マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

David Keith Lynch

オスカー・ココシュカのもとで絵画を学ぼうとオーストリアへ渡ったが、街があまりにも綺麗で自身の中での創作意欲が萎えてしまい、3年間滞在する予定であったが、わずか15日間でアメリカへ帰国することになる。」
「触発されるもの」を求めて。
「帰国するとフィラデルフィアに移り、フィスクとともに米国最古の芸術学校であるペンシルベニア芸術科学アカデミーに入学。1967年、ここで知り合った妻ペギーが長女ジェニファーを妊娠し、この経験が後にデビュー作に結実する。周囲は鉄道、工場など極めて悪い条件である、レンガ張りで何部屋もある一軒屋をわずか3000ドルほどで購入する。治安の悪さをインスピレーションの一部として、地下室で絵画や映画制作に没頭する。また収入を得るためエングレービングのプリントを始めた。」
「1970年代の半ばから1980年代前半まで、ほぼ毎日ビッグボーイミルクセーキを食べながら思考していたという。」
矢崎仁司「三月のライオン」のロケ地。
廃墟の工場地帯みたいな場所に住みたい。
映画みたいに生きる以外にない。