- 11.キプロスのゼノン
- 12.エピクロス
- 中世
- 13.アウレリウス・アウグスティヌス
- 14.カンタベリーのアンセルムス
- 15.トマス・アクィナス
- 16.オッカムのウィリアム
- 近世
- 17.フランシス・ベーコン
- 18.ジョン・ロック
- 19.ジョージ・バークリ
- 20.デイヴィド・ヒューム
11.キプロスのゼノン
ストア派(禁欲的)
古代ギリシアは、アテナイやスパルタなどポリスと呼ばれる小さな共同体に分かれていました。そして、自分たちの生活のルールはポリスごとに自分たちで決めていました。だからギリシア人は、自分が所属するポリスにとても誇りを持っていました。
けれどもアレクサンドロス大王が帝国をつくりあげるとポリスは解体。ポリスを自分のアイデンティティにしていたギリシア人は心のよりどころを失い始めます。
このような理由から、ヘレニズム時代(アレクサンドロス大王〜ローマ帝政)の哲学は「いかにして心の不安を取り除くか」がテーマになります。そこでまずゼノンの唱えたストア派が誕生します。ストア派は情念(パトス)に振り回されない無情念(アパティア)をめざす生き方を提案します。
12.エピクロス
エピクロス派(快楽を肯定)
ストア派にやや遅れてエピクロス派が登場します。エピクロス派の平常心の保ち方はストア派のように禁欲的ではなく、むしろ快楽を肯定します。けれども彼らの快楽はむさぼるようなものではなく、心が不安でない状態をさします。
エピクロス派にとって、平安な心の境地(アタラクシア)への到達の条件は①死の恐怖を取り除くこと、②最小限の欲望を満たすこと、③友情を大切にすることの3つです。
まず①です。エピクロスは死んでしまったら、自分はもう存在しないのだから死を恐れる必要はないと考えて死の恐怖を取り除きます。
そして②です。最小限の欲望とは、飢えない、渇かない、寒くないの3つだとエピクロスは言います。他のことに執着せず、これらのみ満たせばよいわけです。
しかし、誘惑が多いのが世の中です。エピクロスは政治や社会の雑踏から身を引いて、田園の中で仲間たちと友情を大切にしながら静かに暮らすことを提案します。エピクロスはこれを「隠れて生きよ」と表現しました。
中世
13.アウレリウス・アウグスティヌス
アガペー
神は、善人も悪人も、さらには神(自分)に背く者ですら、分け隔てなく救おうとするとイエスは考えました。神が人間に与える損得勘定のない無償の愛をアガペーといいます。
そしてイエスは、私たち人間同士の愛もアガペーであるべきだと説きます。彼は「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」の言葉のように、「目には目を歯には歯を」といった報復主義ではない道徳を唱えます。
愛と訳される言葉は他にプラトンのエロス、アリストテレスのフィリアがありますが、アガペーはこれらとはどのように違うのでしょうか?イエスの言葉にその答えがあるかもしれません。
イエスはユダヤ教徒でしたが、ユダヤ教の教えをときに破ります。教えよりもアガペーの方を優先させたからです。彼はアガペーを身をもって実行していきます。
その後、イエスはユダヤ教の異端者として十字架にかけられてしまいます。けれども彼のアガペーの教えはパウロ(~65年?)たちによって、ローマ帝国の領内にまで広められていきます。
教父哲学
イエスの死後、弟子のパウロたちは地道な布教活動を続けます。それから約300年後、キリスト教はローマ帝国の国教になりました。ローマ教会によって承認され、キリスト教の正統な教義の確立につとめた指導者たちを教父といいます。
教父が説いた教義は教父哲学といわれます。中でも最大の教父といわれるアウグスティヌスは次の2つの教義で有名です。
1つ目は神の恩寵と教会の役割についてです。神の恩寵がなければ、生まれながらの人の原罪は報われない。その仲立ちをするのが教会だとする説です。
神の恩寵→アウグスティヌスは、自由意志による救済という考え方を否定し、原罪を負う人間が救われるのは、神の恩寵によってのみ可能だと説いた
2つ目は三元徳上位説です。プラトンの四元徳よりもキリスト教の三元徳の方が価値が高いとする説です。
三元徳上位説→アウグスティヌスはプラトンの四元徳である「知恵」「勇気」「節制」「正義」の上にキリスト教の三元徳である「愛」「希望」「信仰」を乗せた
イエス本人は布教活動をしているつもりはありませんでしたが、キリスト教が広まった背景にはこれらの教義の存在がありました。さらにアウグスティヌスは、神とイエスと聖霊が一体だとする三位一体説を明確に定義して、キリスト教の教義を確立しました。
聖霊→様々な解釈がある。「風」と訳されたり「心の中の神」といわれたりする
14.カンタベリーのアンセルムス
普遍論争
ヒツジ、ニワトリ、ウシ…を総称する「家畜」というくくりは私たち人間が作った言葉です。それでは「動物」というくくりはどうでしょうか?「動物」一般という普遍は、この世の中に初めから存在しているのでしょうか?それとも私たちの都合で作った単なる言葉にすぎないのでしょうか?
