マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

パースペクティブ ジョルジュ・バタイユ 1

バタイユのあゆみ Georges Bataille(1897-1962) 
①1897年9月10日 フランス中部オーヴェルニュ地方ビヨンで生まれる
バタイユの父ジョセフ=アリステッド・バタイユ:公務員。梅毒による失明。
②1901年(3歳)、一家でランスに移住:父は全身不随。狂気の発作、排泄と白眼
③1914年8月(17歳)、第一次世界大戦
ドイツ軍のランス侵攻、退去命令。病気の父と家政婦を残して脱出
④1915年11月、父は孤独のうちに死去:「断末魔の父の苦悩を看とる者はいなかった」
 ⇛「父を捨てた」という思いがバタイユに深い罪の意識を残す
⑤神学校の寄宿生となる:思春期から20代初めまで熱烈なカトリック信者、神秘主義に傾倒
 ⇛小冊子「ランスの大聖堂」[1918]発表
⑥1916年(19歳)、軍隊に動員されるが肺結核野戦病院
⑦1917年(20歳)、復員。厳しい規律を自らに課して暮らす:友人によれば「聖人のような生活」
⑧1918年(21歳)、パリの国立古文書学校に入学:中世文献の研究(同僚に画家アンドレ・マッソン)
⑨1919年(22歳)、恋人との結婚を申し出るが、梅毒の遺伝を恐れる彼女の両親から拒絶される→絶望
1920年(23歳)、完全に信仰を失う
⇛棄教後は無神論の立場から「聖なる体験」を追求する
「20歳のとき(実際には23歳のとき)、笑いの潮流が私を連れ去った・・・。私は以前そう書いた。私は光と一緒に踊っている気がしたのだ。同時に私は肉欲の快楽に耽ったのだった。かつて世界が、世界に笑いかける者にこれほどよく笑いかけたことはなかった」
⑪1922年(25歳)、古文書学校を「次席」で卒業。パリ国立図書館司書となる。
⑫1922年、ニーチェを読む(「善悪の彼岸」):決定的な読書体験
「なぜ書こうとするのか。私の思考――私の思考のいっさい――がこれほど完全に、これほど見事に表現されているというのに」
⑬1923年(26歳)、ロシアから亡命した哲学者レフ・シャストフに出会い、強い影響を受ける
ニーチェドストエフスキーマルクスフロイトを深く読む
⑭堕落、賭け事、娼館通い:「私はあらゆる類の陋劣(ろうれつ)なもの、ギロチン、排水口、娼婦――堕落と悪に捧げられたもの――に惹かれていた」
⑮1925年(28歳)、A・ボレルの精神分析(1年間)を受ける:中国の拷問「百刻みの刑」の写真
 ⇛「まったく病的」だったバタイユが「何とか生きられる人間」になる
「何ものかが私に書かせている。思うに、恐怖が、狂ってしまうことの恐怖が、私を書く行為へと駆り立てている」「ニーチェについて」[1945]
⑯1925年、A・メトロ―を通してマルセル・モースを知る(講義に出る?)
⑰1928年(31歳)、女優のシルヴィアと結婚:のちに離婚、シルヴィアはジャック・ラカンと再婚。
バタイユとあいだにできた娘ロランス[1930〜]はのちにラカン派の精神分析家になる
⑱1928年『眼球譚(目玉の話)』を「ロード・オーシュ」(便所神)の偽名で出版(134部)
⑲1929年より雑誌「ドキュマン」:事務局長、数々の論文を発表
⑳1933年(36歳)、アレクサンドル・コジェーヴヘーゲル講義に出席
J・ラカンレーモン・クノー、R・カイヨワ、メルロー=ポンティ、A・ブルトンらも出席
・『社会批評』に重要な論文「消費の概念」「国家の問題」「ファシズムの心理構造」発表
シュルレアリスムに一時接近するが、プルトンと対立:『シュルレアリスム第二宣言』で非難される
プルトンと和解(1936年)、ナショナリズムに抗する政治団体コントル=アタック(反撃)結成⇛半年で瓦解
㉒1933年、パリにベンヤミンを迎える:友情と称賛の念⇛死ぬ前に原稿をバタイユに手渡す
㉓1937年(40歳)カイヨワ、レリス、クロソウスキーらと「社会学研究会」を結成
㉔1937年、秘密結社アセファル(無頭人)結成、雑誌『アセファル』刊行(1936年)
クロソウスキー、ロール、岡本太郎らが参加:パリ郊外のマルリーの森で秘密の儀式
「私は、ひとつの宗教を創始するとはいわないまでも、少なくともその方向に向かう決意をした」
「少なくとも、メンバーの何人かは、『世界の外に出た』という印象を持ったように思われる」
 ⇛最後にはバタイユが人身御供の生贄になろうとしたらしい⇛戦争の激化、解散
岡本太郎[1911-96](1930-40年フランス留学)「考えてみると、私の青春時代の絶望的な疑いや悩み、それをぶつけて、答えてくれたものは、ニーチェの言葉であり、バタイユの言葉と実践であった。情熱の塊のような彼との交わりは、パリ時代のそして青春のもっとも充実した思い出である」
㉕恋人のロール(コレット・ペーニョ)がバタイユの住まいで病死(1938年)
・新しい恋人ドゥニーズ・ロラン:絵画モデル(1939-43年)
㉖1941年(44歳)、文学者モーリス・ブランショとの交友が始まる
㉗肺結核で無職。第二次世界大戦前後からヨガの修練:神秘体験
 ⇛『内的体験』(1943)『有罪者』(1944)『ニーチェについて』(1945)
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㉘1946年(49歳)、人文科学の総合書評誌『クリティック』誌を創刊。1947年(50歳)より南仏カルパントラ図書館の管理職、1951年(54歳)オルレアン市立図書館館長:ディアーヌと再婚。
㉙多数の著作を執筆・・・ガリマール社より「バタイユ全集」
 ・普遍経済学の構築を目ざした『呪われた部分』(1949)、『至高性』(1976)
 ・死とエロティシズムを表現する小説:『目玉の話(眼球譚)』(1928)、『マダム・エドワルダ』(1941)、『空の青』(1957)、それを理論面から扱った『エロティシズム』(1957)
 ・芸術起源論『ラスコー、あるいは芸術の誕生』(1955)
 ・文芸評論集『文学と悪』(1957)、『ジル・ド・レ訴訟』(1957)
 ・宗教論『宗教の理論』(1976)など。
㉚1962年7月8日(64歳)、頚部動脈硬化症で死去⇛ガリマール社バタイユ全集』刊行
ミシェル・フーコーバタイユ全集巻頭「侵犯行為への序言」)
「今日、われわれはバタイユが今世紀で最も重要な作家の一人であるということを知っている」
 
