マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【読書メモ】ミシェル・ウエルベック著、中村佳子訳『闘争領域の拡大』(角川書店 2004年)

原書は1994年。ネタバレあり注意。
 
・パリ→ルーアン→ラ・ロッシュ=シュル=ヨン→レ・サーブル=ドロンヌ→Saint-Cirgues en Montagne
・雌牛の人工授精の話
・「目下、世界が画一に向かっている。通信手段が進化している。住居の中が新しい設備で豊かになっている。徐々に、人間関係がかなわぬものになっている。」
・中世は生命力が旺盛だったので、逆にキリスト教の節制や禁欲が言われた。
・「人間同士の関係が次第に不可能なものになっていくとしたら、それはジャン=イヴ・フレオが先駆けて熱く唱えた自由度の増大のせいだ。」
・「人生経験が少ないせいで、自分はずっと死なないと、つい考えてしまう。人の命がごくわずかになってしまうなんて、ありそうにない。なにかがそのうち起こると、いやでも考える。とんでもない間違いだ。ある人生が空っぽで短いということは十分ありうる。日々が空しく過ぎ去っていく。痕跡も思い出も残さない。それから突然、停止する。」
・「ときどき、このままこれという生き甲斐もなく生き永らえることもできると、思うこともあった。退屈には比較的痛みもないし、日常の営みに支障を来たすことはあるまいと思うこともあった。またしても間違いだ。退屈というものは長引くと、退屈のままではいられなくなる。それは遅かれ早かれ、よりはっきりとした痛み、確固たる痛みの感覚に変わる。それがまさに今、僕に訪れつつある。」
・「僕はこの世界が好きじゃない。やっぱり好きじゃない。僕は自分の生きている社会にうんざりしている。広告には反吐がでる。コンピュータには吐き気がする。コンピュータ技術者という僕の仕事は要するに、準拠すべきもの、一致させるべきもの、合理的判断の基準を増やすことだ。なんの意味もない。はっきりいって、ネガティブなものでさえある。ニューロンにとっては、無用なかさばりだ。この世界で、余計な情報ほど要らないものはない。」
・「性的行動はひとつの社会階級システムである」
・「愛という概念は、存在論的には脆いが、作用という面において絶大な力を示すあらゆる特性を持っている。あるいは、つい最近まで持っていた。ぞんざいにでっち上げられたその概念は、すぐに大きな支持を集めた。おまけに現代に至っても、愛することをきっぱり敢然と放棄している人間の方が少数派だ。この大成功こそ、愛が人間の本質を成すなんらかの欲求と奇しくも一致していることの証しだろう。とにかくここが注意深い分析になるか、ただのおしゃべりになるかの分かれ道だ。人間の本質を成すそのなんらかの欲求について、あまり簡単な仮説を立てないよう、僕は肝に銘じる。どうあれ愛は存在している。その結果が観察できるから。どうだ、クロード・ベルナールばりのフレーズだろう。」
・「そりゃあね、僕だって考えたさ。その気になれば、毎週だって女は買えるだろう。土曜の夜なんてうってつけだ。そうすれば僕もようやくそれができるだろう。でも同じことをただでやれる男もいるんだぜ。しかもそっちには愛までついている。僕はそっちでがんばりたいよ。今は、もう少しがんばってみたいんだ」
★「当然、僕はなにも言えなかった。しかし物思いに沈んだままホテルに帰った。やはり、と僕は思った。やはり僕らの社会においてセックスは、金銭とはまったく別の、もうひとつの差異化システムなのだ。そして金銭に劣らず、冷酷な差異化システムとして機能する。そもそも金銭のシステムとセックスのシステム、それぞれの効果はきわめて厳密に相対応する。経済自由主義にブレーキがかからないのと同様に、そしていくつかの類似した原因により、セックスの自由化は「絶対的貧困化」という現象を生む。何割かの人間は毎日セックスする。何割かの人間は人生で五、六度セックスする。そして一度もセックスしない人間がいる。何割かの人間は何十人もの女性とセックスする。何割かの人間は誰ともセックスしない。これがいわゆる「市場の法則」である。解雇が禁止された経済システムにおいてなら、みんながまあなんとか自分の居場所を見つけられる。不貞が禁止されたセックスシステムにおいてなら、みんながまあなんとかベッドでのパートナーを見つけられる。完全に自由な経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間は失業と貧困から抜け出せない。完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。経済の自由化とは、すなわち闘争領域の拡大である。それはあらゆる世代、あらゆる社会階層に向けて拡大している。同様に、セックスの自由化とは、すなわち闘争領域の拡大である。それはあらゆる世代、あらゆる社会階層に拡大している。ラファエル・ティスランは、経済面においては勝者の側に、セックス面においては敗者の側に属している。何割かの人間はその両方で勝利し、何割かの人間はその両方で敗北する。企業は何割かの大学卒業者を取り合う。女性は何割かの若い男性を取り合う。男性は何割かの若い女性を取り合う。混乱、動乱、著しい。」
