前回の振り返り 聖/俗/遊
超越性、神、聖
↓
俗
フラット化 神は死んだ
1.ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzsche(1844-1900)
生涯 1844年10月15日 プロイセン ザクセン州の田舎町 牧師の長男
ボン、ライプツィヒの大学で古典文献学
1969 異例の若さでスイス バーゼル大学 員外教授 音楽家ワーグナーに心酔
1872(27歳)「悲劇の誕生」 アポロンに理性を象徴させ、ディオニュソスに情動を象徴させた 学会から孤立
1878(34歳)ワーグナーと絶交 激しく非難
1879 病状が悪化 バーゼル大学辞職 乏しい恩給 スイスやイタリアを転々 ルー・ザロメに恋 失恋 自殺願望
1883-85 (39-41)「ツァラトゥストラはかく語りき」
1889年1月3日(44歳)イタリアのトリノで昏倒
1900年8月25日 精神錯乱のまま ワイマールに没す
2.道徳の系譜
*系譜学
・「道徳的諸価値の価値それ自体をまずもって問題とすること」←「これら諸価値を発生させ、発展させ、推移させてきた諸種の条件と事情についての知識」
・キリスト教道徳:「惨めなる者のみが善き者である。貧しき者、力なき者、卑しき者のみが善き者である。悩める者、乏しき者、病める者、醜き者こそ唯一の敬虔なる者であり、唯一の神に幸いなる者であって、彼らのためにのみ至福はある」とされ、「<復讐ができない>ことが<復讐を欲しない>ことだといわれ、おそらくは寛恕とさえ呼ばれ」、「<おのれの敵に対する愛>まで説かれるー汗だくで説かれる」(「道徳の系譜」)←この道徳はいかにして形成されたのか?
・「世界は別用にも解釈されうるのであり、それはおのれの背後にいかなる意味ももってはおらず、かえって無数の意味をもっているー「パースペクティブ主義」」(「権力への意志」)
3.貴族的人間と奴隷的人間
1)ルサンチマンの語源
・17世紀初めフランス語 ressentiment
「傷つきやすさ」「不満」「うらみ」「憎悪」などの意味
→ニーチェの用法:無力からする「復讐心」「歯ぎしり」
「ルサンチマンは喜びを感じる力を弱くする」
2)「力」の思想
・「生あるものは力を放出しようと欲する」、生は「力の極大感情をもとめて努力する」(「権力への意志」)
・「力」の能動性が「貴族的人間」を動かす↔「力」の反動性が「奴隷的人間」を動かす
行為によって活動的に反応 被害の記憶に反応、従属状態のもとで想像上の復讐→ルサンチマン
3)奴隷道徳の特徴(作田2005)
①賞賛し、尊敬し、愛することができない
□貴族的人間(主人)
同じ貴族的人間への賞賛・尊敬・愛を惜しまない。ときに自分たちと対等な立場の「敵」に対しても賞賛や尊敬を惜しまない。彼らは心情に忠実、率直で、無分別である。
■奴隷的人間(奴隷)
奴隷的人間は素直に他者を賞賛し、尊敬し、愛することがない。ひとまず自分を卑下するが、それは自己保存を優先するから。彼らは心情に率直でなく、怜悧にふるまう。
②受動性・反動性
□貴族的人間:活動的、能動的。行動し、生を享楽する。
■奴隷的人間:非活動的、受動的、反動的。自分からは愛そうとせず、愛されることだけを望む。
無私無欲の徳をでっちあげ、他人が無償で自分を愛してくれるように要求する。
③過ちの転嫁、責任の配分、たえざる告発
□貴族的人間:能動的に「力」を放出する喜びが、攻撃的パトス(情熱)となる。
「私はよい。ゆえに、おまえはわるい。」
■奴隷的人間:復讐と遺恨。自分は何もしていないのに、期待が裏切られると他人に非難を浴びせる。
責任者を求める。自分が善と感じるために他人が悪であることを必要とする。
「おまえは悪い。ゆえに、私は善い。」
よいの意味が変わってしまっている。
4)キリスト教道徳とルサンチマン
・キリスト教道徳の起源は抑圧された弱者のいだくルサンチマンにある。弱者は、その無力さのゆえに、自分たちのルサンチマンを報復行動に移すことができないので、ただ「想像上の復讐によってのみその埋め合わせをつける」。つまり、「恐るべき整合性をもって貴族的価値方程式に対する逆倒を敢行し、最も深刻な憎悪(無力の憎悪)の歯ぎしりをしながら、この逆倒を固持した」弱者たちによって、キリスト教道徳は形成された。この意味で、それは道徳上の奴隷一揆の所産にほかならない。(井上俊「ルサンチマンと道徳」「命題コレクション社会学」筑摩書房)
5)ニーチェの実人生におけるルサンチマン
・音楽家ワーグナーの崇拝/憎悪…優越への願望
・キリストへの共感と嫉妬:「反キリスト者」
