マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】スラヴォイ・ジジェク著、鈴木晶訳『イデオロギーの崇高な対象』(河出文庫 2015年(単行本は2000年))

目次

謝辞

・ジャック=アラン・ミレール
・エルネスト・ラクラウ&シャンタル・ムフ『ポスト・マルクス主義と政治―根源的民主主義のために』

はじめに

・4つの異なる主体概念
ハーバーマス - 普遍的な近代的個人
フーコー - ルネサンスの万能人
アルチュセール - 主体はイデオロギーによる所産
ラカン - 精神分析はまた別の地平 例えば死の欲動
・文化、人間、民主主義そもそもがマイナスのもの チャーチルの有名な警句 原初の「外傷」 原罪
ラクラウ=ムフの根源的民主主義=「根源的」に無理である、不可能であるという前提 ↔ これがマルクスとの違い
・「ヘーゲルこそ最初のポスト・マルクス主義者である」というテーゼ
弁証法=一種の諦め、妥協
・ヤルゼルスキ政権下のポーランド 夜間外出禁止
・本書の目的3つ
・1.ラカン精神分析の基本概念の紹介
・2.ヘーゲルの再評価
・3.ラカンを通して、イデオロギー理論に新たに寄与する≒「ヘーゲルを救う」ために、ラカンを通して、ヘーゲルを読み直す。それによって現在の「ポスト・モダニズム」の罠を回避する。

第1部 症候

1.いかにしてマルクスは症候を発明したか

マルクスフロイトー形態分析

・商品の分析と夢の分析
フロイトは「なんでもかんでもセックスに結びつける」という批判
・結局のところ、夢とは、睡眠状態の諸条件によって可能になるような、思考の一特殊形態に他ならない。その形態をつくり出すのが夢の作業であって、この夢作業のみが夢の本質であり、夢の特殊な性質を解きあかす鍵なのである。
・アルフレート・ゾーン=レーテル「現実的抽象」=商品交換というきわめて現実的な中で働いている抽象作用
・貨幣=物質であると同時に「象徴界」の存在でもある。
・無意識=その存在論的位置が思考のそれではないような思考形態、つまり、思考そのものの外にある思考形態
・抽象的秩序=思考に先立ち、思考の外にある思考形態
・行為者が自らの行為の抽象性に気づかない≒エスノメソドロジー
・「普遍的理性」は何にも影響を受けていないか?
・ゾーン=レーテルの簡単な公式「このように現実を知らないことが、その本質の一部なのである」
★交換過程の社会的現実性は現実の一部であり、それに参加している人間がそれの本来の論理に気づかない場合にのみ存在しうる。すなわち、その存在論的整合性が、その参加者たちのある種の非知を含んでいるような現実である。もし人が「よく知っている」ようになり、社会的現実の真の機能を見抜いたならば、この現実は霧散してしまう。おそらくこれが「イデオロギー」の基本的次元である。
イデオロギー=参加者がその本質を知らないことを前提とした社会的現実。すなわち、その再生産のためには人間が「自分が何をしているのか知らない」ことを前提するような社会的現実である。
・症候=「その整合性そのものが主体の側のある種の非知を前提とする形成物」。ここでイデオロギーと症候が結びつく。

社会的症候

・ある概念の普遍化は、一方でそれを自ら否定する一部の症候を引き起こす。
共産主義=生産手段の共有化=搾取の無い世界、疎外の無い世界
・要するに、「ユートピア的」という言葉は、症候のない普遍性、つまりそれ自身の内的否定として機能するような例外をもたない普遍性が可能だという信念をあらわしている。
プロレタリアート=「合理そのものの不合理」

