マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書 2002年)

目次

まえがき

・ラディカルな入門書=根源的な問をたてる 噛み砕いて話す

第1章 先人はこうして「地ならし」した――構造主義前史

1 私たちは「偏見の時代」を生きている

・「私たちはつねにあるイデオロギーが『常識』として支配している、『偏見の時代』を生きている」という発想法=構造主義がもたらした、もっとも重要な「切り口」

2 アメリカ人の眼、アフガン人の眼

構造主義相対主義
構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
・私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。

3 マルクスの地動説的人間観

マルクスは社会集団が歴史的に変動してゆくときの重大なファクターとして、「階級」に着目しました。マルクスが指摘したのは、人間は「どの階級に属するか」によって、「ものの見え方」が変わってくる、ということです。この帰属階級によって違ってくる「ものの見え方」は「階級意識」と呼ばれます。
ブルジョワとプロレタリアは単に生産手段を持っているか否かという外形的な違いで区別されるだけでなく、その生活のあり方や人間観や世界の見え方そのものを異にしています。
・「存在すること」とは、与えられた状況の中でじっと静止しており、自然的、事物的な存在者という立場に甘んじることです。静止していることは「堕落すること、禽獣となることである」という考え方、これをマルクスヘーゲルから受け継ぎました。たいせつなのは「自分のありのままにある」に満足することではなく、「命がけの跳躍」を試みて、「自分がそうありたいと願うものになること」である。煎じ詰めれば、ヘーゲル人間学とはそういうものでした。(このヘーゲルの人間理解は、マルクス主義から実存主義を経由して構造主義に至るまで、ヨーロッパ思想に一貫して伏流しています。)
・人間は行動を通じて何かを作り出し、その創作物が、その作り手自身が何ものであるかを規定し返す。生産関係の中で「作り出したもの」を媒介にして、人間はおのれの本質を見て取る、というのがマルクスの人間観の基本です。
・自己同一性を確定した主体がまずあって、それが次々と他の人々と関係しつつ「自己実現する」のではありません。ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで「作り出した」意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です。それは見たとおり、ヘーゲルマルクスから20世紀の思考が継承したものなのです。
・ネットワークの中心に主権的・自己決定的な主体がいて、それがおのれの意思に基づいて全体を統御しているのではなく、ネットワークの「効果」として、さまざまのリンクの結び目として、主体が「何ものであるか」は決定される、というこの考え方は、「脱中心化」あるいは「非-中枢化」とも呼ばれます。
★中枢に固定的・静止的な主体がおり、それが判断したり決定したり表現したりする、という「天動説」的な人間観から、中心を持たないネットワーク形成運動があり、そのリンクの「絡み合い」として主体は規定されるという「地動説」的な人間観への移行、それが20世紀の思想の根本的な趨勢である、と言ってよいだろうと思います。

4 フロイトが見つけた「無意識の部屋」

・人間が直接知ることのできない心的活動が人間の考えや行動を支配している、フロイトはそんなふうに考えました。この「当人には直接知られず、にもかかわらずその人の判断や行動を支配しているもの」、それが「無意識」です。
・ある心的過程を意識することが苦痛なので、それについて考えないようにすること、単純に言えば、それが抑圧です。
・私たちは自分の心の中にあることはすべて意識化できるわけではなく、それを意識化することが苦痛であるような心的活動は、無意識に押し戻されるという事実
・意識活動の全プロセスには、「ある心的過程から構造的に眼を逸らし続けている」という抑圧のバイアスがつねにかかっている
・私たちは自分が何ものであるかを熟知しており、その上で自由に考えたり、行動したり、欲望したりしているわけではない。これが前構造主義期において、マルクスフロイトが告知したことです。
マルクスは人間主体は、自分が何ものであるのかを、生産=労働関係のネットワークの中での「ふるまい」を通じて、事後的に知ることしかできないという知見を語りました。フロイトは、人間主体は「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することができないという知見を語りました。

