マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】ジャン=ポール・サルトル著、伊吹武彦・海老坂武・石崎晴己訳『実存主義とは何か 増補新装版』(人文書院 1996年)

初版版は1955年出版。 

目次

1945年の実存主義/海老坂武

(1)その背景

・1945年10月29日パリ クラブ・マントナンでの講演とそれに続く討論の記録
実存主義(existentialisme) 
実存主義者=ビートニク、ヒッピーの前身 パリのサン・ジェルマン・デ・プレ界隈にたむろしてる若者 低住所を持たず、一日になにかわからぬ「仕事」を30分だけして、あとはカッフェとバーとキャバレを往き来しているだけの寄生虫のような存在
・時代背景=戦争が終わった自由 <ショアーホロコースト)>と広島長崎が暗示する終末感 食糧・燃料不足 前世代(大人)への不信感
・当時20歳前後の若者たちの内面 「戦争も占領も解放さえも、古い価値観を奉ずる大人たちの世界が起こしたことではないか、そもそもは自分らに関係のない事柄ではないか、にもかかわらず自分らはこの大人たちがつくりだした愚かな世界で、やれユダヤ人狩りだ、やれ拷問だ、やれテロだ、やれ復讐だ、やれ食糧難だ、といった苛酷な体験を強いられてきた、そして戦争終結後もその大人たちが支配する世界はいぜんとして続こうとしている……そこから彼らが、やりきれなさ、くだらなさ、馬鹿らしさの感覚、まさしく不条理という一語で言い表わされる感覚を持っていたとしても不思議ではない。無為徒食も馬鹿騒ぎも異様な身なりも、この不条理にたいする反抗であった、と解することができる。」
サルトル=そのような若者たちの親分 「サン・ジェルマン・デ・プレの法王」

(2)実存、アンガジュマン 人間の条件

サルトル初期の傑作『嘔吐』主人公ロカンタン マロニエの樹の根の前で得た啓示 
hommasusumu.hatenablog.com
・「この実存の発見は、ロカンタンにおいてわれわれの世界が、またわれわれ自身が、偶然であり、不条理であり、無償であり、余計な存在である、という認識へと通じていく。そしてこの認識はやがてそうであるがゆえに人間は自由だ、というもう一つの認識、楽観主義的な言説へと通じていくのだが、サルトル哲学の原点に、世界に対する、ある意味では暗い、さめた視線があることを忘れてはならない」
・拘束された(engage)「そして(戦争に)巻き込まれている――拘束されている以上は、自分を積極的にそこに巻き込む――拘束することを選ぶ。「身に起こることを受け入れるのではなく、身に起こることを引き受けること」と。状況に対する受動性から能動性への転換、これがアンガジュマンというサルトル用語の誕生点である。」
・自分の状況をどのように引き受けるか、自分の全体をどのようにして行為(ならびにエクリチュール(書き言葉))の中に投げ入れるか、そしてその行為(ならびにエクリチュール)がどのようにして普遍的なものにつながりうるか。
サルトル哲学の野心=一個の<人間現実>から、個人の意識の記述から出発して、人間がこの世界に出現し、<事物>とかかわり、<他者>と関係をもち、死という限界にぶつかる人間の条件一般(「世界における人間の基本的状況を素描する先験的限界の全体」)を規定すること。
★論点を単純化するならば、歴史が人間をつくる(経済的、社会的、歴史的決定因の優位)か、人間が歴史をつくる(人間的主体性の自由な投企による決定因の乗り越え)か、ということになる。後年、マルクス主義者としてのサルトルは、決定因、条件づけという考えを受け入れていくだけでなく、さらにこれに厚みを与えていくことになるが、にもかかわらず同時に、自由な投企という視点は最後まで保持していく

