マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

「作品#04 続・哲学用語図鑑トレーディングカード」紹介②日本哲学8枚 #17-24

目次

17.西周

哲学

18.西田幾多郎

純粋経験

私(主観)と世界(客観)がまず存在し、その後、私(主観)が世界(客観)を経験するというのが西洋近代哲学の基本的な考え方です。けれども西田幾多郎はそうは考えませんでした。彼によると、まず経験が先にあり、その後で私(主観)と世界(客観)が分かれます。
「美しい」という経験がまずあり、その後、冷静になって「ああ、私は夕日を見ているんだ」と考えたとき、はじめて、私という主観と夕日という客観に分かれるのです。
夕日の例の場合、「美しい夕日」は確かに経験したので、疑いようがありません。けれどもその後あらわれた主観/客観図式と、それがさらに発展して生まれた自然界 (実際の世界) は思考 (論理) によって、妥当だと推測された世界のあり方にすぎないのです。西田は主観と客観が別れる前の経験を純粋経験と呼び、それだけが実在していると考えました。

主客未分

西田幾多郎は、我を忘れて美しい風景に見とれたり、美しい音楽に聞き惚れている状態を純粋経験と呼びました。このとき、私と風景、私と音楽は一体となっていると彼は考えました。
純粋経験の後、思考を通してはじめて主観と客観は別れます。西田は思考(論理、言語)を通す前の主客未分の状態が真の世界だと考えました。
禅の体験を通じて、自分と世界が一体だということを実感できるとされています。西田はみずからの禅の体験で主客未分の考えに行き着きました。

純粋経験や主客未分という概念は西田の『善の研究』という著書にあります。ここでの善とは何をさすのでしょうか?
西田幾多郎にとって善とは、自分の感情・知性・意志が一体となった状態をいいます。自分の本当にやりたいことに我を忘れて没頭しているときがこれにあたります。
西田は、善とは「人格の実現」だと言います。そしてその「人格の実現」と同時に、人類や宇宙全体も善を実現すると言います。つまり主客の区別も、感情・知性・意志の区別もない純粋経験は、宇宙全体の善が、個人の中にあらわれたものだといえるのです。
感情=「人の役に立ちたい」「病気を治したい」「サッカーがうまくなりたい」「宇宙に行きたい」などの感情
知性=やりたいことに必要な知性
意志=実際の行動
感情・知性・意志の3つが重なった状態が善

述語の論理

西洋の言語と違い、日本語は主語を使わなくても不自然ではありません。つまり日本語は主語よりも述語を重んじる言語であるといえます。西田幾多郎の代表的な論理である述語の論理も述語が重要な役割をします。
文の主語は述語の集合に含まれると考えることができます。たとえば「ソクラテスギリシャ人である」という文の場合、ソクラテス(主語)はギリシャ人(述語)の集合の中に含まれます。
この「ギリシャ人である」という述語を「ギリシャ人は人間である」「人間はほ乳類である」「ほ乳類は生物である」というようにどんどん広げていくと、最終的にすべての述語を含む無限大の述語に到達します。西田はこの無限大の述語を絶対無の場所と呼びます。世界にあるすべてのものは、絶対無の場所に包まれ、絶対無の場所の上に成立していると西田は考えました。
もし、絶対無の場所を体験できたなら、世界の真の姿を捉えることができると西田は言います。絶対無の場所への探求が、西田哲学の大きなテーマとなります。

場所の論理

西田幾多郎は当初、純粋経験から世界のあり方を捉えました。けれども後に、場所の論理という考え方で、世界のあり方を説明するようになります。西田の考えの特徴は、自然界(実際の世界)にある個物はすべて、意識の対象であり、意識に作られ、意識の中にあるとする点です。西田は自然界のことを有の場所。知性、感情、意志などの意識がある場所を意識の野と呼びます。有の場所は意識の野の上に於 (置) いてあることになります。
そして意識の野のさらに下に、自分では容易に自覚できない価値観や美意識や道徳心が置かれる叡智的世界があり、そのさらに根底に、すべてを含む絶対無の場所があります。有の場所は意識の野に作られ、意識の野は叡智的世界から生まれ、その根底にすべてを成立させる絶対無の場所があるという構造が西田哲学である場所の論理です。この場所の論理は、述語の論理と対応します。

絶対無

場所の論理で見たように、現実の世界(有の場所)は、私の意識に作られ(認識され)ます。生き生きとした現実の世界を実感するためには、意識を磨く必要があります。
そのためには、自分の意志のもと、やるべきことに打ち込んで、知性や感情を磨かなくてはなりません。すると、自分の美意識や道徳心を省みざるをえないときがやってきます。そして自分の道徳心を自覚すればするほど、自分の中にある悪に気づいてしまいます。けれどもその迷える心はやがてすべてを包み込む絶対無の場所に出合うはずだと西田幾多郎は言います。
個物は「~である」という述語が集まってできています。私もまた「日本人である」「男である」「臆病である」など「~である」という述語の集まりです。私を含めた個物、つまり主語は実体を欠いているのです。述語の論理で見たように、絶対無の場所はすべての述語を内包した無限大の述語の場所です。その場所を体験できれば、真の世界の、そして真の私のあり方を自覚できることになります(絶対無の自覚)
個物は「~である」という述語が集まってできている。個物、つまり主語は実体を欠いている。すべての述語を内包している絶対無の場所を体験すれば自分もまた無であることを実感できる。これを解脱という