・「基本的に僕は歯医者が嫌いだ。僕は連中のことを金満主義の化け物だと思っている。生きる目的といえばもっぱら、できるだけたくさん歯を抜いてコンパーチブルタイプのベンツを買うことだけ。そしてこの男も、その例外ではなさそうだった。」
・「『たしかに女の子は大晦日に男と寝たいなあと思っている』僕は威厳たっぷりに言った。しかしだからってイヴがどうでもいいというわけではない。『女の子は親やらお婆ちゃんやらと一緒に牡蠣を食べ、プレゼントを貰う。でも零時を過ぎると、ディスコに繰り出す』」
・「ディスコはそこそこに人が入っていた。十五歳から二十歳までの客が多かった。ティスランのささやかなチャンスを一挙に根絶やしにしてしまう要素だ。たくさんのミニスカート、胸元の開いたビスチェ、要するに生肌。ティスランが露骨に目を見開いて、ダンスフロアを見回している。僕はバーボンを頼みにカウンターへ行った。戻ってくると、彼はすでにダンスの輪の端の方に立ち、もじもじしている。僕は小さな声で「僕もすぐに行くから……」と言って、テーブルに向かった。テーブルが少し高いところにあるおかげで、作戦の舞台が実によく見渡せた。」
・「ティスランの死のニュースを聴きながら、僕は思った。少なくとも彼は、最後まで奮闘したはずだ。若者向けバカンスクラブ、ウィンタースポーツ系バカンス……。少なくとも彼は、諦めたり、降参したりしなかったはずだ。延々と失敗を重ねても、最後まで愛を探し求めたはずだ。僕は知っている。ひとけの無い高速道路で、205GTIのシャーシに潰され、黒のスーツと金色のネクタイ姿で血まみれになりながら、彼の心中にはまだ闘争も、欲望も、闘争心も残っていた。」
・「これで晴れて、僕は鬱病患者である。ありがたい形式だと思う。僕は自分が特に落ち込んでいるとは感じていない。むしろ周りが浮かれているように思う。」
・「彼女は僕の話があまりにも一般論的で、あまりにも社会学的だと非難する。彼女は言う。そんなことはどうでもいいの。それどころか、あなたはなるべく自分に向き合い、『自分を中心に据える』よう努力しなくてはいけないわ。
『どうだっていいんですよ、僕のことなんて……』僕は反論した。
『心理学者としては、その話を受け入れるわけにはいかないわね。私にはどうしてもそれを素晴らしいことだと言ってはあげられない。社会を論じることで、あなたは自分を守るバリアを張っている。そのバリアを壊すことこそが私の役割ですもの。そうしないと、あなた個人の問題に私たちは取り組めないでしょう』『詰まるところ、どうしてあなたはそんなに不幸なの?』」
・「でも私は、あなたの問題をあなたからダイレクトに聞きたいわ。何度も言うけど、あなたは抽象的すぎるの」
「そうかもしれません。でも僕は具体的に理解できないんです。どうしてみんなは生きていけるのか。僕の印象では、みんな不幸になってもおかしくない。つまり、僕らはひどく単純な世界に生きている。この世界にあるのは、支配力と金と恐怖をベースにしたシステム――これはどちらかといえば男性的なシステムで、仮にこれをマルスと呼びましょう。そして誘惑と性をベースにする女性的なシステムです。これをヴィーナスと呼びましょう。そしてそれだけです。これで生きていけるでしょうか?ほかになにもないんですよ!19世紀末の写実主義者とともに、モーパッサンもまた、ほかになにもないと思った。だからこそ彼はすさまじい狂気に至ったんです」
「あなたはいろんなことを混同しているわ。モーパッサンの狂気は梅毒の進行の典型的段階にすぎない。正常な人間であれば、あなたが話した2つのシステムを受け入れるものだわ」
・「次第に僕は考えるようになった。これらの人々(男性あるいは女性)はみんな少しも狂っていない。彼らは単に、愛が欠乏しているだけだ。彼らの行動、態度、手振りは、肉体の接触や愛撫への激しい渇きを露わにしている。しかし当然、それは叶わない。したがって彼らはうめき、悲鳴を上げる。彼らは自分の爪で自らを傷つける。」
・後ろを振り返る優柔不断な精子のはなし
マクシミリアン・ロベスピエール
安楽死させる病院
・苦渋、嫉妬、恐怖

