マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

辺野古座り込み

去年は戦後70年。正月に福島に行き、夏に安保法案反対運動に参加し、この年は自分の中でそういう年(戦後70年の日本の現状を考える年)にしてしまおうと思い、11月末に沖縄に行った。
宮台真司+仲村清司「これが沖縄の生きる道」と矢部宏治「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド」の2冊をお供にした。
本を読んで、バスで那覇から普天間へ向かう途中。キャンプ・キンザーのゲートから見える司令部の上に、大きな日の丸と星条旗が並んでたてられている風景をみた瞬間、深く実感するものがあった。確かに日本は占領されて、そして沖縄では今でもそれははっきりわかる形で続いているんだなあと。
普天間、嘉手納の基地を見学して、11/25の昼に辺野古の海岸のテント村とキャンプ・シュワブゲート前の座り込みテントに着き話を聞いた。毎朝7時頃に基地内へ入る工事車両を止めるために座り込みをしていることがわかった。
11/26、名護の旅館をでて、始発のバスに乗り、朝6時ころにキャンプ・シュワブのゲート前に着いた。簡単なミーティング(最後に歌を歌う)のあとキャンプ・シュワブの第二ゲート前に座り込んだ。人数はその日は60人くらい。7時前になると、沖縄県警と東京から派遣された機動隊がバスでやってきて、座り込みの前に並ぶ。7時になるとアナウンスと共に撤去が開始される。要するに、道路交通法違反で危ないので、排除しますということらしい。抵抗の程度は人それぞれで、観念して静かに運ばれる人もいれば、頑強に抵抗する人もいる。私も撤去が始まってから5分後くらいに、二人の機動隊員に脇を持ち上げられ、運ばれてしまった。
運ばれる途中、「今、裁判中なんだから、その間は工事を止めた方がいいんじゃないですか」と言ったが返答はなかった。
運ばれるとゲートの両脇に柵とバスで囲まれた場所があり、そこに入れられて、排除が終わるまで出れなくなる。
結局その日は15分くらいで排除が完了してしまい、工事車両約15台が基地の中へ入っていった。
辺野古普天間の移設といわれているが、新たに軍港も作られるなど、明らかに機能強化になっている。
もともと前知事の仲井真さんも2010年の選挙で県外移設を公約として当選したのだが、2013年に翻意して、辺野古埋め立てを承認してしまった。そして2014年の選挙では辺野古反対の翁長さんが仲井真さんに10万票の差をつけて勝っている。
那覇に戻って、初めてのミニ社会調査をしてみた。「辺野古移設に賛成か反対か」4人(全て男性)に聞いてみた。結果は2対2。賛成はレンタカー屋の所長(20-30代)と居酒屋(浮島通り)の店長(30代)。主な理由は中国脅威論。そして、座り込みの連中は、工作員で日当を貰っているんだというもの。反対は居酒屋(安里)の店員(女将の甥、30代)とそこのお客さん(60代)。反対の二人は口は重かった。60代らしきお客さんは歴史を知ろ、と頻繁に言っていた。30代の店員さんは、難しいですけど、やっぱり基地は無いほうがいいと。
賛成派の二人も、「しょうがないんだよ」と言っていて、諦めのような、静かな怒りを感じた。この話題は那覇では話しづらくなっているとも言っていた。
昨日ツイッターで、福島の原発に関して、「リスクの「便益だけを受け取る人」と「主に危険だけ押し付けられる人」がいる」とのツイートを目にした。福島の原発は都心に電力を供給していた。これは、そっくりそのまま沖縄に当てはまる。
日本は日米安保によって守られている。しかし負担は沖縄に押し付けている。もちろん、横田や岩国にも基地がある。しかし、面積でいうと74%は沖縄に集中している。
ゲート前の座り込みの様子を連日ツイキャスしている人がいる。主にアツシという人とななさんという人。
録画ライブ 工事車両が来る #232896953 - ツイキャス
このアーカイブは例えば1月14日の様子。
ほとんど報道されない。特にテレビではおそらく全く映像が流れていない。マスコミでは琉球新報沖縄タイムスだけが丁寧に報道している。
朝、気持よく布団の中で寝てると、ツイキャスのプッシュ通知でななさんの放送開始が通知される。布団の中と、このギャップ。
自分が辺野古に座り込みして感じたことは、自分はこの運動にフルコミットはできないということ。やはり一番は沖縄県民の問題であり、それにしては60人は少なすぎると思った。
しかし、応援しているし、自分のできる範囲で連帯はしていこうと思った。
今日は、この問題において重要な宜野湾市長選がある。志村さんが勝てば沖縄の本気度を感じるし、現職の佐喜真さんが勝っても、普天間の辛さもわかるし、引き続き沖縄と連帯していきたいと思っている。