商品の物神性(フェティシズム

・商品も人間も、他と比べることで初めて自分の価値がわかる=鏡像段階理論
・全ては関係性。たとえば、ある人間が王であるのは、他の人間たちが彼にたいして臣下として相対するからに他ならない。ところが一方、彼らは、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思い込んでいる。
・「王であること」は、「王」と「臣下」との社会的諸関係の網の効果である。だが――ここに物神的な誤認があるのだが――この社会的絆の参加者たちの目には、この関係がかならず反対に見える。彼らはこんなふうに考えている――自分たちが王に仕える臣下であるのは、王自身がすでに、臣下との関係とは無縁に、王だからである、と。あたかも、「王であること」を決定するのが、王である人物の「自然な」属性であるかのように。
ラカン「自分を王だと思い込んでいる狂人は、自分を王だと思い込んでいる王以上に狂っているわけではない。」
・資本主義になって領主が退陣したことは置換にすぎないのだ。つまり、「人間どうしの関係」の脱物神化を埋め合わせるために、「物どうしの関係」における物神性、すなわち商品の物神性が出現したかのようだ。
・商品の値段に夢作業のようなマジック(イデオロギー)がある。1000万円の住宅は本当に1000万円か?
・資本主義社会=人間どうしの社会関係が物どうしの社会関係の形によって偽装される。

全体主義的な笑い

・『ドン・ジョバンニ

イデオロギーの一形態としてのシニシズム

・おそらくイデオロギーのいちばん基本的な定義は、マルクスの『資本論』の有名な一節だろう。「彼らはそれを知らない。しかし彼らはそれをやっている。」
★問題は、イデオロギーの歪んだ眼鏡を投げ捨てて、事物(すなわち社会的現実)を「ありのままに」見ることではない。大事なのは、どうして現実そのものが、いわゆるイデオロギー的ごまかしを抜きにしては再現されないのかを明らかにすることである。たんに仮面が事物の本当の状態を隠しているというのではない。イデオロギー的歪曲はその本質そのものに書き込まれているのである。
スローターダイク『シニカル理性批判』イデオロギーは何よりもまずシニカルに機能する
シニシズムは公式的イデオロギーのいわば倒錯した「否定の否定」≒リベラル批判、弱者叩き

イデオロギー的空想

・彼らが知らないのは、彼らの社会的現実そのもの、つまり彼らの活動が、ある幻想、すなわち物神崇拝的な転倒によって導かれているということ。

信仰の客観性

封建社会→資本主義社会では、主体は解放され、自分たちは中性的な宗教的迷信から解放されていると信じており、おのれの利己的な関心にのみ導かれた合理的な功利主義者として他人と関係する
・近代、人間は宗教的迷信から解放されたが、実は物それ自体が信仰をもっている。人間のために祈っている。=経文を貼り付けた風車
ラカン精神分析は心理学ではない」
・コロス 古代ギリシア劇の合唱隊(劇の情況を説明したり批評したりするなど、進行上大きな役割を果たす) 笑い声のSE

「法は法」

★信念なるものはけっして心の奥底に「秘められた」もの、つまり純粋に精神的な状態ではなく、つねにわれわれの現実的な社会的活動の中に具体化されるということだ。信念は、社会的現実を規定している空想を支えているのだ。
・いわゆる(官僚制など)「カフカ的世界」は「社会的現実の空想的イメージ」ではない。それどころか、社会的現実そのものの真只中で発動している空想を表現したものである。
精神分析的アプローチは、何よりもまず、社会的現実そのものの中で働いているイデオロギー的空想に狙いを定める。
パスカル「われわれは精神であるのと同程度に自動機械である」
パスカル「習慣は、それが受け入れられているというただそれだけの理由で、公正さそのものである。それが習慣のもつ権威の神秘的な基礎である。習慣をその起源まで突きつめていくと、それを破壊してしまうことになる」
・理不尽(不合理)なこと=権威の決定的条件=精神分析における超自我なる概念の基本的特徴
カフカ『審判』「気の滅入るような結論ですね」「虚偽が普遍原理にされているんだから」=法の権威には真理は含まれていないということ
・マレク・カニエフスカ『アナザー・カントリー』ケンブリッジ大学 ジョン・コーンフォード、ガイ・バージェス
精神科医と患者の転移