5 ニーチェは「臆断の虜囚」を罵倒する

マルクスフロイトの同時代にもう一人、人間の思考が自由ではないこと、人間はほとんどの場合、ある外在的な規範の「奴隷」に過ぎないことを、激烈な口調で叫び続けた思想家
・「われわれはいつもわれわれ自身にとって必然的に赤の他人なのだ。われわれはわれわれ自身を理解しない。われわれはわれわれ自身を取り違えざるを得ない。われわれに対しては『各人は各自に最も遠い者である』という格言が永遠に当てはまる。われわれに対して、われわれは決して『認識者』ではないのだ。」(『道徳の系譜』)
ニーチェの古典文献学者としての経験 古代ギリシャ人の気持ちになりきる
・同時代人(原理的には、私たちもそこに含まれます)は「臆断」の虜囚になっている、ニーチェはそう断定します。19世紀のドイツのブルジョワで、キリスト教徒である、ニーチェの同時代人は、自分たちにとって「ナチュラル」と思われる価値判断や審美的判断を、歴史的に形成された偏見や予断であるとはみなさず、人類一般に普遍的に妥当するものだと信じ込んでいました。彼らはある特定の時代の、特定の地域に固有の、狭隘でいびつな世界観にしがみつき、それをこそ「世代や民族史がいくたびか移り変わっても永遠に不変であるもの」だと思い 込んでいたのでした。
・善悪の観念、それは私たちにとっては疑いようもなく自明のものに思えますが、ニーチェはそれを疑います。「善悪」という判定基準はいつできたのか、何のために、どんな利益を求めて誰が発明したのか、そして、その発明は人類の役に立ったのか……。(『道徳の系譜』)
ホッブス「万人の万人に対する戦い」→ジョン・ロック社会契約論「人間たちが共同体を構成し、一つの政府に服従するとき、彼らがたがいに認め合った最も重要で基幹的な目的とは、自分たちの私有財産保全することであった。というのは、自然状態にあっては、私有財産の確保のためにはあまりに多くのものが欠落していたからである。」(『統治論』)
・法律も道徳律も裁判も法的制裁もない状態では、私有財産を確保するのは容易なことではありません。しかたなく人々は私権を保全するために、私権の一部を制限されることを受け入れました。こうして、欲しいからといって、他人のものを腕ずくで奪い取ることは「してはいけない」ことになりました。「なすべきこと・してはいけないこと」という善悪の規範が成立するわけです。
・利己主義を徹底的に追求したら、いつしか「利他主義」(altruism)に至ってしまった、というのが功利主義の道徳観
ニーチェの道徳論=大衆社会の道徳論
ニーチェによれば、「大衆社会」とは成員たちが「群」をなしていて、もっぱら「隣の人と同じようにふるまう」ことを最優先的に配慮するようにして成り立つ社会のことです。群がある方向に向かうと、批判も懐疑もなしで、全員が雪崩打つように同じ方向に殺到するのが大衆社会の特徴です。≒オルテガ『大衆の反逆』
ニーチェはこのような非主体的な群衆を憎々しげに「畜群」(Herde ヘールデ)と名づけました。
・畜群の行動準則はただ一つ、「他の人と同じようにふるまう」ことです。誰かが特殊であること、卓越していることを畜群は嫌います。畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。ニーチェが批判したのはこの畜群道徳なのです。
・他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準
・現代人は、「みんなと同じ」であることそれ自体のうちに「幸福」と「快楽」を見出すようになった
・相互参照的に隣人を模倣し、集団全体が限りなく均質的になることに深い喜びを感じる人間たちを、ニーチェは「奴隷」(Sklave スクラーフェ)と名づけました。↔「貴族
ニーチェにおいて、「超人とは何か」という問題はつねに「人間とは何か」という問題に、「貴族とは何か」という問題はつねに「奴隷とは何か」という問題に、「高貴さとは何か」という問題はつねに「卑賤さとは何か」という問題に、それぞれ言い換えられます。
この「すり替え」がニーチェの思考の「指紋」であり、その致命的な欠陥でもあるように思われます。というのは、こういうふうに「言い換える」と、結局のところ、人間を高貴な存在へと高めてゆく推力を確保するためには、人間に嫌悪を催させ、そこから離れることを熱望させるような「忌まわしい存在者」が不可欠だという倒錯した結論が導かれてしまうからです。
ニーチェは何かを激しく嫌うあまり、そこから離れたいと切望する情動を「距離のパトス」と呼びました。そして、その嫌悪感こそが「自己超克の熱情」を供与するというのです。ですから、「超人」へ向かう志向を賦活するためには、醜悪な「畜群」がそこに居合わせて、嫌悪感をかき立ててくれることが欠かせません。おのれの「高さ」を自覚できるためには、つねに参照対象としての「低い」ものに側にいてもらうことが必要です。
結局、自己超克の向上心を持ち続けようとするものは、「そこから逃れるべき当の場所」である忌まわしい「永遠の畜群」をはっきりと有徴化し、固定化し、「いつでも呼び出し可能な状態」にしておくことを求めるようになります。超人たらんとするものは、おのれの「高さ」を観測する基準点として、「笑うべきサル」であるところの「永遠の賤民」を指名し、身動きならぬように鎖で縛り付けることに同意することになります。
ニーチェの超人思想がこうして最終的にたどりついたのは、意外なことに、みすぼらしく暴力的な反ユダヤ主義プロパガンダでした。それが彼の死後にどのような災厄をヨーロッパに及ぼすことになるか、ニーチェ自身は果たして想像していたのかどうか知る術はありません。
ニーチェの思考=「系譜学的」思考
・私たちの時代はニーチェからは困った遺産も受け継いだわけですが、それでも、人間知性の少なくとも一部分は、ある種の「嫌悪感」を推力として運動するものであることは間違いありませんし、そうである以上、このような「嫌悪する思想」から私たちが引き出しうる知的資産は決して少なくないと思います。