さらに「人間」という普遍は存在するのでしょうか?この「普遍は存在するかしないか」の論争(普遍論争)は、中世の長きにわたって繰り広げられました。普遍は存在すると考えることを普遍実在論(実念論)、普遍は存在しないと考えることを唯名論といいます。
キリスト教の教えでは、最初の人類であるアダムの罪を同じ人間である私たちが「原罪」というかたちで背負っています。けれども、もし「人間」という普遍が存在しなかったら、私たちは罪を背負う必要はありません。「原罪」から私たちを救う役割をしている教会も必要なくなります。
このような理由から、普遍の有無は教会にとって非常に重要な問題でした。
普遍実在論者はアンセルムス、唯名論者は唯名論の創始者であるロスケリヌス(1050~1125)が有名
15.トマス・アクィナス
スコラ哲学
中世初期、アリストテレスの哲学はヨーロッパでは忘れられましたが、イスラム世界で受容されていました。ところが中世中期になると十字軍によって再発見され、ヨーロッパに逆輸入されてきます。
アリストテレスの哲学は理性と信仰の矛盾を突きつけるものだったため、教会はあわてました。トマス・アクィナスはアリストテレスの哲学に対抗するため、逆にアリストテレスの哲学を用いて、理性と信仰の両立を証明しようとします。こうした神学を成り立たせる哲学をスコラ哲学といいます。その1つとして、神の存在証明があります。
トマス・アクィナスの神の存在証明→アリストテレスは物事は原因と結果で成り立っていると言った。それでは最初の原因は誰が作ったのか?それは神にほかならない。よって、神が存在しないと世の中は存在できない
そしてトマス・アクィナスは「死後の世界」や「宇宙の外側」などの問題にはアリストテレスの哲学では到達できないと考えます。トマス・アクィナスはこのような理性で到達できない問題を真理と呼び、真理にせまるのが神学だと説きます。
こうしてトマス・アクィナスは神学と哲学に明確な上下関係を作りました。そして、この上下関係を中世スコラ哲学では「哲学は神学のはしため」と表現します。
16.オッカムのウィリアム
オッカムの剃刀
普遍は存在しないと考えた中世後期の人物がオッカムです。彼は存在するのは太郎や花子といった一つ一つの個物であり、それらを総称する「人間」という普遍の存在を認めません。
一つ一つの個物について探求していくことは重要ですが、人間が後から考えた言葉である「ほ乳類」や「人間」という、そもそも自然界に存在しないものに思考をめぐらす必要はないと彼は言います。無駄な言葉を剃刀で剃り落とすようなこの考え方はオッカムの剃刀と呼ばれています。
長らく哲学は、「哲学は神学のはしため」といって神学の下部に取り込まれてきました。けれども普遍を剃刀で剃り落としたオッカムは、つねに合理的であるべき哲学は、「人間」という普遍は存在するとする神学と分離して考えるべきだと説きました。
オッカムの剃刀の考え方は、神秘的ではなく合理的に物事を考えるきっかけとなっていきます。
そして、考える自分が主体となる近代的哲学の幕が開きます。
近世
17.フランシス・ベーコン
知は力なり
ベーコンは、スコラ哲学では学問的知識を基礎づけることはできないと考え、自然哲学とスコラ哲学の役割を明確に分けました。
ベーコンは、生活の向上は教義からだけではなく、経験や実験による自然のしくみの理解(自然の征服)から得られると考えました。これを「知は力なり」と表現します。イギリスにもたらされたこの経験を重視する考えは、初めに真理ありきで世界を説明しようとする中世の哲学や神学とは、まったく反対の方法でした。
イギリス経験論
イギリスでは、知識や観念はすべて五感(聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚)を通じて得た経験によるもので、生まれ持った知識や観念は存在しないという考えが方が発展します。これをイギリス経験論といいます。イギリス経験論者はおもに帰納法で正しい知識を身につけられると考えます。