アルチュセールの批判者カフカ

★結局やっていることが、信仰していること
・信仰とはすなわち死んだ、理解不能な文字への服従である。心の奥底に秘めた信仰と外的な機械とのこの短絡こそが、パスカル神学のもっとも革命的な核心なのである。
アルチュセールが見落としたもの
・国家装置という外的な「機械」は、それが、主体の無意識的経済において、外傷的で無意味な命令として受け取られるときはじめて、その力を行使するのである。
・不合理な官僚制こそが最初に直面しかつ最大の国家のイデオロギー装置
ラカン 夢=本当の欲望=<現実界
だから彼は目覚めるのだ。恐ろしい夢の中で姿をあらわす、自分の欲望の<現実界(リアル)>から逃れるために。眠り続けるため、自分の盲目を維持するため、自分の欲望の<現実界(リアル)>へと覚めないようにと、彼はいわゆる現実(リアリティ)の中へと逃げ込むのである。
・現実(リアリティ)は、夢に堪えられない者たちのためにある。「現実(リアリティ)」とは、われわれが自分の欲望の<現実界(リアル)>を見ないですむようにと、空想がつくりあげた目隠しなのである
イデオロギー=現実(リアリティ)に近い
イデオロギーの機能は、われわれの現実(リアリティ)からの逃避の場を提供することではなく、ある外傷的な現実(リアル)の核からの逃避として、社会的現実(リアリティ)そのものを提供することである。
・『精神分析の4つの基本概念』荘子 胡蝶の夢
・主体とはなにか その場所では、彼あるいは彼女の中身全体は他者によって、すなわち相互主体的な関係の象徴的な網によって、調達される
・その主体の中身――「彼が何であるか」――は、彼が同一化できるようなものを彼に提供し、象徴的な命令を彼に課す、外部のシニフィアンの網によって決定されることになる
・→しかし、それだけではない。根拠になるのは空想

現実の支えとしての空想

ラカンのテーゼ「われわれは夢の中においてのみ真の覚醒に、すなわちわれわれの欲望の<現実界(リアル)>に接近するのである」
・われわれが「現実(リアリティ)」と呼んでいるものの最後の支えは空想である、とラカンはいうが、けっしてこれを、「人生は夢にすぎない」とか「われわれが現実(リアリティ)と呼んでいるものは幻覚にすぎない」といった意味に解釈してならない。反対に、すべては鏡に映った幻の戯れである、などといったふうには絶対に還元できないような、固い核、残滓がかならずある、というのがラカンのテーゼである。
ラカンと「素朴なリアリズム」の違いは、ラカンにとっては、われわれがこの<現実界(リアル)>の固い核に接近できる唯一の場所は夢である、ということである。夢から覚めたとき、われわれはふつう「あれはただの夢だったのだ」と独り言をいい、それによって、覚醒時の日常的な現実(リアリティ)においてはわれわれはその夢の意識にすぎないという事実から目をそらす。われわれは夢の中においてのみ、現実(リアリティ)そのものにおけるわれわれの活動と活動様式を決定する空想の枠組みに接近できたのだ。
・われわれのイデオロギー的な夢の力を打破する唯一の方法は、この夢の中にたちあらわれるわれわれの欲望の<現実界(リアル)>を直視することである。

剰余価値と剰余享楽

マルクス主義から見たイデオロギー=「虚偽」の永遠化/普遍化 = 資本主義イデオロギー核家族イデオロギー、人間関係・社交イデオロギー
・資本主義は均衡しないことがその条件であり強いところ 終わりなき欲望、終わりなき享楽 剰余享楽
ラカン対象a>=根本的・本質的欠如を体現している残滓=「欲望の原因」
マルクスでさえ、資本主義のその部分の底なしさ、恐ろしさを掴みそこねた?