第2章 始祖登場――ソシュールと『一般言語学講義』

1 ことばは「ものの名前」ではない

・かつて→「名称目録的言語観」
・言語活動とは「すでに分節されたもの」に名を与えるのではなく、満天の星を星座に分かつように、非定型的で星雲状の世界に切り分ける作業そのものなのです。ある観念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、ある観念が私たちの思考の中に存在するようになるのです。

2 「肩が凝る」のは日本人だけ!?

3 私たちは「他人のことば」を語っている

・ただ、ふつうに母国語を使って暮らしているだけで、私たちはすでにある価値体系の中に取り込まれているという事実をソシュールは私たちに教えてくれた
・「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知る
・私たちが「心」とか「内面」とか「意識」とか名づけているものは、極論すれば、言語を運用した結果、事後的に得られた、言語記号の効果だとさえ言える
・西洋「自我中心主義」
ソシュールプラハ学派→構造主義

第3章 「四銃士」活躍す その1――フーコーと系譜学的思考

1 歴史は「いま・ここ・私」に向かってはいない

・「監獄」であれ「狂気」であれ「学術」であれ、私たちはそれらを、時代や地域にかかわりなく、いつでもどこでも基本的には「同一的」なものと信じています。しかし、人間社会に存在するすべての社会制度は、過去のある時点に、いくつかの歴史的ファクターの複合的な効果として「誕生」したもので、それ以前には存在しなかったのです。この、ごく当たり前の(しかし忘れられやすい)事実を指摘し、その制度や意味が「生成した」現場まで遡って見ること、それがフーコーの「社会史」の仕事です。
・ある制度が「生成した瞬間の現場」、つまり歴史的な価値判断がまじり込んできて、それを汚す前の「なまの状態」のことを、のちにロラン・バルトは「零度」(degré zéro)と術語化しました。構造主義とは、ひとことで言えば、さまざまな人間的諸制度(言語、文学、神話、親族、無意識など)における「零度の探求」であると言うこともできるでしょう。
・世界は私たちが知っているものとは別のものになる無限の可能性に満たされているというのはSFの「多元宇宙論」の考え方ですが、いわばこれが人間中心主義的進歩史観の対極にあるものと言えます。
フーコーはそれまでの歴史家が決して立てなかった問いを発します。それは、「これらの出来事はどのように語られてきたか?」ではなく、「これらの出来事はどのように語られずにきたか?」です。なぜ、ある種の出来事は選択的に抑圧され、黙秘され、隠蔽されるのか。なぜ、ある出来事は記述され、ある出来事は記述されないのか。
・その答えを知るためには、出来事が「生成した」 歴史上のその時点出来事の零度にまで遡って考察しなければなりません。考察しつつある当の主体であるフーコー自身の「いま・ここ・私」を「カッコに入れて」、歴史的事象そのものにまっすぐ向き合うという知的禁欲を自らに課さなければなりません。そのような学術的アプローチをフーコーニーチェの「系譜学」的思考から継承したのです。

2 狂気を査定するのは誰?