この考え方は、人は生まれつき知識や観念を持っているとする大陸合理論と対立します。
18.ジョン・ロック
タブラ・ラサ(白紙)
ロックはイギリス経験論の立場から大陸合理論の生得観念に疑問を持ちます。彼は、人が生まれつき観念を持っているとは思いませんでした。(※観念=自分が意識している事や物)
ロックは、生まれたときの人の心は何も書いてない白紙(タブラ・ラサ)だと考えました。そして、経験したことがこの紙に書き込まれて、知識や観念になると主張しました。
単純観念/複合観念
生得観念を否定したロックは、人には生まれつきの知識はなく、すべては経験によるものだと考えました。彼によれば、「赤い」「硬い」「すっばい」など、今までの自分の経験を組み合わせることで、対象をリンゴだと認識できるようになります。「赤い」「硬い」「すっぱい」など、五感から得る印象を単純観念、それらを組み合わせてできた「リンゴ」という知識を複合観念といいます。(※観念=自分が意識している事や物)
一次性質/二次性質
ロックはものの性質を2つに分けて考えます。リンゴの匂いや味などは人間の感覚器官がそう捉えているだけでリンゴそのものに備わっている性質ではありません。これを二次性質といいます。これに対して形や大きさなど五感に関係なく、リンゴそのものに備わっているのが一次性質です。
後にバークリは一次性質も人間の感覚器官によるものだと考える。
認識論
認識論は人は物事をどうやって知る(認識する)のか?という疑問から始まりました。
そして生得観念はあるのかないのかという論争を経て…。
イギリス経験論のなかでも、客観的な実在を認める立場と認めない立場が対立していきますが、これらは結局、「主観と客観の姿形は一致するのか?」という問題に帰着する。
19.ジョージ・バークリ
存在するとは知覚されていることである
私たちは普段、リンゴが存在するからそれをさわったり見たりできる(知覚できる)と考えています。けれども実際のところ、誰かが知覚する前にリンゴの存在を確認することはできません。リンゴの存在の前には必ず私たちの知覚があります。バークリは物は存在するから見えるのではなく、見えるから存在できるのだと言います。
もしバークリの説が正しければ、知覚する側である私たちが存在しないと物も存在できないことになります。バークリはこの考えを「存在するとは知覚されていることである」と表現しました。彼にとって世界は物質として存在せず、私たちの意識の中だけにあるのです。
バークリによれば、誰かが知覚していればリンゴはその人の意識の中で存在できることになります。それでは誰も見ていなければ、リンゴは存在できないのでしょうか?聖職者であるバークリは、人間が見ていなくても、神が見ているから存在できると考えました。
20.デイヴィド・ヒューム
知覚の束
ロックはリンゴの色や味や匂いなどは実在しないと考えました(二次性質)。さらにバークリはリンゴの存在そのものを否定しました(存在するとは知覚されていることである)。けれども2人ともリンゴを見ている私の存在は疑いませんでした。ヒュームはこの私すら疑います。
それではヒュームが考える私とはどんなものだったのでしょうか?人には今現在、五感(聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚)による、「寒い」「心地よい」「うるさい」…といった何らかの感覚(知覚)があります。私とは今の瞬間、これらの感覚(知覚)が集まったものにすぎないと彼は言います。彼は「人間とは知覚の束である」と表現しました。
ヒュームにとって感覚(知覚)のみが確かに存在するもので、私という実体はありません。