マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」宮台真司

自己のホメオスタシス(恒常性維持)。精神の安全。巨大システム。鉄の檻。出口がない。ポストモダン=「大きな物語」が死んで「小さな物語」が濫立すること。フーコーvsサルトル論争。ボードリヤール。記号価値はシステムという全体性が与える。我々はシステムの駒。隙間や余白が消去される。90年代渋谷。ストリートという解放区。非日常がないスーパーフラット化。システムへの過剰依存の完成と自己の肥大化。不安のマーケティング。セキュリティ産業。コペンハーゲンの道路にはガードレールは無い。恋愛に包括的承認願望を投影する。それが失敗し大きな落胆。人間関係の巨大な期待外れ。宗教。「オウム失敗の衝撃」<自己のホメオスタシス>のために専ら虚構を使う。「エヴァンゲリオン」。「脱社会的」な凶悪犯罪。
認知的不協和理論=認知均衡理論=すっぱい葡萄。
政治。ウェーバー。官僚制。ギデンズ。システム化。再帰的近代。「パラダイスとしての学校」セカイ系。「正義」を用いた<自己のホメオスタシス>こそが「バトルロワイヤル系」。タイ映画「レベル・サーティーン」。
1992年アウラの消失。そこでは、記号が「現実」を代表するのでも、記号が「現実」の代わりをするのでもありません。「現実」自体が記号として消費されるのです。逆に言えば、記号自体が「現実」として消費されるのです。過剰流動性の社会。関係性の正当性を弁証しにくい。「私でなければいけない理由」がどんどん希薄化する。関係性をつまみ食いするようになる。
2段階の郊外化。60年代の団地化。80年代のニュータウン化。ホッブス的(リヴァイアサン)秩序とロック的秩序。どちらが包摂的か?入りやすいファミレスか?入りにくいけど、個別対応の個人店か?ドゥルーズ、動物的。宗教が「感情的安全」を維持してるから。宗教=地域的なコミュニティよりも、目標(教義)を共有する結社。日本はコンビニ&ファミレス的なものを思考停止的に許容してきました。明治の急速な中央集権化。中間集団が国家権力の手先に。社会は「いいとこどり」ができません。絆コストを支払わずに、絆を与える感情的安全を享受することは出来ません。同じく、参加コストを支払わずに、包摂に与ることはできません。コミュニティ主義の欧州。アソシエーション主義の米国。
憲法。感情を感情のままで終わらせない工夫。
多様性フォビアとしてのリベラルフォビア。
人は利他性に感染する。
主意主義-感情や意志を重視。プラトン。右翼。
主知主義-理性を重視。アリストテレス
今はアノミー(前提が失われて、どうしたら良いのか分からなくなった状態)
60年代マルクス主義。埋め合わせとしての全体性=ロマン主義ファシズム
枢軸国=国家を最終目標と見做す。
連合国=国家を手段と見做す。<社会が良くなれば、人は幸せになる>が旧左翼<社会が良くなっても、人は幸せにならないが新左翼>
60年代。こんなはずじゃなかった感。
こんなはずじゃなかった どこかへ行けそう 疎外論マルクス主義
こんなはずじゃなかった どこへも行けない 物象化マルクス主義
こんなはずじゃなかった ここに居続けるしかない 構造主義=ここの読み替え 新人類
堤清二の思想(対抗文化、大人vs子供(若者))
ここの読み替え 代替わりすると「ここ」の記憶を欠く。<ここではないどこか>に関わる挫折体験も欠く。
一口で言えば、<マトモに生きること>より、<ウマく生きること>が推奨されている。
モダン「(生活世界)を営む我々共同体が、我々共同体のために<システム>を利用する。」
ポストモダン「<生活空間>空洞化ゆえに孤立した個人は、もはや<システム>の入替可能な部品に過ぎない。」
繰り返すと、<システム>全域化=<生活空間>空洞化というポストモダン状況では、我々や私が、自らの便益のために<システム>を利用する主体というよりも、自己増殖する<システム>の入替可能な部品に過ぎないものとして見えてくるようになります。
「団地化」とは①地域の空洞化を埋め合わせるための②家族への内閉化
ニュータウン化」(ファミレス、コンビニ)
①家族の空洞化を埋め合わせるための
②市場化行政化
「第四空間化」
家庭、地域、学校をスルーしての仮想現実、匿名メディア、匿名ストリートを居場所
第二次郊外化
 ワンルームマンション
 ロードサイドショップ
 激安テレビ
 テレビの個室化
 電話の個室化
ポストモダンとは「入替可能化」と「過剰流動性
人も物も。ファストフード、ファストファッション
シェアハウスは家族の再帰的近代の問題
選択前提もまた選択されたもの
国と社会どちらが大事か
丸山。日本の民主制は全体主義に堕しがち。国家や独占電力に楯突く個人を抑圧し、<依存的な個人>を量産します。
ネトウヨプレカリアートの等価性
ティーパーティーとオキュパイの等価性
日本人の心の習慣(エートス)は「空気の支配」
小学校区が昔の自治体(自然村)
とにかく共同体が空洞化している
依存的な共同体、依存的な個人ばかりのでたらめの民主制。
根拠なき「絶対安全神話」「全量再処理神話」「原発安価神話」=日本は神軍だから勝てる。神風が吹く

宮台真司の<参加と包摂><熟議を前提とした住民投票>に反対。
創造のための破壊、秩序と混沌を繰り返すほかないと思う。
ええじゃないか運動を調べる必要がある
名監督の指示があり、時にそれをあえて破るプレーヤが必要

ポストモダンの困難な状況を知るための本。
小室直樹「否、宮台君、社会が悪くなると人が輝く、心配はいらない」