3 身体も一個の社会制度である

4 王には二つの身体がある

5 国家は身体を操作する

山縣有朋 徴兵制 近代兵制のキーワードは統制
・この軍事的身体加工の「成功」(西南戦争の勝利)をふまえて近代日本は、「体操」の導入に進みます。明治19年、文部大臣森有礼は軍隊で行われていた「兵式体操」を学校教育の現場に導入します。生徒たちの身体の統制が「道徳の向上」と「近代的な国家体制の完成」に不可欠のものであることを森はただしく看取していたのです。国家主導による体操の普及のねらいはもちろん単なる国民の健康の増進や体力の向上ではありません。そうではなくて、それはなによりも「操作可能な身体」、「従順な身体」を造型することでした。
・身体を標的とする政治技術がめざしているのは、単に身体だけを支配下に置くことではありません。身体の支配を通じて、精神を支配することこそこの政治技術の最終目的です。この技術の要諦は、強制による支配ではありません。そうではなくて、統御されているものが、「統御されている」ということを感知しないで、みずから進んで、みずからの意志に基づいて、みずからの内発的な欲望に駆り立てられて、従順なる「臣民」として権力の網目の中に自己登録するように仕向けることにあります。
・わかりやすい実例=「体育座り」 深く息ができない
・竹内(敏晴)によれば、戸外で生徒を坐らせる場合はこの姿勢を取らせるように学校に通達したのは文部省で、1958年のことだそうです。これは日本の戦後教育が行ったもっとも陰湿で残酷な「身体の政治技術」の行使の実例だと思います。

6 人はなぜ性について語りたがるのか

フーコーの社会史を読むときにたいせつなことは、この性の言説化についての批判から窺い知れるように、「権力」ということばを単純に、「国家権力」とか、それがコントロールしている各種の「イデオロギー装置」という実体めいたものとしてとらえてはならないということです。「権力」とは、あらゆる水準の人間的活動を、分類し、命名し、標準化し、公共の文化財として知のカタログに登録しようとする、「ストック趨向性」のことなのです。ですから、たとえ「権力批判」論であっても、それが「権力とはどのようなものであり、どのように機能するか」を実定的に列挙し、それを「カタログ化し、一覧的に位置づけ」ることを方法として選ぶ限り、その営みそのものがすでに「権力」と化していることになります。権力=「標準化の圧力」

第4章 「四銃士」活躍す その2――バルトと「零度の記号」

1 「客観的ことばづかい」が覇権を握る

記号学言語学
・ラング(国語)とスティル(文体)と第3の規制エクリチュール
・例えば、私が「おじさんのエクリチュール」で語り始めるや、私の口は私の意志とかかわりなしに突然「現状肯定的でありながら愚痴っぽい」ことばを吐き出し始めます。「教師のエクリチュール」に切り替えると、とたんに私は「説教臭く、高飛車な」人間になります。同じように、ヤクザは「ヤクザのエクリチュール」で語り、営業マンは「営業マンのエクリチュール」で語ります。そして、そのことばづかいは、その人の生き方全体をひそかに統御しているのです。
・そのような意味において、私たちは「エクリチュールの囚人」です。バルトが言うとおり、「エクリチュールが自由であるのは、ただ選択の行為においてのみであり、ひとたび持続したときには、エクリチュールはもはや自由ではなくなっている」のです。ここでバルトが警告しているのは、あまりに広く受け容れられたせいで、特に「どの集団固有のエクリチュール」とも特定しがたくなった語法の持つ危険性です。
「無徴候的なことばづかい」、それが「覇権を握った語法」です。その語法はその社会における「客観的なことばづかい」です。つまり、何らかの主観的な意見を述べたり、個人的な印象を語ったりするのではなく、客観的に、私情を交えずに、価値中立的に語っているつもりでいるときに使うことばづかいがそれです。バルトは、そのような一見価値中立的に見える語法が含んでいる「予断」や「偏見」に注意を促しています。
「価値中立的な語法」のうちにこそ、その社会集団の全員が無意識のうちに共有しているイデオロギーがひそんでいる
・日常的な経験からも分かるとおり、私たちは決して確固とした定見をもった人間としてテクストを読み進んでいるわけではありません。むしろ、いまの映画の例から分かるように、テクストのほうが私たちを「そのテクストを読むことができる主体」へと形成してゆくのです。テクストと読者のあいだにこのような「絡み合い」の構造があることに気づき、それを批評の基本原理に鍛え上げたこと、それがバルトのテクスト理論家としての最大の業績です。