・他者の評価に依存せずに、自己超越してゆく「超人」という形象
4.M・シェーラーの考察
①ルサンチマンを「生の衰退」「精神の自家中毒」とみなし、道徳的価値観の転倒をみるニーチェの説は高く評価:「ヨーロッパの歴史をみれば、道徳の形成においてルサンチマンが驚くほどの働きをしていることがわかる」
②キリスト教道徳の起源をルサンチマンにもとめるニーチェの説には反論
・キリスト者の弱者への真の同情(愛)は、生の「力」の横溢によるもの
「弱い者、病める者、小さい者に対する、こうした種類の愛と犠牲は、内的な平安と自己の生の充実から生まれる」
・偽の同情:「この愛は自己逃避の美名なのである」
・シェーラーによれば、ルサンチマンは、キリスト教ではなく近代化の所産
③ルサンチマンの社会構造的要因の指摘
・「ルサンチマンが集団や個人のなかで形成される仕方とその程度」は、個人の「素質的要因」と「社会構造」に関連している
・形式的には政治的・社会的平等権が認められているにもかかわらず、実質的には権力や財産や教養などにおいてきわめて大きな格差が存在する社会では、「身分や階級が判然と区別されている社会」よりもかえってルサンチマンが生じやすくなる
・社会構造上の「位置」そのものが、「ルサンチマンの危険」をはらんでいる
④シェーラーからマートンの社会学理論へ
・「人間の生得的な動因についての知識から予測できない新しい動機づけを生みだす働きをもつものとして社会構造をとらえる」視点、「社会的・文化的構造が、その構造のなかでさまざまの位置を占める人びとに対して、どのように逸脱行動への圧力を加えるか」を分析する視点
・シェーラー:「社会構造」ー「ルサンチマン」ー「犯罪」
→マートン:「社会構造」ー「ルサンチマンを含む構造的圧力(動機づけ)」ー「犯罪を含む逸脱行動」
5.超人
1)超人 Ubermensch
・伝統的キリスト教の説く弱者の道徳を否定して、生命力にあふれ、自己の可能性を極限まで実現していく理想的人間。人間以上の完全な人間。ニーチェは「ツァラトゥストラ」をとおして、「超人」を人類の目標として力説し、超人の育成と出現とを未来に期待した。
・「人類が復讐 Rache から解放されること、これが私にとって最高の希望への橋であり、長かった悪天候ののちにかかる虹である」(「ツァラトゥストラ」)
2)ニーチェの英雄主義とナチズム
・ナチスはニーチェを権力国家と英雄主義の先駆者と誤解。
→左翼によるニーチェ批判、リベラリズムのニーチェ嫌い。民主主義の敵
・「文化的左翼」のニーチェ読解→現代思想に決定的な影響 バタイユ ドゥルーズ フーコー
3)自己超越する人間精神:ツァラトゥストラの語る寓話
①義務の重荷を背負うラクダ…「汝なすべし」:禁欲と服従/ルサンチマン
②自由を求めて反抗する獅子…「我、欲す」:能動的ニヒリズム:外的権威の否定
③子ども…「我、存在す」:生を肯定する新たな価値の創造
→ルサンチマンで動くのではない。純粋贈与
「子どもは無邪気そのものであり、忘却である。一つの新しい始まり、一つの遊戯、一つの自力で転がる車輪、一つの第一運動、一つの神聖な肯定である」(「ツァラトゥストラ」上)
6.永遠回帰の思想
①1881年8月 散歩の途中 激しい恍惚状態 神秘体験→「永遠回帰」の思想へ
②「もし私たちがたった一つの瞬間に対してでも然りと断言するなら、私たちはこのことで、私たち自身に対してのみならず、すべての生存に対して然りと断言したのである。なぜなら、それだけで孤立しているものは、私たち自身のうちにも事物のうちにも、何ひとつとしてないからである。だから、私たちの魂がたった一回だけでも、弦のごとくに、幸福のあまりふるえて響きをたてるなら、このただ一つの生起を条件づけるためには、全永遠が必要だったのでありーまた全永遠は、私たちが然りと断言するこのたった一つの瞬間において、認可され、救済され、是認され、肯定されていたのである。」(「権力への意志」)
7.ニヒリズムを超えて
・ニヒリズム:既存の価値や理想や権威をすべて否定し、さらに生の意味をも否定する思想または態度のこと。ニーチェによればニヒリズムは近代の必然であるとされる。虚無主義。
神や社会の権威が失墜「神は死んだ」
→「生の意味」づけが困難
→受動的ニヒリズム:自己からの逃避/能動的ニヒリズム:大いなる生の自己肯定
・「永遠回帰」の思想:「永遠回帰」は、生成する生命世界(宇宙・自然)に生きる根拠を置くことで、ニヒリズムを超克する道を示唆。
・「生きること」の肯定=大いなる生の肯定:生きるものすべてのつながりの肯定
・生きているという実感と「開かれ」の感覚:つながりの中で生きている/生かされている