絶対矛盾的自己同一

自己は、自分が無であることを自覚することを通じて、すべてを包みこむ絶対無を自覚します(絶対無の自覚)。自分の底には、自分を超えたものがある。その矛盾を通じて、真の自己を見いだすと西田幾多郎は言います。同様に、一と多、永遠と今など、矛盾するものが相互に作用しあうことで、世界そのものが創造的に生成していくのです。
このように、矛盾するものが相互に作用することで、自らを創造的に生成していくあり方を、西田は絶対矛盾的自己同一と言います。そして絶対無の場所は、そういった創造的な生成を生み出す根源的な場所なのです。
そして、この絶対無という概念の登場は、日本哲学の幕をあけることになりました。彼の下に集まった京都学派と呼ばれる哲学者たちは、絶対無という言葉を批判したり、深めたりしていくことで、自分の哲学を発展させていきます。

19.鈴木大拙

無分別智

人間は、主観と客観、山と川、動物と植物、左と右、精神と物質、善と悪などの概念 (言語) で世界を分別 (区別) しています。
鈴木大拙は、あらゆるものが概念(言語)によって分別される前の、万物が一体となった世界を直観する智恵を無分別智とし、無分別智のことを霊性と呼びました。
霊性は、民族がある程度の段階に進まないと覚醒しないといいます。日本の場合、霊性は、鎌倉時代の浄土系の思想や禅から覚醒しはじめました。大拙は、日本の浄土系の思想や禅の中に、無分別智 (=霊性) の純粋な姿があると考えます。たとえば浄土系の思想では、ひたすら念仏を唱えれば、罪人も成仏できるとされます。「南無阿弥陀仏」という念仏は、善悪や自他、そして自分と仏という分別を超えた無分別智のあらわれなのです。
(私も仏も世界も、もともとは1つ。人間の理性には限界があるので人間の理性によって分別された世界は正しいとは限らない)
浄土系の思想や禅に見られる無分別智のあり方を、大拙は、日本的霊性と呼びます。浄土系の思想の特徴である念仏もまた、日本的霊性をあらわすものだと大拙は考えました。

妙好人

人間はあまりに無力なので、完全な善人にはなれないと浄土真宗の開祖の親鸞(1173~1263)は考えました。そして、人は善人になる必要などはなく、この身このまま(自分のまま)で救われて成仏するのだと親鸞は言います。むしろ自分を聖人だと思っている人の方がよっぽど問題です。
親鸞によると、どんなに悪人でも救われることは始めから保証されています。だからこそ、みずから進んで善行や修行をしたくなると言います。何かの目的のため(たとえば天国に行くため)ではないので、善行や修行も強迫観念なしに楽しくできるというわけです。
善人と悪人の区別なく、すべての人は成仏できるという教えは、日本的霊性である無分別智と重なります。無分別智 (仏と私は同じ) に促され、自発的に善行を行う市井の人々を、浄土真宗では、妙好人と呼んでいます。 鈴木大拙は、妙好人を通して日本的霊性を考察しました。
大拙は、無心に念仏を唱え、みずから進んで人の苦しみを取り除こうとする妙好人こそ自由な存在だと考えます。自由とは、何かから逃れることではなく、文字通り、自ら (みずから) に由る (依る) ことだからです。そんな妙好人こそ、日本的霊性を体現していると大拙は言います。

20.田辺元

懺悔道

田辺元は、個人である個と、人類である類は、民族や国家である種を媒介しないと成立できないとする種の論理という説を唱えました。この説は、当初の田辺の意に反して、民族や国家を絶対視する戦前の国家至上主義の正当化に貢献してしまいました。
田辺は戦後、みずからの哲学を反省し、山奥の隠遁生活の中で懺悔道とし ての哲学を生み出します。
懺悔道は自分の行いを反省することから始まります。反省とはとことん考え抜くという意味です。限界まで考え抜き、これ以上考えが及ばないという地点に到達したとき、人は無になってしまいます。けれどもその無は、自分の力ではとうてい思いつかなかったであろうヒラメキをもたらすと田辺は考えます。このヒラメキ、つまり反省に対する救いの道や、考えに対する答えは、誰にでも必ず訪れると彼は言います。
自然(神)が個人に与えた力は、個人の努力で出し切らなくてはいけません。全力を尽くすことは個人の義務でもあります。けれどもその後、人は個人の力の限界を知ります。すると最後の最後に、絶対無である他力が新しい道を開いてくれます。この自分の努力による反省と、他力に よる救いの繰り返しが、真の自分の発見につながると彼は説きます。