2 読者の誕生と作者の死

・「作者が言おうとしたこと」を特定することの原理的な困難さを知った批評家たちは、しかたなく、作者が「それと気づかずに語ってしまったこと」に照準を合わせることにしました。作者の家庭環境、幼児体験、読書経験、政治イデオロギー、宗教性、 器質疾患、性的嗜癖……などが今度は作品の「秘密」を教えてくれることになります。こうなると、批評家の仕事は、読解を通じて、作者を書くことへと動機づけた「初期条件」を探り当てることになります。それを正しく言い当て、作品の「成り立ち」を説明できれば、批評家の「勝ち」、作者の「秘密」に手が届かなければ、批評家の「負け」というわけです。現在でも、私たちが眼にする文芸批評の過半は、「作者に書くことを動機づけた初期条件の特定」というこの近代批評の基本パターンをしっかり踏襲しています。バルトは近代批評のこの原則を退けました。
・「テクストはさまざまな文化的出自をもつ多様なエクリチュールによって構成されている。そのエクリチュールたちは対話をかわし、模倣し合い、いがみ合う。しかし、この多様性が収斂する場がある。その場とは、これまで信じられてきたように作者ではない。読者である。(略)テクストの統一性はその起源にではなく、その宛先のうちにある。(略)読者の誕生は作者の死によって贖われなければならない。」(バルト「作者の死」)

3 純粋なことばという不可能な夢

エクリチュールの零度 アルベール・カミュ『異邦人』が理想 日本の俳句

第5章 「四銃士」活躍す その3――レヴィ=ストロースと終わりなき贈与

1 実存主義に下した死亡宣告

・『親族の基本構造』(1949)や『悲しき熱帯』(1955)といった人類学のフィールドワークを通じてアカデミックなキャリア積み上げたレヴィ=ストロースは、『野生の思考』(1962)でジャン=ポール・サルトルの『弁証法的理性批判』を痛烈に批判し、それによって戦後15年間、フランスの思想界に君臨していた実存主義に実質的な死亡宣告を下す

2 サルトルカミュ論争の意味

・「君が君自身であり続けたいのなら、君は変化しなければならない。しかし君は変化することを恐れた。」サルトルはこう言って、かつての盟友カミュに思想家としての死を宣告したのでした。
実存主義はこうして一度は排除した「神の視点」を、「歴史」と名を変えて、裏口から導き入れたような格好になりました。レヴィ=ストロース咎めたのは、この点です。
主体は与えられた状況の中での決断を通じて自己形成を果たすという前段について実存主義構造主義は別にどこが違うわけでもありません。しかし、状況の中で主体はつねに「政治的に正しい」選択を行うべきであり、その「政治的正しさ」はマルクス主義的な歴史認識が保証する、という後段に至って、構造主義実存主義と袂を分かつことになったのです。

