- はじめに――ディープヨコハマに分け入る
- ◆第1章 桜木町・野毛をあるく
- ◆第2章 野毛山・戸部をあるく
- ◆第3章 関外をあるく
- ◆第4章 関内をあるく
- ◆第5章 中華街・元町・山手をあるく
- ◆第6章 本牧・根岸・磯子をあるく
- ◆第7章 鎌倉街道・金沢をあるく
- ◆第8章 横浜駅・みなとみらいをあるく
- ◆第9章 神奈川をあるく
- ◆第10章 鶴見をあるく
- ◆第11章 港北をあるく
- ◆第12章 保土ケ谷・戸塚をあるく
- ◆巻末特別インタビュー 小野瀬雅生(クレイジーケンバンド)――「混ざりたくなるまち、それがヨコハマだ。」
- おわりに
はじめに――ディープヨコハマに分け入る
◆第2章 野毛山・戸部をあるく
紅葉坂
・高島嘉右衛門 横浜瓦斯会社 工場跡
・有島武郎『或る女』 初代横浜駅→桜木町駅
・青少年センター、図書館、音楽堂=開港期の神奈川奉行所
・飯岡幸吉<ここの通りを鯨横丁と人呼びて雨にぬれ立つ労働者の群><道行けば鯨肉いたむる匂ひして人は屋台に十円置きて食う>
岩亀横丁〜保土ケ谷道〜藤棚
野毛山の歴史遺産
・子神社と東福寺
◆第5章 中華街・元町・山手をあるく
ひし形のラビリンス
横浜における中国人コミュニティの歴史
観光地としての中華街
・日清戦争時の悪感情→大幅な職業制限 理髪、洋裁、調理の三把刀
「落葉帰根」から「落地生根」へ
中華街の裏通り
・葉山嘉樹『淫売婦』
・第二次大戦後 外国船員向けの「外人バー」 片桐摩湖(水原リサ)
バンドホテルの時代
海を眺める母子
・愛の母子像 1977年横浜米軍機墜落事件 土志田和枝さん
◆第7章 鎌倉街道・金沢をあるく
日本橋花街
朝鮮人虐殺の犠牲者を弔う
・寶生寺 李誠七
乞食谷戸
・眞葛焼
蒔田・井土ケ谷周辺
・笹田照一 林喜一郎 ブルースカイ事件
大久保花街と戦没者慰霊堂
刑務所のある風景
能見台――軍需工場のまちからファミリータウンへ
・大日本兵器
富岡の戦跡
・竹中直人
シーサイド周遊
金沢八景の今昔
◆第8章 横浜駅・みなとみらいをあるく
横浜西口の盛り場
石油と砂利のあとに
・2016年おでん屋台撤去
平沼周辺
鶴屋橋周辺
東口地下街と出島地区
みなとみらいの「過去」
・横浜船渠→三菱重工業横浜船渠
・1989横浜博覧会(YES'89)
永遠に未完成のまち
新港地区
・新港埠頭1942年横浜港ドイツ軍艦爆発事件
◆第9章 神奈川をあるく
港湾労働者の海とマンハッタン
・浅野総一郎
・宿場そば「マンハッタン」チーズカレー南蛮
ポートサイド地区
変わりゆく市場の風景
コットンハーバーと浅野ドック
高島山
消えた反町の「遊び場」
・反町公園『踊る竜宮城』
三ツ沢の慰霊塔
子安・大口――まちにのこる戦時の面影
浦島太郎伝説
子安浜
◆第10章 鶴見をあるく
總持寺と花月園
・第2次大戦中には、寺に隣接して東京警備軍横浜警備隊の兵舎が置かれていた。敗戦の直前、佐々木武雄陸軍予備役大尉は母校である横浜高等工業学校の生徒たちを動員して国民神風隊を結成し、首相官邸と鈴木貫太郎首相の私邸を襲撃した。
・「西の宝塚、東の花月園」 葉山三千子
獅子ケ谷〜三ツ池公園
豊岡・佃野周辺
・西田書店 新藤兼人『どぶ』(1954)
鶴見三業地
沖縄人コミュニティと青線地帯
・森崎東『野良犬』(1973)
米軍の貯油施設
国道駅〜生麦
◆第12章 保土ケ谷・戸塚をあるく
原節子が無名の少女だった頃
金沢道から久保山へ
・石橋大司さん 少年の日に目撃した一市民
保土ケ谷宿
東戸塚駅周辺
戸塚宿
舞岡〜本郷台
夢の跡
・深谷通信所跡地2014年にようやく全面返還
・大阪の千日デパートや千日劇場を創設した昭和の興行王松尾國三によって1964年(昭和39年)に開園した横浜ドリームランドは、総工費200億円を投じた「日本のディズニーランド」とし て一時代を築いた。僕のように現在30代から40代くらいの世代は、子どもの頃に親に連れていかれた記憶があるひとも多いだろう。「キイハンター」などTVドラマのロケ地としても頻繁に使用されたため、在りし日の風景がさまざまな映像にのこされている。恩地日出夫監督の青春映画『めぐりあい』(1968年)では、ヒロインの酒井和歌子がドリームランドで働いている設定で、最盛期のにぎわいを確認することができる。また、クレイジーケンバンドのヴォーカリスト横山剣は中学生の頃、ドリームハイツにくらしていたという。
1983年(昭和58年)の東京ディズニーランド開園などを契機に客足が減少し、バブル崩壊後は辺境の地にある昭和の遺物と化して、2002年(平成14年)に閉園した。跡地は横浜薬科大学のキャンパスのほか、俣野公園として整備され、ランドマークだったホテル・エンパイアは、薬科大附属図書館として利用されている。
・相州春日神社