2.症候からサントムへ

症候の弁証法
バック・トゥ・ザ・フューチャー

・分析=意味のない想像界の傷跡を象徴界に統合すること
・無意味=本質的に想像的なもの=主体の歴史の「象徴的発達に同化されえなかった想像的固着」=象徴的発達がなされた段階には実現されてしまっているもの
・真実とはすなわち、症候にその象徴的位置と意味をあたえるシニフィアンの枠組み
・われわれが象徴秩序の中に入るやいなや、過去はつねに歴史的伝統という形であらわれ、それらの傷跡の意味はあたえられない。その意味は、シニフィアンのネットワークの変容にともなってつねに変化しつづける。
・転移=無意識の現実(リアリティ)の実現
・ウィリアム・テン「モーニエル・マザウェイの発見」
サマセット・モーム『シェピー』「サマーラでの約束」

歴史における反復

ローザ・ルクセンブルクエドゥアルド・ベルンシュタインの論争 ローザ「最初の権力奪取は必然的に「時期尚早」である」 まず時期尚早にやってみてしまうこと
ロベスピエールの有名な文句「修正主義者が欲しがっているのは「革命なき革命」なのだ」
・脅迫神経症者(の男性)とヒステリー症者(の女性)との対立。前者は行為を先延ばしし、後者は行為を先走る(自分自身を追い越す)
カエサル=カイザー=皇帝
・ここでの核心的な点は、ある出来事の象徴的な地位が変化するということである。その出来事が最初に起きたときには、それは偶発的な外傷として、すなわちある象徴化されていない<現実界(リアル)>の侵入として体験される。反復を通してはじめて、その出来事の象徴的必然性が認識される。つまり、その出来事が象徴のネットワークの中に自分の場所を見出す。象徴界の中で現実化されるのである。
・すべてはミネルヴァのフクロウ、終わった後でわかる
・殺された父親の代わりに「父-の-名」(法)があらわれる。

ヘーゲルとオースティン

ジェイン・オースティン 18-19世紀イギリス郊外の平凡な家庭の話
・『高慢と偏見』『マンスフィールド・パーク』『エマ』
★『高慢と偏見』ダーシーとエリザベス 他者の中に見つけた欠点の中に、われわれは、それとは知らずに、自分自身の主観的な立場の虚偽性を見出すのである。他者の欠点とは、われわれ自身の視点の歪みを客体化したものにすぎないのである。

ヘーゲル的小話二題

ポーランド人とユダヤ人の小話
・人と人の転移関係
・<対象a>=欲望の原因であり――パラドックスなのだが――この欲望によって遡及的に設定されるもの
・「空想を通り抜ける」ことを通じて、われわれは、この空想-対象(「秘密」)がわれわれの欲望の空虚さを物質化したものにすぎないことを体験する。
カフカ『審判』掟の扉
・欲望はすべて個人的なもの。他者への距離、ないものねだり。

時間の罠

★誤認が本来もっている積極性、すなわち誤認は「生産的」動因として機能する。=馬鹿だからできること。

症候としてのタイタニック

・<現実界(リアル)>VS<象徴界
・症候=享楽のリアルな核
・われわれはあらゆる手段を尽くしてそれ(現実界)を飼い慣らし、ジェントリファイ化し(ちなみに、これは都市の「症候」としてのスラムを飼い慣らそうとする戦略を指す用語である)、説明によって、すなわちその意味を言葉にすることによって、それを解消しようとするが、症候は剰余として生き延び、回帰してくる。
・1898モーガン・ロバートソン『無益』14年後そっくりの船『オマル・ハイヤームルバイヤートタイタニック=タイタン
・大型豪華客船=社会の自我理想
タイタニックの船上=享楽そのもの

症候からサントムへ

・「<象徴界(シンボリック)>から排除されたものは症候の<現実界(リアル)>の中に回帰する」
・男=象徴界 女=現実界 女のシニフィアンは存在しない→女は男の症候である
・言語→コード化・暗号化
★症候は解釈されることを待っている
・どうして、解釈されたにもかかわらず、症候は溶解しないのか。どうして生き延びるのか。もちろんラカンの答えは、享楽だ。症候は単に暗号化されたメッセージであるだけでなく、同時に、主体がおのれの享楽を組織化する手段でもある。
P144まで

第2部 他者の欠如(汝何を欲するか;汝は二度死ぬ)

第3部 主体(“現実界”のどの主体か?;「実体としてだけでなく主体としても」)