2.バタイユの思想
1)思想の基礎:ニーチェヘーゲルコジェーヴ)、フランス社会学デュルケーム、モース)+文学
2)理論の特徴:①聖なるものの「探求」・・・「無神学大全」(『内的体験』『有罪者』『ニーチェについて』)
        ②存在論「哲学」・・・『エロティシズム』『宗教の理論』
        ③エネルギー経済論「普遍経済学」・・・『呪われた部分』『至高性』
3)伝統的な神秘主義 Mysticism
・神、最高実在、あるいは宇宙の究極的根拠として考えられた絶対者を自己の内面で直接に体験しようとする立場、また、その体験によって自己が真実の自己になるとする立場のこと
・絶対者との「神秘的合一 unio mystica」は、自己という枠から脱却することによって可能となる。
・「合一」はすなわち「脱自」、神秘家は体験的にエクスタシー(脱自・忘我)を知っている
神秘主義は東洋古来ではウパニシャットにおいて顕著だが、仏教(密教)、イスラム教(スーフィズム)、ユダヤ教(ハシディズム)、キリスト教などさまざまな宗教において信仰・実践されてきた。
・近代の合理的思考において、性的な状況以外の「エクスタシー」は病的状態とみなさる傾向にある・
(上田観照 1973「神秘主義」)
4)バタイユと神秘体験:無神論者の脱自体験
①思春期から20代初めまで熱烈なカトリック信者、神秘主義に傾倒
 ⇛1924年頃信仰を失う:棄教後は無神論の立場から聖なる体験を探求し、思考を深める
第二次世界大戦前後:信仰なしに神秘体験を探求(思考)⇛三部作「無神学大全」や「瞑想の方法」*鈴木大拙の引用も
③エクスターゼextaseの原義は「外に立つ」…自己の外に立つ、脱自=恍惚
バタイユにとってextase(脱自=恍惚)は、象徴的な「死」の体験
=「存在の連続性」の体験、「内的体験」、「剥き出しの生(裸形の生)」la vie nue
→G・アガンペン「ホモ・サケル
 