(3)その展開

・1945年以降の3つの展開 
・第一に、実存主義マルクス主義にとってかわって、ないしはマルクス主義の諸原理を自己のうちに吸収して、社会変革の指導的イデオロギーたろうとした。『唯物論と革命』(1946)→『方法の問題』(1958)→『反逆は正しい』(1974)
・第二の方向は、アンガジュマンの文学の実践と理論化。「自己の全体を作品の中に投げ込むこと」「自己の生の全体を言語によって取り戻すこと」。
実存主義の文学観の特徴をなす2つのポイント
・一つは、文学作品とは描く対象が自己であれ、他人であれ、社会であれ、歴史であれ、最終的には作者の生体験がそこに深く刻まれており、したがって、作者の生と作品とを切り離して考えることはできない、という視点である。
・もう一つは、「全体」という言葉である。一人の人間は、ある時代のある社会にその人間に固有の歴史をになって生きている。したがって作家がもしも「自己の全体」を表現するならば、それは作家の生きている時代と社会、そしてこの作家をつくりあげている歴史を表現することになるだろう。作家はそれをどこまで自覚的におこなうか。そのためには人間諸科学の知を必要とするであろう。アンガジュマンの質もこの自覚の度合によって規定されてくることになる。
・小説『自由への道』三部作(1945-49)、『蝿』(1943)、『アルトナの幽閉者』(1959)、『文学とは何か』(1947)
・第三の方向=人間理解の方法としての実存的精神分析の展開
・『家の馬鹿息子』(フローベール論)=幼少期の「素質構成」 『聖ジュネ』=青年期の「人格構成」

(4)その他のテクストについて

・『実存主義とは何か』1955年→1968年改訂→1996年 伊吹武彦訳

実存主義ヒューマニズムである/伊吹武彦訳

実存主義者には2種類いる。キリスト教信者と無神論者 ヤスパース、マルセル/ハイデガーサルトル
・「実存は本質に先立つ」=「主体性から出発せねばならぬ」=人間は存在したときから何者かであることはなく、未来のなかにみずからを投企することで何者かになっていく
・人間は何よりも先に、みずからかくあろうと投企したところのものになる。投企≠意志。意志よりもっと根源的なもの。無意識に近い。
・自分に責任を持つこと。そして世界に対して責任をもつこと。
・不安、孤独、絶望は当然。デフォルトの状態。
・「われわれは自由の刑に処されている」
サルトルの教え子、ドイツへの復讐の為に兵士になるか、身寄りのない母のそばに留まるか。究極の選択。
・助言者を選ぶ時点で、多少ともにその人がどうアドバイスするだろうか想像している。
サルトルのアドバイス「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ」
・「夢を企つるには希望の要なし」
・「行動のなか以外に現実はない」「人間は彼自身の投企以外の何ものでもない。彼は自己を実現するかぎりにおいてのみ存在する。したがって彼は彼の行為の全体以外の、彼の生活以外の何ものでもないのだ」と附言する
★このことからわれわれは、われわれの主義がある人たちに毛嫌いされる理由がわかる。というのは、彼らは自分の悲惨に堪えるのに、しばしばただ一つの仕方しかもっていないからである。それはこう考えることである。「周囲の事情が私に不利だったのだ。私は現実の私よりはるかに価値のある人間だった。むろん私は熱烈な恋愛も大きな友情ももたなかったが、それは、それに値するほどの男、または女に私が出会わなかったからだ。私は大した本も書かなかった。そうする暇が私にはなかったからだ。私には献身すべき子供ができなかったが、それはともに一生を送る男性がみつからなかったからだ。だから私のなかには沢山の素質や傾向や可能性が、活用されずしかも完全に生きて残っている。それらは私の行動のたんなる系列からは引きだせない一つの価値を私に与えるのだ」と。ところが実をいうと、実存主義者にとっては形成されつつある恋愛のほかに恋愛はなく、恋愛のなかにあらわれる可能性のほかに恋愛の可能性はなく、芸術作品のなかに表現される天才以外に天才はないのである。
・むろんこうした考え方は生活に失敗した人には堪えがたく思われよう。しかし他面においてこの考え方は、ただ現実のみが問題となること、夢や期待や希望は、人間を、裏切られた夢、挫折した希望、無益な期待として定義させるにすぎないこと。すなわちそれは人間を積極的にではなく消極的に定義するものであることを人々に理解させるのである。
★私がいおうとするのは、人間は一連の企図以外の何ものでもないこと、人間はこれらの企図を構成するさまざまな関係の総和、綜合、全体なのだということである。
実存主義者がいうのは、卑劣漢は自分を卑劣漢にするのであり、英雄は自分を英雄にするのだということ。=「生まれつき」ではない。
・人間は自分をつくっていくものである。はじめからできあがっているのでなく、自分の道徳を選びながら自分をつくっていく。しかも周囲の事情の圧力が強いので、彼はある一つの道徳を選ばずにいることはできないのである。われわれはアンガジュマンとの関連においてのみ人間を定義する。
・存在の全面的無動機性とその全面的自由
・謹厳の精神(宗教主義、或いは功利主義)から、または決定論を遁辞に使って、自分の全面的自由に目を覆う人たち、それを私は卑怯者と呼ぼう。
・動詞アンガージュ、名詞アンガジュマン。「(約束や義務によって人を)しばる」とか「(人をあることに)参加させる」とかいう意味。サルトルの用法=人を自分のなかだけにとじこもらず、社会に参加させるという意味。
アンドレ・ジイド『法王庁の抜穴』(1914)無動機行為
・父なる神が死んだとき、新たに価値を創り出すものは何か?
ヒューマニズムというわけは、われわれが人間にたいして、彼自身のほかに立法者のないこと、人間が彼自身を決定するのは孤独のなかにおいてであることを想起させるからであり、また人間がまさに人間として自己を実現するのは、自己のほうへ振り返ることによってではなく、ある解放、ある特殊な実現という一つの目的をつねに自己のそとに求めることによってであるからである。
実存主義とは、一貫した無神論的立場からあらゆる結果を引きだすための努力にほかならない。
・人間は自分自身を再発見し、たとえ神の存在の有効な証明であろうとも、何ものも人間を人間自身から救うことはできないと納得しなければならない。この意味で実存主義は楽観論であり、行動の教義である。

