マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

【映画メモ】長崎俊一監督『ロマンス』(1996年 オフィス・シロウズ)@国立映画アーカイブ

国立映画アーカイブ 逝ける映画人を偲んで 2021-2022 
佐々木史朗プロデューサー 2022年4月18日肺がんで死去
 
上映前監督挨拶
・佐々木Pの運転する車でロケハン、ドライブ
本編
・市役所 宅地開発 情報を入手し先回りして地上げ
・市担当者を肉弾接待して情報入手 
・興信所を利用して地主の弱みを握って恐喝 
・バー ビルの屋上
・高原の別荘
 
◆感想:面白かった。
『ディープヨコハマ』の佐野亨さんが推薦していたので観た。
霧子のキャラをみて、モーニング娘。OBの佐藤優樹ちゃんを連想した。
不思議ちゃんの系譜として戸川純などの影響があるのか?
最近、ラカンの「父の否/父の名」という概念(象徴界の威嚇的介入)を勉強したので、
それに屈服しなかったあるいは、その際に何かの原因でこじれて「父の否」が失敗した対象としての「不思議ちゃん」の理解が深まった。
柴田は金銭欲、名誉欲、支配欲のような欲望(=野心)に取り憑かれており、不動産開発を何としても成功させたいと思っている。
安西は市役所で働きながら、まだ半分モラトリアム期間のように、自宅で小説を書いている。
俗っぽい二人が、霧子の強烈なキャラに出会い、象徴界が歪む。象徴界に亀裂が入り、一瞬現実界が垣間見られた気がする。
 
高原を車が走るロングカットのあのブルーが全て。あのブルー(夕暮れの空の色、空気の色)はすべてをかっさらっていく。
柴田が夕方ビルの屋上で佇むカットもあの青。
この牢獄のような逃れられないような重たい俗社会が、実は刹那的な幻のようなもので、社会は世界のごく一部なんだと気づかせてくれる。
そういう奇跡的な時間が稀に訪れるが、お祭りが終わって夜が明けて、翌朝にはまた「日常」に帰っていかなくてはならない。
人はこの息苦しい象徴界の社会で生きていくしかないのだが、それは世界という現実界のごく一部でしかないことを忘れないようにしたい。
 
バタイユの「連続性/非連続性」という概念。
霧子のような「発達障害」とレッテルを貼られている人は世界の連続性と繋がっている。
そういう人たちにとってこの象徴界の社会、非連続性の社会はめちゃくちゃに生きづらい。
もうちょっと象徴界成分を弱めて、アフター5は屋台が立ち並ぶような昔のバンコクのような都市につくりかえていくべきだと思う。