3.バタイユ存在論:「エロティシズム」
1)連続性と非連続性
・「連続性」=「無限の全体」「人間総体という連続した場」「主客の融合」「交流」
・「非連続性」=「個体」、「確固とした形態」、「社会的で規則正しい生の形態」
>>連続性に触れる瞬間がある<<
2)根源的欲望
・「私たちは非連続の存在であり、理解できない運命の中で孤独に死んでいく個体であるが、しかし失われた連続性への郷愁を持っているのだ」
・根源的欲望:「失われた連続性への郷愁」「最初の連続性への強迫観念」
       「エロティシズムは死におけるまで生を称えることだといえる」命の輝き
       「本質的にエロティシズムの領域は暴力の領域であり、侵犯の領域である」
       「不連続性から存在が引き離されることがもっとも暴力的な事態である」
3)溶解と交流
①「エロティシズムのなかで作用しているのは、つねに、確固とした形態の「溶解」ということなのだ。繰り返しておけば、確固とした形態とは、社会的で規則正しい生の形態を指す。私たち一人一人は限定された個体であるのだが、その個々の個体の不連続性の次元を築いている生の形態を指すのである」
②「要は、不連続性に立脚している世界の内部に、この世界が許容しうる連続性のすべてを導入するということなのだ」
③光が「粒子」でも「波」でもあるのと同様、人間は「個体」でも「力の戯れ」でもある。
・自己喪失:「寄せては返す波が互いに浸透しあい相互のなかに消えてゆくのに似ている」
④「裸とは交流の状態なのだ。それは、自閉の状態を超えて、存在のありうべき連続性を追い求めるということなのだ」
⑤「最後に体験は客体と主体との融合を達成する。このとき、主体は非・知、客体は未知のもの、ということになる」。「自己自身というのは、世界から隔離される主体などではない。そうではなくて、一つの交流の場、主体と客体の融合の場なのだ」(『内的体験』)
4)3つのエロティシズム
①肉体のエロティシズム②心情のエロティシズム(恋の情念)③聖なるエロティシズム
7)至高性と有用性
①有用性
・ある存在が目的に対する手段として価値が付与されている様態
・有用性の意識=「認識」:道具的関心によって言語(「知」)をとおして客体を把握すること。
・有用性の世界:知(言語)によって構築された意味世界(≒社会)。目的ー手段の連鎖=「事物たちの世界」。道具の使用や労働。規則の遵守。未来を予期し目的のために行為=未来への従属。
・道具を使用し労働する人間=それ自身が道具的存在(「客体」)となる。
②至高性
・ある存在がそれ自体のうちに価値を持ち、そのものとして存在する様態。
・至高性の経験;言語を媒介せずに現実(界)を直接に無媒介に経験すること。「非知 non-savoir」。
・至高な瞬間:有用性の否定=未来の予期が無に帰する瞬間=認識操作が無効となる瞬間
 奇跡的なものの顕現:「不可能なのに、それでもそこにある」
・消尽 la consumation:いかなる目的にも従属しないかたちでエネルギーを消費すること
 「実際、至高であるということは、現在という時を、現在という時以外はなにものも目ざすことなしに享受することである」「至高性を際立たせるのは、富の消尽である」
・主客の相互浸透:「そこにおいて対象は<なにでもないもの/無 rien>」へと融解する。
 「至高性は<なにでもないもの/無 rien>である」
・至高性=強いコミュニケーション(交流):「至高性とはつねにコミュニケーションであり、強い意味でのコミュニケーションはつねに至高である」(『文学と悪』)=「交流」
 Cf.日常の「弱い」コミュニケーション:言語を介した意味(イメージ)の知的了解
 
バタイユ「われわれは生存するためにさまざまな欲求を充足させねばならない。もしそれに失敗すれば、われわれは病み、苦しむことになるだろう。が、しかしそういう必要で不可欠なものが問題となる場合には、われわれはただ自らのうちでいわば動物的なものが下す命令に従っているだけなのである。人間的な意味での欲望の対象はそういう欲求よりももっと遠くにあり、それは私の言う奇跡なのである。つまりそれは至高な生――それを欠くと病み、苦しむといった不可避な必然性に定められている必要なものを超えた彼方としての至高な生なのだ。そういう奇跡的な要素、われわれの心をうっとりさせる要素は、たとえばごく単純にある春の朝、貧相な街の通りの光景を不思議に一変させる太陽の燦然たる輝きにほかならないということもありえよう(それは最も貧しい者、たとえ不可避な必要性に押しつぶされて荒んだ心にされてしまっているような者でも、時として深く感じとることだ。)」「もっと一般的に言えば、そういう奇跡的なもの、人類(人間性)全体がそれを渇望するようなものは、美というかたちで、豊かさというかたちでわれわれのあいだに姿を現わす。また同時に激しい暴力性というかたちで、喪の悲しみというかたちで現われる。さらには栄光というかたちでも現われるのだ。芸術とは、つまり建築とか、音楽、絵画、詩とはいったいなにを意味するだろう、ある驚嘆した瞬間、宙吊りとなった瞬間への期待、ある奇跡的な瞬間への期待でないとするならば」(『至高性』)