討論/伊吹武彦訳

日和見主義

糧/海老坂武訳

ナポリ

偉人の肖像/石崎晴己訳

肖像画によって、生の人間、肉の塊から記号になって安心できる。

顔/石崎晴己訳

・人間の顔、表情、特に目というものの不思議さ。「目差とは顔の中の貴族である」
・顔=目に見える超越=魔術

実存主義について――批判に答える/石崎晴己訳

★「これの意味する所は単に、人間はまず存在するのであり、そうして後はじめてあれかこれかである、ということに他ならない。一言で言えば、人間は自分自身の本質を自分で作り出さねばならない。世界の中に身を投じ、世界の中で苦しみ、戦いながら、人間は少しずつ自分を定義するのである。そして定義は、常に開かれたものとして留まる。この一個の人間が何者であるかは、彼の死に至る迄はいささかも言えないし、人類の何たるかは、人類の消滅まで言うことができない。このように見てくると、実存主義とは果して、ファッショ的なのか、保守主義的なのか、共産主義的なのか、あるいはまた民主主義的なのか、このように問うこと自体、馬鹿げているのだ。こうした一般性の段階に於ては、実存主義とは、人間に永遠不変の本性を与えることを拒みつつ、人間の諸問題に取り組もうとするある種のやり方という以外の何物でもない。かつて、キルケゴールに於ては、実存主義は宗教的信仰と切り離せないものだった。今日、フランスの実存主義は、無神論の表明を伴う傾向があるが、しかしそれは絶対に必要なことというわけではない。私が言えることは――そして以下の類似をことさらに強調する心算はないが――、実存主義とは、マルクスの中に見出される人間観とそれほど隔ってはいない、ということである。マルクスなら、われわれのものである次のような人間についての銘句を受け入れるのではなかろうか?即ち、人間とは、作り、作りつつ自らを作り、自ら作ったもの以外の何物でもない、という銘句を。」
・不安とは、行動の障害であるどころか、行動の条件であり、われわれの苦悩と偉大とを成す、万人に対する万人の責任という、この圧倒的な責任の意味と一体を成している
・「絶望について言えば、人間が希望を持つのは誤りであろう、という点を了解し合わねばならない。しかし、そのことは、希望とは行動に対する最悪の障害である、という意味に他ならない。戦争が、われわれなしにひとりでに終ってしまうこと、ナチがわれわれに手を差し伸べること、資本主義社会の特権階級が、新たな《八月四日の夜》(1789年8月4日、封建的諸特権の廃止)の歓喜の中でその特権を放棄すること、こうしたことを希望すべきなのだろうか?もし希望するとしたら、われわれは、腕組みしたまま待っていればよいことになる。人間が意欲することができるのは、何よりもまず、自分自身の他は何物も頼りにできず、自分は無限の責任に取り囲まれ、助けも救いもなく、自分で自分に与える目標以外の目標を持たず、自らこの地上に描き出す運命以外の運命を持たず、ただ一人、この地上に遺棄されているのだ、ということを理解したのちに初めて可能なのだ。この確信、自分の置かれた状況に対するこの直観的認識、これこそわれわれが絶望と名付けるものである。それがロマンチックな麗わしき彷徨でないことは、もうお分りだろう。それは、人間の状況に対する冷徹で明晰な自覚なのだ。不安が責任感と不可分であるのと同様に、絶望は意志と一体を成す。絶望とともに、真の楽観性が始まる。何物も期待しない人間、いかなる権利も持たず、当然受け取るべき何物も持たぬことを知っている人間の、自分自身しか頼りにせず、万人の利益のためにただ一人で行動することに喜びを見出す人間の、楽観性である。」

