- 作者: 大塚英志,西島大介
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2001/10/25
- メディア: 文庫
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「消費社会の終末の光景」
「いわば人間は〈物語〉に縛られているのであり、その善し悪しは別として〈物語〉に縛られることで安定するのだ。(中略)〈物語〉に縛られることは共同体に縛られることであり、だからこそ権力は常に〈物語〉を自らの管理下に置こうとするのである。」
ディズニーランド
「<物語ソフト>大量消費の飢餓感。→失われた<世界>に対する飢餓感。それ故、<世界>への希求と飢餓は永遠に満たされず、更なる<物語ソフト>の氾濫を生み出してきた。人々が「国際社会」ないしは「地球」というゆるやかな母性に回収されたがっていること自体、実は極めて日本的かつ近代的なふるまいであり、決して日本人の成熟を意味しないように思える。」
「ヒット商品の背後には物語がある。物語を捏造する。物語作家は<偽史>をめざす。」
「イベントやパーティ好きの大学生サークルは広告代理店やマガジンハウスのシミュラークルである。反原発や村上春樹は全共闘の時代を複製した商品なのだといえる。深夜テレビはテレビのシミュラークル」
「原発や放射能処理施設を過疎に悩む寒村になかばつけ込むように設置したのは、直接的には政府や行政かもしれないが、それを支えていたのは今述べたようなぼくたち都市住民やマスメディアの人元の心意なのだ。」
「広瀬隆現象以降の反原発運動に欠落しているのは、原発を必要とし、それを地方に排除したのは実は自分たちであるという自覚である。原発は都市で暮らしあるいはマスメディアを生きるぼくたちの過剰なまでに快適な暮らしの副産物なのだ。」
「放射能廃棄物とは原発が生み出したものではなく、<都市>そのものの汚物なのである。」
「「危険な話」第四章での主張は、都市住民の後ろめたさを拭い去るのみか、彼らを善意の「被害者」に仕立て上げてくれる。<ハレ>と<ケ>と<ケガレ>」
「東京=虚構の街」。都市空間というものがあまりに均質化され管理されてしまったという事態に対する都市住民の息苦しさが人々を<都市伝説>に走らせている。」
「「徳政令」は日本の民族性」
「子供たちは、いわば「ビックリマン」世界の成り立ちを探る歴史家なのだ。一枚一枚の〈シール〉の情報はさながら古文書か考古学的な出土物である。」
「田中康夫「なんとなくクリスタル」はモノ=商品がすべて記号化していくというボードリヤール的状況を予見した作品として、今では正当な評価を得ている。」
「六本木のカフェバーで女の子をくどく時にさりげなく手にしているのは、吉本隆明がいいのか、それともみすず書房の白い装本がハイテックな空間に映えるのかーここ数年で〈知〉もその程度にまで記号化した。」
「当時は一過性だと思っていた80年代消費社会。80年代が終わりそこねている。」
「ぼくたちが自分たちの言葉や表現だと屈託なく信じているものの多くが実は知らず知らずのうちにある枠組みの中で思考させられているという事態が実は数多く見られるのではないか。」
「その「枠組み」そのものへの批評」
巻末に大量のサブカル年表