マラカスがもし喋ったら

読書メモ、講演メモ中心の自分用記録。

パースペクティブ ラカン 鏡像段階

振り返り
想像的なもの 象徴的なもの 現実的なもの
象徴的なものが弱くなっていく
近代化
①超越的権威の失墜 「神は死んだ」 ニヒリズム
→生の意味づけの困難 cfデュルケーム エゴイズム→個人化
②<大きな物語>の終わり
・富国強兵
・豊かになろう
・進歩
③「第三者の審級」がすりへる→フラット化
校長先生もかわいい
丸が重なる図 現実界 象徴界-言語 想像界-イメージ
 
1.ルネ・ジラール:模倣の欲望
①モデル=ライバル関係
②内的媒介 外的媒介(距離が十分離れている)
③キリストに従うこと
 
2.ニーチェにおける模倣の欲望
ワーグナー 総合的な芸術家 音楽会を主催など「超人的存在」
ニーチェワーグナー芸術の伝道 27歳「悲劇の誕生」でべた褒め
③40代。決裂。
④「最後の覚え書」ギリシア神話を作り変えて、ワーグナーに対する優越への願望を表現
⑤「権力への意志
・初期「ルサンチマン」:現実に復讐できないため価値観の転倒によって復讐…奴隷
・後期「権力への意志」:自己をつねに越えてゆこうとする志向…超人
→他者の評価から強迫的逃れようとする操作→世界の無関心→狂気の進展
 
3.ラカン鏡像段階
1)ジャック・ラカン(1901-1981)
パリ。フロイト思想の研究と実践。パラノイア。自我、無意識。主著「エクリ」。
2)鏡像段階
①自我の機能を構成するもの。生後6-18ヶ月。
②乳幼児。身体の統一性を持たない。手足がバラバラの感覚。世界との調和の不快感。寸断された身体。
③幻覚や悪夢
④原初的不調和に苦しむ幼児がはじめて自分の統一的な全体像をつかむのは、鏡に映る自分の映像を<私>であると認めたときである。母に「それがおまえだよ」と承認される。→大喜び。
⑤発達の早い視覚を通して。<私>の統一的なイメージ。自我=<私>が発生。クーリー「鏡にうつった自己」
⑥生後18ヶ月ぐらいに完了。
鏡像段階は自我の基盤であり、以降の<私>の活動を規定する「心的局面」でもある。
*鏡の機能であればよい。言語や理屈よりも先。
3)理想の希求/パラノイア的病理
・ひとは理想像への同一化をとおして、ナルシシスム的な自己像たる<私>の原型的イメージを獲得する
・「私が本当の自分になるためには自分自身を脱ぎ捨てて、他者の衣服をまとわねばならないという自他の不思議な関係にわれわれを導く」
◇理想を求める人間の努力
◆同一化をとおして自我が構成されるということは、<私>は最初から社会関係の中に組み込まれている、ということである。このことは、自我は疎外をとおして生まれるということを意味する。同時に、本当の<私>を取り戻そうと社会に要求する<パラノイア>的な病理がここから生まれる
 
4.症例エメ
1)女優襲撃事件
2)エメの来歴
3)エメの人間関係
①妄想対象者:上流の贅沢な暮らし、魅力的、世間から注目。エメの憧れの理想像
母→姉→C嬢→Z婦人
②理想者が迫害者に感じる
③理想者に不当に奪われている
④女優(理想像)を刺して警察に逮捕されることではじめて、エメは自分の「現実」に直面→妄想が消滅
4)双数関係と象徴的他者
「鏡像は<私>を形成する一方で、原初的に主体を疎外する「他者」である。それゆえ、自分が消滅されたくなければ、自らの場所を「他者」から勝ち取り、「他者」に自分の価値を認めさせねばならないことになる。
 鏡像は主体をその魅力的な統合性のうちに虜にし、人はこれとイメージのうちに狂おしく同一化していくことになる。主体はこの外部の鏡像を取りいれ、欠けた自己自身の統一的な姿を先取りして、この場所に自我なる主体の仮面を見出すこととなる。
 しかし主体がこのような姿で自我を獲得することは、逆に自己の統合性を外部の像に委ねることになり、主体はその主人性を外部の何ものかに奪われるという皮肉な事態を迎えてしまう。結局、主体は外部の鏡像とその主導権を争う、不安定極まりない不均衡な状態に追いやられてしまう。こうした食うか食われるかといった想像的なシーソーのような揺れ動くイメージ優位の嵐の中、これを乗り越えるべく招聘された次元こそ、象徴世界の父たる絶対的他者の審級なのである。この象徴的他者の出現により、主体はその主人性を自己の鏡像と相争うような決闘的なシーンを抜け出して行くことができるようになるのである」
*第三者の位置に立つ絶対的他者(「象徴的他者」)の視点をとりいれることで、主体は決闘的な二者関係からぬけだすことができる。
*エメの場合:警察・司法権力+治療での語り(=言語)を通した自我の再構築 象徴的なもの

象徴的他者↔想像的他者:双数感駅(似姿)、決闘的関係 cfジラール モデル=ライバル関係
 
次回 現実界―生そのもの、<力>cfニーチェ ラカン欲動
バタイユフーコー作田啓一
 
先生もカウンセリングを受けた。 ただフリーに語り、それを書き起こす。想像界象徴界に変換する。