パリ解放・黙示録(アポカリプス)の一週間/海老坂武訳

・ところで、この八月、街路で行きかう戦士たちはシャツ姿の若者たちであった。彼らが武器としていたのはピストルと何丁かの小銃と何発かの榴弾、何本かのガソリンを詰めたビンだった。彼らはものものしく武装した敵を前にして、動きまわる自由、身軽さを感じて浮き浮きしていた。一瞬ごとに作られる彼らの規律が、教えられた規律に勝っていった。彼らは人間の裸の力を測り、またわれわれに測らせた。われわれはマルローが『希望』の中で〈黙示録( アポカリプス )〉の実現と呼んだものを思わずにはいられなかった。そうだ、それは〈黙示録〉の勝利だった。常に秩序の力に打ち負かされるあの〈黙示録〉が一度だけこの市街戦の限られた範囲で勝利を占めたのだ。〈黙示録〉、すなわち革命戦力の自発的な組織化が。全パリがこの八月の一週間、人間のチャンスはまだ無傷に残されている、人間はまだ機械に勝ちうる、また仮に闘いの結末がポーランドにおいてそうであったようにレジスタンス勢力の潰滅であったとしても、この幾日かだけで自由の力を十分に証明しうるだろう、と感じていた。だから、F・F・Iがパリをドイツから文字通り解放したのではなかったとしても、それはさして重要ではない。彼らは一瞬一瞬、ひとつひとつのバリケードの陰で、ひとつひとつの舗道の上で、自らのために、ひとりひとりのフランス人のために、自由を行使したのだから。
・悲劇の拒否、黙示録、そして儀式、というこの3つの様相こそが、1944年8月の蜂起に、その深く人間的な性格、ならびに、われわれの心をうつあの持続する力を与えるのだ。この蜂起は今日でもなお、われわれの希望の最良の理由のひとつではなかろうか?

あとがき/伊吹武彦

・1945年サルトル当時40歳
・1955年昭和30年
7/11読了
 

要約、感想

◆要約:1945年パリでのサルトルの講演。サルトル自らが実存主義とは何か説明する。
実存主義とは、自分の行動(投企)が自分を作るということ。行動によって結果が生まれ、それが全てであるということ。
◆感想:面白かった。実存主義とは何かということが大体わかった。
行動(選択)がすべて。出来ないこと・何もしないことに言い訳をしてはいけない。
実存主義に反論するかたちで構造主義が出てきて、実存主義が下火になるが、自分はどちらも大事だなと感じた。
実存主義だけになれば、自己責任論に絡め取られるが、構造主義に偏りすぎると、行動・努力しないことの言い訳野郎になってしまう。
「心は熱く、頭は冷静に」ではないが、構造主義・社会構築主義を踏まえた上で、実存主義的に大胆に行動・決断することが大事だなと思った。
実存主義アメリカ系、プラグマティズム系の自己啓発やポジティブシンキングと近いように思う人もいると思うが、
この本を読むとだいぶ違うことがわかる。
サルトル実存主義はもっと醒めていて、諦念もあるし、胡蝶の夢のような感じもある。
世界というものの不思議さ、有り得なさ。
ここに掲載されている短編小説を読むとそんな感じもよくわかる。