21.九鬼周造

いき

九鬼周造は江戸の遊郭で生まれたいきという日本特有の美意識を哲学的に考察しました。いきは異性を惹き付けるしぐさや身なりである媚態、武士道精神ともいえる意気地、そしてすべてはうつろいゆくという仏教の無常観にも似た諦めの3つで成り立つと彼は考えました。
九鬼は西洋が重んじる合理性生産性、精神的に1つになって完結とする一元性とは違う価値をいきの中に見いだしました。

偶然

九鬼周造は、自分が日本人の男性で生まれたことも、健康で生まれたことも、単なる偶然だと考えます。通常、人はそれを認めたくはありません。自分の存在の意味や特別性を見失い、不安になるからです。
とはいえ、無数の可能性の中の1つが自分に訪れた事実に運命を感じ、その運命を愛することができるはずだと九鬼は言います。また、他者に偶然訪れた運命は、もしかしたら自分に訪れていたかもしれません。そう考えると他人の運命も自分の運命のように感じることができます。

自然

日本人は自分の意志で決断したことでも、「この度、就職する運びとなりました」など、あたかも自然にそうなったような言い方をします。西洋人が、自分の意志は、自分でコントロールできると考えるのに対し、日本人は、自分の意志の背後に、自分の力ではどうすることもできない自然の大きな力を見ていると考えられます。
また、日本には「自然にまかせる」という表現があります。日本人は決断を偶然や成り行きにまかすことを自由と捉えることがあります。自分の意志通りになることを自由とする西洋人とは大きく異なります。
またキリスト教は、人が利用するために神が自然を創造したと説きます。これに対して日本仏教は、人は自然に含まれており、個人にいくら強い意志があっても、自然が拒めば、個人の意志は諦めるしかないと説きます。ここにも自然観の違いを見て取れます。
さらに、日本語は「みずから」も「おのずから」も同じ「自ら」と書きます。つまり日本人にとって、自分の意志は、自然の成り行きと同じなのです。
和歌、俳句、絵画、建築、花道、茶道など日本の芸術は最終的に自然をテーマにします。その理由として九鬼周造は、日本では、自然なところまで行かなければ道徳が完成したとは見られないからだと考えました。

22.和辻哲郎

風土

和辻哲郎は、人間との関係として捉えた自然を風土と呼びます。彼は風土を①砂漠型、②牧場型、③モンスーン型の3つに分けて考察しました。
①砂漠型 [地域]西アジア [自然]厳しい [人々の性格]対抗的・戦闘的 [生活様式]遊牧 乾燥した厳しい自然とつねに戦わなくてはならず、人は対抗的・戦闘的になると和辻は考えた
②牧場型 [地域] ヨーロッパ [自然]穏やか [人々の性格] 自発的・合理的  [生活様式] 牧畜・農耕 緩やかな気候のため、人は自然をコントロールできる。雨天と晴天が一定のリズムで繰り返されるので、人は計画的・合理的・自発的になると和辻は考えた
③モンスーン型 [地域]東・東南・南アジア [自然] 豊かだが気まぐれ [人々の性格] 受容的・忍従的 [生活様式 ] 農耕 豊かな自然は恩恵をもたらすが、猛威もふるう。自発性・合理性は役に立たず、人は受容的、忍従的になる
和辻は自然が人々の性格に影響すると考えましたが、地域的な条件は交流などによって乗り越えていくべきだと主張しました。

間柄(あいだがら)的存在

和辻哲郎西田幾多郎の絶対無の概念仏教思想の空と捉え直します。万物は因果関係(縁起)で成り立ち、単独では存在できないというのが空という考え方です。
空の思想・・・万物は単独では成立できず、つねに何かに依って存在し、実体を欠いているとするのが空の思想(色即是空 空即是色 by 般若心経)
和辻の人間の捉え方は空の思想を色濃く反映しています。人間とは、単独では成立できず、人と人との関係でのみ人間と成りうる、間柄的存在だと考えました。
間柄的存在として、人間は自己の個性を発揮しなくてはなりませんが、社会の中ではときとして自己を否定(社会との協調)しなくてはなりません。この自己の肯定と否定の繰り返しが、真の人間性を作り上げると和辻は考えました。

23.三木清

構想力

三木清は世界の根底に絶対無を置く西田幾多郎の考えを引き継ぎますが、三木の無には、西田の絶対無のような宗教性はありません。三木は人間が言語によって世界を分別する前の世界を無にたとえます。思考によって概念化されていない世界という意味で、これを虚無と呼びました。
虚無から主体的に何か新しい具体的な事物を作り出す力を構想力と呼びます。構想力は自分のパトス(感情・感性)ロゴス(理性・知性)を積極的に働かせながらを作ります。この形を作る過程が歴史であると三木は考えました。
人間は歴史を作りますが、動物は歴史を作りません。つまり三木は構想力を人間特有の力であると考えました。
けれども晩年の三木は、自然そのものが構想力を持っていると考えるようになります。自然が持つ構想力は、生命の進化に見て取ることができると言うのです。日本人の思想家の多くがそうであったように、三木もまた、人間はみずからを含む自然の力の上にあると考えるに至ったのです。

24.戸坂潤