3 かくてサルトルは粉砕された

レヴィ=ストロースはこの前提から出発します。そして、「あらゆる文明はおのれの思考の客観性指向を過大評価する傾向にある」ことを厳にいさめます。つまり、私たちは全員が、自分の見ている世界だけが「客観的にリアルな世界」であって、他人の見ている世界は「主観的に歪められた世界」であると思って、他人を見下しているのです。自分が「文明人」であり、世界の成り立ちについて「客観的」な視点にいると思い込む人間ほど、この誤りをおかしがちです。そして、レヴィ=ストロースはまさにその点についてサルトルの「歴史」概念に異議を申し立てることになります。
・「彼らのうちであれ、私たちのうちであれ、人間性のすべては、人間の取りうるさまざまな 歴史的あるいは地理的な存在様態のうちのただつのもののうちに集約されていると信じ込むためには、かなりの自己中心性と愚鈍さが必要だろう。私は曇りない目でものを見ているという手前勝手な前提から出発するものは、もはやそこから踏み出すことができない。」(『野生の思考』)
サルトルはまさに「その『我思う』の虜囚」としてレヴィ=ストロースに筆誅を加えられることになります。
サルトルは「歴史」を窮極の審級とみなします。それは未開から文明へ、停滞から革命へと進む、単線的な歴史プロセスの上ですべての人間的営みの「正否」を判定するということです。しかし、レヴィ=ストロースによれば、サルトルが「歴史」という「物差し」をあてがって「歴史的に正しい決断をする人間」と「歴史的に誤りを犯す人間」を峻別しているのは、「メラネシアの野蛮人」が、彼ら独自の「物差し」を使って、「自分たち」と「よそもの」を区別しているのと本質的にはまったく同じふるまいなのです。
サルトルが世界と人間に向けているまなざしは、『閉じられた社会』とこれまで呼ばれてきたものに固有の狭隘さを示している。」
そして、レヴィ=ストロースはこう断定します。
サルトルの哲学のうちには野生の思考のこれらのあらゆる特徴が見出される。それゆえにサルトルには野生の思考を査定資格はないと私たちには思われるのである。逆に、民族学者にとって、サルトルの哲学は第一級の民族誌的資料である。私たちの時代の神話がどのようなものかを知りたければ、これを研究することが不可欠であるだろう。」
この批判は戦後のあらゆる論争を勝ち続けてきた「常勝」のサルトルを一刀両断にしました。傷ついたサルトルは、構造主義は「ブルジョワジーマルクスに対抗して築いた最後のイデオロギー的障壁」であるという定型的な反論を試みました。サルトル主義者たちは領袖に唱和して、構造主義ブルジョワテクノクラートの秘儀的学知であり、「腐敗した西欧社会」の象徴であり、構造主義を叩き潰す「自由な精神」は、「ヴェトナムの稲田、南アフリカの原野、「アンデスの高原」から「暴力の血路」を切り開いて西欧に攻め寄せるだろうと予言したのです。「歴史の名においてすべてを裁断する権力的・自己中心的な知」として実存主義は批判されたわけですが、それに対して、サルトルは「歴史の名において」死刑宣告を下すという無策をもって応じました。こうして実存主義の時代はいかにも唐突に終わったのでした。

4 音韻論とはどういうものか

5 すべての親族関係は2ビットで表せる

・「さまざまな信憑や習慣の起源について、私たちは何も知らないし、この先も知ることができないだろう。なぜなら、その根は遠い過去の中に消えているからだ。(略) 習慣は内発的な感情が生まれるより先に、外在的規範として与えられている。そして、この不可知の規範が個人の感情と、その感情がどういう局面で表出され得るかあるいは表出されるべきかを決定しているのである。」(『今日のトーテミスム』)

6 人間の本性は「贈与」にある

・「近親相姦の禁止とは、言い換えれば、人間社会において、男は、別の男から、その娘またはその姉妹を譲り受けるという形式でしか、女を手に入れることができない、ということである。」(『構造人類学』)
・「隣人愛」や「自己犠牲」といった行動が人間性の「余剰」ではなくて、人間性の「起源」であることを見抜いたレヴィ=ストロースの洞見

