

労働者は古代国家の奴隷とかわりない

大逆事件後、言論界は恐怖に包まれていた。そんな雰囲気のときに大杉が『近代思想』で書いたのが、「奴隷根性論」「征服の事実」そして「生の拡充」。おしだまらされている言論界にたいして、おまえら奴隷か、おれはやりたいことをやるだけだという宣言。
・工場労働=人間も工場の部品の一部

工場の山賊たち
職人に労働者の仮面がかぶせられる

司馬遼太郎の仕事のサボり方 京都大学の芝生で昼寝

ケンカ上等のストライキ
みんな勝手に踊ればいい

・大杉は、ひとがいっぱいあつまっているところにでかけていくのが好きであった

米騒動を見る、煽る
米騒動の哲学――この酔い心地だけは

・合衆国憲法修正第2条 人民が武装する権利 アメリカの銃と日本の竹槍
飛矢崎雅也『現代に甦る大杉榮』大杉「此の酔心地だけはーエ・リバアタリアン」魂の爆発 泥酔状態

第4章 恋愛という暴力―習俗を打破する

生きのびるための恋愛か、それとも恋愛をして生きるのか
恋愛の神様

・1916葉山日蔭茶屋事件
辻潤 伊藤野枝の女学校時代の英語教師

四角関係
吹けよあれよ、風よあらしよ
「ああ、習俗打破!習俗打破!」
「この貞操という奴隷根性を引きぬかねばならぬ」
愛の力が家庭のなかに囲いこまれる
家庭をけとばせ!

・家庭こそあらゆる組織、特に国家の原型

現代でも、女性は所有物にされている

・不倫という言葉 儒教と一緒

浮舟の哲学
直接行動としての自殺?

・「善とか悪とかいうのもみんな人間の勝手につけた名称でしょう」(伊藤)

自分の生命をしばっている人間の縄をたち切るのだ

第5章 テロリズムのたそがれ―「犠牲と交換のロジック」を超えて

恐怖による統治

・2015年1月後藤健二、湯川遥菜 IS人質殺害事件

テロ対策は国家によるテロリズムである
ガイ・フォークスをとりもどせ
アナキストバクーニン

バクーニンの経歴 直接行動派

マルクスと論争する

・1870リヨン蜂起 1871パリ・コミューン

ヴ・ナロード

・ ヴ・ナロード=人民の中へ ナロードニキ=農村に入っていったインテリ

「行動による宣伝(プロパガンダ)」は、下からの怒りの炎をたきつける

バクーニン=「行動による宣伝」

蜂起の二大原理
テロリズムは「犠牲と交換のロジック」に呑みこまれる

★「革命が自己犠牲をもとめた瞬間に、革命は存在しなくなってしまう。革命のために身を捧げるということは革命を物神崇拝するということとおなじことだ。」(ラウル・ヴァネーゲム
・白石嘉治「犠牲と交換のロジック」=テロリズムも同じ

ギロチン社

中浜哲 宮崎滔天 大陸浪人

どんとこい、くそったれの人生

どうせ人は死ぬのだから 自分自身を解体したい

裕仁をヤッツケロ

古田大次郎 爆弾魔

ただじゃ死なない、辞世の句
大義は「犠牲と交換のロジック」につながる
アバヨ、アーメン、なんまいだ

対テロ戦争=人々をコントロールすることに用いる

おわりに―わたしたちはいつだって暴動を生きている
思想としてのブラックブロック

・2007年G8サミット ドイツ ハイリゲンダム 反グローバリゼーション運動 周辺のロストック
・ブラックブロック=ただみんな黒いパーカーを着る

わたしたちはいつだって暴動を生きている
ごきげんよう

・編集者岸山征寛

お薦め文献

酒井隆史『暴力の哲学』(2004)
矢部史郎、山の手緑『愛と暴力の現代思想』(2006)
③不可視委員会『来たるべき蜂起』(2010)労働の動員体制を解除した後に来る生命力と新しい規律の想像力

主要参考文献

4/30読了

◆要約:大杉栄、ラウル・ヴァネーゲム中沢啓治はだしのゲン』、ロベルト・ユンク『原子力帝国』、伊藤野枝を使って、現代の「征服の事実」を解き明かし、生きる力としての「暴力」を問い直す。
◆感想:大杉栄の「奴隷根性論」→「征服の事実」→「生の拡充」のコンボは最高。幸徳秋水の「革命水渠論」は共感する。生き辛さとは何か=「征服の事実」でほぼ説明できる。生きる力としての暴力を肯定しながら、「犠牲と交換のロジック」の呑み込まれてしまうテロリズムは同時に否定する。「傷つけられたら牙をむけ 自分を失くさぬために」。踊り、祭りの暴力。祭りはいつだって危険なもの。