訳者あとがき

・しかしここでなおも注目すべき点は、語り部の、ひいては作者の「同情」の能力だ。ウエルベック語り部は誰かの苦しみを感知し、燐憫を覚える。同情する。読者の心が最も動揺するのは、この瞬間だろう。
同情というのは、他人の苦しみを自分のものとして共感することだ。これが語り部と他人の苦しみを連結する。そしてこの連結は、語り部を介して読者にも起こる。本の中に描かれた他人の苦しみが、いきなり、自らのものになる。ここで涙をいっぱいにため、死んでしまいたいほどの惨めさと恥辱を味わっているのは、他人じゃない、自分だ、これは私の苦しみだ――と読者は感じる。
3/7読了
 
◆あらすじ:闘争領域。それはこの世界、自由という名のもとに繰り広げられる資本主義世界。勝者にとっては快楽と喜びが生まれる天国、敗者にとってはすべて苦しみ、容赦ない攻撃が続くシビアな世界。
日々、勝者か敗者かの人生が揺れている。微妙な三十男の「僕」と、生まれついての容姿のせいで女に見放されている、完全な敗者のティスラン。彼らにとって人生は苦々しく、欲望はときに拷問となる。そんなふたりが出会ったとき、奇妙で哀しい、愛と人生の物語が生まれる――。
◆感想:非常に印象に残る、面白い小説だった。
ルッキズム、エロティック・キャピタル(魅力資本)の問題。
経済の自由化、恋愛・SEXの自由化。一部が独占し、多くが絶対的貧困化に陥る。「何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。」
ベックやバウマン「個人化」の問題。人と繋がれなくなる。
主人公の職業がITエンジニアというのも象徴的。19世紀パリのオスマン計画。どんどん世界が人工的・無機的になっていき、エロス・エネルギーが無くなっていく。ウェーバー脱呪術化された近代。
主人公が友人をそそのかし、いちゃつくカップルを殺させようとする、
ここを読んでいて、昨今流行りつつある、インセル(involuntary celibate、不本意の禁欲主義者)殺人に影響を与えた小説なのかなと思ってドキドキした。
でも友人はすんでのところで思いとどまる。「やっぱり、だめな気がした」。
よかった。これがやっぱり大事なところで、やっぱり本能的に人は人を殺せないはず。理屈じゃない。
お金を行き渡らせるだけじゃなく、「愛」をどうみんなに行き渡らせられるか?
誰もが病んでしまう新自由主義社会の問題を題材にした嚆矢のような小説だと思った。