第6章 「四銃士」活躍す その4――ラカンと分析的対話

1 幼児は鏡で「私」を手に入れる

2 記憶は「過去の真実」ではないの

フロイトによれば、精神分析治療は、患者が無意識的に抑圧している心的過程を意識化させることで、症候を消失させることをめざしています。(「番人」が追い返していた「抑圧された心的過程」を「意識の部屋」に連れ出せば、症候は消失する、というのがフロイトの治療観です。)「意識化」というのは、要するに「言語化」ということですから、分析治療とは、「これまで誰にも話したことのない<ほんとうの自分>についての物語を語る」こととも言えます。
・私たちが自分の過去の記憶(それも「すっかり忘れていた子ども時代のこと」)をありありと思い出すのは、それを真剣に、注意深く聞いてくれる「聞き手」を得たときに限られます。「過去を思い出す」のは、(逆説的なことですが)、私と「聞き手」のあいだに、回想の語りを通じて、親密なコミュニケーションを打ち立てられそうな期待がある場合だけなのです。
・私たちが忘れていた過去を思い出すのは、「聞き手」に自分が何ものであるかを知ってもらい、理解してもらい、承認してもらうことができそうだ、という希望が点火したからです。だとしたら、そのような文脈で語られた「自分が何ものであるか」の告白には「自分が何ものであると思って欲しいか」のバイアスが強くかかっているはずです。それが真実なのか、欲望が作り出した物語なのか、聞き手はもちろん思い出しつつある私を含めて、誰にも確かめることはできません。
・意外に思われるかも知れませんが、精神分析的対話は、被分析者が「ほんとうに体験したこと」や「ほんとうに考えていること」を探り当てるためになされているのではありません。いくら語っても、おのれの中心にある「あるもの」に触れることができないという構造的な「満たされなさ」から被分析者は決して逃れることができないからです。被分析者が語っているのは「空語」です。全力を尽くして、被分析者は自分について語っているつもりで、むなしく「誰かについて」語っているのです。「その誰かは、被分析者が、それこそ自分だと思い込んでしまうほど、彼自身に似ている」だけなのです。
しかし、それでよいのです。どれほど「漸近線」な接近に過ぎなかろうとも、「自我」について語ることによって、被分析者と分析家のあいだで創作され、承認された「物語」の中での「私」という登場人物はどんどんリアリティを増してゆくからです。被分析者は語ることを通じて、分析家との「あいだ」に架橋された構築物の上にその主体性の軸足をシフトしてゆきます。精神分析的対話とは、いわば被分析者の「本籍」を、彼の「内部」から、分析家と被分析者が両者の中間にある中空に共作しながら構築している「物語」の内部へと移す、「戸籍の移転」に類する作業なのです。
症状は、患者の内部にわだかまる「何か」が「別のもの」に姿を変えて身体の表層に露出した、一つの「作品」です。同じように、被分析者が語る「抑圧された記憶」もまた、一つの「作品」です。ですから、この「戸籍の移転」は「あるつくりもの」を「別のつくりもの」に置き換えることに過ぎません。しかし、それでも、ある病的症状がより軽微な別の症状に「すり替え」られたとしたら、それは実利的に言えば、「治療の成功」と言ってよいのです。それが「無意識的なものの代わりに意識的なものを立てること、すなわち無意識的なものを意識的なものに翻訳すること」というフロイトの技法なのです。
・さきほどから繰り返しているように、「無意識的なものを意識的なものに移す」というのは、決して「抑圧されていた記憶を甦らせて、真実を明らかにする」ということを意味するのではありません。病因となっている葛藤が解決されるなら、極端な話、何を思い出そうと構わないのです。精神分析の使命は「真相の究明」ではなく、「症候の寛解」だからです。
・「自我」と「私」と「主体」 自我=核心であり触れることができないもの 「私」とは、主体が「前未来形」で語っているお話の主人公です。つまり、「自我」と「私」は主体の二つの「極」をなしているわけです。主体はその二極間を行きともどりつしながら、「自我」と「私」の距離をできるだけ縮小することにその全力を賭けます。そして、分析家の仕事は、それを支援することに存するのです。

3 大人になるということ

・他者とことばを共有し、物語を共作すること。それが人間の人間性の根本的条件です。精神疾患の治療とは、まさにこの人間の基本に問題をかかえる人々をコミュニケーションの回路の中にふたたび迎え入れることをめざしているのです。さて、私たちがすでにかなり踏み込んでしまったこの人間の「社会化」プロセスこそ、「エディプス」と呼ばれるものなのです。
「エディプス」とは、図式的に言えば、子どもが言語を使用するようになること、母親との癒着を父親によって断ち切られること、この2つを意味しています。これは「父性の威嚇的介入」の2つのかたちです。これをラカン「父の否=父の名」 (Non du Père/Nom du Père) という「語呂合わせ」で語ります。
何か鋭利な刃物のようなものを用いて、ぐちゃぐちゃ癒着したものに鮮やかな切れ目を入れてゆくこと、それが「父」の仕事です。ですから、「父」は子どもと母との癒着に「否」 (Non) を告げ、(近親相姦を禁じ)、同時に子どもに対して、ものには「名」 (Nom) があることを (あるいは「人間の世界には、名を持つものだけが存在し、名を持たぬものは存在しない」ということを)教え、言語記号と象徴の扱い方を教えるのです。
・切れ目を入れること、名前をつけること。これはソシュールの説明で見たように、実は同じ一つの身ぶりです。アナログな世界にデジタルな切れ目を入れること、それは言語学的に言えば「記号による世界の分節」であり、人類学的に言えば「近親相姦の禁止」です。
・子どもが育つプロセスは、ですから言語を習得するというだけでなく、「私の知らないところですでに世界は分節されているが、私はそれを受け容れる他ない」という絶対的に受動的な位置に自分は「はじめから」置かれているという事実の承認をも意味しているのです。
・子どもの成長にとって言語を使用するということは不可欠のことですが、それは同時に、この世界は「すでに」分節されており、自分は言語を用いる限り、それに従う他ない、という「世界に遅れて到着した」ことの自覚を刻み込まれることをも意味しています。
・『こぶとり爺さん』の教訓「この不条理な事実そのものをまるごと承認せよ」
・平たく言ってしまえば、「怖いもの」に屈服する能力を身につけること、それがエディプスというプロセスの教育的効果。
・聖書「カインとアベル」の寓話

4 コミュニケーションにこそ価値がある

ラカンの考え方によれば、人間はその人生で二度大きな「詐術」を経験することによって「正常な大人」になります。一度目は鏡像段階において、「私ではないもの」を「私」だと思い込むことによって「私」を基礎づけること。二度目はエディプスにおいて、おのれの無力と無能を「父」による威嚇的介入の結果として「説明」することです。
みもふたもない言い方をすれば、「正常な大人」あるいは「人間」とは、この二度の自己欺瞞をうまくやりおおせたものの別名です。
・他者との言語的交流とは理解可能な陳述のやりとりではなく、ことばの贈与と嘉納(ほめ喜んで受け取ること)のことであって、内容はとりあえずどうでもよいのです。だって、「ことばそれ自体」に価値があるからです。ことばの贈り物に対してはことばを贈り返す、その贈与と返礼の往還の運動を続けることが何よりもたいせつなのです。
精神分析の目的は、症状の「真の原因」を突き止めることではありません。「治す」ことです。そして、「治る」というのは、コミュニケーション不調に陥っている被分析者を再びコミ ュニケーションの回路に立ち戻らせること、他の人々とことばをかわし、愛をかわし、財貨とサービスをかわし合う贈与と返礼の往還運動のうちに巻き込むことに他なりません。そして、停滞しているコミュニケーションを、「物語を共有すること」によって再起動させること、それは精神分析に限らず、私たちが他者との人間的「共生」の可能性を求めるとき、つねに採用している戦略なのです。

あとがき

レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。
8/5読了
 
◆要約:構造主義の出来るだけわかりやすい説明。
◆感想:一応知っていた内容だがよい復習になった。知らなかったことも多い。
マルクスの「階級意識」という概念について理解が深まった。どの階級に属するかによって、世界の見え方が全く異なる。
フロイトの「抑圧」という概念について理解が深まった。ある心的過程を意識することが苦痛なので、それについて考えないようにすること。
ニーチェの畜群、畜群道徳について理解が深まった。他の人と同じように振る舞うことだけが行動原理。
そして内田先生がニーチェの欠点まで指摘してくれたことがためになった。超人になるためには、見下すべき「畜群」の存在を必要とすること。
バルトの「エクリチュール」という概念。言葉遣いの問題。
ラカンの「父の否/父の名」の概念が一番重要だと思った。象徴界の威嚇的介入。父の名より父の否と言ったほうが意味がわかりやすい。
前回サルトル実存主義とはなにか』を読んだので、レヴィ=ストロースの章の実存主義構造主義の対立の話が一番知りたかったところかもしれない。
この本を読んでわかったが、実存主義がまったく否定された訳では無い。サルトルの正義の主人公ぶりが途中から暴走したため、それにレヴィ=ストロースが釘を刺しただけ。
この論争では構造主義の圧勝(サルトルの自滅)だったわけだけど、構造主義を絶対視するのも副作用がある。
構造主義以降、正義というものが言いにくくなり、ニヒリズムシニシズムポストモダンを招いた。
構造主義を踏まえた上でも、人は結局、自分の境遇、自分のイデオロギーからしか考えられないしものを言えないのだから、その前提の上で正義を、倫理を主張していくしかない。そして他者と対話する、議論する。
ここに出てくる構造主義者たちも、それは全員同意しているとわかった。